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3巻

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     第三話 不思議なお香


 みんなでキャンプをしてから一週間後。
 今日はお店の定休日で、私とティアは港町を訪れていた。美味しいものをたくさん食べて、お買い物をしようと思います!

「レイフェルさん、まずはお昼食べに行きませんか!? 最近オープンしたリゾット屋がすんごい美味しいって評判みたいなんですよ」

 ティアがお腹をグーグー鳴らしながら、興奮気味に提案する。朝ごはんを抜いてきたらしく、めちゃめちゃ飢えているご様子。食べすぎて胃を痛めないように気をつけてね……
 ちょうどお昼の時間だし、まずはそのリゾット屋さんに行ってみることに。
 ずらりと屋台が立ち並ぶ通りは大勢の人で賑わっていて、美味しそうなにおいがあちらこちらから漂ってくる。
 ぐっ……まずい。においに引き寄せられてしまいそう。ティアがリゾット屋に行きたいって言ってるのに、私ったら……
 誘惑を断ち切るように首を横に振っていると、ティアが急に立ち止まる。

「レイフェルさん、ちょっと相談なんですけど……やっぱお昼、屋台で何か買いません?」

 真剣な顔で網焼きの屋台を指差す。網の上では、お肉がじゅうじゅうと音を立てて焼かれている。

「ちょっ、ティア? リ、リゾットはどうすんの?」
「だって、ほら……お米より、お肉を食べてお腹いっぱいになりたいじゃないですか」

 ……ティアがそう言うのなら仕方ないよね、うん! 私たちは軽やかな足取りで、網焼きの屋台に向かおうとしたときだった。

「何言ってやがんだ、クソババァ!」

 突如とつじょ響き渡る男性の怒声。何事!? と周りをキョロキョロと見回すと、前方に人だかりができている。何かあったのかな。ティアと目配せし合って、様子を見に行く。

「いいから、とっとと料金を払いな、この若造が!」
「んだとぉ!?」

 紫色のとんがり帽子を被ったおばあさんが、太っちょのお兄さんと何やら言い争いをしていた。おばあさんの前には小さなテーブルがあって、透明な水晶玉と『占いやってます』の立て札が載ってる。うっ、怪しさ満点……!

「占い師っていうより、邪悪な魔女……モガッ」

 私はあわてて弟子の口を手で塞いだ。おばあさんに聞かれたら、呪い殺されるかもしれない。

「大体、俺はただ店の前を通りかかっただけで、占ってくれなんて一言も言ってねぇだろ! なのに勝手に占っといて、料金よこせって意味分かんねぇ!」

 太っちょお兄さんが、おばあさんをビシッと指差して抗議する。
 あれ? 占いの結果が気に入らないから払わねぇってことじゃなくて? これはおばあさんが悪いのではと、お兄さんに同情の眼差まなざしが集まる中、おばあさんも負けじと反論する。

「そんなこと言ったって、あんたの運勢が見えちまったんだから仕方ないだろ!」

 そんな無茶苦茶な!

「うるせぇ、ボケババァ!」

 あ、ほら。太っちょお兄さんをますます怒らせちゃった。

「あんだってぇ!? もっかい言ってみな、デブ!」

 おばあさんもおばあさんで、水晶玉をお兄さんへ投げつけようとする。

「やめろ、ばあさん! しゃーないから、兄ちゃんも払ってやれよ。たったの十イェーンだろ?」

 暴力沙汰に発展しそうになり、流石さすがに隣の屋台の店主が仲裁に入った。十イェーンって、クッキー一枚くらいの値段じゃん!

「けっ、こんな胡散くせぇババァに金なんて払うかよ!」

 太っちょお兄さんはテーブルの脚をガツンッと蹴ると、捨て台詞を残して歩き出す。

「あっ、待ちな若造! いいかい、とにかく落とし物には注意するんだよ!」

 おばあさんがそう忠告しても振り向きもせず、無視してどこかへ行ってしまった。……な、なんかすごいものを見ちゃったな。

「レイフェルさん。あのおばあさんに絡まれる前に、私たちも早く行きましょう」
「うん!」

 ティアが私の耳元で囁くので、私はコクンとうなずいた。変な人には関わっちゃいけません。しかし、そのとき。

「ん? そのおさげ娘、ちょいと待った!」

 おばあさんが私を見ながら手招きしてる。次のターゲットは私かい!

「は、走って逃げるよ、ティア!」
「はい!」
「あっ、こら! 逃げんじゃないよ!」

 おばあさんが後ろでなんか叫んでいるのが聞こえるけれど、構わず猛ダッシュ。通りから離れたところで立ち止まった。

「ハァ、ハァ……ここまで来れば、大丈夫だよね……?」

 胸に手を当てると、心臓がバクバク言ってる。あの通りにはもう戻れないし、網焼きは諦めるしかない。トホホ……

「あれ? あの男の人、さっきの占いおばあさんにカモられそうになってた人じゃないですか?」

 私ががっくり肩を落としていると、ティアが前方を指差した。
 あ、ほんとだ。さっきの太っちょお兄さんが何かを確かめるように、キョロキョロと地面を見回している。
 ははーん。さては、おばあさんが言っていたことを気にしてるな? だったら、お金を払ってあげればよかったのに。すんごい安いんだし。

「野郎ども! もう少しで休憩だから、それまで気ィ抜くんじゃねぇぞ!」
「「「押忍ッ!!」」」

 突如とつじょ青空に響き渡る、気合いの入った野太い返事。大工たちが新しい家を建てているところだった。
 二階建ての一軒家かな。あんなに高くて足場も悪いのによくのぼれるよなぁ。やっぱり大工さんってすごいと仕事ぶりに感心していると、太っちょお兄さんがこちらに向かって、とぼとぼと歩いてくる。そして、お兄さんがその家の前を通りかかったとき、事件が起きた。

「あ、やべっ!」

 声がしたほうを見ると、木材が急降下している。その真下には太っちょお兄さん。しかも本人は全然気づいてない。ダメだ、声をかけても多分間に合わない!

「レイフェルさん!?」

 突然走り出した私に、ティアがぎょっとする。

「どすこーーいッッ!!」

 私は太っちょお兄さんに思い切りタックルをした。

「うぉぉぉっ!?」

 突然の奇襲を受けたお兄さんは、大きく吹っ飛んで地面に倒れ込む。私はクッションのようなお兄さんのマシュマロボディに倒れてなんとか助かった。そして背後では、バキャッと嫌な音がする。
 恐る恐る振り返ると、石畳に落下して割れた木材があった。その周りには木のクズが散らばっている。

「「ヒィィィッ!」」

 あんなもん、頭に直撃していたらどうなっていたことか。私と太っちょお兄さんは、恐怖でガタガタと震えた。

「バカヤロー! 何やってんだ、お前ぇ!」
「す、すいやせんでしたぁっ!」
「まったく……おう、あんたたち、大丈夫か!?」

 大工を叱りつけたあと、親方が足場から下りて私たちに声をかける。な、なんとか無事です。太っちょお兄さんも、私にペコッと頭を下げて歩き出した。

「す、すごい……本当に当たった……あの変なおばあさん、きっと本物の占い師ですよ」

 ティアがぼそりとつぶやく。

「どうしたの、ティア?」
「あのおばあさん、本物の占い師ですよ!」
「え……ど、どゆこと?」
「だってほら! さっきの太っちょに、って言ってましたよね!」

 そ、そういえば! 私たちが思っていたのと意味合いは違うけど、適当に言ってたわけじゃなかったんだ……!

「おばあさんのところに戻ってみましょうよ! レイフェルさんに何か言おうとしてたじゃないですか!」
「え~!? 怖いからやだよ!」

 あんた死ぬよ、とかズバリ言われちゃったらどうすんの!? イヤイヤと首を横に振るけれど、結局ティアに引きずられて屋台通りに戻ってきちゃった。

「あれー?」

 あのおばあさんがいた場所には何もなくなっていた。帰っちゃったのかな。近くの屋台の人に聞いてみる。

「あのー、ここにいた占い屋さんって……」
「え? あっ、あのばあさん、どこに行ったんだ? さっきまでは確かにここにいたはずだけど」

 屋台の店主は目をぱちくりさせながら、首をかしげた。

「ん~、変なばあさんだなぁ。フラッとやってきて店を構えたと思ったら、いつの間にかいなくなっちまうなんてよ」
「そうだったんですか……」
「もしかしたら、魔物の類いだったのかもな! ガハハ!」

 否定はできないなぁ……

「レイフェルさんに何を言おうとしてたんですかね」

 ティアがあごに指を当てながら、うーんとうなり声を上げる。
 おばあさんがいなくて正直ほっとしたけれど、私もなんだかモヤモヤするなぁ。不吉な予言とかじゃなければいいんだけどさ。まあ、いつまでも考えてたって仕方ないよね。さーて、ごはんごはん。運動しすぎて、もうお腹ペッコペコだよ。
 私とティアは真っ先に網焼きの屋台に並んだ。そして焼きたてのお肉をゲット!

「まだ若いからって、肉ばっか食べちゃダメだよ。野菜も食べな!」

 網焼きの店主はそう言って、野菜もいっぱいサービスしてくれた。なんかお肉より多いような……食べ切れるかなぁ。
 早速いているベンチに座って、いただきます。ふたりで黙々と食べていると、見覚えのある人が近づいてきた。

「こんにちは、レイフェルさん。美味しそうなの食べてるわねー」

 私の店に時々買いに来る奥さんだ。ティアとふたりで、こんにちはーと頭を下げる。

「あ、ねぇねぇ。レイフェルさんのお店では、お香とかは扱ったりしないの?」

 うーん、お香かぁ。あれは香りを楽しむもので治療とか回復効果とかじゃないから専門外なんだよね。そのことを奥さんに説明すると、残念そうな表情をされてしまった。ああっ、ごめんなさい。

「あら~、そう……。レイフェルさんのお店なら、例のお香を売ってるかもしれないって思って……」
「例のお香?」
「近ごろ、貴族の間で流行はやってるらしいのよ。とってもいい香りがして、嗅ぐだけで天国にのぼるような幸せな気分になれるんですって! ものすごく高くて、とある貴族の口利きがないと手に入れることもできないそうよ」
「ええぇ……?」

 天国にのぼるような……って、なんかちょっと胡散臭いな。何から何まで怪しい。
 でも、そんな得体の知れないものが流行はやっているのは少し気になる。貴族の間でってことだから、アルさんなら何か知っているかも。ヘルバ村に戻ったら恋人に話を聞きに行こう。


「お香……ですか……」

 ちょうどアルさんが蛇の集いの支部のエントランスにいたので尋ねてみると、腕を組みながら黙り込んでしまった。え、何? この反応。聞いちゃいけなかったのかな。

「ア……アルさん?」

 おずおずと名前を呼ぶと、アルさんはおもむろに口を開いた。

「いいですか、レイフェル様。それには、極力関わらないでください。そのお香には妙な噂があるんです。なんでもそのお香には――」
「アレックス様、今お時間よろしいでしょうか?」

 そのとき他の薬師が慌ただしくアルさんに声をかけてきた。そういえば、なんだかみんな忙しそう。

「アルさん。私のことはいいんで、行ってあげてください」
「も、申し訳ありません。それでは失礼します。あっ、お香には、絶対手を出さないでくださいね」

 アルさんはペコッと頭を下げて小走りで去っていった。手を振りながら見送ると、私はむむむ……と口をへの字にした。関わるなとか、妙な噂があるって言われると、余計に気になっちゃうんですが~!?
 私を養子にしてくれたノートレイ伯爵に相談してみようかな。いやいや、こんな怪しいことに伯爵を巻き込むわけには……

「あの……レイフェル様」

 後ろから声をかけられて振り向くと、そこにはサラさんがいた。

「お久しぶりです、サラさん!」
「先日はありがとうございました。ティア様が持たせてくださったマフィンも、すごく美味しかったです」

 やったね、ティア! 喜んでくれたよ! ニンマリと笑っていると、サラさんは私の耳元に顔を近づけてきた。

「今……アレックス様とお香の話をされてませんでしたか?」
「は、はい。貴族に大人気のお香があるらしいんですけど……」
「……ちょっと私の部屋まで来てもらってもいいですか? ここでは話しづらいことですので」

 サラさんはそう言いながら、周囲をキョロキョロ見回す。よく分からないけれど、私はうなずいてサラさんのお部屋にお邪魔することに。

「うわぁぁ~……!」

 サラさんのお部屋では、色んな植物やキノコが育てられていた。私が初めて見るような種類もある。本当に勉強家なんだなぁ……

「あ、あのレイフェル様?」

 植物たちをじーっと観察していたら、サラさんに声をかけられてハッと我に返る。

「すみません。つい、夢中になっちゃいまして……」
「いえいえ、気にしないでください。それでお香のことなんですけど、ちょっと心当たりがあるので知り合いに聞いてみますね」
「ほんとですか!?」
「はい、私にお任せください。……ただし、このことは私とレイフェル様だけの秘密です。アレックス様に知られたら怒られてしまいますから」

 サラさんはピッと人差し指を立て念を押す。うん。怒ったときのアルさんは怖いもんね。
 私はコクコクとうなずいた。……でもみんなに隠れて、ちょっといけないことをするのってなんだかワクワクしちゃうな。


 三日後。サラさんが私の店へやってきた。


「お待たせしました、レイフェル様。おっしゃっていたお香って、こちらだと思うのですが」

 サラさんがてのひらサイズの木箱を差し出す。真っ赤な塗装がされていて、薔薇ばらの絵が彫られたお洒落しゃれなデザインだ。とても怪しい物には見えない。

「わぁー、ありがとうございます、サラさん!」
「実はこれ、ミシェル様からいただいたんです。ご両親がたくさんお持ちになっていて、ひとつくらいならなくなっても大丈夫だからって、持ってきてくださいました」
「そうなんですか?」

 お香に興味なんてなさそうに見えたんだけどな。ミシェルさん……圧倒的感謝……っ!

「では、私はそろそろ失礼しますね」
「はい! お気をつけてー!」

 サラさんが帰ったあと、私は木箱を持って店の奥へ向かった。そして薬の在庫チェックをしていたティアに声をかける。

「ティアー! 私と天国に行こう!」 
「えっ!? 私たち、死んじゃうんですか!?」

 ガガーンとショックを受ける弟子。違う違う! 天国に行くってそういう意味じゃないから!
 困惑するティアに、サラさんからお香をもらったことを説明してリビングに移動する。木箱を開けると、茶色い三角錐の物体がコロンと出てきた。

「……これがお香ですかぁ?」
「う、うん。そうみたい」

 私とティアはパチパチと瞬きを繰り返す。お香なんて初めて見たけど、地味な見た目だな。箱のデザインからしてもっと可愛いのを想像してたんだけど……まあいいや。
 お香を小皿に載せて、テーブルに置く。そして先っちょに、マッチで火を点ける。
 すると、細くて白い煙がふわりと立ち上った。

「ふわぁ……なんかいいにおい……」

 今まで嗅いだことのない甘い香りが漂い始める。いつまでもずっと嗅いでいたい。ティアとふたりで、煙に顔を近づけてスーハーと大きく深呼吸を繰り返す。

「ティア……踊ろっか~」
「ですね~。踊りましょ~」

 香りを堪能しているうちに、なんだか楽しい気分になってきた。私たちは椅子から立ち上がると、手を繋いでクルクルと踊り出した。

「アハハハー。楽しいね、ティアー」
「ウフフフー。そうですね、レイフェルさーん」

 ああ、体もふわふわして、夢の中にいるみたい……と思っていたら、お花畑だった頭の中が急に冷静さを取り戻していく。私、今何やってたんだろう。

「レ、レイフェルさん、なんか私たちバカになってませんでした?」

 ティアも私と繋いだ手をいぶかしげに凝視している。

「うん……バカだった」

 お香の香りをクンクン嗅いでいたら、様子がおかしくなっていったような。
 ちらっとテーブルへ視線を向けると、お香は既に燃え尽きて灰になっていた。あの甘い香りもしない。そして突然、正気に戻った私たち。

「ま、まさか……バカになった原因って……」

 確かに天国にのぼるような気分だったけれど、やっぱり危険な香りがプンプンする。だけど言いつけを破っちゃったから、アルさんに相談はできない。……とりあえずサラさんに報告しておこう。


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