2 / 56
1巻
1-2
しおりを挟む
レイフェルには、これから経営を学べばルージェだって問題ないと言ったが、薬の精製も経理の仕事も、彼女は全然できないと思う。
だが、ルージェは私のそばにいてくれるだけでいい。私を癒してくれる。
それに仕事なんて、これからたくさん雇う薬師たちに任せればいい。
レイフェルに押し付ける前だって、他の薬師たちにやらせていたのだから。
私は可愛らしいルージェを見つめながら、これからの明るい未来に想いを馳せた。
第一話 新しい生活
「お嬢ちゃん、手荒れ用の軟膏、一ついただけないかしら?」
「はい、少々お待ちください!」
アーロン様に婚約破棄されてから、数ヶ月。私はこぢんまりとした建物の中で駆け回っていた。
軟膏は銀製の容器に入れて売っている。
軟膏といっても数種類あり、効能もそれぞれ。だから区別できるように、蓋に魔石の欠片を取り付けてある。
手荒れ用には火属性の赤い魔石、虫刺され用には水属性の青い魔石だ。
魔石っていうのは魔力が含まれた鉱石で、それを媒体にすれば、もともと魔力を持っていない人でも魔法を使うことができる。たとえば火属性の魔石なら火を起こしたり、水属性の魔石だったら水を出したり。とっても便利なアイテムで、私たちの暮らしにおいての必需品だ。
まあ、今回はただの飾りとして使っているから、それはそんなに関係ないんだけど。
魔力が抜け切った魔石を金づちでがんがん叩き、砕いて蓋の飾りつけをしてみたら、結構好評だったんだよね。特に女性のお客様に。
作業は大変だったけれど、苦労した甲斐があった!
「レイフェルさんや、胃薬はどれだい?」
「こちらです。はい、どうぞ」
「ありがとう。ここの薬を飲むようになってから胃の調子がいいんだ」
「でも、薬ばかりに頼ってはいけませんからね。ちゃんと食事にも気をつけてください」
私が作った薬を飲んでくれるのは嬉しい。だけど薬があるからって無茶をしていたら、治るものも治らない。
私が注意すると、おじいさんは「わかってるよ」と言って笑った。それから私の顔をじっと見ながら言葉を続ける。
「レイフェルさんは変わった薬師だね。普通だったら『薬ばかりに頼るな』だなんて言わないよ。少しでも多く薬を買ってもらったほうがいいんだから」
それはそうだけれど、こんな私にも薬師としてのプライドと良心がある。お金欲しさに本当は飲まなくたっていい薬を飲ませるのは嫌だ。
それに贅沢はできなくても、少しずつお金は貯まっている。
客足が途切れたタイミングで私は一息つくと、ここに来た時のことを思い出した。
今私が暮らしているのは、国境付近にある小さな村。
実家から逃げ出した時、とにかく遠くへ行かなくちゃと思った。すぐ近くの町にいたら、お父様の命を受けた使用人に見つかってしまうから。
だから馬車を乗り継いで、何日もかけてここまでやって来た。
本当はお隣の国に逃げたいけれど、そのためにはお金だけじゃなくて身分証も必要になる。丸腰で逃げてきた私にはそんなものないし、この村の住人として身分証を新しく発行するには一年在住しなければならないという条件があった。
一年どうやって生きていこう? と考えていた時、素敵な情報を聞かされた。
なんとこの村、薬師がいないらしい。
半年前までは薬屋があったのだけれど、そこの薬師は全然効かない薬ばかり作っていたせいで、村人たちとトラブル続き。最後には夜逃げしてしまったそうだ。
その薬師が作ったという粉薬を見せてもらってびっくり。
薬草じゃなくて、そこら辺に生えている雑草を材料にしていたみたいだった。そりゃ効かないよ。
その薬師がいなくなってから、この村の人たちは時折訪れる旅商人から薬を買っていた。こちらはちゃんと効き目があるけれど、お値段は高め。しかも買える個数には制限があって困っていたとか。
ベ……ベストタイミング!
そう思って近くの森に行ってみると、私が薬作りでよく使う薬草ばかり生えていた。
主がいなくなった薬屋には薬作りの道具が残されていたから、遠慮なく使わせてもらうことに。
こうして私は薬屋の新たな店主となった。
最初は、開店記念としてものすごーく安く薬を売った。またヤブ薬師が来たんじゃないかって、ちょっと警戒されていたんだよね。だから信頼を掴んでおきたかったのもある。
村人たちは疑心暗鬼な様子で私の店に訪れて、薬を買っていったんだけど……
『すごいぞ、この薬! 咳が治まった!』
『私が買った薬も……胃腸の調子がよくなったわ』
『この白いのを塗ると虫刺されが痒くなくなるんだよー!』
『あのお嬢ちゃんの腕は本物だ……!』
今ではみんなに受け入れられ、毎日薬作りに励んでいる。
誰からも文句を言われないで薬草を採りに行けるし、食べたいものを食べたい分だけ食べられる。
私は色んなものを失ってしまったけれど、代わりに『幸せ』を手に入れることができた。
――私は回想をやめると、ふと思い出して店先から引っ込み、キッチン兼調薬スペースに向かう。
今日はおやつにタルトを作ってみた。今朝、薬草摘みのついでに、果物や木の実も採ったんだよね。
実家にいたころは、持ち帰らないでこっそり食べていた。ルージェに食べさせろって取られてしまうから。
今は誰にも取られる心配がない。家に持ち帰ることもできるし、それを使ってお菓子だって作れちゃう。
木の実は細かく砕いて生地の中に練り込んで、甘酸っぱい果実は砂糖煮にしてタルトに敷き詰めた。
近所のおばあさんから貰った茶葉も、すっきりとした味わいでいい香り。
「ふう……美味しい……」
美味しい紅茶とフルーツタルトでおやつの時間を楽しむ。
急ぐ必要もないから、のんびり食べられる。
その合間に書物に目を通す。その書物は薬草学についてまとめたもので、この店に置きっぱなしだった。例のヤブ薬師の愛読書だったみたいで、色んなページに折り目がついている。
一応知識はあったけれど、それを活かすことはできなかったようだ。
「うーん、この薬草とこの薬草を合わせれば……」
既存の薬の改良だとか、新薬のレシピを思い浮かべながら読み進める。私の知らない薬草も載っていて、頭の中がごちゃごちゃしてきた。一旦本を閉じる。
薬草の世界って広いなぁ……
今後のためにもっとレシピを増やさないと。
たとえば薬だけじゃなくて、少ない量でもしっかり栄養がとれるような食べ物とか。あとはのど飴とか……そうだ、化粧品作りにも挑戦してみようかな。上手くいったら私も使えるわけだし。
色々考えていると、店のほうから複数人の叫び声が聞こえてきた。
あれ? 今は休憩中って札をドアに掛けていたんだけどな。
様子を見に行くと、村長さんや村の偉い人たちが店の中で私を待っていた。
私の姿を見た瞬間、村長さんが駆け寄ってくる。
「す、すまんな、レイフェルさん。ちと火急の件があってのぅ」
「何かあったんですか? 誰か倒れたとか……」
「国境付近で爆発事故があったのじゃ」
「ええ⁉」
予想していたよりも大事件だった。というか、この村から国境って結構近いから、ここにまで被害が出ていないか心配だ。
村長さんは焦った様子で話を続ける。
「火属性の魔石やら火薬やらを積んだ馬車に、発火性の薬草が交じっていたようでのぅ。何かの拍子にドカーンと……」
「ひえ……」
油の海のど真ん中で火を点けるようなものだ。絶対混ぜるな危険だよ、それは。
そういえばタルトを焼いている最中、一瞬揺れたような。ただの地震かなって思っていたけれど、あれは爆発の衝撃で地面が揺れていたんだ。
「積み荷は隣国への輸出品だったそうじゃ。死者はおらんが、怪我人が大勢出とる」
「救護兵の要請はしていないんでしょうか?」
私が尋ねると、村長さんは俯いてしまった。
「しとるようじゃが、ここまで来るのに相当な時間がかかる。彼らの到着を待っていたら、間に合わんかもしれん。そこで相談なんじゃが……」
「だ、だったら、うちの薬や包帯を持って行きましょう! 消毒液も昨日大量に作ったばかりなんです!」
こうしちゃいられない。早く準備しなくては。
「傷薬と鎮痛剤と消毒液と……在庫はちょっと残しておかないと……」
私は夢中で店の薬を掻き集める。
「立派な薬師様じゃのぅ……」
そう言って村長さんが泣いていることに、私は気づかなかった。
馬車なんて待っていられない。私は来ていた村の人に店番を頼むと、手当ての道具が入った鞄を持って村を出発した。
重い! 詰め込みすぎたとちょっと後悔したけれど、足りないよりはマシ! と自分に言い聞かせる。
爆発は国と国を隔てるためのゲートで起きたらしい。現場に近づくにつれて焦げた臭いが漂い、人の叫び声が聞こえ始めた。
嫌な予感がして、心臓がバクバクとうるさくなる。
あそこだ。半壊したゲートが見えてきた。
「うわぁ……」
想像していたよりも酷い光景だった。
積み上がる瓦礫の山。血を流して苦しんでいるたくさんの人。
家族が生き埋めになってしまって、必死に瓦礫をどかしている人がいる。
両親と離れ離れになって泣き叫んでいる子どもがいる。
まるで地獄を見ているようだ。
わけもわからず怖くなって、足が震える。
ここまで来て怯えちゃ駄目。私が来たのはみんなを助けるためなんだから。
「おい、やめとけ!」
「ひゃああっ、すみません!」
突然聞こえてきた怒鳴り声にびっくりして、反射的に謝ってしまった。
だけど、その声は私に対してのものではなかった。
「アル! これ以上無茶すんじゃねぇ!」
大きな男の人が誰かを止めている。
「やめません! みなさんが苦しんでいるのですよ⁉」
栗色の髪のお兄さんが叫びながら、細い手で瓦礫を一生懸命どかしていた。けれど、体力を使いすぎたのか、フラフラになっている。
「薬も薬を作るための薬草もないなら、僕はただの役立たずです。ですから、せめてこれくらいはしなければ……」
お兄さんの言葉にハッとして、私は慌てて叫んだ。
「薬あります! 私が持ってきました!」
「……あ?」
お兄さんを止めていた大きな人が、私に近づいてきた。
……デカいね⁉ しかもムキムキの体で、顔がすごく怖い!
身長が二メートル近いマッチョさんのおかげで、この惨状への恐怖が吹き飛んでしまった。
声はがっつり低め。腰に剣を差しているし、もしかしたら山賊……?
だけど、この状況に乗じて火事場泥棒をやらかしそうな感じでもなかった。多分、悪い人ではない……はず。
「おい、娘。その鞄に入っているもん、全部薬関係か?」
「は、はい……たくさん持ってきたのでバンバン使ってください!」
「そいつはありがたい話だが……あんたは何者だ?」
「この近くの村で薬師をやっているレイフェルです!」
「……薬師ぃ?」
怖い人の顔がもっと怖くなった。
恐ろしくて固まってしまう。
「その方は本物の薬師です。ご安心ください」
お兄さんが怖い人にそう声をかけた。
……あ、私、ヤブだって疑われていたんだ。
あれ。でも、このお兄さんとは初対面なのに、どうして本物だって信用されているのだろう。
「おいアル。なんだって、そんなにはっきり言えんだ」
怖い人も不思議がってお兄さんに聞いている。
するとお兄さんは、私にほんの少し顔を近づけて、くんくんとにおいを嗅いだ。
「この方には薬草のにおいが染みついています。それが、薬師だという立派な証拠ですよ」
「すみません。臭いですよね……」
「いいえ。そんなことありませんよ。それに、僕も薬師ですから」
私が思わず謝ると、お兄さんは優しい声でそう言ってくれた。
薬師仲間発見。
「僕はアルと申します。隣にいるのはハルバート様。僕たちはアスクラン王国からやって来た者です」
「アスクラン……あのアスクラン王国ですか⁉」
アスクラン王国とは、海の向こうにある大きな国だ。経済面、軍事面ともに優れていて、『世界で一番豊かな国』とか『死ぬ前に一度訪れたい国』とか言われている。
他国のことに疎い私でも知っているすごい国。いまいちパッとしないうちの国とは大違いだ。
私が唖然としていると、アルと名乗ったお兄さんはにこやかに話し続ける。
「実は僕は『蛇の集い』の人間でして。今回はその関係でこの国を訪れていました」
「『蛇の集い』……ですか?」
私が首をかしげると、アルさんが不思議そうに尋ねる。
「……ご存じではありませんか?」
「す、すみません……」
「いえ。そんな大したものではありませんので。……ちょうど手持ちの薬を切らしている時に、事故に遭遇してしまったのです。あなたが来てくださって助かりました」
そう言って笑うアルさんは、土埃や煤で全身が汚れていた。掌も傷だらけで血が出ている。爪も割れている。物凄く痛そうだ。私だったらこんなふうに笑っていられない。
「鞄の中身を見せてもらってもいいですか?」
「は、はい、どうぞ」
アルさんに言われて鞄を地面に下ろすと、ドシャッと重量感のある音がした。
「こんなもん背負って走ってきたのか……」
ハルバートさんは、若干引いているようだ。
アルさんは真剣な表情で、私が取り出した傷薬や痛み止めを眺めている。
「こんなにたくさん……全部使っていいのですか?」
「そのために持ってきましたから!」
薬なんてあとで作ればいいのだ。利益なんて無視してしまえ。
「……ではありがたく使わせていただきますね」
「あ、ちょっと待ってください」
薬を手に取ろうとするアルさんを止める。
「あなたは手当てを受ける側です」
そんなに傷だらけの手、放っておけないし。
「申し訳ありません……せっかく薬が届いたのに……」
「いえいえ、アルさんはさっき頑張っていたじゃないですか」
本当は一緒に怪我人の手当てを薬師のアルさんとしたほうがスムーズに進むのだろうけれど、これ以上無茶はさせられない。
アルさんの手当てを終わらせて、とりあえず一安心。
そして、私は他の人の手当てを始める。
アルさんはやっぱりじっとしていられなかったみたいで、私の手伝いをしようとしてくれた。
だけど、ハルバートさんに止められていた。「親父殿に言いつけんぞ」とか、そんなことを言われていたような。
あの二人はどんな関係なのだろう。
「……はい! これでもう大丈夫ですよ」
怪我をしたおじさんの脚を消毒液で綺麗にしてから、患部に傷薬を塗って包帯を巻く。応急手当の方法を勉強しておいてよかった。最初は、包帯を巻くことがすごく下手だったんだよね。
「ありがとうございます、薬師様。助かりました」
おじさんが嬉しそうにお礼を言ってくれた。
やっぱりこういう時、人を助ける職業に就いていてよかったと思う。
けれど喜びを噛みしめている場合じゃない。怪我人はまだまだいるんだから。
次の人……と思っていると。
「あの……傷口を洗うのであれば、消毒液ではなくただの水を使ったほうがいいかもしれません」
アルさんが、消毒液の小瓶をじーっと見ながら言った。
確かに傷口を清潔にするなら、消毒液より水が適している。
消毒液には殺菌作用があって、ばい菌だけじゃなく体の中にあるいい菌まで殺してしまうからだ。
そのことをちゃんと知っているアルさんは、薬師としてしっかり勉強してきたのだろう。
アーロン様が雇っていた薬師の中には、水を使うのは原始的! と頑なに主張を続けていた人もいた。
私も消毒液派だけどね。……ただ、これは普通の消毒液とは違うのです!
「この消毒液は、人体の常在菌には無害の成分で作ったものなんです。ですから、いくらバシャバシャ掛けちゃっても大丈夫ですよ」
「常在菌を殺さない……? な、なるほど、これがあの『夢の消毒液』……」
アルさんが小瓶へ感動の眼差しを送っている。
夢の消毒液。それはアーロン様の薬屋が初めて開発した、傷口の洗浄に特化した消毒液のことだ。
……ちなみにレシピの生みの親は私。アーロン様は、それを自分たちの薬師の功績にしてしまった。
今この国では、このレシピで作った消毒液が広まりつつある。
私が精製した消毒液を見て『薬草伯爵様のところの消毒液かのぅ?』と村長さんが聞いてきたくらいだし。薬草伯爵っていうのは、もちろんアーロン様のあだ名だ。
この消毒液は作り方にコツみたいなものがある。それを見極めるのは私にしかできない。
それもあって、私が調合に携わらないなら販売しないでって言ったのだけれど、ガンガン流通していた。しかも他の薬師にレシピを提供しているらしい。えぇ……
販売に関する契約書みたいなものを作っておくべきだったと後悔しても、時既に遅し。
まあコツについては、以前アーロン様や薬師たちに説明している。だから、ちゃんと作れるようになっていれば、好きに販売してもいいと思うけどさ。
まさかコツが掴めないまま作って、販売なんてしてないよね? してないよね⁉
「……大丈夫ですか?」
ぐるぐる考えごとをしていると、心配そうにアルさんに声をかけられた。
いけない、いけない。今は目の前のことに集中しないと。
そう思っていた時だ。
「何してんだテメェ‼」
突然、ハルバートさんが怒鳴り声を上げた。その巨体を活かして瓦礫をどかす作業をしていたはずだけど、何があったのだろう。
アルさんと顔を見合わせて様子を見に行ってみる。
「ハ、ハルバート様⁉ 何をしていらっしゃるのですか⁉」
アルさんが驚愕の声を発した。
私も目の前の光景にぎょっとする。
ハルバートさんが悪鬼のような形相で、ちょび髭のおじさんの頭を鷲掴みにしていたのだ。しかも、ちょび髭さんの足は地面から離れていた。浮いてる、浮いてる!
端から見れば、ハルバートさんはちょび髭さんをカツアゲしている山賊だ。
だけど他の人たちも、怖い顔をしてちょび髭さんを睨みつけていた。
「この野郎、自分のせいで事故が起こったってのによ……」
「わ、悪かった。ワシが悪かった! だから許してくれぇ……!」
「だったら、テメェが持ってるモンは全部使わせてもらうぞ? いいな?」
「どうぞどうぞ!」
ハルバートさんに凄まれ、ちょび髭さんが半泣きでそう叫ぶ。
爆発した馬車を所有していた商人が、あのちょび髭さんだったらしい。アルさんにこっそり教えてもらった。
ハルバートさんは商人の頭をパッと離すと、近くに停まっていた馬車に向かう。
その馬車の荷台は真っ黒な布で覆われていた。
ハルバートさんがその布を捲ると、その場がざわつく。
「え、ええええええ⁉」
私もびっくりして大声を出してしまった。
荷台にあったのは医療品一式だった。どれも新品。荷台いっぱいに積んであるから、かなりの量だ。
「こ、これはどういうことですか?」
アルさんが困惑した様子で商人に尋ねる。
私も聞きたい。手当てをするための薬や道具がなくて、救護兵も到着が遅くなるって話だったはず。だから、こうして私が来たんですが~⁉
気まずそうに俯いている商人の代わりに、ハルバートさんが説明する。
「こいつはもう一台馬車を持ってたんだよ。それに積んでいたのがこれだ。けど、こうやって隠していやがった」
「あ、当たり前じゃないか! これは向こうの国への輸出品だぞ。非常事態とはいえ、取引相手に許可を取っていないのに使うわけにはいかないだろぉ?」
商人が嫌味っぽい物言いで反論する。
「でも、自分の傷の手当てをするのに使ってたわよね?」
そばにいた女の人が、そう言う。すると、商人はしまったという顔をした。
「す、少しくらいならいいかなと思って……」
「あ?」
「しゅ、しゅみましぇん……」
ハルバートさん怖いです。ちょび髭商人は顔面蒼白で、その場に座り込んでしまった。でも、全然可哀想だとは思わない。むしろ一発殴ってやりたい。
これだけの医療品があれば、私が急いで薬を持ってくる必要はなかった。明日、筋肉痛になることは確定だろう。その責任を取ってほしい。
人々も怒ったり呆れたりしながら、荷台から薬を取ろうとする。
「み、みなさん、待ってください!」
「……アルさん?」
突然アルさんが、みんなを止める。
私が首をかしげていると、アルさんは医療品一式を眺めながら告げた。
「そちらの荷台にあるものではなく、この薬師様が持ってきてくださった薬を使用してください」
「アル? そりゃ、嬢ちゃんが重い荷物をここまで運んできたから、使ってやらねぇと申し訳ないとは思うが……」
「えっと、それだけではないのですが……でも、お願いします」
アルさんはハルバートさんに曖昧に答えたあと、みんなに頭を下げる。
私としては、帰りの荷物が減るからありがたい。けれど、アルさんには何か思惑でもあるのかな。
「貴様ぁ! 私の用意した薬がその女が作った薬より劣っているとでも……」
商人が顔を真っ赤にしてアルさんに詰め寄ろうとする。けれど、またハルバートさんに頭を鷲掴みにされて、どこかへ連行されていった。
「すみません、あなたの了承を得ないまま言ってしまって」
邪魔者がいなくなったところで、アルさんが私に深く頭を下げた。
そんなに謝らなくてもいいのに。私は首を横に振る。
「私の薬を必要としてくれてありがとうございます」
やっぱり同じ薬師から自分の薬を認められるっていうのは、すごく嬉しい。こんな状況なのについつい笑顔になってしまう。
「あ……い、いえ……僕のほうこそありがとうございます……」
アルさんは顔を赤くしながらお礼を言う。手の怪我のせいで熱が出たのかな?
だが、ルージェは私のそばにいてくれるだけでいい。私を癒してくれる。
それに仕事なんて、これからたくさん雇う薬師たちに任せればいい。
レイフェルに押し付ける前だって、他の薬師たちにやらせていたのだから。
私は可愛らしいルージェを見つめながら、これからの明るい未来に想いを馳せた。
第一話 新しい生活
「お嬢ちゃん、手荒れ用の軟膏、一ついただけないかしら?」
「はい、少々お待ちください!」
アーロン様に婚約破棄されてから、数ヶ月。私はこぢんまりとした建物の中で駆け回っていた。
軟膏は銀製の容器に入れて売っている。
軟膏といっても数種類あり、効能もそれぞれ。だから区別できるように、蓋に魔石の欠片を取り付けてある。
手荒れ用には火属性の赤い魔石、虫刺され用には水属性の青い魔石だ。
魔石っていうのは魔力が含まれた鉱石で、それを媒体にすれば、もともと魔力を持っていない人でも魔法を使うことができる。たとえば火属性の魔石なら火を起こしたり、水属性の魔石だったら水を出したり。とっても便利なアイテムで、私たちの暮らしにおいての必需品だ。
まあ、今回はただの飾りとして使っているから、それはそんなに関係ないんだけど。
魔力が抜け切った魔石を金づちでがんがん叩き、砕いて蓋の飾りつけをしてみたら、結構好評だったんだよね。特に女性のお客様に。
作業は大変だったけれど、苦労した甲斐があった!
「レイフェルさんや、胃薬はどれだい?」
「こちらです。はい、どうぞ」
「ありがとう。ここの薬を飲むようになってから胃の調子がいいんだ」
「でも、薬ばかりに頼ってはいけませんからね。ちゃんと食事にも気をつけてください」
私が作った薬を飲んでくれるのは嬉しい。だけど薬があるからって無茶をしていたら、治るものも治らない。
私が注意すると、おじいさんは「わかってるよ」と言って笑った。それから私の顔をじっと見ながら言葉を続ける。
「レイフェルさんは変わった薬師だね。普通だったら『薬ばかりに頼るな』だなんて言わないよ。少しでも多く薬を買ってもらったほうがいいんだから」
それはそうだけれど、こんな私にも薬師としてのプライドと良心がある。お金欲しさに本当は飲まなくたっていい薬を飲ませるのは嫌だ。
それに贅沢はできなくても、少しずつお金は貯まっている。
客足が途切れたタイミングで私は一息つくと、ここに来た時のことを思い出した。
今私が暮らしているのは、国境付近にある小さな村。
実家から逃げ出した時、とにかく遠くへ行かなくちゃと思った。すぐ近くの町にいたら、お父様の命を受けた使用人に見つかってしまうから。
だから馬車を乗り継いで、何日もかけてここまでやって来た。
本当はお隣の国に逃げたいけれど、そのためにはお金だけじゃなくて身分証も必要になる。丸腰で逃げてきた私にはそんなものないし、この村の住人として身分証を新しく発行するには一年在住しなければならないという条件があった。
一年どうやって生きていこう? と考えていた時、素敵な情報を聞かされた。
なんとこの村、薬師がいないらしい。
半年前までは薬屋があったのだけれど、そこの薬師は全然効かない薬ばかり作っていたせいで、村人たちとトラブル続き。最後には夜逃げしてしまったそうだ。
その薬師が作ったという粉薬を見せてもらってびっくり。
薬草じゃなくて、そこら辺に生えている雑草を材料にしていたみたいだった。そりゃ効かないよ。
その薬師がいなくなってから、この村の人たちは時折訪れる旅商人から薬を買っていた。こちらはちゃんと効き目があるけれど、お値段は高め。しかも買える個数には制限があって困っていたとか。
ベ……ベストタイミング!
そう思って近くの森に行ってみると、私が薬作りでよく使う薬草ばかり生えていた。
主がいなくなった薬屋には薬作りの道具が残されていたから、遠慮なく使わせてもらうことに。
こうして私は薬屋の新たな店主となった。
最初は、開店記念としてものすごーく安く薬を売った。またヤブ薬師が来たんじゃないかって、ちょっと警戒されていたんだよね。だから信頼を掴んでおきたかったのもある。
村人たちは疑心暗鬼な様子で私の店に訪れて、薬を買っていったんだけど……
『すごいぞ、この薬! 咳が治まった!』
『私が買った薬も……胃腸の調子がよくなったわ』
『この白いのを塗ると虫刺されが痒くなくなるんだよー!』
『あのお嬢ちゃんの腕は本物だ……!』
今ではみんなに受け入れられ、毎日薬作りに励んでいる。
誰からも文句を言われないで薬草を採りに行けるし、食べたいものを食べたい分だけ食べられる。
私は色んなものを失ってしまったけれど、代わりに『幸せ』を手に入れることができた。
――私は回想をやめると、ふと思い出して店先から引っ込み、キッチン兼調薬スペースに向かう。
今日はおやつにタルトを作ってみた。今朝、薬草摘みのついでに、果物や木の実も採ったんだよね。
実家にいたころは、持ち帰らないでこっそり食べていた。ルージェに食べさせろって取られてしまうから。
今は誰にも取られる心配がない。家に持ち帰ることもできるし、それを使ってお菓子だって作れちゃう。
木の実は細かく砕いて生地の中に練り込んで、甘酸っぱい果実は砂糖煮にしてタルトに敷き詰めた。
近所のおばあさんから貰った茶葉も、すっきりとした味わいでいい香り。
「ふう……美味しい……」
美味しい紅茶とフルーツタルトでおやつの時間を楽しむ。
急ぐ必要もないから、のんびり食べられる。
その合間に書物に目を通す。その書物は薬草学についてまとめたもので、この店に置きっぱなしだった。例のヤブ薬師の愛読書だったみたいで、色んなページに折り目がついている。
一応知識はあったけれど、それを活かすことはできなかったようだ。
「うーん、この薬草とこの薬草を合わせれば……」
既存の薬の改良だとか、新薬のレシピを思い浮かべながら読み進める。私の知らない薬草も載っていて、頭の中がごちゃごちゃしてきた。一旦本を閉じる。
薬草の世界って広いなぁ……
今後のためにもっとレシピを増やさないと。
たとえば薬だけじゃなくて、少ない量でもしっかり栄養がとれるような食べ物とか。あとはのど飴とか……そうだ、化粧品作りにも挑戦してみようかな。上手くいったら私も使えるわけだし。
色々考えていると、店のほうから複数人の叫び声が聞こえてきた。
あれ? 今は休憩中って札をドアに掛けていたんだけどな。
様子を見に行くと、村長さんや村の偉い人たちが店の中で私を待っていた。
私の姿を見た瞬間、村長さんが駆け寄ってくる。
「す、すまんな、レイフェルさん。ちと火急の件があってのぅ」
「何かあったんですか? 誰か倒れたとか……」
「国境付近で爆発事故があったのじゃ」
「ええ⁉」
予想していたよりも大事件だった。というか、この村から国境って結構近いから、ここにまで被害が出ていないか心配だ。
村長さんは焦った様子で話を続ける。
「火属性の魔石やら火薬やらを積んだ馬車に、発火性の薬草が交じっていたようでのぅ。何かの拍子にドカーンと……」
「ひえ……」
油の海のど真ん中で火を点けるようなものだ。絶対混ぜるな危険だよ、それは。
そういえばタルトを焼いている最中、一瞬揺れたような。ただの地震かなって思っていたけれど、あれは爆発の衝撃で地面が揺れていたんだ。
「積み荷は隣国への輸出品だったそうじゃ。死者はおらんが、怪我人が大勢出とる」
「救護兵の要請はしていないんでしょうか?」
私が尋ねると、村長さんは俯いてしまった。
「しとるようじゃが、ここまで来るのに相当な時間がかかる。彼らの到着を待っていたら、間に合わんかもしれん。そこで相談なんじゃが……」
「だ、だったら、うちの薬や包帯を持って行きましょう! 消毒液も昨日大量に作ったばかりなんです!」
こうしちゃいられない。早く準備しなくては。
「傷薬と鎮痛剤と消毒液と……在庫はちょっと残しておかないと……」
私は夢中で店の薬を掻き集める。
「立派な薬師様じゃのぅ……」
そう言って村長さんが泣いていることに、私は気づかなかった。
馬車なんて待っていられない。私は来ていた村の人に店番を頼むと、手当ての道具が入った鞄を持って村を出発した。
重い! 詰め込みすぎたとちょっと後悔したけれど、足りないよりはマシ! と自分に言い聞かせる。
爆発は国と国を隔てるためのゲートで起きたらしい。現場に近づくにつれて焦げた臭いが漂い、人の叫び声が聞こえ始めた。
嫌な予感がして、心臓がバクバクとうるさくなる。
あそこだ。半壊したゲートが見えてきた。
「うわぁ……」
想像していたよりも酷い光景だった。
積み上がる瓦礫の山。血を流して苦しんでいるたくさんの人。
家族が生き埋めになってしまって、必死に瓦礫をどかしている人がいる。
両親と離れ離れになって泣き叫んでいる子どもがいる。
まるで地獄を見ているようだ。
わけもわからず怖くなって、足が震える。
ここまで来て怯えちゃ駄目。私が来たのはみんなを助けるためなんだから。
「おい、やめとけ!」
「ひゃああっ、すみません!」
突然聞こえてきた怒鳴り声にびっくりして、反射的に謝ってしまった。
だけど、その声は私に対してのものではなかった。
「アル! これ以上無茶すんじゃねぇ!」
大きな男の人が誰かを止めている。
「やめません! みなさんが苦しんでいるのですよ⁉」
栗色の髪のお兄さんが叫びながら、細い手で瓦礫を一生懸命どかしていた。けれど、体力を使いすぎたのか、フラフラになっている。
「薬も薬を作るための薬草もないなら、僕はただの役立たずです。ですから、せめてこれくらいはしなければ……」
お兄さんの言葉にハッとして、私は慌てて叫んだ。
「薬あります! 私が持ってきました!」
「……あ?」
お兄さんを止めていた大きな人が、私に近づいてきた。
……デカいね⁉ しかもムキムキの体で、顔がすごく怖い!
身長が二メートル近いマッチョさんのおかげで、この惨状への恐怖が吹き飛んでしまった。
声はがっつり低め。腰に剣を差しているし、もしかしたら山賊……?
だけど、この状況に乗じて火事場泥棒をやらかしそうな感じでもなかった。多分、悪い人ではない……はず。
「おい、娘。その鞄に入っているもん、全部薬関係か?」
「は、はい……たくさん持ってきたのでバンバン使ってください!」
「そいつはありがたい話だが……あんたは何者だ?」
「この近くの村で薬師をやっているレイフェルです!」
「……薬師ぃ?」
怖い人の顔がもっと怖くなった。
恐ろしくて固まってしまう。
「その方は本物の薬師です。ご安心ください」
お兄さんが怖い人にそう声をかけた。
……あ、私、ヤブだって疑われていたんだ。
あれ。でも、このお兄さんとは初対面なのに、どうして本物だって信用されているのだろう。
「おいアル。なんだって、そんなにはっきり言えんだ」
怖い人も不思議がってお兄さんに聞いている。
するとお兄さんは、私にほんの少し顔を近づけて、くんくんとにおいを嗅いだ。
「この方には薬草のにおいが染みついています。それが、薬師だという立派な証拠ですよ」
「すみません。臭いですよね……」
「いいえ。そんなことありませんよ。それに、僕も薬師ですから」
私が思わず謝ると、お兄さんは優しい声でそう言ってくれた。
薬師仲間発見。
「僕はアルと申します。隣にいるのはハルバート様。僕たちはアスクラン王国からやって来た者です」
「アスクラン……あのアスクラン王国ですか⁉」
アスクラン王国とは、海の向こうにある大きな国だ。経済面、軍事面ともに優れていて、『世界で一番豊かな国』とか『死ぬ前に一度訪れたい国』とか言われている。
他国のことに疎い私でも知っているすごい国。いまいちパッとしないうちの国とは大違いだ。
私が唖然としていると、アルと名乗ったお兄さんはにこやかに話し続ける。
「実は僕は『蛇の集い』の人間でして。今回はその関係でこの国を訪れていました」
「『蛇の集い』……ですか?」
私が首をかしげると、アルさんが不思議そうに尋ねる。
「……ご存じではありませんか?」
「す、すみません……」
「いえ。そんな大したものではありませんので。……ちょうど手持ちの薬を切らしている時に、事故に遭遇してしまったのです。あなたが来てくださって助かりました」
そう言って笑うアルさんは、土埃や煤で全身が汚れていた。掌も傷だらけで血が出ている。爪も割れている。物凄く痛そうだ。私だったらこんなふうに笑っていられない。
「鞄の中身を見せてもらってもいいですか?」
「は、はい、どうぞ」
アルさんに言われて鞄を地面に下ろすと、ドシャッと重量感のある音がした。
「こんなもん背負って走ってきたのか……」
ハルバートさんは、若干引いているようだ。
アルさんは真剣な表情で、私が取り出した傷薬や痛み止めを眺めている。
「こんなにたくさん……全部使っていいのですか?」
「そのために持ってきましたから!」
薬なんてあとで作ればいいのだ。利益なんて無視してしまえ。
「……ではありがたく使わせていただきますね」
「あ、ちょっと待ってください」
薬を手に取ろうとするアルさんを止める。
「あなたは手当てを受ける側です」
そんなに傷だらけの手、放っておけないし。
「申し訳ありません……せっかく薬が届いたのに……」
「いえいえ、アルさんはさっき頑張っていたじゃないですか」
本当は一緒に怪我人の手当てを薬師のアルさんとしたほうがスムーズに進むのだろうけれど、これ以上無茶はさせられない。
アルさんの手当てを終わらせて、とりあえず一安心。
そして、私は他の人の手当てを始める。
アルさんはやっぱりじっとしていられなかったみたいで、私の手伝いをしようとしてくれた。
だけど、ハルバートさんに止められていた。「親父殿に言いつけんぞ」とか、そんなことを言われていたような。
あの二人はどんな関係なのだろう。
「……はい! これでもう大丈夫ですよ」
怪我をしたおじさんの脚を消毒液で綺麗にしてから、患部に傷薬を塗って包帯を巻く。応急手当の方法を勉強しておいてよかった。最初は、包帯を巻くことがすごく下手だったんだよね。
「ありがとうございます、薬師様。助かりました」
おじさんが嬉しそうにお礼を言ってくれた。
やっぱりこういう時、人を助ける職業に就いていてよかったと思う。
けれど喜びを噛みしめている場合じゃない。怪我人はまだまだいるんだから。
次の人……と思っていると。
「あの……傷口を洗うのであれば、消毒液ではなくただの水を使ったほうがいいかもしれません」
アルさんが、消毒液の小瓶をじーっと見ながら言った。
確かに傷口を清潔にするなら、消毒液より水が適している。
消毒液には殺菌作用があって、ばい菌だけじゃなく体の中にあるいい菌まで殺してしまうからだ。
そのことをちゃんと知っているアルさんは、薬師としてしっかり勉強してきたのだろう。
アーロン様が雇っていた薬師の中には、水を使うのは原始的! と頑なに主張を続けていた人もいた。
私も消毒液派だけどね。……ただ、これは普通の消毒液とは違うのです!
「この消毒液は、人体の常在菌には無害の成分で作ったものなんです。ですから、いくらバシャバシャ掛けちゃっても大丈夫ですよ」
「常在菌を殺さない……? な、なるほど、これがあの『夢の消毒液』……」
アルさんが小瓶へ感動の眼差しを送っている。
夢の消毒液。それはアーロン様の薬屋が初めて開発した、傷口の洗浄に特化した消毒液のことだ。
……ちなみにレシピの生みの親は私。アーロン様は、それを自分たちの薬師の功績にしてしまった。
今この国では、このレシピで作った消毒液が広まりつつある。
私が精製した消毒液を見て『薬草伯爵様のところの消毒液かのぅ?』と村長さんが聞いてきたくらいだし。薬草伯爵っていうのは、もちろんアーロン様のあだ名だ。
この消毒液は作り方にコツみたいなものがある。それを見極めるのは私にしかできない。
それもあって、私が調合に携わらないなら販売しないでって言ったのだけれど、ガンガン流通していた。しかも他の薬師にレシピを提供しているらしい。えぇ……
販売に関する契約書みたいなものを作っておくべきだったと後悔しても、時既に遅し。
まあコツについては、以前アーロン様や薬師たちに説明している。だから、ちゃんと作れるようになっていれば、好きに販売してもいいと思うけどさ。
まさかコツが掴めないまま作って、販売なんてしてないよね? してないよね⁉
「……大丈夫ですか?」
ぐるぐる考えごとをしていると、心配そうにアルさんに声をかけられた。
いけない、いけない。今は目の前のことに集中しないと。
そう思っていた時だ。
「何してんだテメェ‼」
突然、ハルバートさんが怒鳴り声を上げた。その巨体を活かして瓦礫をどかす作業をしていたはずだけど、何があったのだろう。
アルさんと顔を見合わせて様子を見に行ってみる。
「ハ、ハルバート様⁉ 何をしていらっしゃるのですか⁉」
アルさんが驚愕の声を発した。
私も目の前の光景にぎょっとする。
ハルバートさんが悪鬼のような形相で、ちょび髭のおじさんの頭を鷲掴みにしていたのだ。しかも、ちょび髭さんの足は地面から離れていた。浮いてる、浮いてる!
端から見れば、ハルバートさんはちょび髭さんをカツアゲしている山賊だ。
だけど他の人たちも、怖い顔をしてちょび髭さんを睨みつけていた。
「この野郎、自分のせいで事故が起こったってのによ……」
「わ、悪かった。ワシが悪かった! だから許してくれぇ……!」
「だったら、テメェが持ってるモンは全部使わせてもらうぞ? いいな?」
「どうぞどうぞ!」
ハルバートさんに凄まれ、ちょび髭さんが半泣きでそう叫ぶ。
爆発した馬車を所有していた商人が、あのちょび髭さんだったらしい。アルさんにこっそり教えてもらった。
ハルバートさんは商人の頭をパッと離すと、近くに停まっていた馬車に向かう。
その馬車の荷台は真っ黒な布で覆われていた。
ハルバートさんがその布を捲ると、その場がざわつく。
「え、ええええええ⁉」
私もびっくりして大声を出してしまった。
荷台にあったのは医療品一式だった。どれも新品。荷台いっぱいに積んであるから、かなりの量だ。
「こ、これはどういうことですか?」
アルさんが困惑した様子で商人に尋ねる。
私も聞きたい。手当てをするための薬や道具がなくて、救護兵も到着が遅くなるって話だったはず。だから、こうして私が来たんですが~⁉
気まずそうに俯いている商人の代わりに、ハルバートさんが説明する。
「こいつはもう一台馬車を持ってたんだよ。それに積んでいたのがこれだ。けど、こうやって隠していやがった」
「あ、当たり前じゃないか! これは向こうの国への輸出品だぞ。非常事態とはいえ、取引相手に許可を取っていないのに使うわけにはいかないだろぉ?」
商人が嫌味っぽい物言いで反論する。
「でも、自分の傷の手当てをするのに使ってたわよね?」
そばにいた女の人が、そう言う。すると、商人はしまったという顔をした。
「す、少しくらいならいいかなと思って……」
「あ?」
「しゅ、しゅみましぇん……」
ハルバートさん怖いです。ちょび髭商人は顔面蒼白で、その場に座り込んでしまった。でも、全然可哀想だとは思わない。むしろ一発殴ってやりたい。
これだけの医療品があれば、私が急いで薬を持ってくる必要はなかった。明日、筋肉痛になることは確定だろう。その責任を取ってほしい。
人々も怒ったり呆れたりしながら、荷台から薬を取ろうとする。
「み、みなさん、待ってください!」
「……アルさん?」
突然アルさんが、みんなを止める。
私が首をかしげていると、アルさんは医療品一式を眺めながら告げた。
「そちらの荷台にあるものではなく、この薬師様が持ってきてくださった薬を使用してください」
「アル? そりゃ、嬢ちゃんが重い荷物をここまで運んできたから、使ってやらねぇと申し訳ないとは思うが……」
「えっと、それだけではないのですが……でも、お願いします」
アルさんはハルバートさんに曖昧に答えたあと、みんなに頭を下げる。
私としては、帰りの荷物が減るからありがたい。けれど、アルさんには何か思惑でもあるのかな。
「貴様ぁ! 私の用意した薬がその女が作った薬より劣っているとでも……」
商人が顔を真っ赤にしてアルさんに詰め寄ろうとする。けれど、またハルバートさんに頭を鷲掴みにされて、どこかへ連行されていった。
「すみません、あなたの了承を得ないまま言ってしまって」
邪魔者がいなくなったところで、アルさんが私に深く頭を下げた。
そんなに謝らなくてもいいのに。私は首を横に振る。
「私の薬を必要としてくれてありがとうございます」
やっぱり同じ薬師から自分の薬を認められるっていうのは、すごく嬉しい。こんな状況なのについつい笑顔になってしまう。
「あ……い、いえ……僕のほうこそありがとうございます……」
アルさんは顔を赤くしながらお礼を言う。手の怪我のせいで熱が出たのかな?
2,003
お気に入りに追加
14,793
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
側妃のお仕事は終了です。
火野村志紀
恋愛
侯爵令嬢アニュエラは、王太子サディアスの正妃となった……はずだった。
だが、サディアスはミリアという令嬢を正妃にすると言い出し、アニュエラは側妃の地位を押し付けられた。
それでも構わないと思っていたのだ。サディアスが「側妃は所詮お飾りだ」と言い出すまでは。
愛想を尽かした女と尽かされた男
火野村志紀
恋愛
※全16話となります。
「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。
火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。
王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。