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過去①(ラクール公爵side)
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事の始まりは数年前、ダミアンが十歳を迎えた頃にまで遡る。
「ダミアン! 今日は新しい家庭教師が来る日だと言ったはすだぞ! なのに挨拶すらせず、どこに行っていた!?」
「はぁ? 御者に言い付けて、友人に会いに行っていただけですが?」
「何だ、その口の利き方は。お前のその態度に辟易して辞めていった教師や使用人が何人いると思っている?」
「お言葉ですが、家庭教師なんていなくても僕は優秀な人間です。それに僕はまだ十歳ですよ? 子供にとって一番の勉強は、遊ぶことだとよく言うではありませんか」
ダミアンは父の叱責を気に留める様子もなく、侍女が入れた紅茶を啜った。自分が悪いとは露ほどにも思っていないのが、ありありと伝わってくる。
「ああ、紅茶が美味しい。そこのお前、早く菓子を用意しろ。僕はお腹が空いているんだ」
「かしこまりました」
傍に控えていた侍女が一礼して、部屋から出て行く。その際、彼女が眉を顰めていたのをラクール公爵は見逃さなかった。侍女の中では一番温厚で、面倒見がよいと言われている者だ。彼女ならばとダミアンの世話役に就かせたが、その見立ては甘かった。
「使用人に対してあの態度は何だ!? いい加減にしろ!」
「ああもう、うるさい! うるさい、うるさーいっ! 僕は自分より身分の低い奴らに媚びへつらうつもりはないんだよ! 道具みたいに扱って何が悪いんだ!」
「この前も言った通り、お前はまだ公爵ではない! 何度説明したら理解するのだ!」
「将来家督を継ぐなら同じことじゃないですか!」
やはり分かっていない。これ以上説教するのも時間の無駄と判断し、ラクール公爵は息子の部屋を後にする。
ダミアンは、自分たちにとって唯一の子供だった。第二子は望めない。ダミアンを出産して間もなく、オデットは病に罹りり、子供を宿せない体となったのだ。
幼い頃からそのことを理解していたダミアンは、多少の我が儘なら許されると誤った思い込んでいる。そんなはずないのに。
養子を迎えない限り、公爵家に子供は自分しかいない。そうであるなら、「この家を継ぐのは僕しかいない」と危機感を覚え、死に物狂いで勉学に明け暮れてもおかしくない年頃だ。
次期公爵の器ではないと見限られ、家から追い出されるとは想像もしていないのだろう。
ラクール公爵も息子を見捨てるつもりはなかった。どれだけ愚かであっても、たった一人の息子だ。
それに、そのうち次期当主としての自覚が芽生えるだろうと信じていた。
信じるしかなかった。
「ダミアンには家督を継がせるわけにはいきません」
ダミアンが十一歳の誕生日を迎えた当日の夜のことだ。妻は強い口調で断言した。
屋敷で開いた誕生パーティーには、公爵家と縁がある家の者が多く出席していた。その子供たちも。美しく着飾った幼い令嬢たちを見回し、ダミアンはケラケラと笑いながら、軽薄な口調で言い放ったのだ。
『どれもダメだよ。僕の将来の妻には相応しくない』
百歩譲って陰で愚痴を言うのであれば、まだマシだった。だがあろうことか、パーティーの最中に令嬢たちを侮辱したのだ。
会場である大広間の空気は、一瞬にして凍り付く。まず言葉の意図に察した令嬢の一人が、顔を真っ赤にして泣き出した。
次に、令嬢たちの両親が憤然とした眼差しをダミアンに向ける。
そして、親たちに非難の目を向けられたダミアンが、「な、何だよ。本当のことを言っただけじゃないか」と困惑の声を上げた。
これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。
唖然とするラクール公爵に代わり、オデットがパーティーの中断を宣言した。その後、ダミアンを強く叱り付けたものの、特に効果はなかったらしい。夫の執務室に姿を現したオデットは、今まで見たことがないほど険しい顔をしていた。
「私が何を言っても、『本当のことを言って何が悪いんですか。むしろ、彼女たちは僕に感謝するべきです』の一点張りです」
「か、感謝?」
「自分に指摘されたことで、その悔しさを糧に美しくなろうと気持ちが高まるはず……だそうです」
「何だ、その言い分は……」
やはりオデットの判断は正しかったのだと、ラクール公爵は確信した。あのまま、パーティーを続行していたら、取り返しのつかない発言が飛び出していたかもしれない。想像すると、背中に冷たい汗が流れた。
「恐らくあの性格はもう矯正出来ません。もう諦めましょう」
「しかし……」
「あの子がああなってしまったのは、親である私たちの責任も大きい。それは承知しております。だからと言って、家督を継がせるためにはまいりません。あの調子では、いつか王家に対しても失言をするのが目に見えています」
「…………」
ぐうの音も出ない。正式に公爵家の当主になれば、さらに増長する可能性があった。
「ダミアン! 今日は新しい家庭教師が来る日だと言ったはすだぞ! なのに挨拶すらせず、どこに行っていた!?」
「はぁ? 御者に言い付けて、友人に会いに行っていただけですが?」
「何だ、その口の利き方は。お前のその態度に辟易して辞めていった教師や使用人が何人いると思っている?」
「お言葉ですが、家庭教師なんていなくても僕は優秀な人間です。それに僕はまだ十歳ですよ? 子供にとって一番の勉強は、遊ぶことだとよく言うではありませんか」
ダミアンは父の叱責を気に留める様子もなく、侍女が入れた紅茶を啜った。自分が悪いとは露ほどにも思っていないのが、ありありと伝わってくる。
「ああ、紅茶が美味しい。そこのお前、早く菓子を用意しろ。僕はお腹が空いているんだ」
「かしこまりました」
傍に控えていた侍女が一礼して、部屋から出て行く。その際、彼女が眉を顰めていたのをラクール公爵は見逃さなかった。侍女の中では一番温厚で、面倒見がよいと言われている者だ。彼女ならばとダミアンの世話役に就かせたが、その見立ては甘かった。
「使用人に対してあの態度は何だ!? いい加減にしろ!」
「ああもう、うるさい! うるさい、うるさーいっ! 僕は自分より身分の低い奴らに媚びへつらうつもりはないんだよ! 道具みたいに扱って何が悪いんだ!」
「この前も言った通り、お前はまだ公爵ではない! 何度説明したら理解するのだ!」
「将来家督を継ぐなら同じことじゃないですか!」
やはり分かっていない。これ以上説教するのも時間の無駄と判断し、ラクール公爵は息子の部屋を後にする。
ダミアンは、自分たちにとって唯一の子供だった。第二子は望めない。ダミアンを出産して間もなく、オデットは病に罹りり、子供を宿せない体となったのだ。
幼い頃からそのことを理解していたダミアンは、多少の我が儘なら許されると誤った思い込んでいる。そんなはずないのに。
養子を迎えない限り、公爵家に子供は自分しかいない。そうであるなら、「この家を継ぐのは僕しかいない」と危機感を覚え、死に物狂いで勉学に明け暮れてもおかしくない年頃だ。
次期公爵の器ではないと見限られ、家から追い出されるとは想像もしていないのだろう。
ラクール公爵も息子を見捨てるつもりはなかった。どれだけ愚かであっても、たった一人の息子だ。
それに、そのうち次期当主としての自覚が芽生えるだろうと信じていた。
信じるしかなかった。
「ダミアンには家督を継がせるわけにはいきません」
ダミアンが十一歳の誕生日を迎えた当日の夜のことだ。妻は強い口調で断言した。
屋敷で開いた誕生パーティーには、公爵家と縁がある家の者が多く出席していた。その子供たちも。美しく着飾った幼い令嬢たちを見回し、ダミアンはケラケラと笑いながら、軽薄な口調で言い放ったのだ。
『どれもダメだよ。僕の将来の妻には相応しくない』
百歩譲って陰で愚痴を言うのであれば、まだマシだった。だがあろうことか、パーティーの最中に令嬢たちを侮辱したのだ。
会場である大広間の空気は、一瞬にして凍り付く。まず言葉の意図に察した令嬢の一人が、顔を真っ赤にして泣き出した。
次に、令嬢たちの両親が憤然とした眼差しをダミアンに向ける。
そして、親たちに非難の目を向けられたダミアンが、「な、何だよ。本当のことを言っただけじゃないか」と困惑の声を上げた。
これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。
唖然とするラクール公爵に代わり、オデットがパーティーの中断を宣言した。その後、ダミアンを強く叱り付けたものの、特に効果はなかったらしい。夫の執務室に姿を現したオデットは、今まで見たことがないほど険しい顔をしていた。
「私が何を言っても、『本当のことを言って何が悪いんですか。むしろ、彼女たちは僕に感謝するべきです』の一点張りです」
「か、感謝?」
「自分に指摘されたことで、その悔しさを糧に美しくなろうと気持ちが高まるはず……だそうです」
「何だ、その言い分は……」
やはりオデットの判断は正しかったのだと、ラクール公爵は確信した。あのまま、パーティーを続行していたら、取り返しのつかない発言が飛び出していたかもしれない。想像すると、背中に冷たい汗が流れた。
「恐らくあの性格はもう矯正出来ません。もう諦めましょう」
「しかし……」
「あの子がああなってしまったのは、親である私たちの責任も大きい。それは承知しております。だからと言って、家督を継がせるためにはまいりません。あの調子では、いつか王家に対しても失言をするのが目に見えています」
「…………」
ぐうの音も出ない。正式に公爵家の当主になれば、さらに増長する可能性があった。
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