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九話

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 どうしてここにいるのだろう。
 私を追いかけてきたの?
 どうして?

 呆然と立ち尽くしていると、旦那様は険しい表情で店内を見回しながら私へ近付いていく。

「こんなところで働いているなど……君には貴族としての自覚がないのか?」

 貴族? いいえ、違う。私はもうエリーゼじゃないの。
 そう叫びたいのに声が出せない。

「聴いているのか? エリーゼ!」

 激情を押さえ込んだような声で呼ばれて、肩が震える。

「帰るぞ」

 旦那様は私の腕を掴んで、無理矢理外に連れ出した。
 店の前には馬車が停まっていて、その中に私を押し込めようとする。


 逃げなくちゃ。早く、早く。

「ぁ……」







「あれ? エリナ、その人彼氏?」

 その呼びかけに、私ははたと我に返った。
 声の方向に目を向けると、茶色いハンチング帽を被った青年がこちらへ駆け寄ってくる。

「……エリナ?」

 旦那様が眉を顰める。

「俺、この子の兄貴なの。何だよ~、素敵な人が出来たんなら言ってくれたっていいじゃないか」

 青年は笑いながら私たちに割って入ると、さりげなく自分のほうへ私を引き寄せた。
 途端、旦那様が目付きを鋭くさせる。

「先ほどから君は何だ? 彼女は私の……」
「……に、兄さん、助けて」

 私は絞り出すような声で青年を呼んだ。

「この人、私を誰かと勘違いしてるみたいなの。それで無理矢理馬車に乗せられそうになって……」
「はぁ? 何考えてんだよ、あんた。確かにうちの妹はスゲー可愛いけど、そういうことはしちゃダメだろ!」
「違う、エリーゼは私の妻だ。お前こそ、何をしているのか分かっているのか?」
「不審者に誘拐されそうになってる妹を助けただけだ。な?」

 青年に目配せをされて、コクコクと頷く。
 すると店長や店のお客様も、私たちの様子を見に来た。

「ちょいとあんた、エリナちゃんに何してんだい? 警察呼ぶよ」
「……もういい」

 旦那様はふぅー……と深く溜め息をついて呟いた。
 その顔は何だか寂しそうで、初めて見る表情だった。

「日を改めよう。明日また会いに来る。……だから、その時には私の話を聞いてくれ」

 静かな声でそう告げると、旦那様はゆっくりと馬車に乗り込んだ。

「それじゃあ、俺たちも帰ろうぜ」

 私の肩に手を回しながら、青年がそう話しかけてきた。
 そして走り去る馬車へ視線を向けつつ、小声で耳打ちする。

「今夜はとりあえず俺のとこに来い。あんたの家には帰らないほうがいいよ」

 その提案に、思わず目を丸くする。
 だって彼が何者なのか、私は知らない。うちの店のお客様でもなさそうだし……

 けれど、彼の言う通りだと思った。旦那様に自宅を知られたら、という不安がある。


「……分かりました」

 この人を信じてみたい。信じさせて欲しい。


 


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