ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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38、ヌガーと陣形

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 僕は眠い目をこすりこすり、三戦目(準々決勝)に挑んだ。
 
 相手はサロンで何度か対局した人だ。勝率は僕のほうが高いよ。予選で当たった隣国のラヴァーント公爵閣下や今日戦ったサンドラのほうが、断然強い。コンディションが整っていれば、充分勝てる相手だった。

 しかし、眠い。視界に映る駒がブレる。対局相手の顔もボニャアッと歪んで見える。もともと、記憶に残らない人だったけど、さらにぼやけて空気と戦っているような気までしてきた。頭が全然働かない。
 だってもう深夜十二時だよ? 子供は寝る時間でしょ? エドガーの言葉が蘇る。

 ――適度な糖分は脳に良いが、食べ過ぎは眠くなるからな?

 尋常じゃない量のお菓子を食べて、しかも深夜だからね? まともな思考ができる状態じゃない。

「おい、ローラン! ローランってば!!」

 野性的なかすれ声のあと、背中を思いっきり叩かれた。

「起きろって! おまえの手番だ! 寝んな!!」

 耳元でがなり立てられ、イラつきながらも、僕は盤面を見る。劣勢か? いつの間にか、女王クイーン僧正ビショップも取られていた。
 持ち時間を計る砂時計があと少しで落ちきってしまう。僕は適当に歩兵ポーンを動かした。
 もう、いい加減開放されたい。今の僕は指を動かすのすら、困難なんだ。ゆっくり、朝まで、眠り……たい……

 どんな手を打ったか、記憶には残っていない。ノエルが棋譜を残しておいてくれたけど、怖くて見れなかった。きっと、目も当てられない有り様だったろうからね。
 ノエルとエドガーに何度も叩き起こされ、なんとか終局までこぎつけたんだ。

 結果はステイルメイト。引き分け。

 運良く敗退とはならなかったけど、大失態だった。
 終局後、机に突っ伏してしまった僕をピヴォワン侯爵が抱っこして、寝室まで連れていったそう。筋骨たくましいおじさまに抱っこされるというシチュエーションも相当な恥だけどさ、それを全部ルイーザにも見られていたんだよね。恥ずかしくて死にたくなったよ。

 ルイーザは僕のことで運営にクレームを言ったらしい。この大会の責任者はルイーザの両親だ。スケジュールの調整上、仕方なかったとはいえ、子供の対局を深夜にするのはやめてほしいと訴えたんだって。

 僕としては、おおごとにしてほしくなかった。運営側はそんなに悪くないんだよ。だって、最初に読まされた規約には、急な予定変更もあるって記載されていたし、対局が始まるのは昼過ぎ。深夜にまで及ぶのは誰もが想定していたことだ。

 その日の対局はないと、勝手に判断してお菓子を食べまくり、体力を温存しておかなかった僕のほうが悪い。まだ、二局しか終わってないのに、緩んでいた僕自身の責任だ。

 というわけで、戒めも兼ねて、大会が終わるまではお菓子を食べないことにした。欲しがりません、勝つまでは。

 優しいノエルは気を使って、僕の前ではお菓子を食べないようにしてくれたよ。持つべきものは、心遣いのできる友だ。

 そして、エドガー。
 こいつ、遠慮なく僕の前でお菓子を食べるんだよな……
 今も真横でモグモグ、ヌガー※を食べてやがる。しかも、僕が大好きなローズウォーターとピスタチオ入りのやつだよ! 薔薇の香りが、こちらにまでプンプン漂ってくる。

 対局中に寝落ちした翌日、僕たち子供チームは軽食をつまみつつ、他の対局について議論していた。昨日、お菓子パーティーをした回廊の猫足ソファーでね。外にはまだ、夕焼けの名残がある。

 前日、大失態を見せた僕は引き分けの再対局に勝ってきたところだった。もちろん、エドガーは順調に勝ち進んでいるよ。このあと、僕らは準決勝に進む。

 そう、準決勝――
 勝ち残ったのは四名。 

 とうとう、ここまで来れたんだ! あと、一戦勝ち抜けば、決勝戦だよ? エドガーと対局できるかもしれない!

 ルイーザの無念も晴らしたことだし。僕のせいで出場を断念したルイーザのために、がんばりたい気持ちもあった。彼女は大会順位7位だから、それをどうしても超えたかったんだ。危うかったけどね。

 今日から四つのテーブルは片づけられ、一つのテーブルで対局する。テーブルの四方を高いひな壇で囲って、闘技場さながらに設えるんだ。今はその準備中だから、ちょっとだけ、ゆっくりできる。

 しばらくしたら、国王夫妻も来るらしいよ。これまでになく、緊張するね。お菓子どころじゃないよ。

 などと、つぶやきながら、僕は昨日食べ損ねたクジラのステーキを食べていた。ジューシーな赤肉最高!
 その僕の隣でエドガーのやつ、甘い匂いをさせやがって、

「昨晩のおまえの対局、見れたもんじゃなかったな? 今日はしっかり指せよ?」

 などと、ダメ出ししてくる。僕の前でお菓子を食べるな! ベレー帽に肉をのせてやろうかと思った。
 当然、僕は食べ過ぎに注意しているよ。嫌いなクレソンも食べる。野菜は消化を促すからね。

 僕らはこのあと、対局を控えている。エドガーが先に出て、次に僕だ。エドガーの対局相手は趣味でチェスをやっているお医者さまだってさ。チェスプレイヤーにはさまざまな職種の人がいるね。

 んで、僕の対局者は……アンドレ・クロード・ファビアーノだって。聞いたことないな? どこかの貴族だろうか? 名前はたぶん省略しているんだろう。
 昨晩はお菓子に夢中で、そのあとの対局を見ていなかった。今日来てから新しい対局表を配られ、戦う相手を知ったというわけなんだ。

 甘い匂いはともかく、エドガーのえらいところは、準決勝に進んだプレイヤーの棋譜を収集していたことだ。これは運営側に言えば、もらえるらしい。僕は全然知らなかった。
 むろん、エドガーは棋譜を集めていただけではないよ。分析して、勝因も相手側の敗因もきっちり総括していたんだ。
 悠然と構えているように見えて、やることはやっている。
 
「ほら、ちゃんと考察しろよ? おまえの次の対局相手、かなりの曲者だぜ? まず、必ず定跡から入る。前々回の大会からそうだ。ずっと10位以内に入れず、敗退してるけどな。毎回、そこそこの成績を残している。ベテランだよ」

「棋譜を見る限り、臆病で用心深い手を打っている。それに、引き分けで終わることも多い。定跡が好きっていうのも、わかる気がするよ……強いことは強いが、防守に優れているだけで僕でも勝てそうだ」

「問題はそこじゃない。この相手の強みはまず、経験値だ。定跡を打ったあとの膨大なパターンが、脳にインプットされている。そのデータの中から、最適な手を選択するというわけだ。情報量の足りないオレらは先を予測できない」

 飲んでいるのはドゥーグ(ヨーグルトドリンク)で、口にしているのはお菓子だけど、まじめな話をしているよ。蒸留酒や煙草をたしなむ大人顔負けの濃い話だ。
 
 エドガーが口を開くたびに、漂ってくるあまーいヌガーの香りも気にならなくなってきた。

「見ろよ、この歩兵ポーンの並べ方……」

 エドガーは折り畳み式のチェスボードを広げ、駒を並べ始めた。

「この人はポーンの使い方が、とってもうまいんだ。ポーンチェーンで守りを固めたり、ポーンストームを仕掛けたり……」

 斜めに並ぶのがポーンチェーン。そこの歩兵ポーンを攻撃すると取られてしまうため、相手側は攻めづらくなる。

 ポーンストームというのは、ポーン小部隊で相手の守りを崩すやり方さ。キャスリング※されたキングを攻めるのに使う。
※キングをルークのほうへ移動する。

 エドガーはほんと、歩兵ポーンが好きだよね。

「手練れは戦術タクティクスも陣形のバリエーションも豊かだ。なめてかかると、痛い目みるからな?」

 やっと、ヌガーを食べ終わったか。最後にピスタチオをカリッとやる音が聞こえた。

 決勝戦まであと……



※ヌガー……ソフトキャンディ
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