ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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30、焚き火

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 ピヴォワン城に帰った僕は、チェスの勉強に没頭した。
 チェス大会の本戦が開幕するのは夏。まだ余裕があるとはいえ、今の僕はエドガーに遠く及ばない。

 あんまりこんを詰めてはと、心配するルイーザに僕は反抗した。
 僕は勝ちたい。そんな甘っちょろい心構えじゃ、殺られるんだよ。相手は野生の肉食獣だよ? ほんの一瞬の隙に喉元へ食らいつく。数秒の油断が命取りになるんだ。

 チェス盤を前に、達人たちが残した棋譜きふを並べては首をひねる毎日。
 もちろん、しっかり運動もしているよ。運動しないと、血の巡りが悪くなって、脳が働かなくなるからね。

 ノエルと剣の稽古もするし、最近はピヴォワン侯爵も指導してくださる。プルーニャ男爵とは、まるでちがうよ。

 あっちのお爺さまは卑怯な目潰しや金的といった急所の狙い方、敵を精神面で追い詰める話術など、陰険な殺人方法を教えてくれた。

 反対にピヴォワン侯爵が教えてくれたのは基礎的な技術さ。
 ショートカットでズルをして勝つ方法ではなく、毎日繰り返して身体に染み込ませていくもの。

 努力は一日にしてならず。
 コツコツと泥臭く、地道に積み重ねていく鍛錬方法だ。

「遥か離れた未開の国に細く美しく、なおかつ強靭な剣があると聞く。繊細なのにどうして強度を保てるのか。精錬された鉄を何度も何度も折り返して鍛え上げるからだ。強度、斬れ味ともに、素晴らしい剣ができあがる」

 ピヴォワン侯爵の言葉は僕の心に響いた。これ、なんにでも当てはまるんじゃないかな? 剣だけでなく、勉強もチェスも……

 恋敵としては憎い相手だけど、ピヴォワン卿は尊敬できる人だよ。悔しいが、ルイーザの夫として申し分ない知恵と人格を兼ね備えている。やっぱり、今の僕じゃ太刀打ちできないかな……あくまで、ね。

 僕らは城の中庭で稽古した。秘密基地で剣を振り回すのは、禁止されてしまったんだ。あの場所は内緒話をしたり、一人になりたいとき、ノエルにチェスを教えるときに使う。もう、秘密でもなんでもないけどね。

 双子のマイアとエレクトラのお世話も忘れていないよ。ほんっとに、かわいいんだ! 癒やされるし、息抜きになる。二人とも、将来は僕のお嫁さんになりたいんだって。叶えてあげることはできないけど、気持ちはすごく嬉しい。

 僕にも、こんな天使みたいな妹たちがいたらなぁって、思う。ないものねだりってやつ。いたら、人生変わってたんじゃないかな? 牢獄のようなプルーニャ邸にいたんじゃ、叶わなかった望みだけどさ。
 
 ノエルの奴はガキだから妹たちのありがたみが、わからない。鬱陶しがって、意地悪したりするんだ。母親を取られる嫉妬もあるのかな?

 昨晩も妹たちの枕にクワガタを置いて泣かせたり、あのクルクルしたブロンドにガムや草の実をつけて遊ぶという馬鹿っぷり。
 今日もルイーザに叱られていたなぁ。

 そんなノエルだけど、チェスは少しずつ上達している。剣の相手をしてもらう代わりに、チェスを教える約束はまだ継続しているよ。
 ジッと座ってられるようになっただけでも、ノエルの場合は御の字だよ。チェスは集中力や観察力を養えるから、剣技の上達にも貢献するんじゃないのかな? 学んで無駄なことなんかないんだ。

 冬の城はそれなりに趣があった。石の床にいぐさを敷いて、暖炉に薪をくべる。地下室の大きな炉で沸かした湯を、床下に張り巡らされた配管に通すんだ。そのおかげで暖かい部屋と寒い部屋の落差が激しい。

 舞踏会とか夜会とかサロンとか、華やかな王都住まいの時とは打って変わり、洒落しゃれた空気じゃないよね。

 雪の日なんかは、大広間のど真ん中で焚き火をする。最初は屋内で?って思ったけど、天井は高く石造り。壁の上部に換気口があるから平気なんだ。これはかなり暖まるね。城中の人間が暖を取りにくるよ。

 雪合戦をしたり、雪の家を作ったり……さんざん遊んだ夕方、僕とノエルは広間の焚き火で暖まった。

 濡れた手袋や靴下を、焚き火にあてて乾かす。手や足をかざせば、ほどけていった。
 ガキっぽいなぁ。熱を受けて、ノエルの頬が赤くなっている。でも、たぶん僕も一緒さ。同じく赤いほっぺのマイアとエレクトラを、乳母が追いかけている。城で働く兵士も庭師も下男下女も、女中も料理人も家政婦長も執事も、みんないる。

 やがて、料理人たちが串に刺した肉や野菜をあぶり出した。下々の者たちも金属の容器を炎へ放り込み、何やら調理し始める。香ばしい匂いや油のはねる音が五感を刺激する。

 一面、暖色に塗られた広間で、暖かな晩餐が催された。

 テーブルはなし。木のベンチで串焼きを頬張る。ピヴォワン侯爵とルイーザだけは、簡易テーブルで食事していたけどね。お上品にナイフとフォークで切り分けるより、こういうのは直接食べたほうが、うまいに決まってる。子供って最高!

 使用人たちも、おのおの用意した食事を床やベンチに座って食べ始めたよ。僕らは普段、同じ空間で食事をしない。今日みたいな冬の日は特別なのさ。

 炎の中に放り込んでいた鉄製の丸い容器を、火ばさみでつかみ出しているね。スライド式の蓋を開けると、湯気がもくもく立ち上るんだ。それが彼らの食事。

 ご飯と肉と野菜と豆と、全部一緒くたにして蒸し焼きにしている。香草もたっぷり入っているのかな? 香りがこちらまで漂ってくるよ。なかなか、いいものを食べてるじゃないか。一口、いただけないだろうか?

 ルイーザが微笑み、焼きリンゴを持ってくる。リンゴって焼くことで甘みが増すんだよね。バターが溶けて、これまた香ばしい! 

「まあ! お口が汚れているわよ?」

 口の周りを拭いてくれた。串焼きは食べるのが難しいんだよ。ついでに甘えちゃおっと。
 僕はあざとく、口を開けた。はい、“あーん”のポーズ。

 ルイーザは食べやすいように切った焼きリンゴをふぅふぅして、僕の口元に持っていく。

 パクリ。うん、ものすごーくおいしい! シナモンも利いて、なんてったって、ルイーザの愛情入りだからね。
 ピヴォワン侯爵が目を剥いてこちらを見ているが、無視無視。お祖父じいさまには離れた席で、悔しがっててもらおうか。やーい、いいだろー!

「お母さま、ぼくもぼくも!」

 ノエルのせいで、僕のボーナスタイムは中断された。ピヴォワン侯爵はテーブルの下で拳を作り、ウンウンとうなずいている……おい、おじいさま!


 こんな感じで、チェス道に邁進しつつ、僕は城の生活も楽しんでいた。
 赤い炎は幸せな家族の象徴だ。ルイーザがいて、みんながいる。ずっとこうしていられたら、いいのに。

 でもね、幸せは長く続かない。夢から覚めるように、煙となって消えてしまうものだよ。
 僕にはなんとなく、わかるんだ。
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