ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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51、エピローグ

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 ピヴォワン家に帰った僕はノエルと拳をぶつけあい、帰還を喜んだ。もう二度と戻って来れないと思っていたからね。それぐらいの覚悟で奴らに連れて行かれたのさ。
 父が僕の親権を主張しなければ、ふたたび牢獄のような生活に逆戻りだった。愚鈍な父でも、役に立つことがあるんだ。


 父のアルマンはしばらく、王都の屋敷で僕らと一緒に暮らしていた。少しは反省したのだろう。家族が領地へ帰るまえに、騎士団へ再入団することになった。
 ピヴォワン卿の甘いのはさ、長男の権利剥奪を保留にしたところ。あの時は、かまをかけるために言っただけで、結局養子には出さなかったんだ。去勢して僧兵にでもしちまえば、よかったのに……。
 僕はノエルから聞いて知っているよ。父はルイーザを襲おうとしたんだって。

 ピヴォワン卿もルイーザのことが心配だったのだろう。父がいる間は使用人たちに厳戒態勢を敷かせていたね。騎士団に入ってからは、懇意にしている貴族の邸宅で預かってもらうことになった。うまくいけば、そこのお宅の婿養子になるという話も出ていて、僕は胸をなでおろしている。

 いよいよ夏が終わり、領地に帰る季節がやってきた。
 昨年はエドガーに負けたことで、意気消沈していたんだっけ。城での生活はのびのびできて、楽しかったなぁと振り返る。ノエルのおかげでチェス大会に出ようと決意してからは、チェス三昧の日々になっちゃったけどね。今年は、のんびりできそうだった。

 でもね、明確な目標があった昨年と比べて何か物足りなかった。ノエルと遊んだり、剣の稽古をしたり、チェスをしたりするのは楽しかったよ。けど、ぼんやり漂っているような、水面に浮かぶ藻屑みたいな気分でさ、気抜けしていたんだ。
 炭酸の抜けたシャンペンやエールは最悪だろ? 今の僕はそんな感じ。エドガーに勝った、チェス大会に優勝した、ルイーザのそばにいられる……すべて望みどおりになって、気力が失われてしまったんだよね。

 城の生活も中盤に差し掛かり、雪が降るころには、このままではヤバいと思い始めた。
 僕も身の振り方を考えなくてはいけない。
 チェスは続けるよ。それ以外に将来、身を立てるための方策が必要だと思ったんだ。戦争が起こって、ピヴォワン卿が戦地へ駆り出されたら、戦死する可能性もある。それに、ルイーザより三十も年上なんだから、絶対先に死ぬよね? その時、彼女を守れるのは僕だけなんだ。

 悩みに悩み抜いて、僕は春が来るまえに結論を出した。
 決断できたのはあの極悪な祖父、プルーニャ男爵の顛末てんまつを聞いたからかな。使用人たちの話を盗み聞きしてしまった。

 プルーニャ男爵はその後、詐欺、窃盗、強盗、殺人などで起訴され、処刑されたらしい。母がどうなったかはわからない。一人じゃ何もできないだろうし、身分相応の暮らしぶりになったんじゃないかな? どうせまた、男に寄生しているんだろうけど。
 溜飲が下がったというより、僕は安堵した。奴らがまたやって来て、ルイーザを傷つけるのではないかと、ビクビクしていたからね。不安材料がなくなったことで、自分のことだけを考えることができたんだ。



 固い新芽がいつ芽吹こうかと待ち構えているころ、僕は秘密基地にノエルを呼び出した。
 以前、剣の稽古で大けがをした塔の屋上だね。ここで打ち合ったりはもうしないけれど、大事な話をするときには最適な場所なんだ。
 僕は自分の決意をまず、親友に聞いてもらいたいと思った。

 優しいそよ風ではなく、きつめの南風がノエルの短い黒髪を乱していた。僕は今朝、ルイーザが編んでくれた金髪にそっと手を当てる。繊細な指を僕の髪に絡ませ、愛情たっぷりに編み込んでくれた。愛しい人の名残は甘い愉悦をもたらす。強風がその甘ったるい感傷をさらっていった。
 僕は結論から入った。

「春になったら、寄宿舎に入ろうかと思っている」

 そう、エドガーが入ったのと同じ学校だね。まもなく入学試験が始まる。王廷や法曹界に人材を輩出している名門校だ。かなり優秀じゃないと入れないんだよね。勉強ができる良家の次男坊、三男坊が多いのかな。僕はチェスを続けつつ、身を立てるための勉強もしたかった。ぬるま湯にかった状態では、ダメだと思ったんだ。
 ノエルは仰天したあと、

「そうか、さみしくなるな……でも、がんばれよ!」

 と、僕の肩をたたいてくれた。親友のグリーンアイは、城の周りの湖みたいに穏やかで澄んでいたよ。一番最初に打ち明ける相手がノエルでよかったと、僕は思った。

「エドガーのケツも叩いてやんなきゃな!」

 エドガーの奴、すっかりチェスプレイヤーへの道をあきらめているだろうから、僕が気合を入れてやろう。ノエルは破顔した。

「よろしく伝えといてくれよ。夏休みや冬休みには帰って来るんだよな?」
「うん、ここが僕の家みたいなもんだからね」
「みたいなもんじゃないよ。、ローラン、おまえの家なんだよ」

 僕はうなずいた。そうと決まれば、ピヴォワン卿とルイーザにも話さなきゃ。ルイーザはなんて言うだろう? 僕がいなくなると聞いて、悲しむだろうか?

 僕は晩餐のあと、伝えることにした。
 ピヴォワン卿に話すのは少し緊張したね。なにせ、学費を払ってもらう肩身の狭い身だ。チェス大会の賞金をてられればよかったんだけど、母に渡しちゃったから。

 ピヴォワン卿はすんなり承諾してくれた。若干、嬉しそうなのは恋敵がいなくなるからかな? まあ、老いていくばかりのあなたと違って、僕はこれからですよ。

 ルイーザは……
 やっぱり、すぐには納得してくれなかったね。
 黒い目をうるうるさせちゃって、眼鏡を取った。そこが晩餐の席ではなく、ピヴォワン卿もノエルもいなかったら、僕は彼女を抱き寄せていただろう。

 ごめんね。でも、これは全部君のためなんだ。立派な男として認められるように、僕はがんばるからね。そして、いつか必ず君を迎えに行くよ。


 食後、部屋で服を着替えていたら、彼女が来た。
 責めるような黒曜石の目は、まだうるんでいる。僕の旅立ちがそんなにも気に入らないのか。ベッドに並んで腰掛けるなり、猛烈な“行かないで”攻撃が始まった。

「ああ、ローラン……わたくしってば、ダメな母親ね。夢を応援してあげなくちゃいけないのに、あなたと離れたくないの」

 ダメな母親じゃないです。母親でもないです。この意識をまず改善させないとなぁ。そのための寄宿学校入学だよ。この鬱陶しい子供扱いをやめさせてやる。

 無闇に抱きついたりできなくなるのは、つらいけど、このまんまじゃ永遠にお子さまの地位から抜け出せないだろう? 僕はノエル第二号じゃないの。

 どうせ、お友達とうまくやれるかしら?とか、身の回りのことを一人でできるかしら?とか、さみしくて寝られないんじゃないかしら?とか、しょうもない心配をしてるんでしょ。僕はあなたが思っているようなガキじゃ、ありませんからね。

 などと思いつつも、眼鏡を外して涙をぬぐうルイーザに見とれる。天然の薔薇色の唇だよ。それを震わせて、切なる思いを吐露するんだ。

「家族に遠慮してるんじゃないかしら、と思ったりもするの。毎日、楽しく暮らしているのに、どうして離れないといけないの? お勉強がうまくいかないのなら、家庭教師を増やすわ。あなたの本当の気持ちが知りたいのよ?」

 僕の本当の気持ち?

 ……キスしたいです。どさくさに紛れて、できないだろうか……。

 僕は愛する人の手を握った。

「いいですか? 僕は自分のために、自立した大人になるために家を出るんです。ルイーザやピヴォワン家のみんなは大切な家族ですが、いつまでもそれに甘えていたくない。一人前になるには、もっと広い世界が必要なんです」

 うんうん、素直に聞いているね。普段のガキっぽさとのギャップが大きすぎて、戸惑っているのか。返す言葉が見つからないって感じ? 残念。子供のふりをしているけど、僕の心はもう大人なんだよ。

「僕がいなくなってさみしいのなら、毎日手紙を書いてください。必ず返信します」
「ええ、ええ! 書きますとも! もちろんよ!」

 僕は深呼吸した。
 ここから本心を言うよ。僕は握った彼女の手に口づけした。眼鏡を取って幼くなった彼女を上目で見つめる。

「将来、あなたが一人になった時、僕を頼ってください」

 きょとんとしているね。今わからなくても、いつかわかる時が来るよ。首をかしげる仕草もかわいいなぁ。だが、そのあとの発言はいけない。

「……老後の世話をしてくれるっていうこと?」

 ちがう!! そこ、ボケるとこじゃないから!!
 でも、あながち間違いでもないから、否定はしなかった。

「いつか、あなたを支えられるように、成長して帰ってきます。それまで、待っていてくださいね」

 よし、ハグをするぞ! あと何回できるかわからないもんね。
 僕はルイーザに抱きつき、キスをした。頬に……と見せかけて、唇の端にね。これが僕のファーストキス。



 おわり
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