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35、女主人②
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初戦は緊張したものの、難なく勝ち星をあげることができた。これぐらいなら、ジェラーニオ夫人のサロンに来ているプレイヤーの中レベルに相当する。予選でチェス王に勝利した僕の敵ではないさ。あの感じの悪いじいさまは、かなり手強かったからね。問題は二局目だ。
サンドラ・ボワイエ。両替商を営む女主人。決勝に進んでもおかしくない逸材だよ。
二局目で早々に敗退する可能性が出てきた。しかし、勝ち進まねば、エドガーにはたどり着けまい。
翌々日の最初の対局だった。大会が開幕するのは昼過ぎだ。僕は朝から何も食べずに挑んだよ。お腹が膨れていると、脳に血液が回らないからね。
顔がこわばっていたのだろう。チェスボードの前で向かい合ったとたん、彼女にクスッと笑われてしまった。
「もっとリラックスしなよ。別に取って食おうって、わけじゃないんだからさ?」
声がガラガラしているのは、酒と煙草のせいだろう。頬の横で光るピアスがまぶしかった。身に着けているのが本物のダイヤということぐらい、僕にはわかる。僕の母は見栄っ張りで着飾ることに余念がなかったからね。宝飾品や服にはえらく金をかけていたよ。僕の目は自然と肥えていたのさ。
でも、彼女と母が身に着けているダイヤの質はちがっていた。母の場合は、ガラス玉でも遜色ないような安っぽい感じがしたんだ。ダイヤってこんなもんか、って思ってしまうぐらい。
一方のサンドラはダイヤの輝きをいっそう強くしている。かといって、ダイヤに食われるのではなく、自身の存在感も大きい。
「プルーニャね……聞いたことあるような、ないような……あたくし、貴族じゃないから、そこらへんは疎いのよ。ごめんね」
「格式高い家柄でもないですし、ご存じなくて当然かと。僕は私生児です」
「ほぉぉぉ……それは難儀な人生だね。あたくしも女ってことで、バカにされることが多い人生だからさ、なんとなく大変さはわかるよ」
トスで僕は白番を逃した。初っ端から幸先が悪い。結構、僕はトス運が強いほうなんだけどね。ちなみに黒番での勝率は白番に比べて三割ほど下がるよ。強者相手には厳しいスタートだ。強運に頼っていた我が身を呪う。
まあ、こんなことで落ち込んでいても仕方ないけどね。
早速、c4と定番のスタートを切られた。d4……僧正を自由にする歩兵の一手を封じられた僕は、e5と移動する。案外、定跡を打ってくるじゃないか。中央を支配するつもりだな? ほーら、騎士を動かしてきた。僕も騎士で迎え撃つよ。
「ふぅん……十歳なんだ? かわいいねぇ。あと、六、七年後には食べごろになるかぁ」
年齢を聞かれて答えたら、こんなことを言って舌なめずりする。赤い唇をなめるサンドラは、とてつもなくエロかった。
冗談でもやめてくれよ。六、七年後にはあなた、四十過ぎでしょ。誰かのおばあちゃんになってもよい年ですよ。いくら美人でも、男みたいにガツガツしているのは引いてしまうよ。
ああっと、僧正、騎士の両方で攻撃をしかけるか? 二ピースで攻撃されたら、逃げるか捨てるしかないよ。僕のナイトはうしろに下がった。
彼女、フィアンケット(ナイトのすぐ上にビショップを配置する)を組んだね。フィアンケットは僧正を動かしやすくするだけでなく、相手のキャスリング(塔と王を一度に移動させる技)を牽制する役割もあるよ。キャスリングはキングを安全圏へ移動しつつ、塔を利きやすくする。
でもね、フィアンケットには欠点があるんだ。この態勢が崩れ、僧正の交換が行われた時、たちまち劣勢になる。
おもしろいなぁ、サンドラ。初戦で見た時は荒々しい感じの攻め方をしていたけれど、今は優等生の戦い方。相手によって、戦い方を変えているんだろうね。百面相だ。次はどんな局面を見せてくれるのか、わくわくする。
O-O-O
O-O-O
お互いにキャスリングだ。気が合うねぇ、僕ら。
知らないうちに口元が緩んでしまったらしい。指摘された。
「なんで、笑ってるの?」
「楽しいんですよ。あなたと戦うのが」
「あたくしもよ! 気が合うわね、あたくしたち」
でも、ごめんなさい。僕にはルイーザという意中の人がいるのです。年齢的な問題もさながら、あなたに性欲を抱くことはあっても、恋愛感情は芽生えません。
ほら、今も心配そうな顔で愛しのルイーザは僕の対局を見守っているよ。サンドラの後ろにいるから、比べてしまって申しわけない。
はああああ……かわいいなぁ。横にピヴォワン卿がいるのは邪魔だけど、シックなモノトーンのドレスが似合ってる。
眼鏡を両手で押し上げる動作は不安の表れだよね。うん、大丈夫。絶対勝ってみせるから。あなたのまえで無様な負け方はしません。
それにしてもサンドラは持ち時間をほとんど使わない。即断即決だ。本当に頭がいいんだろうなぁ。
公式な対局の場合、各々五分の砂時計の落ちきるまでが一手の時間となる。彼女の場合は、ギリギリまで考えることがあまりなかった。経営者らしく、決断力や速考に優れているのだろう。
さあ、騎士&僧正の強力な陣形を崩すにはどうするか?
歩兵はいつも邪魔だよ。こいつが前にいるせいで攻撃ができない。エドガーは歩兵が好きというが、僕の一番大っ嫌いな駒だよ。そのくせ、いないと困るんだよな。
もぅ! 塔でポーンのいないマスを攻撃してきやがった。この攻撃に対してとる対策は……ん? 待てよ??
僕の脳裏にある戦略がひらめいた。クソ嫌いな歩兵をうまく使えば、フィアンケットを崩せる。
今、僕の僧正は彼女の騎士をロックオンしている。騎士は絶対に逃げると思うんだ。わざわざ無駄死にさせる必要はないからね。経営者は無駄を嫌う。
ということは、僕の歩兵を前進させることによって、相手側の騎士と陣形外にいるもう一つの僧正の連携を分断することができるんだ。これが何を意味するか? 一番奥で控えている僕の女王が敵陣に入りやすい環境を作れる。
さらに、優秀なサンドラはギブバックを忘れないだろう。損失補填はなるべく早くしたいだろうからね。騎士を取られたら、必ず取り返す。僧正で報復するはずだ。そうしたら、ほら! フィアンケットは崩れる!!
フィアンケットを崩してからの局面は、僕の独壇場になった。キャスリングも仇となったのさ。その位置は僕の女王と僧正で二重に狙える。
歩兵もなかなか捨てたものじゃないね!
投了したサンドラは清々しい顔をしていた。
「はぁーーー……負けちゃったね。でも、楽しかったよ、ぼうや」
「ローランです。覚えておいてください」
「忘れないよ。見事だった!」
なんかハグされそうな勢いだったから、僕は手を差し出した。ルイーザの前では、おばさま相手でもハグはダメだよ。
僕はサンドラとがっちり握手した。爪はよく手入れされているが、ゴツゴツした手だ。働き者の手だね。勝利のあとの握手は爽快だよ。また、彼女と対局したいなぁ。
サンドラ・ボワイエ。両替商を営む女主人。決勝に進んでもおかしくない逸材だよ。
二局目で早々に敗退する可能性が出てきた。しかし、勝ち進まねば、エドガーにはたどり着けまい。
翌々日の最初の対局だった。大会が開幕するのは昼過ぎだ。僕は朝から何も食べずに挑んだよ。お腹が膨れていると、脳に血液が回らないからね。
顔がこわばっていたのだろう。チェスボードの前で向かい合ったとたん、彼女にクスッと笑われてしまった。
「もっとリラックスしなよ。別に取って食おうって、わけじゃないんだからさ?」
声がガラガラしているのは、酒と煙草のせいだろう。頬の横で光るピアスがまぶしかった。身に着けているのが本物のダイヤということぐらい、僕にはわかる。僕の母は見栄っ張りで着飾ることに余念がなかったからね。宝飾品や服にはえらく金をかけていたよ。僕の目は自然と肥えていたのさ。
でも、彼女と母が身に着けているダイヤの質はちがっていた。母の場合は、ガラス玉でも遜色ないような安っぽい感じがしたんだ。ダイヤってこんなもんか、って思ってしまうぐらい。
一方のサンドラはダイヤの輝きをいっそう強くしている。かといって、ダイヤに食われるのではなく、自身の存在感も大きい。
「プルーニャね……聞いたことあるような、ないような……あたくし、貴族じゃないから、そこらへんは疎いのよ。ごめんね」
「格式高い家柄でもないですし、ご存じなくて当然かと。僕は私生児です」
「ほぉぉぉ……それは難儀な人生だね。あたくしも女ってことで、バカにされることが多い人生だからさ、なんとなく大変さはわかるよ」
トスで僕は白番を逃した。初っ端から幸先が悪い。結構、僕はトス運が強いほうなんだけどね。ちなみに黒番での勝率は白番に比べて三割ほど下がるよ。強者相手には厳しいスタートだ。強運に頼っていた我が身を呪う。
まあ、こんなことで落ち込んでいても仕方ないけどね。
早速、c4と定番のスタートを切られた。d4……僧正を自由にする歩兵の一手を封じられた僕は、e5と移動する。案外、定跡を打ってくるじゃないか。中央を支配するつもりだな? ほーら、騎士を動かしてきた。僕も騎士で迎え撃つよ。
「ふぅん……十歳なんだ? かわいいねぇ。あと、六、七年後には食べごろになるかぁ」
年齢を聞かれて答えたら、こんなことを言って舌なめずりする。赤い唇をなめるサンドラは、とてつもなくエロかった。
冗談でもやめてくれよ。六、七年後にはあなた、四十過ぎでしょ。誰かのおばあちゃんになってもよい年ですよ。いくら美人でも、男みたいにガツガツしているのは引いてしまうよ。
ああっと、僧正、騎士の両方で攻撃をしかけるか? 二ピースで攻撃されたら、逃げるか捨てるしかないよ。僕のナイトはうしろに下がった。
彼女、フィアンケット(ナイトのすぐ上にビショップを配置する)を組んだね。フィアンケットは僧正を動かしやすくするだけでなく、相手のキャスリング(塔と王を一度に移動させる技)を牽制する役割もあるよ。キャスリングはキングを安全圏へ移動しつつ、塔を利きやすくする。
でもね、フィアンケットには欠点があるんだ。この態勢が崩れ、僧正の交換が行われた時、たちまち劣勢になる。
おもしろいなぁ、サンドラ。初戦で見た時は荒々しい感じの攻め方をしていたけれど、今は優等生の戦い方。相手によって、戦い方を変えているんだろうね。百面相だ。次はどんな局面を見せてくれるのか、わくわくする。
O-O-O
O-O-O
お互いにキャスリングだ。気が合うねぇ、僕ら。
知らないうちに口元が緩んでしまったらしい。指摘された。
「なんで、笑ってるの?」
「楽しいんですよ。あなたと戦うのが」
「あたくしもよ! 気が合うわね、あたくしたち」
でも、ごめんなさい。僕にはルイーザという意中の人がいるのです。年齢的な問題もさながら、あなたに性欲を抱くことはあっても、恋愛感情は芽生えません。
ほら、今も心配そうな顔で愛しのルイーザは僕の対局を見守っているよ。サンドラの後ろにいるから、比べてしまって申しわけない。
はああああ……かわいいなぁ。横にピヴォワン卿がいるのは邪魔だけど、シックなモノトーンのドレスが似合ってる。
眼鏡を両手で押し上げる動作は不安の表れだよね。うん、大丈夫。絶対勝ってみせるから。あなたのまえで無様な負け方はしません。
それにしてもサンドラは持ち時間をほとんど使わない。即断即決だ。本当に頭がいいんだろうなぁ。
公式な対局の場合、各々五分の砂時計の落ちきるまでが一手の時間となる。彼女の場合は、ギリギリまで考えることがあまりなかった。経営者らしく、決断力や速考に優れているのだろう。
さあ、騎士&僧正の強力な陣形を崩すにはどうするか?
歩兵はいつも邪魔だよ。こいつが前にいるせいで攻撃ができない。エドガーは歩兵が好きというが、僕の一番大っ嫌いな駒だよ。そのくせ、いないと困るんだよな。
もぅ! 塔でポーンのいないマスを攻撃してきやがった。この攻撃に対してとる対策は……ん? 待てよ??
僕の脳裏にある戦略がひらめいた。クソ嫌いな歩兵をうまく使えば、フィアンケットを崩せる。
今、僕の僧正は彼女の騎士をロックオンしている。騎士は絶対に逃げると思うんだ。わざわざ無駄死にさせる必要はないからね。経営者は無駄を嫌う。
ということは、僕の歩兵を前進させることによって、相手側の騎士と陣形外にいるもう一つの僧正の連携を分断することができるんだ。これが何を意味するか? 一番奥で控えている僕の女王が敵陣に入りやすい環境を作れる。
さらに、優秀なサンドラはギブバックを忘れないだろう。損失補填はなるべく早くしたいだろうからね。騎士を取られたら、必ず取り返す。僧正で報復するはずだ。そうしたら、ほら! フィアンケットは崩れる!!
フィアンケットを崩してからの局面は、僕の独壇場になった。キャスリングも仇となったのさ。その位置は僕の女王と僧正で二重に狙える。
歩兵もなかなか捨てたものじゃないね!
投了したサンドラは清々しい顔をしていた。
「はぁーーー……負けちゃったね。でも、楽しかったよ、ぼうや」
「ローランです。覚えておいてください」
「忘れないよ。見事だった!」
なんかハグされそうな勢いだったから、僕は手を差し出した。ルイーザの前では、おばさま相手でもハグはダメだよ。
僕はサンドラとがっちり握手した。爪はよく手入れされているが、ゴツゴツした手だ。働き者の手だね。勝利のあとの握手は爽快だよ。また、彼女と対局したいなぁ。
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