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1.都合のいい女

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「サラサ、頼む。オフィーリアに正妃の座を譲ってはくれないだろうか」

 困ったような表情で懇願してくる婚約者に、サラサは心の内で溜め息をついた。
 久しぶりに彼から茶会に誘ってくれたのも、この話をするためだったのだろう。
 さほど驚きはしなかった。
 彼が突然現れた『聖女』に心移りしていたことは、薄々察していたのだ。




 マリオン伯爵家の長女・サラサが王太子ライオットと婚約を結んだのは、八歳の頃。
 サラサの祖父にあたる先代マリオン伯爵は、かつて文官を務めていたこともあり、先王とは親友と呼べる仲にあったのだ。

 サラサより一つ歳上のライオットは、この頃から既に美青年の片鱗を見せていた。さらさらとした金髪に、長い睫毛に縁取られたコバルトブルーの瞳。まるで天使のような美貌の持ち主だった。

『初めまして、マリオン伯爵令嬢』

 優しく微笑みかけられて、サラサは一瞬で恋に落ちてしまった。それほどまでに、衝撃的な出会いだったのだ。

 この人のために一生懸命尽くそう。
 そう心に誓ったサラサは、長年に渡って妃教育を受けてきた。
 元々勤勉家だったおかげで、学ぶことはさほど苦には感じなかった。家庭教師に「サラサ様は覚えるのが早いですね」と褒められたくらいだ。

 サラサを苦しめてきたのは、周囲からの偏見の目だった。

『マリオン伯爵家の娘が王太子妃ですってよ』
『非保持者の分際で、王室の一員になろうだなんて』
『産まれてくる子供も非保持者だったら、どうするのかしら』
『魔法が使えない王族なんて、前代未聞だぞ』

 ライオットと舞踏会に参加すると、そのような陰口が聞こえてきた。

 このロードラル王国の王族や貴族は、魔法と呼ばれる特別な力を使うことが出来る。
 炎を起こしたり、水を生み出したり、植物を成長させたり。
 使える魔法は一人につき一つだけだが、高貴な者の証として神聖視されてきた。

 だが稀に魔力を持たず、魔法を一切使えない非保持者という者が生まれることがある。
 サラサもその一人だった。
 祖父は『魔法など使えなくても、お前は立派な人間だ』と言ってくれたが、貴族たちの風当たりは強かった。
 
 魔法が使えない。たったそれだけで、全ての努力を否定されるのだと思い知らされて悲しかった。
 しかしライオットは、傷心のサラサを慰めようとはしなかった。
 それどころか、

『君は将来、王太子妃になるんだぞ。この程度のことを受け流せなくて、どうするんだい?』

 呆れたような物言いは、サラサの胸を深く抉った。

(ライオット様に愛想を尽かされないようにしないと)

 自分にそう言い聞かせて、いつの間にか本心を隠すのが上手くなっていた。
 何を言われようが、何を聞こうが、笑みを絶やさない術を身につけたのだ。

 ライオットが国王の補佐として執務を任されるようになると、サラサもその一部を手伝うことになった。

『将来のためにも、今のうちに仕事を覚えていた方がいいからね』

 妃教育が佳境を迎えていて、正直それどころではなかったが、『僕の頼みを聞いてくれないのかい?』と言われると断れなかった。


 そして互いの祖父がこの世を去った頃から、ライオットはサラサと距離を置くようになった。
 執務も侍従経由で頼むことが増えたが、彼も忙しいのだろうと特に深く考えなかった。

 そんなある日、辺境領を視察に行ったライオットは、見知らぬ少女を王城に連れ帰ってきた。
 彼女の名前はオフィーリア。
 辺境領の神殿で働く少女で、平民にも拘らず魔法を使うことの出来る特異な存在だという。

『サラサ様ですよね? 私、オフィーリア・カラティンと申します。よろしくお願いします!』

 美しい銀色の髪と、柔らかな常磐色の瞳。一見すると儚げだが、中身は子供のように幼い少女だった。

『オフィーリアはあらゆる傷や病を癒すことの出来る治癒魔法の使い手でね。神殿では「聖女」と呼ばれていたそうなんだ。彼女にぴったりの呼び名だろう?』

 ライオットはそう言って、さりげなくオフィーリアの腰に手を回した。彼女も頬をほんのり染めるだけで、嫌がる様子はない。
 その光景は、交際を始めたばかりの恋人のようだった。

 それからすぐに、オフィーリアはとある公爵家と養子縁組をして、貴族の籍を手に入れた。
 ライオットとオフィーリアが二人きりで外出することも増えた。
 だから、そろそろ婚約の解消を切り出されると思っていたのだ。




「承知いたしました」
「本当にいいのかい?」
「ええ。私も王太子妃はオフィーリア様の方が相応しいと思っておりましたから」

 無理矢理にでも納得するしかなかった。今のサラサに味方など誰もいないのだから。

「君ならそう言ってくれると信じていたよ」

 ライオットは心の底から嬉しそうに笑った。
 もはやサラサに対する気持ちなど、微塵も残っていないのだろう。
 そのことについて、責めるつもりはない。
 この十年間、いい夢を見せてもらったと思う。泣くのを堪えて、サラサは精一杯の笑みを浮かべる。

「ライオット王太子、今までありがとうございました。どうかオフィーリア様とお幸せになってください。婚約解消の手続きは後ほど……」

 そこまで言ったところで、ライオットは何故か訝しそうな表情を見せた。

「何を言ってるんだい、サラサ。君との婚約は解消しないよ」
「え? ですが、ライオット様はオフィーリア様とご婚姻なさるのでは……」
「王族は重婚も可能だよ。君は妃教育で何を学んだのかな?」

 困惑するサラサに、ライオットはニコニコ微笑みながら言い放った。

「君は側妃にでもなればいい。そして陰から私たちを支えてくれ」

 どうやら今まで通り、自分の仕事をサラサに押し付けるつもりらしい。
 国王に即位した後も、ずっとこき使う魂胆なのだ。

(どうして私がここまでの仕打ちを受けないといけないの?)

 ライオットの思惑に気付いた瞬間、サラサはふつふつと怒りが湧き上がってくるのを感じた。

「僕のことを愛しているのだろう? 僕の役に立てるなんて、最高じゃないか」

 そしてその言葉を聞いて、ライオットへの愛情が綺麗サッパリ消えてなくなった。
 最高? どの口が言うのだろうか。

「ありがたいお話ですけれど、ご遠慮させていただきます」

 今日限りで都合のいい女は卒業だ。
 サラサは清々しい笑みを浮かべながら、生まれて初めてライオットに逆らった。
 
 
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