ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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41、準決勝

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 始まってしまった準決勝戦。対局相手はなんと、ルイーザのお父さまだった……。
 その衝撃で、イメージしていた棋譜が全部ぶっ飛んでしまった僕は、ダウナー状態のまま駒を動かした。

 未来のお義父さまはe4と指してきたね。僕はe5と返し、緩やかなスタートを切る。次にNf3,Nc6と騎士ナイトを動かして、僧正ビショップをc4へ移動するという定番のスタート※。b5へ移動するという手もあるんだけど、一マスちがいでも、まったくちがう展開を見せるだろうね。

 ジェラーニオ卿はより手堅く、安全な始め方を選んだよ。
 ここらへんは定跡だから、脳を使わなくても指せる。問題はここからだ。

 対局は遊びの対戦とはちがう。普通は、あんまりおしゃべりをしないのさ。でも、準決勝ということで、高ぶってしまったんだろうね。こういう時って、無口な人ほどタガが外れてしまうのかもしれない。ジェラーニオ卿は自宅で指している時みたいに口を開いた。

「君はすごいね! 十歳でこんな表舞台にいるんだからさ。私が十歳の時なんて、何をしてたかなぁ……」

 あの……褒めてくださるのは結構ですが、集中しましょう? 未来のお義父さまだろうが、僕は容赦しません。
 ……ちょっと、お義父さま、立て続けに駒損してますよ? 六手目にして二ピース

 歩兵ポーンを粗末に扱うと、そこのエドガーに怒られますよ? エドガーは地味な名脇役、ポーンが大好きなんです。あなたの以前の棋譜を見て、ポーンの並べ方を褒めていましたよ。そんな、トカゲの尻尾切りみたいな残酷な切り方はやめましょう。悪代官ですか、あなたは? ポーンはチェスの要なんですからね。

 えっと、なんでそこに歩兵ポーンを置くのでしょう? 即座に僧正ビショップで取っちゃいますよ? これでbファイルをセミオープンにしたかった? ふむ……

「知ってるかい? 盲目のチェスプレイヤーが残した言葉を?」
「はぁ……?」

 興奮冷めやらぬお義父さまを前に、僕は生返事をする。この人、見た目はイケメンなのに、ぼんやりしていて、つかみどころのない性格だよな。

「心の目が開くから、盤上で目は必要ないんだってさ!」

 どうか、あなたの心の目も使ってください。今は対局中ですよ。
 僕もその逸話は知っている。あるレベル以上に達したプレイヤーは、チェスボードを見なくても指せるんだよな。僕もやろうと思ったら、目隠ししてできるかも。

 対局中になんとなく、わかってきた。
 このジェラーニオ卿という人は、いつも華やかな奥さまの影に隠れているが、本当はもっと自己主張したい願望を持っているのかもしれない。彼が唯一、自分を開放できるのはチェス盤の上なんだ。だから、結構はっちゃけている。

 犠牲サクリファイスするのが好きだよね。惜しみなく差し出して、ポンポン相手のピースを取っていくスタイル。かなり攻撃的だ。
 事前にエドガーが見せてくれた棋譜と全然、ちがうんだけど……。これまでの戦い方は、この人の人生と同じように保守的だった。でも、今は……

 そうこうしているうちに、gファイルをセミオープン※にされたよ。キャスリング後のキングのいる列だよね。(※どちらかのポーンがいない状態)
 互いにキャスリング済だ。キングは危険にさらされる。僕は遠慮なく突撃することにした。
 
 ジェラーニオ卿は抜かりなく、駒を動かすね。一番端に逃げたキングの周りを女王クイーンルークで固められてしまった。こうなると、手出ししづらい。
 まあ、いいさ。一つずつ潰してやる。女王クイーン対決だ……とはいっても、逃げるだろうけど。僕の女王クイーンの背後には、優秀な騎士ナイトが控えている。
 
 解せない妙な手を出す割に、ここぞという時、最適な駒移動をする。ここがベテランらしいところなのかな? ジェラーニオ卿の女王クイーンは逃げて、僕のルークを牽制しに行ったよ。
 そのあとはもう、ガンガン攻めてくる。僧正ビショップも簡単に捨てる。取り返せるから取らないだろうと、想定していた駒を取ってくる。僕のほうもじわじわ体力を削られていった。駒数はトントンってとこ。

 ……わかった。あなたはこの対局で開眼したんですね? 先ほど、おっしゃった盲目のチェスプレイヤーのように、目覚めてしまった。現実世界ではおとなしく、人に気を使ってばかりのあなたも、盤上では自由に羽ばたける。世のしがらみから抜け、自分らしさをいくらでも出すことができる。あなたは負けを恐れて萎縮していたことが、馬鹿らしくなったんだ。

 ……で、追い詰められながらも、彼はこちらのキングへ攻撃を仕掛ける。守りより攻撃だね。今度はルークを捨てたか。そろそろ、終局してもいい頃合いだ。
 
 僕は女王クイーンで彼のキングを追いかけ回した。さっさと終わらせたい。こんなのは泥試合だ。……ごめんなさい。今のはガキでしたね。女王クイーンだけではメイトできない。無駄な手でした。
 もう、盤上はスカスカだ。

 強い駒は互いに女王クイーン騎士ナイトしか残っていない。合理的といえばそう。上下左右斜めに移動できる女王クイーン僧正ビショップルークの能力をあわせ持つ。他の駒にない動きをする騎士ナイトは、女王クイーンを狩るには最も適しているってわけ。歩兵ポーンの次に捨てられる駒だけど、なかなか優秀だよ。

 それなのに、平然と騎士ナイトの首を差し出すんだもんなぁ。僕のキングを守っていた、いじらしい歩兵ポーンを取るためにさ。それで、今度は僕のキングが追いかけ回される。いつまで続くんだ。この不毛な追いかけっこは……

 対局開始から四時間が経過していた。ステイルメイトも懸念される。イヤだよ、これだけ長々やり合って、引き分けとか悲しすぎる。

 ついに、ジェラーニオ卿の歩兵ポーン女王クイーン昇格プロモーションした。もちろん、すぐに取ったよ。女王さま二人を相手にできる戦力は残っていないからね。

 僕の戦力は歩兵ポーン二つに女王クイーン。ジェラーニオ卿のキングを守るのは、女王クイーンだけだ。

 僕は肉体的にも精神的にも疲弊していた。もう眠いし、追いかけっこはうんざりだよ。おっかない女王に追いかけ回される悪夢を見そう。女王の顔が二回戦で対局したサンドラだったりしてね。ジェラーニオ卿が同じ夢を見たら、奥さまの顔の女王だろう。

 80手でようやく、僕はチェックメイトした。観客もどんよりしている。清々しい顔をしているのは、ジェラーニオ卿だけだ。

「ありがとう、ローランくん。とっても、楽しかったよ!」

 最後まで攻めの姿勢を崩さなかったのは、評価できる。正直、僕も危うかったよ。この人の外見からは想像つかない泥臭い戦い方だった。ある意味、見直したね。

 僕は差し出された手をおそるおそる握った。万が一、そんなことは絶対にないだろうけど、ルイーザを不幸にするようなことがあったら、地の果てまで追いかけてきて報復してきそう。よく言えば粘り強い、率直に言えば執念深い戦いだった。
 事前に見た棋譜のデータは役に立たなかったな。技巧より、精神力が物を言う勝負だった。

 主戦力をギリギリまで残してのゲリラ戦。最後のほうは、ほぼ女王クイーン騎士ナイトだけでやり合っていた。
 消耗が激しくて、僕のほうは全然勝った気がしない。貴族らしいスマートな戦い方じゃないでしょ?

 観客席で呑気に大あくびしてますけど、ジェラーニオ夫人、ちゃんと手綱を握っておいてください。この人、暴走したら何をするかわかりませんよ? 優しい顔をした、凶暴なイルカのようなものです。



※イタリアンゲームと呼ばれるオープニング。
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