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21、要求
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ローランの落ち込みようといったら、周りまで暗くするほどでした。一緒にいたマイアもシュンとしてしまいます。
これは事故で誰も悪くないこと、二人が無事で嬉しかったことをわたくしは伝えましたが、暗い空気は変わりませんでした。
屋敷へ戻ってからも、ローランは一言も話さず、部屋に閉じこもってしまいました。
わかっておりますよ。マイアを危険な目に遭わせてしまったことで、責任を感じているのでしょう? それと、あのチェスの対局のことですわよね? 同じ年頃の子にボロ負けした、そのことであなたのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。
わたくしの母が開くサロンで大人顔負けの戦術を披露して、称賛されていたわよね、あなた。神童だ、天才だと持て囃されて、自分より上の存在を考えもしなかった。もはや、あなたの相手は大人しか務まらなかったですものね。
それなのに、自分より下だと思っていた庶民の少年に打ち負かされてしまった。
悔しかったでしょう? 初めてのチェスでレオンに負けた時より大きな壁にぶつかって、すべて嫌になってしまったでしょう? 圧倒的な差を感じて、思い知ったのよね。自分が井の中の蛙だったことを。
いいこと? 本当の天才というのは、彗星のごとく出現するものよ。そして、身分や経歴などはいっさい、関係ないのです。
誰しも、一度は壁にぶつかります。これまで自分がどんなに驕っていたのか、未熟だったのか、現実を突きつけられます。
そういう時は、いったん丸裸になって、また一から出直すの。人は成長できる生き物です。
ただ、“驕り”の期間の長い人は、立ち直るのに時間がかかるかもしれません。あなたはなまじ、優秀すぎたのです。知能面に関しては、挫折を味わったことがなかったのでしょう。
もしかしたら、ローランはチェスをやめてしまうかもしれない、わたくしはそんな気もしていました。
食べることが大好きな子ですのに、晩餐の席にも姿を現しませんでした。
ノエルに様子を確認させたところ、ベッドにチェスボードを置いて、ずっとにらめっこしていたそうです。思ったとおりですわね。これは重症かもしれません。
ノエルのように単純明快な子には、理解しがたい態度なのでしょう。グリーンアイは憂いていました。
「お母さま、今夜はぼくがお母さまと寝る番だけど、ローランに譲ってあげることにしたんだ。ローランに言ったら、びっくりしてたけど……」
まあ、なんて優しい子なのでしょう? 一人称が“おれ”から、“ぼく”に戻っているのも良きです。元気のないローランを、この子なりに気遣ったのでしょうね。ローランからしたら、ありがた迷惑かもしれませんが。
「ふふふ……ローランはなんて答えたの?」
「ありがたく君の好意を受け取る……だってさ」
わたくし、デザートのソルベをそのままゴックンしてしまいました。
喉から胸を通る冷たい感触に、思わず顔をしかめます。
「あの、お母さま? 勝手に約束してごめんなさい……ご迷惑でしたか?」
「いいえ。驚いただけよ。ローランて、ませているでしょう? 甘えるなんてことは、考えられなかったから……」
わたくしは向かいに座っているレオンのほうへ視線を移します。レオンは眉間に皺を寄せていました。晩餐のまえにわたくし、コッテリ絞られたのですよね。緊急時とはいえ、後先考えず屋敷を飛び出して、従者も連れず町中を歩き回ったものですから、旦那さまはカンカンでした。
わたくしが屋敷に戻ったのは夕方で、そのすぐあとにレオンも帰ってきたので、箝口令が間に合わなかったのです。小一時間、談話室に監禁され、お説教されてしまいました。
いさかいのあとはフォローが必要です。ノエルには申し訳ないけど、今夜は共寝の順番をレオンと代わってもらうつもりでした。
母親だって女です。慰めてもらいたい夜もあります。身体を触れ合わせることで、大人は仲直りするのですよ。けれど、子供を優先するのが大人というもの。親というものです。
レオンが微かにうなずくのを見て、わたくしはローランと寝ることにしました。
♔ ♔ ♔
ネグリジェに着替え、ローランの寝室へ入った時にはチェスボードは片付けられていました。
ベッドの端に腰掛けるローランは緊張した面持ちです。
今日のことで叱られると思っているのでしょうか。馬車が動いてしまったのはあなたの責任ではないと、わたくしは伝えております。酒場に入ったことも結果的には良かったですし、ローランを責めるつもりは微塵もありませんでした。
「何回も言うけれど、今日のことであなたを咎めるつもりはないわ。わたくしがここに来たのは、思いきり甘えてほしかったからよ」
隣に腰掛け、ローランの手に触れると、彼の身体は収縮しました。あらまあ、顔だけじゃなくて耳、うなじまで真っ赤じゃないですか!
そうですか……ローランから聞いた話と状況から察するに、マルグリットは母親らしい愛情を注いでいなかったかと思われます。面と向かって、思いきり甘えてと言われたら、恥ずかしいのでしょう。そういうお年頃なのですね。なんて、かわいらしい!
「遠慮しなくていいのよ? 子供には、いくらでも甘えていい権利があるわ」
残念ながら、ローランは一枚布で作られたリネンの夜着に着替えていました。寝る準備万端で待ち構えていたので、手伝うことはありません。何をどう甘えたらいいものか、わからないようでした。もじもじしています。
「そうねぇ……絵本を読んであげる年でもないし、子守り歌?……ごめんなさい、ちがうわよね?」
「いえ……いい……いいです、子守歌!」
子守歌に食いつきました。意外です。ちなみにノエルには絵本も読んで、子守歌も歌っています。ローランは馬鹿にすると思っていました。
「他には腕枕とか……?」
「それは僕がやって……いえ、なんでもないです。どんなことでも、お願いしていいのですか?」
どんなことでも……というわけでは、ないですけど……それにしても、この子大丈夫かしら? 蒸し風呂に入ったあとみたいな赤さですわよ? まさか、発熱??
わたくし心配になって、彼を抱き寄せて額をくっつけ合わせました。
ひゅっと息を呑む音がして、ローランは脱力しました。腕を通じて、緩んでいくのがわかります。警戒されてはいないようですが、なんだか変な感じですわ。
「熱はないようだけど、大丈夫? 具合が悪いんじゃない?? お夕食は部屋でとったのかしら?」
「はい。女中が運んできました。ちゃんと食べたから、大丈夫です」
晩餐には来なかったものの、食事はしたと聞いてホッとしました。思っていたほど、落ち込んではいないのかしら? 心配しすぎなのかもしれません。
「じゃ、寝ましょう。ランタンは寝てから消しましょうか?」
九歳児には大きすぎる天蓋付きベッドに、ローランを寝かせます。わたくしも眼鏡を取り、横になりました。
そばにローランのきれいな顔があります。わたくしの視力でも見える近さでした。紅顔の美少年とはまさにこのこと。輝く金髪に指を絡ませれば、恍惚として青い目を瞬かせます。
「手を握ってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ。いちいち聞かなくてもいいのよ?」
ここはもうあなたの家で、わたくしはこの家のお母さまなんですからね。存分に子供らしく振る舞いなさい。母性を刺激され、わたくしは甘々になっていました。子供の前では無防備になります。
でも、わたくしを見るローランの目が妙に大人びていて、ドギマギしてしまいました。
まさかね? だって、まだ九歳ですよ?
「では、お願いしてもいいですか?」
美少年は深呼吸すると、一気に言葉を吐きました。
「寝るまえにお休みのキスとハグをしてください。あと、僕にもキスをさせてください。頭をなでなでしてください。寝ている間、ずっと手を握っていてください。朝ご飯をベッドに持ってこさせ、食べさせてください。飲み物をシェアさせてください。髪の毛を編んでください。クッキーをかじって毒見したあと、それを僕にください。おはようのキスを……」
要求っっ!?
めちゃくちゃ要求してくるではないですか!?……うーん、やっぱり熱があるのかしら?
あ、一応、全部叶えてあげましたよ。この日以来、週に一回、ローランと寝るようになりました。
これは事故で誰も悪くないこと、二人が無事で嬉しかったことをわたくしは伝えましたが、暗い空気は変わりませんでした。
屋敷へ戻ってからも、ローランは一言も話さず、部屋に閉じこもってしまいました。
わかっておりますよ。マイアを危険な目に遭わせてしまったことで、責任を感じているのでしょう? それと、あのチェスの対局のことですわよね? 同じ年頃の子にボロ負けした、そのことであなたのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。
わたくしの母が開くサロンで大人顔負けの戦術を披露して、称賛されていたわよね、あなた。神童だ、天才だと持て囃されて、自分より上の存在を考えもしなかった。もはや、あなたの相手は大人しか務まらなかったですものね。
それなのに、自分より下だと思っていた庶民の少年に打ち負かされてしまった。
悔しかったでしょう? 初めてのチェスでレオンに負けた時より大きな壁にぶつかって、すべて嫌になってしまったでしょう? 圧倒的な差を感じて、思い知ったのよね。自分が井の中の蛙だったことを。
いいこと? 本当の天才というのは、彗星のごとく出現するものよ。そして、身分や経歴などはいっさい、関係ないのです。
誰しも、一度は壁にぶつかります。これまで自分がどんなに驕っていたのか、未熟だったのか、現実を突きつけられます。
そういう時は、いったん丸裸になって、また一から出直すの。人は成長できる生き物です。
ただ、“驕り”の期間の長い人は、立ち直るのに時間がかかるかもしれません。あなたはなまじ、優秀すぎたのです。知能面に関しては、挫折を味わったことがなかったのでしょう。
もしかしたら、ローランはチェスをやめてしまうかもしれない、わたくしはそんな気もしていました。
食べることが大好きな子ですのに、晩餐の席にも姿を現しませんでした。
ノエルに様子を確認させたところ、ベッドにチェスボードを置いて、ずっとにらめっこしていたそうです。思ったとおりですわね。これは重症かもしれません。
ノエルのように単純明快な子には、理解しがたい態度なのでしょう。グリーンアイは憂いていました。
「お母さま、今夜はぼくがお母さまと寝る番だけど、ローランに譲ってあげることにしたんだ。ローランに言ったら、びっくりしてたけど……」
まあ、なんて優しい子なのでしょう? 一人称が“おれ”から、“ぼく”に戻っているのも良きです。元気のないローランを、この子なりに気遣ったのでしょうね。ローランからしたら、ありがた迷惑かもしれませんが。
「ふふふ……ローランはなんて答えたの?」
「ありがたく君の好意を受け取る……だってさ」
わたくし、デザートのソルベをそのままゴックンしてしまいました。
喉から胸を通る冷たい感触に、思わず顔をしかめます。
「あの、お母さま? 勝手に約束してごめんなさい……ご迷惑でしたか?」
「いいえ。驚いただけよ。ローランて、ませているでしょう? 甘えるなんてことは、考えられなかったから……」
わたくしは向かいに座っているレオンのほうへ視線を移します。レオンは眉間に皺を寄せていました。晩餐のまえにわたくし、コッテリ絞られたのですよね。緊急時とはいえ、後先考えず屋敷を飛び出して、従者も連れず町中を歩き回ったものですから、旦那さまはカンカンでした。
わたくしが屋敷に戻ったのは夕方で、そのすぐあとにレオンも帰ってきたので、箝口令が間に合わなかったのです。小一時間、談話室に監禁され、お説教されてしまいました。
いさかいのあとはフォローが必要です。ノエルには申し訳ないけど、今夜は共寝の順番をレオンと代わってもらうつもりでした。
母親だって女です。慰めてもらいたい夜もあります。身体を触れ合わせることで、大人は仲直りするのですよ。けれど、子供を優先するのが大人というもの。親というものです。
レオンが微かにうなずくのを見て、わたくしはローランと寝ることにしました。
♔ ♔ ♔
ネグリジェに着替え、ローランの寝室へ入った時にはチェスボードは片付けられていました。
ベッドの端に腰掛けるローランは緊張した面持ちです。
今日のことで叱られると思っているのでしょうか。馬車が動いてしまったのはあなたの責任ではないと、わたくしは伝えております。酒場に入ったことも結果的には良かったですし、ローランを責めるつもりは微塵もありませんでした。
「何回も言うけれど、今日のことであなたを咎めるつもりはないわ。わたくしがここに来たのは、思いきり甘えてほしかったからよ」
隣に腰掛け、ローランの手に触れると、彼の身体は収縮しました。あらまあ、顔だけじゃなくて耳、うなじまで真っ赤じゃないですか!
そうですか……ローランから聞いた話と状況から察するに、マルグリットは母親らしい愛情を注いでいなかったかと思われます。面と向かって、思いきり甘えてと言われたら、恥ずかしいのでしょう。そういうお年頃なのですね。なんて、かわいらしい!
「遠慮しなくていいのよ? 子供には、いくらでも甘えていい権利があるわ」
残念ながら、ローランは一枚布で作られたリネンの夜着に着替えていました。寝る準備万端で待ち構えていたので、手伝うことはありません。何をどう甘えたらいいものか、わからないようでした。もじもじしています。
「そうねぇ……絵本を読んであげる年でもないし、子守り歌?……ごめんなさい、ちがうわよね?」
「いえ……いい……いいです、子守歌!」
子守歌に食いつきました。意外です。ちなみにノエルには絵本も読んで、子守歌も歌っています。ローランは馬鹿にすると思っていました。
「他には腕枕とか……?」
「それは僕がやって……いえ、なんでもないです。どんなことでも、お願いしていいのですか?」
どんなことでも……というわけでは、ないですけど……それにしても、この子大丈夫かしら? 蒸し風呂に入ったあとみたいな赤さですわよ? まさか、発熱??
わたくし心配になって、彼を抱き寄せて額をくっつけ合わせました。
ひゅっと息を呑む音がして、ローランは脱力しました。腕を通じて、緩んでいくのがわかります。警戒されてはいないようですが、なんだか変な感じですわ。
「熱はないようだけど、大丈夫? 具合が悪いんじゃない?? お夕食は部屋でとったのかしら?」
「はい。女中が運んできました。ちゃんと食べたから、大丈夫です」
晩餐には来なかったものの、食事はしたと聞いてホッとしました。思っていたほど、落ち込んではいないのかしら? 心配しすぎなのかもしれません。
「じゃ、寝ましょう。ランタンは寝てから消しましょうか?」
九歳児には大きすぎる天蓋付きベッドに、ローランを寝かせます。わたくしも眼鏡を取り、横になりました。
そばにローランのきれいな顔があります。わたくしの視力でも見える近さでした。紅顔の美少年とはまさにこのこと。輝く金髪に指を絡ませれば、恍惚として青い目を瞬かせます。
「手を握ってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ。いちいち聞かなくてもいいのよ?」
ここはもうあなたの家で、わたくしはこの家のお母さまなんですからね。存分に子供らしく振る舞いなさい。母性を刺激され、わたくしは甘々になっていました。子供の前では無防備になります。
でも、わたくしを見るローランの目が妙に大人びていて、ドギマギしてしまいました。
まさかね? だって、まだ九歳ですよ?
「では、お願いしてもいいですか?」
美少年は深呼吸すると、一気に言葉を吐きました。
「寝るまえにお休みのキスとハグをしてください。あと、僕にもキスをさせてください。頭をなでなでしてください。寝ている間、ずっと手を握っていてください。朝ご飯をベッドに持ってこさせ、食べさせてください。飲み物をシェアさせてください。髪の毛を編んでください。クッキーをかじって毒見したあと、それを僕にください。おはようのキスを……」
要求っっ!?
めちゃくちゃ要求してくるではないですか!?……うーん、やっぱり熱があるのかしら?
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