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3.新婚生活
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レイラとの新婚生活は多忙の日々だった。
まずは、父から任される仕事が多くなった。家督を継いだ後は、私一人で全てこなさなければならない。その予行練習のようなものだ。
「父上。昨夜の雨で川が増水して、危険な状態にあると報告がありました。如何なさいますか?」
「ふむ……では、直ちに水魔法の使い手を手配しておけ」
「分かりました」
私が目を通している書類は、ロイジェ領の魔法師をリストアップしたものだ。
魔法師にも個人差があり、たとえば水魔法が使えると言っても、少量の水しか生み出せないような者もいる。
だが、父が十数年間かけて集めた魔法師は、皆優秀な人材ばかりだ。どのような不測の事態が起きても、速やかに対処できる。
レイラを連れて、領内を視察することも増えた。
魔法の力で守られているロイジェ領はとても平和で、活気に満ち溢れている。
だが、一ヶ所例外がある。……病院だ。
「ああ……このようなところにお越しくださり、感謝いたします」
医師や看護師は、目を潤ませながら深々と頭を下げた。
彼らの目の下には青黒いクマができており、顔色も悪い。
日夜患者のために尽力している立派な証だ。
「レイラ、頼む」
「はい、お任せください。先生、病室まで案内していただけますか?」
レイラの言葉に、医師は大きく頷いて「こちらです」と廊下を歩き始めた。
待ち合い室は閑散としていて、重苦しい静寂に包まれている。
病院を訪れるのは、重い症状で苦しむ患者ばかりだ。日常生活をまともに送れなくなり、看護師たちに世話をしてもらうためである。
薬?
そんな貴重なもの、平民向けの病院に置いているわけがない。
常備しているとしても、高額なのでおいそれと手が出せる代物ではなかった。
マーディニア王国の医療技術は低い。
かつて起こった大戦で、医療関係者も動員させられたことが主な原因だ。しかも多くの薬学書が焚書となった。
当時の国王は、光魔法を使える者がいれば問題はないと楽観視して、医者や薬師を志すことを禁じた。そして兵士になるように強制したのである。
その結果がこれだ。
大戦には勝利したものの、その代償は大きかった。
今でも医薬品は、他国からの輸入頼りである。
薬学技術を復活させようとする動きもあるようだが、失われたテクノロジーを蘇らせるのは困難だ。
それに裕福な人々は、当たり前の医療を受けられる。
なので現状に不満がなかった。私もその一人だ。
そんなことに目を向けている暇があったら、魔法を利用した鉄鋼技術や農学技術に力を入れたほうが、マーディニア王国のためになる。
要は、大きな怪我や病気をしなければいいだけの話だ。
「おお……ロイジェ公爵夫人様だ」
「光魔法をお使いになるのですよね? お願いします……どうか息子を助けてください!」
「よかった……これで俺は助かるんだな……」
病室にやって来たレイラに、患者やその家族が安堵の笑みを浮かべる。中には骸骨のように痩せ細った者もいた。
彼らを見回して、レイラは悲しそうに眉を寄せていたが、すぐに表情を引き締める。
「ご安心ください、皆様。今、私の魔法で苦しみや痛みを取り除きます」
凛々しい顔で宣言して、患者一人一人に光魔法をかけていく。
彼らは癒しの光を浴びると、目を見張りながら自分の体を見下ろした。
「す、すごい。痛みがなくなった……」
「息を吸ったり吐いたりしても、胸の辺りが痛くない!」
「これが光魔法……何て偉大な力だ……」
「死ぬのを待つだけだと思っていたのに……ありがとうございます……!」
顔色のよくなった患者たちが、レイラに感謝の意を述べる。
病気が治ったと言っても、日常生活に戻るためには時間がかかるだろう。
こんな人々に妻の魔法を使うなんて、正直勿体ない。
だが、レイラ及びロイジェ公爵家を神格化させるには、一番手っ取り早い方法だった。
私たち貴族が民たちに求めるのは、税金と忠誠心だ。
帰りの馬車の中で、レイラは欠伸を噛み殺しながら、私に寄りかかっていた。
香水の甘い香りに混じる仄かな体臭が、情欲を刺激する。
婚姻を結んでからも、レイラと体を重ねる頻度は少なかった。
私はごくりと生唾を飲み込んでから、口を開いた。
「レイラ……今晩いいだろうか?」
「……ええ。あなたのお母様も、『早く跡継ぎの顔が見たい』と仰っていましたからね」
「母上……」
「それに……私もあなたが欲しいです」
両手をぴったりと合わせながら、熱っぽい眼差しを向けてくるレイラ。
もしかすると、最初から私を煽るために体を密着させていたのかもしれない。
そのいじらしさに、思わず頬が緩む。
きっと、アンリと結婚していたら、ここまでそそられることはなかっただろう。
彼女を娶った男爵子息が、ちゃんと彼女を愛せているか気になる。
レスター男爵家の嫡男シリル。
父曰く、特に秀でた才能もない平凡な青年だという。
それに比べて、私は王都学園を次席で卒業しているし、水魔法と土魔法を使うことができる。
しかも自分で言うのも何だが、整った容姿をしているので異性から人気があった。どうでもいい話だが。
アンリの元婚約者として、一度シリルに会ってみたい。
まずは、父から任される仕事が多くなった。家督を継いだ後は、私一人で全てこなさなければならない。その予行練習のようなものだ。
「父上。昨夜の雨で川が増水して、危険な状態にあると報告がありました。如何なさいますか?」
「ふむ……では、直ちに水魔法の使い手を手配しておけ」
「分かりました」
私が目を通している書類は、ロイジェ領の魔法師をリストアップしたものだ。
魔法師にも個人差があり、たとえば水魔法が使えると言っても、少量の水しか生み出せないような者もいる。
だが、父が十数年間かけて集めた魔法師は、皆優秀な人材ばかりだ。どのような不測の事態が起きても、速やかに対処できる。
レイラを連れて、領内を視察することも増えた。
魔法の力で守られているロイジェ領はとても平和で、活気に満ち溢れている。
だが、一ヶ所例外がある。……病院だ。
「ああ……このようなところにお越しくださり、感謝いたします」
医師や看護師は、目を潤ませながら深々と頭を下げた。
彼らの目の下には青黒いクマができており、顔色も悪い。
日夜患者のために尽力している立派な証だ。
「レイラ、頼む」
「はい、お任せください。先生、病室まで案内していただけますか?」
レイラの言葉に、医師は大きく頷いて「こちらです」と廊下を歩き始めた。
待ち合い室は閑散としていて、重苦しい静寂に包まれている。
病院を訪れるのは、重い症状で苦しむ患者ばかりだ。日常生活をまともに送れなくなり、看護師たちに世話をしてもらうためである。
薬?
そんな貴重なもの、平民向けの病院に置いているわけがない。
常備しているとしても、高額なのでおいそれと手が出せる代物ではなかった。
マーディニア王国の医療技術は低い。
かつて起こった大戦で、医療関係者も動員させられたことが主な原因だ。しかも多くの薬学書が焚書となった。
当時の国王は、光魔法を使える者がいれば問題はないと楽観視して、医者や薬師を志すことを禁じた。そして兵士になるように強制したのである。
その結果がこれだ。
大戦には勝利したものの、その代償は大きかった。
今でも医薬品は、他国からの輸入頼りである。
薬学技術を復活させようとする動きもあるようだが、失われたテクノロジーを蘇らせるのは困難だ。
それに裕福な人々は、当たり前の医療を受けられる。
なので現状に不満がなかった。私もその一人だ。
そんなことに目を向けている暇があったら、魔法を利用した鉄鋼技術や農学技術に力を入れたほうが、マーディニア王国のためになる。
要は、大きな怪我や病気をしなければいいだけの話だ。
「おお……ロイジェ公爵夫人様だ」
「光魔法をお使いになるのですよね? お願いします……どうか息子を助けてください!」
「よかった……これで俺は助かるんだな……」
病室にやって来たレイラに、患者やその家族が安堵の笑みを浮かべる。中には骸骨のように痩せ細った者もいた。
彼らを見回して、レイラは悲しそうに眉を寄せていたが、すぐに表情を引き締める。
「ご安心ください、皆様。今、私の魔法で苦しみや痛みを取り除きます」
凛々しい顔で宣言して、患者一人一人に光魔法をかけていく。
彼らは癒しの光を浴びると、目を見張りながら自分の体を見下ろした。
「す、すごい。痛みがなくなった……」
「息を吸ったり吐いたりしても、胸の辺りが痛くない!」
「これが光魔法……何て偉大な力だ……」
「死ぬのを待つだけだと思っていたのに……ありがとうございます……!」
顔色のよくなった患者たちが、レイラに感謝の意を述べる。
病気が治ったと言っても、日常生活に戻るためには時間がかかるだろう。
こんな人々に妻の魔法を使うなんて、正直勿体ない。
だが、レイラ及びロイジェ公爵家を神格化させるには、一番手っ取り早い方法だった。
私たち貴族が民たちに求めるのは、税金と忠誠心だ。
帰りの馬車の中で、レイラは欠伸を噛み殺しながら、私に寄りかかっていた。
香水の甘い香りに混じる仄かな体臭が、情欲を刺激する。
婚姻を結んでからも、レイラと体を重ねる頻度は少なかった。
私はごくりと生唾を飲み込んでから、口を開いた。
「レイラ……今晩いいだろうか?」
「……ええ。あなたのお母様も、『早く跡継ぎの顔が見たい』と仰っていましたからね」
「母上……」
「それに……私もあなたが欲しいです」
両手をぴったりと合わせながら、熱っぽい眼差しを向けてくるレイラ。
もしかすると、最初から私を煽るために体を密着させていたのかもしれない。
そのいじらしさに、思わず頬が緩む。
きっと、アンリと結婚していたら、ここまでそそられることはなかっただろう。
彼女を娶った男爵子息が、ちゃんと彼女を愛せているか気になる。
レスター男爵家の嫡男シリル。
父曰く、特に秀でた才能もない平凡な青年だという。
それに比べて、私は王都学園を次席で卒業しているし、水魔法と土魔法を使うことができる。
しかも自分で言うのも何だが、整った容姿をしているので異性から人気があった。どうでもいい話だが。
アンリの元婚約者として、一度シリルに会ってみたい。
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