16 / 16
16.
しおりを挟む
リュカが王位継承権を剥奪されるどころか、王子という立場すらも失ったと知らされたのは試験の前日だった。
何でもマチルド嬢と夜の職員室に忍び込んで、試験の問題を覗き見しようとしたらしい。
問題用紙は全て魔法で施錠された金庫にしまわれている。
それを抉じ開けようとしているところを、巡回中の兵士たちに発見されてしまった。
更にあろうことか、彼らに魔法を放って逃亡を図った。
結局捕らえられたリュカの髪が一部分焦げていたのは、自らが放った魔法が暴発したせいだとか。
別に、王妃が出した条件を達成できなかったとしても、王子のままではいられたのだ。
しかし不正を働こうとし、逃走が目的とはいえ人に魔法を使ったのである。
その夜のうちに、リュカは廃嫡を言い渡されて二度と王宮に戻れなくなった。
平民に落とされることはなく、一代限りの爵位を授かり、リュカはこれからの人生を貴族として過ごすことが決定した。
王太子とは思えぬ愚行の代償としては甘すぎる、と批判が続出したものの、高い地位を有していた者がそれを奪われた時の絶望はあまりにも大きい。
現在リュカは廃人のように成り果て、与えられた小さな屋敷に引きこもっているという。
(まあ、こうなるとは思っていたけれど)
文官からリュカの顛末を聞き終えた後、ブリュエットは明日の講習の準備を始めた。
実のところ、リュカのことはエーヴの件の前から見限っていたのだ。
生まれもって王位継承権を有しているという驕りのせいか、リュカは自らの非や劣を認めようとしない傾向があった。
また強い選民意識を持っており、そのせいで家庭教師をいくら雇っても長続きしなかった。
見かねた国王や王妃に叱責されると、少しの間だけ大人しくなるものの、すぐに元に戻る。
そしていつからか、ブリュエットがリュカの婚約者だけではなく家庭教師も兼任するようになった。
ブリュエットはそれでいいと思っていたのだ。
いつかは王太子としての自覚を持ってくれると信じていたから。
だが、彼が娼婦たちと共に宴会を開いた時に全てを諦めた。
「心の狭い女だ」と、冷たい口調で吐き捨てられたのである。
妃教育だけでなくリュカの面倒も見続け、自分の意思を犠牲にしてまで捧げてきたというのに。
本当はリュカと穏やかな時間を過ごしかった。
彼を叱責などしたくなかった。
そんなブリュエットの思いをリュカはまるで理解しようとしなかった。
なのでエーヴを正妃にすると言い出した時、ブリュエットは側妃を受け入れると言ったものの、後から辞退してリュカから離れるつもりだった。
ブリュエットがいなくなれば、リュカはただの無能に成り下がる。
そうなれば王位継承権も剥奪され、リュカとエーヴの両者にダメージを与えられると見込んで。
しかし思わぬ事態が起こった。
念願だった魔法学の講習を開いたところ、何とエーヴが受講したのである。
どんな神経をしているのかと本気で驚いたものの、彼女は他の受講者の誰よりも真剣に話を聞き、魔法を使っていた。
その姿に、彼女はただただ無垢で無知なだけだと確信した。
空っぽなだけであれば、そこに注ぎ込み、満たしてやればいい。
エーヴに教育を受けさせると、彼女は見事に開花した。
精神的にも成長し、両陛下からも認められるようになっていく。
彼女ならリュカを任せられるかもしれない、とブリュエットは考えた。
リュカに溺愛されているエーヴであれば、正妃としてやっていけるだろう。
(……あの男は最後まで本質が変わらなかった)
マチルドという令嬢に手を出していると聞き、甘い考えは捨てた。
ジョエルを始めとする数少ない友人も自ら手放し、教師にも悪態をつく。
自分の頭だけで判断しなければならない状況になれば、少しは成長するかと思いきや、あの男は変わろうとしなかった。
エーヴは変われたというのに。
リュカから王位継承権を剥奪すると言った王妃に、ブリュエットは最後に慈悲を与えて欲しいと、試験で結果を出せば、その件は保留にできないかと提案した。
「あなたも怖いことを考えますね」
と王妃は扇で口元を隠しながら笑った。
彼女も追い詰められたリュカが何をするのか、ある程度想像がついていたのだろう。
出来の悪い息子が破滅することを待ち望む彼女の方が恐ろしい、と思った。
(これからはエーヴ嬢とも顔を合わせる機会が少なくなる)
リュカの廃嫡により、エーヴは王族の血を引く公爵家に継ぐことが決まっている。
短い期間で大きく成長した彼女の才能と懸命さに、子息が惚れ込んだのだ。
あの妻の娘だからと、まともに育てることを諦めていたロレント男爵は、今まで済まなかったとエーヴに謝罪したらしい。
エーヴもブリュエットに初めて出会った際の非礼を詫びた。
自分にはそんな資格はないと、公爵家との結婚も断ろうとしていたが、ブリュエットは優しい言葉で説得して退路を断たせた。
幸せな暮らしのなかで、かつての自分の愚かさと、一度は愛したリュカを見捨てた罪悪感に苦悩して生き続ければいい。
それが彼女に対するささやかな復讐だった。
そしてブリュエットは第二王子──つまり次の王太子の妻となる予定だ。
王子がブリュエットを伴侶にしたいと、強く望んだのである。
「密かにあなたをお慕いしていた」とブリュエットに告げた少年は、王としての素質が充分にある。
彼を愛し、支えていくことがこれからの役目だ。
(結局は正妃に戻ったのね)
だが、その相手はリュカではない。
寂しさも虚しさもなく、清々しているのが正直なところだ。
もうあの男には、とっくの昔に愛想が尽きているのだから。
何でもマチルド嬢と夜の職員室に忍び込んで、試験の問題を覗き見しようとしたらしい。
問題用紙は全て魔法で施錠された金庫にしまわれている。
それを抉じ開けようとしているところを、巡回中の兵士たちに発見されてしまった。
更にあろうことか、彼らに魔法を放って逃亡を図った。
結局捕らえられたリュカの髪が一部分焦げていたのは、自らが放った魔法が暴発したせいだとか。
別に、王妃が出した条件を達成できなかったとしても、王子のままではいられたのだ。
しかし不正を働こうとし、逃走が目的とはいえ人に魔法を使ったのである。
その夜のうちに、リュカは廃嫡を言い渡されて二度と王宮に戻れなくなった。
平民に落とされることはなく、一代限りの爵位を授かり、リュカはこれからの人生を貴族として過ごすことが決定した。
王太子とは思えぬ愚行の代償としては甘すぎる、と批判が続出したものの、高い地位を有していた者がそれを奪われた時の絶望はあまりにも大きい。
現在リュカは廃人のように成り果て、与えられた小さな屋敷に引きこもっているという。
(まあ、こうなるとは思っていたけれど)
文官からリュカの顛末を聞き終えた後、ブリュエットは明日の講習の準備を始めた。
実のところ、リュカのことはエーヴの件の前から見限っていたのだ。
生まれもって王位継承権を有しているという驕りのせいか、リュカは自らの非や劣を認めようとしない傾向があった。
また強い選民意識を持っており、そのせいで家庭教師をいくら雇っても長続きしなかった。
見かねた国王や王妃に叱責されると、少しの間だけ大人しくなるものの、すぐに元に戻る。
そしていつからか、ブリュエットがリュカの婚約者だけではなく家庭教師も兼任するようになった。
ブリュエットはそれでいいと思っていたのだ。
いつかは王太子としての自覚を持ってくれると信じていたから。
だが、彼が娼婦たちと共に宴会を開いた時に全てを諦めた。
「心の狭い女だ」と、冷たい口調で吐き捨てられたのである。
妃教育だけでなくリュカの面倒も見続け、自分の意思を犠牲にしてまで捧げてきたというのに。
本当はリュカと穏やかな時間を過ごしかった。
彼を叱責などしたくなかった。
そんなブリュエットの思いをリュカはまるで理解しようとしなかった。
なのでエーヴを正妃にすると言い出した時、ブリュエットは側妃を受け入れると言ったものの、後から辞退してリュカから離れるつもりだった。
ブリュエットがいなくなれば、リュカはただの無能に成り下がる。
そうなれば王位継承権も剥奪され、リュカとエーヴの両者にダメージを与えられると見込んで。
しかし思わぬ事態が起こった。
念願だった魔法学の講習を開いたところ、何とエーヴが受講したのである。
どんな神経をしているのかと本気で驚いたものの、彼女は他の受講者の誰よりも真剣に話を聞き、魔法を使っていた。
その姿に、彼女はただただ無垢で無知なだけだと確信した。
空っぽなだけであれば、そこに注ぎ込み、満たしてやればいい。
エーヴに教育を受けさせると、彼女は見事に開花した。
精神的にも成長し、両陛下からも認められるようになっていく。
彼女ならリュカを任せられるかもしれない、とブリュエットは考えた。
リュカに溺愛されているエーヴであれば、正妃としてやっていけるだろう。
(……あの男は最後まで本質が変わらなかった)
マチルドという令嬢に手を出していると聞き、甘い考えは捨てた。
ジョエルを始めとする数少ない友人も自ら手放し、教師にも悪態をつく。
自分の頭だけで判断しなければならない状況になれば、少しは成長するかと思いきや、あの男は変わろうとしなかった。
エーヴは変われたというのに。
リュカから王位継承権を剥奪すると言った王妃に、ブリュエットは最後に慈悲を与えて欲しいと、試験で結果を出せば、その件は保留にできないかと提案した。
「あなたも怖いことを考えますね」
と王妃は扇で口元を隠しながら笑った。
彼女も追い詰められたリュカが何をするのか、ある程度想像がついていたのだろう。
出来の悪い息子が破滅することを待ち望む彼女の方が恐ろしい、と思った。
(これからはエーヴ嬢とも顔を合わせる機会が少なくなる)
リュカの廃嫡により、エーヴは王族の血を引く公爵家に継ぐことが決まっている。
短い期間で大きく成長した彼女の才能と懸命さに、子息が惚れ込んだのだ。
あの妻の娘だからと、まともに育てることを諦めていたロレント男爵は、今まで済まなかったとエーヴに謝罪したらしい。
エーヴもブリュエットに初めて出会った際の非礼を詫びた。
自分にはそんな資格はないと、公爵家との結婚も断ろうとしていたが、ブリュエットは優しい言葉で説得して退路を断たせた。
幸せな暮らしのなかで、かつての自分の愚かさと、一度は愛したリュカを見捨てた罪悪感に苦悩して生き続ければいい。
それが彼女に対するささやかな復讐だった。
そしてブリュエットは第二王子──つまり次の王太子の妻となる予定だ。
王子がブリュエットを伴侶にしたいと、強く望んだのである。
「密かにあなたをお慕いしていた」とブリュエットに告げた少年は、王としての素質が充分にある。
彼を愛し、支えていくことがこれからの役目だ。
(結局は正妃に戻ったのね)
だが、その相手はリュカではない。
寂しさも虚しさもなく、清々しているのが正直なところだ。
もうあの男には、とっくの昔に愛想が尽きているのだから。
3,444
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(107件)
あなたにおすすめの小説
【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語
つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。
物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか?
王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか?
これは、めでたしめでたしのその後のお話です。
番外編がスタートしました。
意外な人物が出てきます!
私を見ないあなたに大嫌いを告げるまで
木蓮
恋愛
ミリアベルの婚約者カシアスは初恋の令嬢を想い続けている。
彼女を愛しながらも自分も言うことを聞く都合の良い相手として扱うカシアスに心折れたミリアベルは自分を見ない彼に別れを告げた。
「今さらあなたが私をどう思っているかなんて知りたくもない」
婚約者を信じられなかった令嬢と大切な人を失ってやっと現実が見えた令息のお話。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
いつまでも変わらない愛情を与えてもらえるのだと思っていた
奏千歌
恋愛
[ディエム家の双子姉妹]
どうして、こんな事になってしまったのか。
妻から向けられる愛情を、どうして疎ましいと思ってしまっていたのか。
元婚約者は戻らない
基本二度寝
恋愛
侯爵家の子息カルバンは実行した。
人前で伯爵令嬢ナユリーナに、婚約破棄を告げてやった。
カルバンから破棄した婚約は、ナユリーナに瑕疵がつく。
そうなれば、彼女はもうまともな縁談は望めない。
見目は良いが気の強いナユリーナ。
彼女を愛人として拾ってやれば、カルバンに感謝して大人しい女になるはずだと考えた。
二話完結+余談
あなたが捨てた花冠と后の愛
小鳥遊 れいら
恋愛
幼き頃から皇后になるために育てられた公爵令嬢のリリィは婚約者であるレオナルド皇太子と相思相愛であった。
順調に愛を育み合った2人は結婚したが、なかなか子宝に恵まれなかった。。。
そんなある日、隣国から王女であるルチア様が側妃として嫁いでくることを相談なしに伝えられる。
リリィは強引に話をしてくるレオナルドに嫌悪感を抱くようになる。追い打ちをかけるような出来事が起き、愛ではなく未来の皇后として国を守っていくことに自分の人生をかけることをしていく。
そのためにリリィが取った行動とは何なのか。
リリィの心が離れてしまったレオナルドはどうしていくのか。
2人の未来はいかに···
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
ブリュエットの懐の大きさにただただ感心しました。自分なら到底満足できないであろう復讐の結末だったけど、人の本質を見抜いたり手を差し伸べられるそこも王妃の器なんだろうなぁと。とても面白かったです。
これは復讐ですらない。自分の行動に責任を負わせるのは当たり前
エーヴは教育も済んだし恩も売ってあるから
「裏切り懸念の薄い手駒」として侍女枠で手元に置くのもアリだったかも
今夜で5週目くらいですか
ブリュエットさまも王妃さまも痺れますが、エーブちゃんが一番好きです。
ようやっとアニメ化する某「ふつつかな悪女〜」の人気一位ヒロインちゃんみたいで。
でも育児放棄したエーブちゃん父は大っ嫌い!