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匙を投げる

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「近々、王宮を去ろうかと考えております」

 そう打ち明けたのは、ミリアの教育係だった。そして、アニュエラのかつての教育係でもある。
 彼女は平民の生まれではあるが、高名な学者の娘で元々は市井で子供たちに教育を施していた。その評判を耳にした国王により、妃教育の教師を拝命したのだ。

 選りすぐりの教師係の中でも、最も質がいいのがこの女性だった。
 アニュエラが早期に妃教育を修了したのも、彼女の功績と言われている。

「そう。寂しくなりますわね。あなたには多くのことを学びました」
「私もアニュエラ様と過ごす日々は、とても充実しておりました。未来の国母に仕えることがどれだけ誇らしかったか……」
「あらまあ。あなたは、今でも未来の国母に仕えておいででしょう?」

 アニュエラが茶化すような物言いをすると、彼女は「ご冗談を」とわざとらしく肩を竦めた。

「ミリア様は王太子妃の器ではございません」

 はっきりと断言した元教育係に、アニュエラは小さく噴き出す。温厚な彼女らしくない、過激な発言だった。

「そのようなことを仰ってはいけませんわ。誰が聞いているか分かりませんもの」

 アニュエラは、部屋の扉へ視線を向けながら言った。

「構いません。私はもうじき辞めるつもりですし、何なら今すぐ解雇されたほうが楽です」

 元教育係はにこりと微笑んで切り返した。よほど腹に据えかねているらしい。

「ミリア様はそんなに覚えが悪いの?」多少砕けた口調で問いかける。
「それ以前の問題です」
「どういうこと?」
「そもそも妃教育を受けようとしません。あれこれ理由をつけて、逃げ回っておられます」
「勉強嫌いのお嬢様なのね。気持ちは分からないでもないかしら」

 アニュエラは皮肉げに笑った。

「それだけではありませんね。妃教育を終わらせるのを先延ばしにしているように思えます」
「先延ばしに……ああ、そういうこと」

 合点がいった様子のアニュエラに、元教育係が溜め息混じりに言葉を続ける。

「はい。妃教育を終わると、一気に公務が増えますからね」
「王族に公務は付き物でしょうに。それは彼女も理解していたのではなくて?」
「まさか。『妃は綺麗に着飾って、王様の隣で笑っているのが仕事ではないの?』と、大真面目な顔で私にお訊きになりましたよ」
「側妃であれば、それでよかったでしょうね」

 事実、側妃に落とされたアニュエラに公務が舞い込むことはなくなった。

「側妃であっても、最低限の教養は身に付けてもらわなければ困ります。王家の人間であることに変わりはないのですから」

 この口振りから察するに、ミリアはその最低限の教養すらも習得していないのだろう。ノーフォース公爵夫妻は、随分と彼女を甘やかしていたようだ。どの家に嫁がせても、多少は目を瞑ってくれるとたかをくくっていたのだろう。
 しかし王太子妃となると、そうもいかない。

「アニュエラ様」
「何かしら」
「正妃にお戻りになるおつもりはありませんか?」
「どうしようかしら」

 アニュエラは少し考える素振りをしてから、棚に飾られていたワインボトルを手に取った。

「だけど、王家がどうなろうと知ったことじゃないのよね。私はこのまま自由に楽しませてもらうわ」
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