49 / 96
49.イレネーとブランシェ
しおりを挟む
「イレネー様! レイモンド様が他国に渡ったというのは本当ですの!?」
早朝、婚約者のブランシェが会いに来たかと思えばそんなことを聞かれて、イレネーは困惑した。彼女をイレネーの部屋まで案内した使用人も、怪訝そうな顔をしている。
質問の意図が分からず固まっていると、ブランシェに両肩を掴まれた。
「早く教えてくださいまし! レイモンド様があなたに最後の挨拶をしたと、噂で聞きましたわよ!」
「あ、ああ。確かにレイモンドは俺に会いに来たが」
聖鐘祭が終わってから二週間後の夜だった。
突然友人のレイモンドが訪ねてきたかと思えば、この国よりも医学が発展している国に行くと宣言したのだ。
とある病気の研究のため、と言っていた。詳細までは話してくれなかったが、今まで見たことのないような凛々しい表情をしていた。
軍には既に辞表を提出していたようで、イレネーへの挨拶を済ませるとすぐに出国したようだった。
事情は分からないが、友人が選んだ道なら口出しせず、応援するだけだ。
そう思っていたイレネーだったが、まさかブランシェにそのことを激しく問い詰められるとは思わなかった。
「そ、そんな……!」
イレネーから説明されたブランシェは、絶望した表情でその場に座り込んだ。
以前のイレネーだったら、哀れなその姿に庇護欲を掻き立てられ、壊れ物に触れるような手つきで彼女を抱き締めていただろう。
だが今はその姿に何も感じられない。むしろ不信感が募るばかりだ。
「どうしてそんなにレイモンドのことが気になるんだ? 奴を愛していたのか?」
「な……違いますわ! レイモンド様は優秀な軍医だったのですわよね? でしたら、他国に逃がすべきではなかったのに!」
「逃がす? 何だこの口振りは……!」
友人を物扱いされたような気がして、イレネーは苛立ちを覚えた。
婚約者の怒気を感じ取ったのか、流石にブランシェも一瞬怯んだ表情をするものの、煽るように嘲笑を浮かべた。
「大体、私の不義を疑える立場だと思っていますの? 私、存じていますのよ。イレネー様が私以外の女に心が揺らいでいることを」
「……っ」
ブランシェの指摘に、イレネーの脳裏に一人の人物が浮かぶ。
確かにこのところ、ずっと彼女のことを考え続けている。
それでも肯定するわけにはいかなかった。
「違う! 俺はリグレットのことはもう忘れたんだ! 彼女にもう未練など……」
「……はぁ?」
「ん?」
更に追及されるどころか、訝しげな反応されてイレネーは目を丸くした。
しかしブランシェはイレネー以上に不思議そうな顔をして、
「リーゼ嬢のことはどうしましたの?」
「リーゼ……?」
「忘れたとは言わせませんわよ。あのピンク頭の!」
「ピンク? ああ、そんなのがいたな……」
聖鐘祭の時、ブランシェが離れた隙を見計らうように現れた平民の娘がリーゼと名乗っていた。
それでイレネーと軽い世間話をした後で、誓約のベルを押し付けてどこかへ去ってしまったのだ。珍しい光属性魔法の使い手だったようで白く輝くベルだったが、さほど惹かれなかった。
見ず知らずの相手からではなく、リグレットのベルが欲しい。
そう強く願ってしまったからだろう。彼女とは結婚式の前夜に互いのベルを交換しようと誓い、果たされなかった。
ブランシェからもカシス色のベルをもらったが、持ち歩きたくなくて、リーゼのベルと一緒に引き出しの奥にしまってそれきりだ。
「リーゼのことも何とも思っていない。今、君に言われて思い出したくらいだしな」
「それじゃあ困りますわ!」
「困る? 何故だ。君は俺にリーゼと浮気をして欲しいと思っているのか?」
「……もういいですわ。あなたのことも諦めることにしますわ」
「ブランシェ?」
急に覇気を失くしたかと思えば、失望の溜め息をつく。
本日のブランシェは全く分からない。
「レイモンドは軍を抜けて、あなたはリグレットに未練タラタラ。おまけにあの小娘は失敗するし、テオドールも何だか雰囲気が柔らかくなるし全然上手くいかない……」
顔を歪めながらブツブツ呟く姿に、イレネーは半ば嫌がらせのようにこう言った。
「言われてみれば、テオドールはレイスの毒殺未遂事件の後から穏やかになった。何でも過去に起きた混入事件についても何か分かったそうだが……もしかすると、リグレットが絡んでいるのかもしれない」
「……リグレットが?」
「レイモンドも俺に挨拶にきた時、『俺は彼女に出会えたことを誇りに思う』と言っていた。他国へ渡ったのは、恐らく彼女の影響だろうな」
自分が陥れたであろうリグレットのせいで、よく分からないが計画が破綻している。そのことを知れば、ブランシェがショックを受けると予想したのだ。
それは見事的中し、ブランシェはふるふると体を震わせ始める。
「あんな……あのモブ以下のキャラのせいで……」
「……モブ? キャラ?」
無意識に口走っていたのか、普段聞き慣れない単語に首を傾げるイレネーに気づき、ブランシェは取り繕うように微笑んだ。
「失礼しましたわ。何だか私、近頃リグレットを濡れ衣を着せたのではないかとか妙な噂を流され、心を病んでしまったようでして……時々自分でもよく分からない言動をしてしまう時がありますの」
「……そうか」
悲しげに目を伏せて微笑むブランシェは相変わらず美しい。
だがその内側には何か──別の存在が潜んでいるようにイレネーには思えた。
早朝、婚約者のブランシェが会いに来たかと思えばそんなことを聞かれて、イレネーは困惑した。彼女をイレネーの部屋まで案内した使用人も、怪訝そうな顔をしている。
質問の意図が分からず固まっていると、ブランシェに両肩を掴まれた。
「早く教えてくださいまし! レイモンド様があなたに最後の挨拶をしたと、噂で聞きましたわよ!」
「あ、ああ。確かにレイモンドは俺に会いに来たが」
聖鐘祭が終わってから二週間後の夜だった。
突然友人のレイモンドが訪ねてきたかと思えば、この国よりも医学が発展している国に行くと宣言したのだ。
とある病気の研究のため、と言っていた。詳細までは話してくれなかったが、今まで見たことのないような凛々しい表情をしていた。
軍には既に辞表を提出していたようで、イレネーへの挨拶を済ませるとすぐに出国したようだった。
事情は分からないが、友人が選んだ道なら口出しせず、応援するだけだ。
そう思っていたイレネーだったが、まさかブランシェにそのことを激しく問い詰められるとは思わなかった。
「そ、そんな……!」
イレネーから説明されたブランシェは、絶望した表情でその場に座り込んだ。
以前のイレネーだったら、哀れなその姿に庇護欲を掻き立てられ、壊れ物に触れるような手つきで彼女を抱き締めていただろう。
だが今はその姿に何も感じられない。むしろ不信感が募るばかりだ。
「どうしてそんなにレイモンドのことが気になるんだ? 奴を愛していたのか?」
「な……違いますわ! レイモンド様は優秀な軍医だったのですわよね? でしたら、他国に逃がすべきではなかったのに!」
「逃がす? 何だこの口振りは……!」
友人を物扱いされたような気がして、イレネーは苛立ちを覚えた。
婚約者の怒気を感じ取ったのか、流石にブランシェも一瞬怯んだ表情をするものの、煽るように嘲笑を浮かべた。
「大体、私の不義を疑える立場だと思っていますの? 私、存じていますのよ。イレネー様が私以外の女に心が揺らいでいることを」
「……っ」
ブランシェの指摘に、イレネーの脳裏に一人の人物が浮かぶ。
確かにこのところ、ずっと彼女のことを考え続けている。
それでも肯定するわけにはいかなかった。
「違う! 俺はリグレットのことはもう忘れたんだ! 彼女にもう未練など……」
「……はぁ?」
「ん?」
更に追及されるどころか、訝しげな反応されてイレネーは目を丸くした。
しかしブランシェはイレネー以上に不思議そうな顔をして、
「リーゼ嬢のことはどうしましたの?」
「リーゼ……?」
「忘れたとは言わせませんわよ。あのピンク頭の!」
「ピンク? ああ、そんなのがいたな……」
聖鐘祭の時、ブランシェが離れた隙を見計らうように現れた平民の娘がリーゼと名乗っていた。
それでイレネーと軽い世間話をした後で、誓約のベルを押し付けてどこかへ去ってしまったのだ。珍しい光属性魔法の使い手だったようで白く輝くベルだったが、さほど惹かれなかった。
見ず知らずの相手からではなく、リグレットのベルが欲しい。
そう強く願ってしまったからだろう。彼女とは結婚式の前夜に互いのベルを交換しようと誓い、果たされなかった。
ブランシェからもカシス色のベルをもらったが、持ち歩きたくなくて、リーゼのベルと一緒に引き出しの奥にしまってそれきりだ。
「リーゼのことも何とも思っていない。今、君に言われて思い出したくらいだしな」
「それじゃあ困りますわ!」
「困る? 何故だ。君は俺にリーゼと浮気をして欲しいと思っているのか?」
「……もういいですわ。あなたのことも諦めることにしますわ」
「ブランシェ?」
急に覇気を失くしたかと思えば、失望の溜め息をつく。
本日のブランシェは全く分からない。
「レイモンドは軍を抜けて、あなたはリグレットに未練タラタラ。おまけにあの小娘は失敗するし、テオドールも何だか雰囲気が柔らかくなるし全然上手くいかない……」
顔を歪めながらブツブツ呟く姿に、イレネーは半ば嫌がらせのようにこう言った。
「言われてみれば、テオドールはレイスの毒殺未遂事件の後から穏やかになった。何でも過去に起きた混入事件についても何か分かったそうだが……もしかすると、リグレットが絡んでいるのかもしれない」
「……リグレットが?」
「レイモンドも俺に挨拶にきた時、『俺は彼女に出会えたことを誇りに思う』と言っていた。他国へ渡ったのは、恐らく彼女の影響だろうな」
自分が陥れたであろうリグレットのせいで、よく分からないが計画が破綻している。そのことを知れば、ブランシェがショックを受けると予想したのだ。
それは見事的中し、ブランシェはふるふると体を震わせ始める。
「あんな……あのモブ以下のキャラのせいで……」
「……モブ? キャラ?」
無意識に口走っていたのか、普段聞き慣れない単語に首を傾げるイレネーに気づき、ブランシェは取り繕うように微笑んだ。
「失礼しましたわ。何だか私、近頃リグレットを濡れ衣を着せたのではないかとか妙な噂を流され、心を病んでしまったようでして……時々自分でもよく分からない言動をしてしまう時がありますの」
「……そうか」
悲しげに目を伏せて微笑むブランシェは相変わらず美しい。
だがその内側には何か──別の存在が潜んでいるようにイレネーには思えた。
106
お気に入りに追加
5,511
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

【完結】熟成されて育ちきったお花畑に抗います。離婚?いえ、今回は国を潰してあげますわ
との
恋愛
2月のコンテストで沢山の応援をいただき、感謝です。
「王家の念願は今度こそ叶うのか!?」とまで言われるビルワーツ侯爵家令嬢との婚約ですが、毎回婚約破棄してきたのは王家から。
政より自分達の欲を優先して国を傾けて、その度に王命で『婚約』を申しつけてくる。その挙句、大勢の前で『婚約破棄だ!』と叫ぶ愚か者達にはもううんざり。
ビルワーツ侯爵家の資産を手に入れたい者達に翻弄されるのは、もうおしまいにいたしましょう。
地獄のような人生から巻き戻ったと気付き、新たなスタートを切ったエレーナは⋯⋯幸せを掴むために全ての力を振り絞ります。
全てを捨てるのか、それとも叩き壊すのか⋯⋯。
祖父、母、エレーナ⋯⋯三世代続いた王家とビルワーツ侯爵家の争いは、今回で終止符を打ってみせます。
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
完結迄予約投稿済。
R15は念の為・・

成功条件は、まさかの婚約破棄?!
たぬきち25番
恋愛
「アリエッタ、あなたとの婚約を破棄する・・。」
王太子のアルベルト殿下は、そう告げた。
王妃教育に懸命に取り組んでいたアリエッタだったが、
それを聞いた彼女は・・・・?
母と妹が出来て婚約者が義理の家族になった伯爵令嬢は・・
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
全てを失った伯爵令嬢の再生と逆転劇の物語
母を早くに亡くした19歳の美しく、心優しい伯爵令嬢スカーレットには2歳年上の婚約者がいた。2人は間もなく結婚するはずだったが、ある日突然単身赴任中だった父から再婚の知らせが届いた。やがて屋敷にやって来たのは義理の母と2歳年下の義理の妹。肝心の父は旅の途中で不慮の死を遂げていた。そして始まるスカーレットの受難の日々。持っているものを全て奪われ、ついには婚約者と屋敷まで奪われ、住む場所を失ったスカーレットの行く末は・・・?
※ カクヨム、小説家になろうにも投稿しています

村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!
たぬきち25番
恋愛
気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡
※マルチエンディングです!!
コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m
2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。
楽しんで頂けると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる