上 下
21 / 51

21、要求

しおりを挟む
 ローランの落ち込みようといったら、周りまで暗くするほどでした。一緒にいたマイアもシュンとしてしまいます。
 これは事故で誰も悪くないこと、二人が無事で嬉しかったことをわたくしは伝えましたが、暗い空気は変わりませんでした。
 屋敷へ戻ってからも、ローランは一言も話さず、部屋に閉じこもってしまいました。

 わかっておりますよ。マイアを危険な目に遭わせてしまったことで、責任を感じているのでしょう? それと、あのチェスの対局のことですわよね? 同じ年頃の子にボロ負けした、そのことであなたのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。

 わたくしの母が開くサロンで大人顔負けの戦術を披露して、称賛されていたわよね、あなた。神童だ、天才だと持てはやされて、自分より上の存在を考えもしなかった。もはや、あなたの相手は大人しか務まらなかったですものね。
 
 それなのに、自分より下だと思っていた庶民の少年に打ち負かされてしまった。
 悔しかったでしょう? 初めてのチェスでレオンに負けた時より大きな壁にぶつかって、すべて嫌になってしまったでしょう? 圧倒的な差を感じて、思い知ったのよね。自分が井の中のかわずだったことを。
 いいこと? 本当の天才というのは、彗星のごとく出現するものよ。そして、身分や経歴などはいっさい、関係ないのです。

 誰しも、一度は壁にぶつかります。これまで自分がどんなにおごっていたのか、未熟だったのか、現実を突きつけられます。
 そういう時は、いったん丸裸になって、また一から出直すの。人は成長できる生き物です。
 ただ、“驕り”の期間の長い人は、立ち直るのに時間がかかるかもしれません。あなたはなまじ、優秀すぎたのです。知能面に関しては、挫折を味わったことがなかったのでしょう。

 もしかしたら、ローランはチェスをやめてしまうかもしれない、わたくしはそんな気もしていました。



 食べることが大好きな子ですのに、晩餐の席にも姿を現しませんでした。
 ノエルに様子を確認させたところ、ベッドにチェスボードを置いて、ずっとにらめっこしていたそうです。思ったとおりですわね。これは重症かもしれません。
 ノエルのように単純明快な子には、理解しがたい態度なのでしょう。グリーンアイは憂いていました。

「お母さま、今夜はぼくがお母さまと寝る番だけど、ローランに譲ってあげることにしたんだ。ローランに言ったら、びっくりしてたけど……」

 まあ、なんて優しい子なのでしょう? 一人称が“おれ”から、“ぼく”に戻っているのも良きです。元気のないローランを、この子なりに気遣ったのでしょうね。ローランからしたら、ありがた迷惑かもしれませんが。

「ふふふ……ローランはなんて答えたの?」
「ありがたく君の好意を受け取る……だってさ」

 わたくし、デザートのソルベをそのままゴックンしてしまいました。
 喉から胸を通る冷たい感触に、思わず顔をしかめます。

「あの、お母さま? 勝手に約束してごめんなさい……ご迷惑でしたか?」
「いいえ。驚いただけよ。ローランて、ませているでしょう? 甘えるなんてことは、考えられなかったから……」

 わたくしは向かいに座っているレオンのほうへ視線を移します。レオンは眉間に皺を寄せていました。晩餐のまえにわたくし、コッテリ絞られたのですよね。緊急時とはいえ、後先考えず屋敷を飛び出して、従者も連れず町中を歩き回ったものですから、旦那さまはカンカンでした。

 わたくしが屋敷に戻ったのは夕方で、そのすぐあとにレオンも帰ってきたので、箝口令かんこうれいが間に合わなかったのです。小一時間、談話室に監禁され、お説教されてしまいました。

 いさかいのあとはフォローが必要です。ノエルには申し訳ないけど、今夜は共寝の順番をレオンと代わってもらうつもりでした。

 母親だって女です。慰めてもらいたい夜もあります。身体を触れ合わせることで、大人は仲直りするのですよ。けれど、子供を優先するのが大人というもの。親というものです。
 レオンが微かにうなずくのを見て、わたくしはローランと寝ることにしました。



 ♔ ♔ ♔

 ネグリジェに着替え、ローランの寝室へ入った時にはチェスボードは片付けられていました。

 ベッドの端に腰掛けるローランは緊張した面持ちです。
 今日のことで叱られると思っているのでしょうか。馬車が動いてしまったのはあなたの責任ではないと、わたくしは伝えております。酒場に入ったことも結果的には良かったですし、ローランを責めるつもりは微塵みじんもありませんでした。

「何回も言うけれど、今日のことであなたをとがめるつもりはないわ。わたくしがここに来たのは、思いきり甘えてほしかったからよ」

 隣に腰掛け、ローランの手に触れると、彼の身体は収縮しました。あらまあ、顔だけじゃなくて耳、うなじまで真っ赤じゃないですか!

 そうですか……ローランから聞いた話と状況から察するに、マルグリットは母親らしい愛情を注いでいなかったかと思われます。面と向かって、思いきり甘えてと言われたら、恥ずかしいのでしょう。そういうお年頃なのですね。なんて、かわいらしい!

「遠慮しなくていいのよ? 子供には、いくらでも甘えていい権利があるわ」

 残念ながら、ローランは一枚布で作られたリネンの夜着に着替えていました。寝る準備万端で待ち構えていたので、手伝うことはありません。何をどう甘えたらいいものか、わからないようでした。もじもじしています。

「そうねぇ……絵本を読んであげる年でもないし、子守り歌?……ごめんなさい、ちがうわよね?」
「いえ……いい……いいです、子守歌!」

 子守歌に食いつきました。意外です。ちなみにノエルには絵本も読んで、子守歌も歌っています。ローランは馬鹿にすると思っていました。

「他には腕枕とか……?」
「それは僕がやって……いえ、なんでもないです。どんなことでも、お願いしていいのですか?」

 どんなことでも……というわけでは、ないですけど……それにしても、この子大丈夫かしら? 蒸し風呂に入ったあとみたいな赤さですわよ? まさか、発熱??

 わたくし心配になって、彼を抱き寄せて額をくっつけ合わせました。
 ひゅっと息を呑む音がして、ローランは脱力しました。腕を通じて、緩んでいくのがわかります。警戒されてはいないようですが、なんだか変な感じですわ。

「熱はないようだけど、大丈夫? 具合が悪いんじゃない?? お夕食は部屋でとったのかしら?」
「はい。女中が運んできました。ちゃんと食べたから、大丈夫です」

 晩餐には来なかったものの、食事はしたと聞いてホッとしました。思っていたほど、落ち込んではいないのかしら? 心配しすぎなのかもしれません。

「じゃ、寝ましょう。ランタンは寝てから消しましょうか?」

 九歳児には大きすぎる天蓋付きベッドに、ローランを寝かせます。わたくしも眼鏡を取り、横になりました。
 そばにローランのきれいな顔があります。わたくしの視力でも見える近さでした。紅顔の美少年とはまさにこのこと。輝く金髪に指を絡ませれば、恍惚として青い目をしばたたかせます。

「手を握ってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ。いちいち聞かなくてもいいのよ?」

 ここはもうあなたの家で、わたくしはこの家のお母さまなんですからね。存分に子供らしく振る舞いなさい。母性を刺激され、わたくしは甘々になっていました。子供の前では無防備になります。

 でも、わたくしを見るローランの目が妙に大人びていて、ドギマギしてしまいました。
 まさかね? だって、まだ九歳ですよ?

「では、お願いしてもいいですか?」

 美少年は深呼吸すると、一気に言葉を吐きました。

「寝るまえにお休みのキスとハグをしてください。あと、僕にもキスをさせてください。頭をなでなでしてください。寝ている間、ずっと手を握っていてください。朝ご飯をベッドに持ってこさせ、食べさせてください。飲み物をシェアさせてください。髪の毛を編んでください。クッキーをかじって毒見したあと、それを僕にください。おはようのキスを……」

 要求っっ!?
 めちゃくちゃ要求してくるではないですか!?……うーん、やっぱり熱があるのかしら?
 あ、一応、全部叶えてあげましたよ。この日以来、週に一回、ローランと寝るようになりました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】ハッピーエンドのその後は・・・?

夜船 紡
恋愛
婚約者のいるアイザックに惹かれ、秘密の愛を育んでいたクリスティーヌ。 ある日、アイザックはクリスティーヌと生きることを決意し、婚約者であるイザベラに婚約破棄を叩きつけた。 障害がなくなった2人は結婚し、ハッピーエンド。 これは、ハッピーエンドの後の10年後の話。 物語の終わりが本当に幸せなのだという保証は、どこにもない。

なぜか処女懐胎して婚約破棄されました

村雨 霖
恋愛
 侯爵令嬢ユリエル・ローデント、16歳。ある夜、王宮にて開かれた夜会でユリエルの妊娠が発覚した。そのため婚約者だった第二王子シェランから不貞を疑われ、その場で婚約を破棄されてしまう。しかしユリエルは子どもができるような行為どころか、キスすらしたことがなかったのだ。 「あり得ない、なぜこんなことに……」  苦悩するユリエルの前に現れたのは、夜会で意図せず妊娠の事実を暴くことになった王国随一の魔導士だった…… ※カクヨム様と小説家になろう様にも掲載しています。

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。

婚約破棄された真の聖女は隠しキャラのオッドアイ竜大王の運命の番でした!~ヒロイン様、あなたは王子様とお幸せに!~

白樫アオニ(卯月ミント)
恋愛
「私、竜の運命の番だったみたいなのでこのまま去ります! あなたは私に構わず聖女の物語を始めてください!」 ……聖女候補として長年修行してきたティターニアは王子に婚約破棄された。 しかしティターニアにとっては願ったり叶ったり。 何故なら王子が新しく婚約したのは、『乙女ゲームの世界に異世界転移したヒロインの私』を自称する異世界から来た少女ユリカだったから……。 少女ユリカが語るキラキラした物語――異世界から来た少女が聖女に選ばれてイケメン貴公子たちと絆を育みつつ魔王を倒す――(乙女ゲーム)そんな物語のファンになっていたティターニア。 つまりは異世界から来たユリカが聖女になることこそ至高! そのためには喜んで婚約破棄されるし追放もされます! わーい!! しかし選定の儀式で選ばれたのはユリカではなくティターニアだった。 これじゃあ素敵な物語が始まらない! 焦る彼女の前に、青赤瞳のオッドアイ白竜が現れる。 運命の番としてティターニアを迎えに来たという竜。 これは……使える! だが実はこの竜、ユリカが真に狙っていた隠しキャラの竜大王で…… ・完結しました。これから先は、エピソードを足したり、続きのエピソードをいくつか更新していこうと思っています。 ・お気に入り登録、ありがとうございます! ・もし面白いと思っていただけましたら、やる気が超絶跳ね上がりますので、是非お気に入り登録お願いします! ・hotランキング10位!!!本当にありがとうございます!!! ・hotランキング、2位!?!?!?これは…とんでもないことです、ありがとうございます!!! ・お気に入り数が1700超え!物凄いことが起こってます。読者様のおかげです。ありがとうございます! ・お気に入り数が3000超えました!凄いとしかいえない。ほんとに、読者様のおかげです。ありがとうございます!!! ・感想も何かございましたらお気軽にどうぞ。感想いただけますと、やる気が宇宙クラスになります。

俺に着いてこい〜俺様御曹司は生涯の愛を誓う

ラヴ KAZU
恋愛
静香はウブなアラフォー女子。過去のトラウマから恋愛が出来ない、そんな静香の目の前に真壁不動産御曹司真壁翔が現れ、猛烈なアタックが始まる。徐々に惹かれていく静香、そして静香のアパートにやって来た翔と結ばれる。ところがその直後翔はアメリカ支社勤務を命じられる事となった。三年で戻る、結婚しようと言葉を残したが戻って来ない、静香は妊娠が発覚し、産む決心を固める。五年後翔は日本に戻って来た。二人の子供翔太が電話したのである。 二人は入籍し、三人家族の生活が始まった。その矢先静香は体調を崩し入院する事になった。 実は一年前静香は病気が発覚しており、薬で治療していた。 翔は手術を勧めるが静香は首を縦に振ろうとはしない、後遺症で記憶障害を告知されていた。 二人の記憶が無くなるなんて死ぬより辛いと、涙ながらに訴える静香。 しかし、翔の説得で静香は手術を受けるのだが、果たして静香の記憶はどうなるのだろうか。

パーティー中に婚約破棄された私ですが、実は国王陛下の娘だったようです〜理不尽に婚約破棄した伯爵令息に陛下の雷が落ちました〜

雪島 由
恋愛
生まれた時から家族も帰る場所もお金も何もかもがない環境で生まれたセラは幸運なことにメイドを務めていた伯爵家の息子と婚約を交わしていた。 だが、貴族が集まるパーティーで高らかに宣言されたのは婚約破棄。 平民ごときでは釣り合わないらしい。 笑い者にされ、生まれた環境を馬鹿にされたセラが言い返そうとした時。パーティー会場に聞こえた声は国王陛下のもの。 何故かその声からは怒りが溢れて出ていた。

処理中です...