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あの日のこと

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「どうして私までそんなことをする必要がある? お前たちだけでいいだろう」
「よくありません。アニュエラ妃に納得していただくために、どうか殿下もお願いいたします」

 王太子と宰相が言い争いをしている。
 レディーナ王国に滞在中のアニュエラへ書状を送ることになったが、「サディアスも筆を執れ」と国王が命じたのだ。
 当の本人が渋っているのには理由がある。

「何故私だけ謝罪文を書かねばならないのだ?」
「殿下だけではなく、ミリア妃にも書いていただきます」
「ふざけるな! 誰が書くものか!」

 宰相から手渡された便箋を投げ捨てた。
 アニュエラにそこまで下手に出るなど、プライドが許さない。一生彼女にバカにされるのが目に見えている。

「……そうもまいりません」

 宰相は便箋を拾い集めながら、冷静に諭す。

「お二人は、アニュエラ妃にご迷惑をおかけした謝罪を未だになさっていないそうですね」
「わ、私たちの補佐をするのが側妃の役割だ。当たり前のことをしただけの相手に、媚びる真似はしたくない」

 往生際悪く拒み続ける王太子は、過去にその側妃を『お飾り』と嘲笑していたことを忘れているようだ。
 いや、覚えてはいるが、都合の悪いことは棚に上げるつもりなのか。

「そういえば殿下、先日このような話を小耳に挟んだのですが」
「どうした急に」
「アニュエラ様の変化についてでございます」

 あれだけ品行方正だった彼女が、突如好き勝手に振る舞い始め、私用の外出も増えた。
 何か理由があるはずだ。アニュエラを正妃に戻すためにも、不安要素は排除しておきたい。
 宰相が秘密裏に調査した結果、ある事実が判明した。




 ミリアを正妃に迎えて暫く経った頃の話である。
 サディアスは侍従兼友人を自室に招き、酒盛りを開いていた。
 この時点でアウトだ。王太子は公式の場と食事以外での飲酒を禁じられている。数代前の王太子が酒に溺れ、使い物にならなくなった事例を踏まえて規定された。

 酒は侍従がこっそり持ち込んでいたらしい。
 自白したのは騎士団長の息子だった。

 気の置けない友人たちに囲まれ、酒を回って気が緩んでいたのだろう。この時のサディアスはいつも以上に饒舌だったと聞く。
 そんな時にアニュエラの話題となった。

 アニュエラの手腕を認めている侍従たちは、彼女が側妃にいれば王家は安泰という意味合いで、話題に出したらしい。彼らはミリアより、サディアスよりもアニュエラが優秀だと理解していた。
 そうとも露知らず、サディアスは彼女を散々こき下ろした。

「側妃は所詮はお飾りで、お気楽な立場だ」
「で、殿下……」
「ミリアは妃教育と公務で苦労しているのにな。羨ましいよ。私も代わって欲しいくらいだ」
「殿下!」

 侍従の一人が鋭く叫び、部屋の入り口へ視線を向ける。
 そこには何故か笑顔のアニュエラが立っていた。
 室内の空気が一瞬にして凍り付く。

「ア、アニュエラ……何しに来たんだ! ここは私の部屋だぞ!」
「あら。殿下にお部屋へ来るようにと言われていたのですが……はい、こちらをお届けにまいりましたわ」

 アニュエラがテーブルの端に置いたのは、一冊のノートだった。アニュエラ妃が妃教育を受けていた頃に使っていたものだ。教育係から言われたことなどが細かく纏められている。
 これをミリアに譲るようにと、サディアスはアニュエラに言いつけていたのだ。

 自分が呼び付けたことも忘れていたのか。酔いなどすっかり冷めて絶句する侍従たちを見回し、アニュエラは軽く会釈をした。

「では皆さん、引き続きお楽しみくださいませ」

 にこやかにそう告げて、部屋を後にしたという。




「なっ……そ、そんなのただの作り話だ!」

 分かりやすい王太子だ。狼狽えながら必死に否定している。

「私もそう信じております」
「……父上と母上には、このことを知っているのか?」
「いいえ。真偽のほどが不明なのでまだ」
「伏せておけ! そんなデタラメをお聞かせする暇などないだろう!」
「その通りでございます。さて、殿下。手紙の件なのですが……」
「分かった。書こう。書くから、この話はもう終わりだっ!」

 サディアスが酒盛りをしていたことも、アニュエラへの暴言を吐いていたことも、国王に報告したところで何かが変わるわけではない。今更すぎる。
 だったら、別な形で有効活用するまでだ。

 目論見通り、サディアスは宰相に従った。
 弱みにつけこみ、王太子を言いなりにさせている。息子に甘いところのある王妃に知られたら、ただでは済まないとは分かっているが、手段を選んではいられなかった。

 
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