ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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46、守りたい

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 何もかもうまくいって幸せいっぱいの時、じつは足元に大きな落とし穴があいていた……なんてことは想像もできません。わたくし、すっかり油断しておりました。

 パーティーの翌日、レオンは朝から王城へ出向き、留守にしていました。王都にいる間は出かける日のほうが多いのです。彼独特のチーズに似た体臭を胸いっぱいに吸い込み、朝からむつみ合ったので、寂しくありませんでした。
 
 人目のある玄関ホールでは、軽いキスとハグでお別れします。
 最近、レオンと仲良くしていると、子供たちの目が冷ややかなのですよね。特にローラン。思春期に入ろうとしている子の目には、愛し合う大人が見苦しく映るのかもしれません。

 旦那様を送り出したあとは帳簿の整理をして、午後のお茶会の準備を始めました。上の子たちはお勉強中ですね。双子たちが茶器を並べたテーブルの真横を走り抜けて、ヒヤッとします。

 お茶会はマダムたちが教養や芸術に触れる場でもあります。テーブルセットや室内の装飾にもこだわりがあるのですよ。ただ、我が家の場合、堅苦しいのは嫌なのでそんなに大仰おおぎょうにはいたしません。テキパキ決めて、使用人たちに指示を出します。
 時間が余ったら、刺繍でもしようかしらと考えていたところ、来客の知らせがありました。
 突然の訪問です。名前を聞いて、わたくしは恐怖におののきました。

 プルーニャ男爵――

 ローランの母方の祖父です。よりにもよって、レオンがいない時に……わざといない時を見計らって訪ねたのでしょう。倒れそうになるわたくしの身体を、知らせに来た執事が支えました。

「奥様、しっかりなさってください」
「ああ……どうしましょう?? すぐ、レオンに知らせてくれる? わたくし一人では対応できるか、わからないわ」

 目的はわかっています。ローランを連れ戻しに来たのです。チェス大会に優勝したことで、ローランは一躍時の人となってしまいました。彼らから見れば、ローランは金の卵を産むガチョウ。ここぞとばかりに、親権を主張してくることでしょう。

 守らねばと思いました。あの子の身体につけられた痛々しい傷がまぶたに浮かびます。ローランは大切な我が家の一員です。無理に奪われるようなことは、あってはならないのです。
 わたくしはガクガクする膝を無理に動かし、玄関ホールへと歩を進めました。

 しっかり対策すべきでした。あのマルグリットや借金苦のアルマンを見たら、予想できるではないですか。一度捨てた子だろうが、彼らには関係ありません。金の匂いがするものには喜んで飛びつきます。ローランの幸せも何も考えてはいないのです。
 わたくしは自分の甘さを憎みました。彼らのことを忘れることで、自身の心の安寧だけを求めていました。不安や恐れは幸せな日常に影を落とします。ゆえに蓋をし、考えない触れないを貫いてきたのです。

 後悔先に立たず、ですね。
 玄関ホールにはプルーニャ男爵に寄り添うマルグリットの姿がありました。
 金髪とデコルテのあいた派手なドレスは健在です。プルーニャ男爵は軍人らしく、日焼けした厳つい風貌の方でした。特徴は右目の眼帯でしょうか。レオンより若いです。わたくしの父と同じくらい……いえ、父は若作りなので年齢はもっと下かもしれません。

「あら? ローランは??」

 玄関ホールのソファーで遠慮なく寛ぐ親子は、値踏みするようにわたくしを上から下まで見てきました。わたくしは彼らを見下ろす形で挨拶します。目の高さを合わせる必要はありません。すぐにでも、お引き取り願いたいのです。

「ローランは勉強中です」
「関係ないわ。すぐに連れてきてちょうだい」

 マルグリットは当然のごとく、言い放ちます。身勝手に置き去った子供を無条件で引き取るのは、許される行為なのでしょうか。怒りは原動力になります。わたくしの体の震えは収まりました。

「ローランに会わせるつもりはありません。彼はわたくしどもの大切な家族です。ご自分がされたことをお忘れになったのですか? どうか、お帰りくださいませ」
「は!? あたくしが何をしたっていうの!? 事情があって、親戚であるこの家にローランを預けていただけでしょ?」

 厚顔無恥とはこのことを言います。生活用品すら持たせず、着の身着のままのローランをここに置いて逃げたことを、なかったことにするおつもりですか? その後一年間、こちらからの連絡にはいっさい応じず、あなたは無視を通しました。

「一年も放置することが、あなたのなかでは預けるということになるのですか? あなたのような人に母親の義務を果たせるとは思えません」
「エラそうなことを言わないでよ? あの子の母親はあたくしよ? 勝手に人の子供を奪わないでよ! いい? あの子を育てたのはあたくしなの。高い授業料を払って、三歳から家庭教師をつけて英才教育をさせた。あの子が優秀なのは、あたくしの教育の賜物。あんたがローランと一緒にいたのは、たったの一年だけでしょうが!」

 過ごした年月の差を言われれば、返す言葉は見つかりません。おっしゃるとおり、わたくしはローランの学力向上には貢献しませんでした。年齢相応の勉強を家庭教師に指導させてはいますが、上を目指すような教育はしていないのです。
 本人が求めれば、本も与え、楽器や剣のお稽古などもさせます。でも、我が家では人や自然との触れあい、子供らしく遊ばせることに重点を置いていました。
 屋敷で働く人たちの様子を見学させたり、城住まいの時はノエルと一緒に広大な大地を好きなだけ駆け回らせました。子供らしく自由でいられることが、彼の幸せだと思ったからです。

 黙ってしまったわたくしを見て、マルグリットはフフンと笑いました。

「あの子、チェスの大会で優勝したでしょう? あんたの息子は予選敗退だっけ? 地頭の良さもあるんだろうけど、金をかけて教育した甲斐があったわ。はっきりさせましょ? ローランが世間で天才少年と言われるのは、あたくしの教育あってこそ。あんたは何もしてない。現にあんたの息子はすっとろいんでしょ? 一年預かっただけで、母親面しないでよ?」
「そ、それはそうですが、ローランはここで楽しく過ごしていて……」
「あの子に投資したのはあたくしよ? 産んだのもあたくし。何もしていないくせに、人の手柄を横取りしないでよね?」

 たしかに、ローランが優秀なのは実家で英才教育を受けていたおかげかもしれません。だとしても、彼は物ではないのです。物のように預けて、やっぱり使えるからと引き取りにくるのは、あまりにもひどすぎます。
 ここで、黙って聞いていたプルーニャ男爵が口を開きました。

「ローラン本人にどうしたいか、聞いてみればいい」

 低く、凄みのある声です。レオンの心地よいテノールとはちがいます。
 わたくしは恐る恐る、男爵と目を合わせました。
 レオンだって強面の部類に入りますし、軍人が怖いというわけではありません。眼帯をしてようが、まとう空気がまともなら、おびえたりはしなかったでしょう。
 硬質な青い目はここに来たばかりのローランを思い起こさせました。感情が希薄なのですよ。不快なだけのマルグリットは、真の悪党の前ではただのうるさい小虫だと、わかります。わたくしは本当の敵に対し、毅然と振る舞わねばなりませんでした。

「会わせたくありません。ローランの身体には無数の傷痕がありました。傷つけられた子を、その加害者に会わせることはできません」

 声はうわずりましたが、はっきりと言い切りました。この怖そうなおじさまを怒らせようが、知ったことではありません。わたくしは何がなんでもローランを守るのです。
 男爵の眉がくいっと、上がりました。

「ふん、傷か……それが? うちでつけられた傷だと証明はできるのか?」
「そっ、それは……」
「おたくでつけられた可能性もあるよね? ローランはおたくからしたら、迷惑な存在だ」
「そんなこと……わたくしは絶対にいたしません!」
「かわいい我が子に家を継がせたいだろう? だが、貴女の息子は次男。長男の息子であるローランが邪魔だ」

 なんて、恐ろしい発想をするのでしょう。この方はご自分の罪を平然とわたくしになすり付けようとしているのです。罪の意識など、これっぽっちも持ち合わせていないのかもしれません。
 調子づいたマルグリットが追い打ちをかけます。

「うちの子を虐待したという事実が明るみに出れば、あんたのほうが困ったことになるんじゃない?? 今からでも、裁判所へ訴えに行きましょうか?」
「王議会に直訴という手もある」
「ノヴォジャーナルの記者に話したら、大喜びするかもね?」

 邪悪な親子の会話を聞いて、わたくしは身の毛のよだつ思いをしました。
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