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十三話(セドリック視点)

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 麗らかな春の陽気が漂う早朝、幼い少女が我が邸宅を訪れた。
 父上に仕えている男爵が、自分の娘を連れてやって来たのだ。


「こちらは娘のエリーゼでございます。……さあ、エリーゼ。この御方がローラス侯爵だ」

 父親に促されると、彼女はピンク色のドレスを摘まんで恭しく挨拶をした。

「おはつにおめにかかります。わたくしは、バーンだんしゃくけのちょうじょ、エリーゼともうします」

 くすんだ髪の色に、地味な瞳の色。そして可もなく不可もなしの顔立ち。
 だが、きちんと挨拶が出来たと父親に褒められて見せた笑顔は、とても愛くるしくて。

 その姿は、当時九歳だった私の心に深く刻みつけられた。




「おはようございます、セドリック様。私、メイドたちに手伝ってもらってクッキーを焼いてきましたのよ」

 この少女はシンシア嬢だ。我が家と親交の深い伯爵家の令嬢で、我が家に足繁く通っていた。

「すまないが、私は菓子が苦手なんだ。母上にでもあげてくれないか?」
「え、あの。で、でも私、頑張って作りましたのよ? 一枚くらい召し上がってくださっても……」
「何だ? 君は、人が苦手なものを無理矢理食べさせる趣味があるのか?」
「んもう、そんなわけじゃありませんわ! ただセドリック様に喜んでいただきたいだけです!」

 シンシア嬢がぷっくりと頬を膨らませて抗議する。
 溜め息をついていると、傍に控えていた私の侍女が「一枚だけでも召し上がっては?」と勧めてきた。
 再び漏れる溜め息。

 シンシア嬢が私に好意を抱いていることは知っている。
 私の妻になるのだと信じて疑っていないことも。これは私たちの両親の影響が大きい。事あるごとに「将来は息子のことを頼む」、「あなたの花嫁姿が見たいわ」と彼女に吹き込んでいるのだ。

 親の意思で、好きでもない相手と結婚させられる。
 貴族社会ではよくあることだ。だが、これほどまでに不快だとは思わなかった。

 シンシア嬢のことが嫌いなわけではない。
 しかし自分の好意を相手に押し付けてくるやり方が、鬱陶しくて仕方がなかった。

 いやシンシア嬢だけではない。舞踏会や夜会に出席すれば、同じ年頃の令嬢が代わる代わる話しかけてくる。
 いい加減にしてくれと叫びたい。
 妻にするなら、もっと素朴で大人しくて……

 ふいに一人の少女が脳裏に浮かんだ。


 エリーゼ。



 そうだ。妻にするなら、彼女がいい。彼女と一緒にいたい。

 だがエリーゼは男爵家の令嬢だ。両親は恐らく反対するだろう。
 だから私は、家督を継ぐまでエリーゼへの気持ちを押し殺し続けた。もし悟られてしまえば、何も言われるか……考えるだけで憂鬱になった。


 そして十数年後、当主となりローラス侯爵の実権を握った私はエリーゼを妻に迎えた。

 しかし全てが順風満帆というわけではなかった。





※こいつの過去に何があってもエリーゼにしたことは、許されないんですけどね。
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