ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

文字の大きさ
上 下
38 / 51

38、ヌガーと陣形

しおりを挟む
 僕は眠い目をこすりこすり、三戦目(準々決勝)に挑んだ。
 
 相手はサロンで何度か対局した人だ。勝率は僕のほうが高いよ。予選で当たった隣国のラヴァーント公爵閣下や今日戦ったサンドラのほうが、断然強い。コンディションが整っていれば、充分勝てる相手だった。

 しかし、眠い。視界に映る駒がブレる。対局相手の顔もボニャアッと歪んで見える。もともと、記憶に残らない人だったけど、さらにぼやけて空気と戦っているような気までしてきた。頭が全然働かない。
 だってもう深夜十二時だよ? 子供は寝る時間でしょ? エドガーの言葉が蘇る。

 ――適度な糖分は脳に良いが、食べ過ぎは眠くなるからな?

 尋常じゃない量のお菓子を食べて、しかも深夜だからね? まともな思考ができる状態じゃない。

「おい、ローラン! ローランってば!!」

 野性的なかすれ声のあと、背中を思いっきり叩かれた。

「起きろって! おまえの手番だ! 寝んな!!」

 耳元でがなり立てられ、イラつきながらも、僕は盤面を見る。劣勢か? いつの間にか、女王クイーン僧正ビショップも取られていた。
 持ち時間を計る砂時計があと少しで落ちきってしまう。僕は適当に歩兵ポーンを動かした。
 もう、いい加減開放されたい。今の僕は指を動かすのすら、困難なんだ。ゆっくり、朝まで、眠り……たい……

 どんな手を打ったか、記憶には残っていない。ノエルが棋譜を残しておいてくれたけど、怖くて見れなかった。きっと、目も当てられない有り様だったろうからね。
 ノエルとエドガーに何度も叩き起こされ、なんとか終局までこぎつけたんだ。

 結果はステイルメイト。引き分け。

 運良く敗退とはならなかったけど、大失態だった。
 終局後、机に突っ伏してしまった僕をピヴォワン侯爵が抱っこして、寝室まで連れていったそう。筋骨たくましいおじさまに抱っこされるというシチュエーションも相当な恥だけどさ、それを全部ルイーザにも見られていたんだよね。恥ずかしくて死にたくなったよ。

 ルイーザは僕のことで運営にクレームを言ったらしい。この大会の責任者はルイーザの両親だ。スケジュールの調整上、仕方なかったとはいえ、子供の対局を深夜にするのはやめてほしいと訴えたんだって。

 僕としては、おおごとにしてほしくなかった。運営側はそんなに悪くないんだよ。だって、最初に読まされた規約には、急な予定変更もあるって記載されていたし、対局が始まるのは昼過ぎ。深夜にまで及ぶのは誰もが想定していたことだ。

 その日の対局はないと、勝手に判断してお菓子を食べまくり、体力を温存しておかなかった僕のほうが悪い。まだ、二局しか終わってないのに、緩んでいた僕自身の責任だ。

 というわけで、戒めも兼ねて、大会が終わるまではお菓子を食べないことにした。欲しがりません、勝つまでは。

 優しいノエルは気を使って、僕の前ではお菓子を食べないようにしてくれたよ。持つべきものは、心遣いのできる友だ。

 そして、エドガー。
 こいつ、遠慮なく僕の前でお菓子を食べるんだよな……
 今も真横でモグモグ、ヌガー※を食べてやがる。しかも、僕が大好きなローズウォーターとピスタチオ入りのやつだよ! 薔薇の香りが、こちらにまでプンプン漂ってくる。

 対局中に寝落ちした翌日、僕たち子供チームは軽食をつまみつつ、他の対局について議論していた。昨日、お菓子パーティーをした回廊の猫足ソファーでね。外にはまだ、夕焼けの名残がある。

 前日、大失態を見せた僕は引き分けの再対局に勝ってきたところだった。もちろん、エドガーは順調に勝ち進んでいるよ。このあと、僕らは準決勝に進む。

 そう、準決勝――
 勝ち残ったのは四名。 

 とうとう、ここまで来れたんだ! あと、一戦勝ち抜けば、決勝戦だよ? エドガーと対局できるかもしれない!

 ルイーザの無念も晴らしたことだし。僕のせいで出場を断念したルイーザのために、がんばりたい気持ちもあった。彼女は大会順位7位だから、それをどうしても超えたかったんだ。危うかったけどね。

 今日から四つのテーブルは片づけられ、一つのテーブルで対局する。テーブルの四方を高いひな壇で囲って、闘技場さながらに設えるんだ。今はその準備中だから、ちょっとだけ、ゆっくりできる。

 しばらくしたら、国王夫妻も来るらしいよ。これまでになく、緊張するね。お菓子どころじゃないよ。

 などと、つぶやきながら、僕は昨日食べ損ねたクジラのステーキを食べていた。ジューシーな赤肉最高!
 その僕の隣でエドガーのやつ、甘い匂いをさせやがって、

「昨晩のおまえの対局、見れたもんじゃなかったな? 今日はしっかり指せよ?」

 などと、ダメ出ししてくる。僕の前でお菓子を食べるな! ベレー帽に肉をのせてやろうかと思った。
 当然、僕は食べ過ぎに注意しているよ。嫌いなクレソンも食べる。野菜は消化を促すからね。

 僕らはこのあと、対局を控えている。エドガーが先に出て、次に僕だ。エドガーの対局相手は趣味でチェスをやっているお医者さまだってさ。チェスプレイヤーにはさまざまな職種の人がいるね。

 んで、僕の対局者は……アンドレ・クロード・ファビアーノだって。聞いたことないな? どこかの貴族だろうか? 名前はたぶん省略しているんだろう。
 昨晩はお菓子に夢中で、そのあとの対局を見ていなかった。今日来てから新しい対局表を配られ、戦う相手を知ったというわけなんだ。

 甘い匂いはともかく、エドガーのえらいところは、準決勝に進んだプレイヤーの棋譜を収集していたことだ。これは運営側に言えば、もらえるらしい。僕は全然知らなかった。
 むろん、エドガーは棋譜を集めていただけではないよ。分析して、勝因も相手側の敗因もきっちり総括していたんだ。
 悠然と構えているように見えて、やることはやっている。
 
「ほら、ちゃんと考察しろよ? おまえの次の対局相手、かなりの曲者だぜ? まず、必ず定跡から入る。前々回の大会からそうだ。ずっと10位以内に入れず、敗退してるけどな。毎回、そこそこの成績を残している。ベテランだよ」

「棋譜を見る限り、臆病で用心深い手を打っている。それに、引き分けで終わることも多い。定跡が好きっていうのも、わかる気がするよ……強いことは強いが、防守に優れているだけで僕でも勝てそうだ」

「問題はそこじゃない。この相手の強みはまず、経験値だ。定跡を打ったあとの膨大なパターンが、脳にインプットされている。そのデータの中から、最適な手を選択するというわけだ。情報量の足りないオレらは先を予測できない」

 飲んでいるのはドゥーグ(ヨーグルトドリンク)で、口にしているのはお菓子だけど、まじめな話をしているよ。蒸留酒や煙草をたしなむ大人顔負けの濃い話だ。
 
 エドガーが口を開くたびに、漂ってくるあまーいヌガーの香りも気にならなくなってきた。

「見ろよ、この歩兵ポーンの並べ方……」

 エドガーは折り畳み式のチェスボードを広げ、駒を並べ始めた。

「この人はポーンの使い方が、とってもうまいんだ。ポーンチェーンで守りを固めたり、ポーンストームを仕掛けたり……」

 斜めに並ぶのがポーンチェーン。そこの歩兵ポーンを攻撃すると取られてしまうため、相手側は攻めづらくなる。

 ポーンストームというのは、ポーン小部隊で相手の守りを崩すやり方さ。キャスリング※されたキングを攻めるのに使う。
※キングをルークのほうへ移動する。

 エドガーはほんと、歩兵ポーンが好きだよね。

「手練れは戦術タクティクスも陣形のバリエーションも豊かだ。なめてかかると、痛い目みるからな?」

 やっと、ヌガーを食べ終わったか。最後にピスタチオをカリッとやる音が聞こえた。

 決勝戦まであと……



※ヌガー……ソフトキャンディ
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話

ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。 完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

【完結】「私は善意に殺された」

まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。 誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。 私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。 だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。 どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿中。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

だいたい全部、聖女のせい。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」 異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。 いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。 すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。 これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

処理中です...