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2.『私』について

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 田舎でトラクターを華麗に乗り回していた三十路の女。それがかつての私だった。
 農業高校を卒業後、実家で野菜やら果物やら米やら育てていたら、いつしか嫁の貰い手がなくなり幾星霜。
 長男夫婦が都会に行ってしまったので、年老いた母の介護兼畑仕事に勤しむ毎日だったが、体を動かすことが好きなのでさほど苦ではなかった。
 それに空いた時間はゲームをしたり、アニメを観ていたりして過ごしていた。

 女主人公が男をはべらせる、所謂乙女ゲームも一作だけやったことがある。
 Cwitterクイッタ―のフォロワーに「人生の教科書ですよ」と薦められたのだ。

 ゲームタイトルは『夜の彼方で君を待つ』。
 主人公は光属性魔法が使える平民の少女。全ての人間が魔法を使えるわけではなく、その中でも光属性魔法は怪我や病を癒したり、魔を打ち祓う効果を持つレア物。
 で、その少女が公爵子息や王太子、さらに騎士団長、軍医などの美形キャラクターと親密になっていき、そのうちの一人と恋仲に発展していくストーリーである。
 その世界こそ、今私がいる世界だ。

 ちなみにリグレットこと私は作中に登場していない。
 モブキャラとしてワンシーン出演を果たしたことすらなかったと思う。
 ただ存在は示唆されていた。
 侯爵令嬢ブランシェを慕って常に傍にいたが、彼女に裏切られて濡れ衣を着せられた哀れな男爵令嬢として。
 修道院送りになった後にどうなったのかは不明だが、私がinしているキャラクターで間違いないだろう。

 しかも現在の時間軸は、多分ゲーム本編が始まる前。
 私の元婚約者であるイレネーは、本編の序盤ではブランシェと婚約したばかりだったはず。
 すごいぞ私。まだ何も始まっていないのに、凄まじい蚊帳の外っぷりだ。むしろ誰よりも早く何もかもが終わってしまった。

 アデーレに鞭で叩かれている最中にそのことを理解した私は溜め息をついた。
 落胆ではなく、安堵の意味で。

「リ、リグレット? 何をするのです! 勝手に罰を終わらせるなんて……」

 アデーレが慌てて鞭を拾い上げて私を叩こうとするが、焦りのせいか先程よりも振りが甘い。こんなもん、簡単に避けられる。ドッジボール避けるより楽だ。
 中年女性の動きを見切って、ササッと回避してから片手で鞭を掴んで取り上げる。また拾われるのを阻止するため、今度は床に投げ捨てなかった。

「……こうして鞭に当たらないということは、神がこれ以上は罰を受けなくてもよいと判断したからでしょう。アデーレ院長、ありがとうございます」
「そ、そのようですね……」
「皆様、本日からよろしくお願い致します」

 威嚇の意味を込めてピシィィッと鞭で床を叩く。
 あんなに笑顔いっぱいだった修道女一同が、モンスタークレーマーが襲来した時のコンビニ店員のような表情になったので、鞭を返却してやることにした。

「私は罰を与える立場ではありませんので、お返ししますね」
「……え、ええ、ありがとう。もう自分の部屋に行っていいですよ……」

 話の分かる院長で何よりだ。



用意された自室に向かうと、室内は全く掃除がされていないようで埃まみれだった。天井や窓に芸術的な蜘蛛の巣が張り巡らされている。
 綺麗なのは外観だけで、中身は人間も部屋も汚れてると思いつつ窓を開けた。
 外からの新鮮な空気を吸いながら、私は一人のキャラクターを思い返す。

 キューギスト侯爵家の令嬢ブランシェ。
 あれはとんでもない悪女だ。プレイ中もヤバいとは思っていたが、実際にあの女の毒牙にかかった後だとそれをよく実感できる。
 表向きはとてもおしとやかなお嬢様のブランシェだが、実は大の男好きなのだ。
 自分をどこまでも信じていてくれたリグレットに、醜聞を吹聴した罪をなすりつけた目的はただ一つ。
 リグレットの婚約者であり、攻略キャラの一人でもあるイレネー伯爵子息を手に入れるためである。
 メインヒーローの父親であるグライン公爵の部下で、顔もいいからという理由だったか。

 ブランシェが醜聞を流した犯人がリグレットだと言うと、イレネーはそれをまんまと信じてしまった。
 しかもリグレットに婚約破棄を言い渡した時点で、ブランシェに心移りしているように思えた。そうじゃなかったら、他の女をあんな風に抱き締めたりはしないだろう。

 おかげで私はこのザマである。

 と言っても、ゲーム本編に関わらないポジションに追い込んでくれたブランシェには感謝している。
 何せこの作品、ハードボイルドものかと疑念を抱くレベルで人が死ぬのだ。

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