ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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28、老翁

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 ラヴァーント公爵、隣国にてチェス王の異名を持つ。
 そんな大仰おおぎょうな肩書きはいいのさ。子供からしたら、怖そうな爺さま一択に分類されるんだからね。

 まず、トスで僕が白番を獲得した。注意深く定石を打とうと思う。初手e4。e5で返してきたか。手堅いな? まだ、冒険はしない。ポーンを犠牲サクリファイスして、僧正ビショップを放つ。想定内だろ? 老練な公爵閣下。

「生意気じゃな」
「子供は皆、生意気ですよ、

 片眉を吊り上げたので、言い返してやった。爺さまはカチンときたらしい。

「プルーニャには聞き覚えがあってな?……ひょっとしたら平民上がりの男爵バロンか?」
「ええ……」

 速やかにクイーンでチェックされ、キングを逃がす僕は生返事する。抜け目のない爺さまだよ。
 
「たしか、プルーニャ男爵には娘しかいなかったはず。私生児か?」
「その娘が生んだ私生児ですね」

 くっくっくっ……と、老翁は不快な笑い声を立てた。
 ああ、そうさ。僕は公然と出歩けない私生児さ。笑いたきゃ、笑え!

 祖父の悪評は隣国では、そこそこ知られているらしく、周りは微妙な空気になった。対戦国だったからね。戦時中の残忍なアレコレが伝わっているのだろう。
 ああ、あの人の孫か……って、色眼鏡で見られる。従僕の一人が公爵に耳打ちしているよ。汚いものでも見るかのような目を向けていたから、絶対悪口だよね。
 まあ、気にしないさ。こういうのには慣れている。

 今日は騎士ナイトがよく動くなぁ。僕の母方の祖父、プルーニャ男爵は騎士あがりさ。戦功を立てて貴族になったの。
 あの嗜虐しぎゃく趣味者に比べれば、ただの嫌味なジジイのあなたはマシだよ。

 冴えない出自の僕に、なぜか公爵閣下は興味を持ったようだった。僕の僧正ビショップを取りながら、質問してくる。

「チェスをするのは、身を立てるためか? 単なる道具か?」

 身を立てる、か。その発想はなかったな? いまや、チェスは職業としても有りなんだ。賞金額もすごいからね。ここで道具というのは、社交での駆け引きで使う手段を指すのだろう。

「何も考えてないですね」

 僕は正直に答えた。特に目的があって、チェスを始めたわけじゃないし、ただ好きだから、おもしろいからやっているだけで……

「戦略を持たずして、勝てるわけがなかろう」

 はい、おっしゃるとおりです。チェスの対局で、戦略もなく闇雲に突撃したら負ける。当たり前のことだよ。
 だが、いったい僕はなんのためにチェスをやっているのだろう?

 ルイーザと仲良くなりたかったから? うん、たしかに最初はそうだった。でも今は? エドガーと対局したい、勝ちたい。それ以外は……?

 いけない、心の迷い道に入ってしまうところだった。
 古狸ふるだぬきの心理戦にあやうく、ハマってしまいそうだったぞ。気をつけなくては。

 爺さまは畳みかけ、僕の心を乱そうとする。

「さっきの対局者、イカサマをしおってな? どんなイカサマだと思う?」
「こんな小さな盤面で、イカサマは無理ではないですか?」
「まあ、すぐにバレるからな。無意味だ」
「棋譜も記録していますし、不可能ですよ」

 爺さまはふたたび、くっくっくっ……と悪役笑いをする。

「ビショップの位置をこっそり、一マス動かしただけじゃけどな」
「なんで、即座にバレることをするのでしょう? 僕には理解できません」
「チェスの大会は玉石混交、当たり前のこともわからぬ哀れな無教養者もおるのでな」
「“哀れな”とおっしゃるのには、同感です」
「歪んだ上昇志向の末路よ」
「どちらにせよ、実力のない者は淘汰されます」
「そして、それがよもや自分とは思いもしないのだ」

 会話中も僕は攻撃を緩めない。ナイトの軌道にルークをしかける。ナイトの前にいるクイーンも忘れちゃいないよ。クイーンにはクイーン。牽制けんせいする。

 つけ入る隙がないだろう? セコい心理戦を展開するぐらいなら、純粋に盤上で戦え!

 爺さまは僕の布陣を見て、そっと舌打ちした。気づかれないぐらい小さい音でね。こういうのは貴族らしいや。

 攻めをかわしつつ、僧正ビショップ女王クイーンで僕のキングに肉薄する。さすが、年輪を重ねてきた人はちがう。防守一辺倒にならないのは、熟練者だからだ。守ったその直後に攻めを考えている。守りと攻めが同時進行する。攻めというのは最大の防御だからね。
 
 じゃ、子供らしくデコイといきますか。両取りフォークしやすい場所に、公爵閣下を誘導いたします。
 僕はルーク犠牲サクリファイスした。僧正ビショップは、そこにいられちゃ困るからね。
 
 チェックできて、爺さまはホクホク顔だ。むろん、深追いはしないよね。でも、もう手遅れさ。

 あなたのキングは騎士ナイト女王クイーン僧正ビショップに包囲されている。逃げ道はふさいだ。

 年の功というやつか。僕の騎士ナイトにチェックされて、爺さまは気づいたよ。

小童こわっぱめが……」

 爺さまは杖をつき、ヨロヨロと立ち上がった。

「あの……投了でしょうか?」

 審判がおそるおそる聞くと、

「見てわからぬか!!」

 と逆ギレする。貴族なのにマナーがなってないなぁ。それほど、私生児のクソガキに負けたのが悔しいの?
 僕は立ち上がって、満面の笑顔でおじぎしたさ。

「ありがとうございました!!」

 爺さまは一瞥いちべつもくれず、背を向ける。周囲にいた従僕たちは負けたのか、はっきりわからず、狼狽しているよ。棋譜を記録していたノエルが、

「どうしたんだ! 何があった??」

 なーんて、ボケているから、僕は言ってやった。

「勝った。予選通過」

 すると、ノエルの奴、破顔しやがった。「やったやった!」と飛び跳ねて、手を叩いて大喜び。ほんっと、ガキだよなぁ。
 あのさ、相手は公爵閣下。おエラいさんだよ? 無礼な態度を取るなよ? ほーら、公爵サイドはお葬式みたいな空気になってる。

 ギャラリーも公爵が負けるとは、思ってなかったのだろう。会場はシラけた。みんなポカンと口を開け、何が起こったか呑み込めないようだった。

 無名の少年が他国の有名人を倒したんだ。
 駒で例えるならば、僕は歩兵ポーン、公爵は僧正ビショップってとこか。歩兵と僧正が一騎打ちして、歩兵が勝つなんてことは誰も考えないからね。

 敗退者の丸い背中を見送った後、ギャラリーはようやく状況を把握したらしい。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

 公爵に取材するつもりで来ていたノヴォジャーナルの記者が、鼻息荒く駆けつけてきたよ。ぜひとも取材させてくださいってさ。

 瓦版の見出しは “無名の少年、老練な閣下を下す”かな? いや、“チェス王、謎の美少年に下される”か? 

 あーあ、嫌だなぁ。悪名高い祖父のことも暴かれるだろうね。僕が望まれぬ子で、ピヴォワン家の居候ということも知られてしまうだろう。ルイーザやピヴォワン卿にも、迷惑をかけてしまうかもしれない。

 僕らは鬱陶うっとうしい記者たちを無視して、会場をあとにした。
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