ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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34、女主人①

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 涼しい夜に活動時間は伸び、昼頃、蝉の大演奏会で目覚める。夏真っ盛りに、チェス大会の本戦は開幕した。

 ジェラーニオ邸は大にぎわいだ。普段のサロンでは談話室や書斎が使用されるが、この時ばかりは大広間が開放される。ドレスアップした貴婦人が闊歩かっぽし、夜会の様相をていした。

 準々決勝までは四つのテーブルで対局が行われる。一局の時間は一時間から三時間程度。一日、八組~十組が対局し、最終日は一つのテーブルで戦う。各地から選抜された四十人の強者が、数日に渡って競い合うんだ。性別、年齢、貧富、社会的地位……何も関係ない。ここで必要なのは強さのみだ。
 僕は初日からさっそく、好敵手ライバルを探したよ。彼と戦いたいがために、ここまでやってきたんだからね。

 お目当ての人はすぐ見つかった。宵闇よいやみ色のベレー帽をかぶっていて、それが目印になったのさ。初めて出会った時にかぶっていたアレ。

 全身、貴族仕様に変わったのではなかったのか? しかしながら、帽子が貴族風ジュストコールに不釣り合いというわけでもない。
 ベレー帽はしっかり作られているのだろう。洗濯もして汚れの目立ちにくい色だから、違和感はなかった。ゲン担ぎってやつかな?
 懐かしさと嬉しさが相まって、声をかけることに抵抗はなかった。

「あっ、ああ! ローランだな? 会えて嬉しいよ」

 エドガーは顔をクシャクシャにして喜んだ。笑うと、いやにガキっぽい。案外、人懐っこい一匹狼だ。大きなイベントに参加するのは初めてだろうし、緊張しているのかもしれない。

 僕はエドガーの横にいたロテュス伯爵にも、そつなく挨拶した。黒ひげと大きなお腹が特徴の優しそうなおじさまだよ。伯爵は薄く笑んだだけだった。
 プルーニャの悪評は知れ渡っているんだろうな、と思う。ピヴォワンと名乗れたら、どんなにか楽なのに……

 ロテュス卿は煙草を吸いに行き、僕らはのんびり観戦した。自分たちの出番まで、まだ時間があるから気楽なものさ。あ、ピヴォワン家のみんなは別の対局のほうにいたよ。

 僕らは対局中のテーブルを囲むひな壇に立った。初戦でも、たくさんの人が観戦している。子供の身長だと、見えにくいんだよね。
 チェスは時間のかかる競技だ。サクサク進行しないことも多く、観客はつねに動いている。飲食も自由にできるし、ここは社交の場としても機能しているんだ。流動する観客のおかげで、僕たちはなんとか見える位置まで来られた。

「さすが、本戦はレベルが高いな」

 僕のおかげで緊張が解けたのか、エドガーはいつもの調子を取り戻している。対局者の邪魔にならないよう、指をしきりに動かし、シュミレートしていた。以前、カフェで見た酷いチェスとは雲泥の差だもんね。

 ふむ……両者とも攻めのチェスだ。すでに騎士ナイトの姿はなかった。取った駒の数は同じ。接戦だよ。白は用心深く、黒は破天荒な印象を受ける。こりゃ、どう転ぶかわからないな。

 ……あっ! 取られた!

 黒番は序盤から有力な駒を犠牲にした。エドガーの楽しそうなささやき声が聞える。
 
「クイーンをサクリファイスしたか……やるな!」

 この勇敢な選択には、他の観客も拍手を送っていた。たいして持ち時間を使わず、決断できるのはすごいことだ。男前すぎる……いや、女性!?

 ちょうど対局者の顔を隠す位置にいた観客が退いて、僕は斜めから彼女の容貌を見ることができた。
 高くまとめ上げたシニヨンにラメ。黒髪に光るそれは星空を思わせる。デコルテのあいたドレスが目を引くゴージャスな女性だ。

「ごめんあそばせ!」

 真っ赤な唇から吐き出されるのは、色気ムンムンのハスキーヴォイス。派手なのは僕の母に似ているけど、堂々としていて男みたいなひとだ。

「前大会で優勝に返り咲いた商家の女主人さ」

 エドガーが耳打ちしてきた。僕も聞いたことがある。記念すべき第一回目の大会で優勝した女性がいると。それ以降はずっと不調続きだったらしいんだけど、昨年ふたたびえある優勝に輝いた。

 クイーンをサクリファイスしたあとはどうなったかって? 果敢にルーク僧正ビショップで攻め込み、連続チェック。敵のキングを隅に追い込んだ。キングを守るのは歩兵ポーン一駒だけさ。他の駒は離れた所にいる。前方と脇をルークでふさぎ、チェックメイトだ。ぎゃふん!だね。

 悔しそうな顔の対局相手は、女性が一瞥いちべつしただけでシュンとしてしまった。
 エドガーが肉食系のイタチなら、彼女は獅子や虎だ。僕が目を離せないでいると、視線がかち合った。

 ゾクッとしたね。言うなれば、蛇ににらまれたカエルだ。僕は雁字搦がんじがらめにされてしまった。
 綺麗なひとだよ。たぶん、母より十歳は年上だけど、すさまじい色気がある。僕が一歩引いたら、目尻にしわを寄せて破顔した。笑顔もすごい迫力だ。
 くいくいっとエドガーに腕を引っ張られ、僕たちはその場を離れた。
 
 エドガーについていく僕の心臓は、早鐘のように打ち続けていた。今まで出会ってきたプレイヤーと彼女はちがう。エドガーの時と同じくらいの衝撃を受けたんだ。鮮やかな手並みはもちろんのこと、尋常じゃない闘志とオーラがほとばしっていた。
 足取りも自然と弾んでくる。僕は高揚していた。

 喧騒から遠く、玄関ホール近くまで来て、エドガーは歩を止めた。

「あーー、おっかねぇ、おっかねぇ!! ありゃ、獲物を狩るハンターの目だぜ?」
「でも、きれいなひとだったよ?」
「おまえ、ババァ好みか? オレは、あんなおっかないババァはゴメンだね」
「いや、別にそういうのじゃないし……」

 彼女は王都で両替商を営んでいる。女だてらに一代で財を成すのは、並大抵の努力ではできないだろう。そこら辺にいる男は太刀打ちできないほどの胆力がある。そのうえ、チェス大会で優勝するほどだから、ずば抜けて知能も高い。
 エドガーはツボにはまったのか、僕をからかってくる。

「なんでも、若いツバメを何人か囲ってるって噂だぜ? 立候補してみなよ?」
「イヤだよ! 年上が好きでも、限度があるだろ!」
「へぇ……年上が好きなんだ?……んで、どんな感じの??」

 ルイーザは年上でもかわいいもんね。あんな怖いおばさまじゃない。
 エドガーのやつ、僕がムキになるのを、おもしろがってやがる。どっちがガキだよ!
 そういや初対面時から年上ぶって、おちょくってきたっけ。こんな奴をちょっとでもカッコいいと思ってしまって、後悔した。
 でもさ、抜け目ないんだよね。ハッと何かを思い出し、エドガーは懐から対局表を出した。

「ローラン、ヤベェよ! これ、見てみろ! 初戦で勝ったら、次で当たるぜ?」

 僕の名前、そこからエドガーが指でなぞった先にはサンドラ・ボワイエの名があった。先ほどの両替商の女主人だ。
 二戦目からヘビィじゃないか……いいや、おもしろいかも!

「絶対、勝てよ!」

 エドガーはいたずらっぽく笑う。なんだよ? 雌の肉食獣におびえていた小動物のくせに。

「君こそ、ちゃんと勝ち進めよ?」
「ふふっ……たぶん、決勝まで行くぜ? ついてこれっかなぁ?」
「行ってやるよ! 僕が君を倒す!」

 僕たちは拳を合わせた。お互い闘志を燃やしているのに楽しい。なんだかんだ言っても、僕はこいつのことが好きなのかもしれない。
 これが友情ってやつ?……そう思ったら、顔がにやけてしまった。
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