28 / 51
28、老翁
しおりを挟む
ラヴァーント公爵、隣国にてチェス王の異名を持つ。
そんな大仰な肩書きはいいのさ。子供からしたら、怖そうな爺さま一択に分類されるんだからね。
まず、トスで僕が白番を獲得した。注意深く定石を打とうと思う。初手e4。e5で返してきたか。手堅いな? まだ、冒険はしない。ポーンを犠牲して、僧正を放つ。想定内だろ? 老練な公爵閣下。
「生意気じゃな」
「子供は皆、生意気ですよ、お爺さま」
片眉を吊り上げたので、言い返してやった。爺さまはカチンときたらしい。
「プルーニャには聞き覚えがあってな?……ひょっとしたら平民上がりの男爵か?」
「ええ……」
速やかにクイーンでチェックされ、キングを逃がす僕は生返事する。抜け目のない爺さまだよ。
「たしか、プルーニャ男爵には娘しかいなかったはず。私生児か?」
「その娘が生んだ私生児ですね」
くっくっくっ……と、老翁は不快な笑い声を立てた。
ああ、そうさ。僕は公然と出歩けない私生児さ。笑いたきゃ、笑え!
祖父の悪評は隣国では、そこそこ知られているらしく、周りは微妙な空気になった。対戦国だったからね。戦時中の残忍なアレコレが伝わっているのだろう。
ああ、あの人の孫か……って、色眼鏡で見られる。従僕の一人が公爵に耳打ちしているよ。汚いものでも見るかのような目を向けていたから、絶対悪口だよね。
まあ、気にしないさ。こういうのには慣れている。
今日は騎士がよく動くなぁ。僕の母方の祖父、プルーニャ男爵は騎士あがりさ。戦功を立てて貴族になったの。
あの嗜虐趣味者に比べれば、ただの嫌味なジジイのあなたはマシだよ。
冴えない出自の僕に、なぜか公爵閣下は興味を持ったようだった。僕の僧正を取りながら、質問してくる。
「チェスをするのは、身を立てるためか? 単なる道具か?」
身を立てる、か。その発想はなかったな? いまや、チェスは職業としても有りなんだ。賞金額もすごいからね。ここで道具というのは、社交での駆け引きで使う手段を指すのだろう。
「何も考えてないですね」
僕は正直に答えた。特に目的があって、チェスを始めたわけじゃないし、ただ好きだから、おもしろいからやっているだけで……
「戦略を持たずして、勝てるわけがなかろう」
はい、おっしゃるとおりです。チェスの対局で、戦略もなく闇雲に突撃したら負ける。当たり前のことだよ。
だが、いったい僕はなんのためにチェスをやっているのだろう?
ルイーザと仲良くなりたかったから? うん、たしかに最初はそうだった。でも今は? エドガーと対局したい、勝ちたい。それ以外は……?
いけない、心の迷い道に入ってしまうところだった。
古狸の心理戦にあやうく、ハマってしまいそうだったぞ。気をつけなくては。
爺さまは畳みかけ、僕の心を乱そうとする。
「さっきの対局者、イカサマをしおってな? どんなイカサマだと思う?」
「こんな小さな盤面で、イカサマは無理ではないですか?」
「まあ、すぐにバレるからな。無意味だ」
「棋譜も記録していますし、不可能ですよ」
爺さまはふたたび、くっくっくっ……と悪役笑いをする。
「ビショップの位置をこっそり、一マス動かしただけじゃけどな」
「なんで、即座にバレることをするのでしょう? 僕には理解できません」
「チェスの大会は玉石混交、当たり前のこともわからぬ哀れな無教養者もおるのでな」
「“哀れな”とおっしゃるのには、同感です」
「歪んだ上昇志向の末路よ」
「どちらにせよ、実力のない者は淘汰されます」
「そして、それがよもや自分とは思いもしないのだ」
会話中も僕は攻撃を緩めない。ナイトの軌道に塔をしかける。ナイトの前にいるクイーンも忘れちゃいないよ。クイーンにはクイーン。牽制する。
つけ入る隙がないだろう? セコい心理戦を展開するぐらいなら、純粋に盤上で戦え!
爺さまは僕の布陣を見て、そっと舌打ちした。気づかれないぐらい小さい音でね。こういうのは貴族らしいや。
攻めをかわしつつ、僧正と女王で僕の王に肉薄する。さすが、年輪を重ねてきた人はちがう。防守一辺倒にならないのは、熟練者だからだ。守ったその直後に攻めを考えている。守りと攻めが同時進行する。攻めというのは最大の防御だからね。
じゃ、子供らしく囮といきますか。両取りしやすい場所に、公爵閣下を誘導いたします。
僕は塔を犠牲した。僧正は、そこにいられちゃ困るからね。
チェックできて、爺さまはホクホク顔だ。むろん、深追いはしないよね。でも、もう手遅れさ。
あなたのキングは騎士、女王、僧正に包囲されている。逃げ道はふさいだ。
年の功というやつか。僕の騎士にチェックされて、爺さまは気づいたよ。
「小童めが……」
爺さまは杖をつき、ヨロヨロと立ち上がった。
「あの……投了でしょうか?」
審判がおそるおそる聞くと、
「見てわからぬか!!」
と逆ギレする。貴族なのにマナーがなってないなぁ。それほど、私生児のクソガキに負けたのが悔しいの?
僕は立ち上がって、満面の笑顔でおじぎしたさ。
「ありがとうございました!!」
爺さまは一瞥もくれず、背を向ける。周囲にいた従僕たちは負けたのか、はっきりわからず、狼狽しているよ。棋譜を記録していたノエルが、
「どうしたんだ! 何があった??」
なーんて、ボケているから、僕は言ってやった。
「勝った。予選通過」
すると、ノエルの奴、破顔しやがった。「やったやった!」と飛び跳ねて、手を叩いて大喜び。ほんっと、ガキだよなぁ。
あのさ、相手は公爵閣下。おエラいさんだよ? 無礼な態度を取るなよ? ほーら、公爵サイドはお葬式みたいな空気になってる。
ギャラリーも公爵が負けるとは、思ってなかったのだろう。会場はシラけた。みんなポカンと口を開け、何が起こったか呑み込めないようだった。
無名の少年が他国の有名人を倒したんだ。
駒で例えるならば、僕は歩兵、公爵は僧正ってとこか。歩兵と僧正が一騎打ちして、歩兵が勝つなんてことは誰も考えないからね。
敗退者の丸い背中を見送った後、ギャラリーはようやく状況を把握したらしい。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
公爵に取材するつもりで来ていたノヴォジャーナルの記者が、鼻息荒く駆けつけてきたよ。ぜひとも取材させてくださいってさ。
瓦版の見出しは “無名の少年、老練な閣下を下す”かな? いや、“チェス王、謎の美少年に下される”か?
あーあ、嫌だなぁ。悪名高い祖父のことも暴かれるだろうね。僕が望まれぬ子で、ピヴォワン家の居候ということも知られてしまうだろう。ルイーザやピヴォワン卿にも、迷惑をかけてしまうかもしれない。
僕らは鬱陶しい記者たちを無視して、会場をあとにした。
そんな大仰な肩書きはいいのさ。子供からしたら、怖そうな爺さま一択に分類されるんだからね。
まず、トスで僕が白番を獲得した。注意深く定石を打とうと思う。初手e4。e5で返してきたか。手堅いな? まだ、冒険はしない。ポーンを犠牲して、僧正を放つ。想定内だろ? 老練な公爵閣下。
「生意気じゃな」
「子供は皆、生意気ですよ、お爺さま」
片眉を吊り上げたので、言い返してやった。爺さまはカチンときたらしい。
「プルーニャには聞き覚えがあってな?……ひょっとしたら平民上がりの男爵か?」
「ええ……」
速やかにクイーンでチェックされ、キングを逃がす僕は生返事する。抜け目のない爺さまだよ。
「たしか、プルーニャ男爵には娘しかいなかったはず。私生児か?」
「その娘が生んだ私生児ですね」
くっくっくっ……と、老翁は不快な笑い声を立てた。
ああ、そうさ。僕は公然と出歩けない私生児さ。笑いたきゃ、笑え!
祖父の悪評は隣国では、そこそこ知られているらしく、周りは微妙な空気になった。対戦国だったからね。戦時中の残忍なアレコレが伝わっているのだろう。
ああ、あの人の孫か……って、色眼鏡で見られる。従僕の一人が公爵に耳打ちしているよ。汚いものでも見るかのような目を向けていたから、絶対悪口だよね。
まあ、気にしないさ。こういうのには慣れている。
今日は騎士がよく動くなぁ。僕の母方の祖父、プルーニャ男爵は騎士あがりさ。戦功を立てて貴族になったの。
あの嗜虐趣味者に比べれば、ただの嫌味なジジイのあなたはマシだよ。
冴えない出自の僕に、なぜか公爵閣下は興味を持ったようだった。僕の僧正を取りながら、質問してくる。
「チェスをするのは、身を立てるためか? 単なる道具か?」
身を立てる、か。その発想はなかったな? いまや、チェスは職業としても有りなんだ。賞金額もすごいからね。ここで道具というのは、社交での駆け引きで使う手段を指すのだろう。
「何も考えてないですね」
僕は正直に答えた。特に目的があって、チェスを始めたわけじゃないし、ただ好きだから、おもしろいからやっているだけで……
「戦略を持たずして、勝てるわけがなかろう」
はい、おっしゃるとおりです。チェスの対局で、戦略もなく闇雲に突撃したら負ける。当たり前のことだよ。
だが、いったい僕はなんのためにチェスをやっているのだろう?
ルイーザと仲良くなりたかったから? うん、たしかに最初はそうだった。でも今は? エドガーと対局したい、勝ちたい。それ以外は……?
いけない、心の迷い道に入ってしまうところだった。
古狸の心理戦にあやうく、ハマってしまいそうだったぞ。気をつけなくては。
爺さまは畳みかけ、僕の心を乱そうとする。
「さっきの対局者、イカサマをしおってな? どんなイカサマだと思う?」
「こんな小さな盤面で、イカサマは無理ではないですか?」
「まあ、すぐにバレるからな。無意味だ」
「棋譜も記録していますし、不可能ですよ」
爺さまはふたたび、くっくっくっ……と悪役笑いをする。
「ビショップの位置をこっそり、一マス動かしただけじゃけどな」
「なんで、即座にバレることをするのでしょう? 僕には理解できません」
「チェスの大会は玉石混交、当たり前のこともわからぬ哀れな無教養者もおるのでな」
「“哀れな”とおっしゃるのには、同感です」
「歪んだ上昇志向の末路よ」
「どちらにせよ、実力のない者は淘汰されます」
「そして、それがよもや自分とは思いもしないのだ」
会話中も僕は攻撃を緩めない。ナイトの軌道に塔をしかける。ナイトの前にいるクイーンも忘れちゃいないよ。クイーンにはクイーン。牽制する。
つけ入る隙がないだろう? セコい心理戦を展開するぐらいなら、純粋に盤上で戦え!
爺さまは僕の布陣を見て、そっと舌打ちした。気づかれないぐらい小さい音でね。こういうのは貴族らしいや。
攻めをかわしつつ、僧正と女王で僕の王に肉薄する。さすが、年輪を重ねてきた人はちがう。防守一辺倒にならないのは、熟練者だからだ。守ったその直後に攻めを考えている。守りと攻めが同時進行する。攻めというのは最大の防御だからね。
じゃ、子供らしく囮といきますか。両取りしやすい場所に、公爵閣下を誘導いたします。
僕は塔を犠牲した。僧正は、そこにいられちゃ困るからね。
チェックできて、爺さまはホクホク顔だ。むろん、深追いはしないよね。でも、もう手遅れさ。
あなたのキングは騎士、女王、僧正に包囲されている。逃げ道はふさいだ。
年の功というやつか。僕の騎士にチェックされて、爺さまは気づいたよ。
「小童めが……」
爺さまは杖をつき、ヨロヨロと立ち上がった。
「あの……投了でしょうか?」
審判がおそるおそる聞くと、
「見てわからぬか!!」
と逆ギレする。貴族なのにマナーがなってないなぁ。それほど、私生児のクソガキに負けたのが悔しいの?
僕は立ち上がって、満面の笑顔でおじぎしたさ。
「ありがとうございました!!」
爺さまは一瞥もくれず、背を向ける。周囲にいた従僕たちは負けたのか、はっきりわからず、狼狽しているよ。棋譜を記録していたノエルが、
「どうしたんだ! 何があった??」
なーんて、ボケているから、僕は言ってやった。
「勝った。予選通過」
すると、ノエルの奴、破顔しやがった。「やったやった!」と飛び跳ねて、手を叩いて大喜び。ほんっと、ガキだよなぁ。
あのさ、相手は公爵閣下。おエラいさんだよ? 無礼な態度を取るなよ? ほーら、公爵サイドはお葬式みたいな空気になってる。
ギャラリーも公爵が負けるとは、思ってなかったのだろう。会場はシラけた。みんなポカンと口を開け、何が起こったか呑み込めないようだった。
無名の少年が他国の有名人を倒したんだ。
駒で例えるならば、僕は歩兵、公爵は僧正ってとこか。歩兵と僧正が一騎打ちして、歩兵が勝つなんてことは誰も考えないからね。
敗退者の丸い背中を見送った後、ギャラリーはようやく状況を把握したらしい。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
公爵に取材するつもりで来ていたノヴォジャーナルの記者が、鼻息荒く駆けつけてきたよ。ぜひとも取材させてくださいってさ。
瓦版の見出しは “無名の少年、老練な閣下を下す”かな? いや、“チェス王、謎の美少年に下される”か?
あーあ、嫌だなぁ。悪名高い祖父のことも暴かれるだろうね。僕が望まれぬ子で、ピヴォワン家の居候ということも知られてしまうだろう。ルイーザやピヴォワン卿にも、迷惑をかけてしまうかもしれない。
僕らは鬱陶しい記者たちを無視して、会場をあとにした。
2
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
【完結】「私は善意に殺された」
まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。
誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。
私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。
だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。
どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿中。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!


【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話
ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。
完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる