ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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18、うちの子になって

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 ローランは変わりました。ノエルとも仲良く遊ぶようになりましたし、使用人の子に意地悪をしなくなりました。

 功を奏したのは、社会科見学でしょうかね。菓子工房を皮切りに、屋敷中の働く人たちの様子を見学させたのです。
 軽んじていたものが、どんなに大切だったのか。見えていないところで、いくつもの歯車が噛み合い、世界は動いています。たくさんの人に支えられ、生きてきたことに気づかされたのでしょう。

 本人が変われば、周りも変わります。それまで腫れ物に触るような扱いだったのが、徐々に変化していきました。

 庭師にカブトムシをつかまえてとお願いして、代わりにお菓子をあげたり、女中にポケットを繕ってもらったら、歌で返します。若い女中は美少年の歌声に癒されるのです。

 使用人たちともこうやって、持ちつ持たれつの関係を築いていくようになりました。菓子職人や料理人のお手伝いが一番好きかしら? お返しが豪華ですものね。今や、ローランはノエル顔負けの世渡り上手です。

 夏が終わり、貴族の社交シーズンも山場を迎えました。秋には領地へ帰ります。蝉がおとなしくなり、コオロギや鈴虫が鳴き始めると、なんだか淋しい気持ちになりますね。使用人もろとも移動しますし、地方の生活も楽しいのですけど。

 すっかりピヴォワン邸に馴染んだローランも、連れて行くことになりました。いくら、マルグリットの実家に問い合わせても、返事がないんですもの。何回か使いの者を寄越したところ、「好きにしてください。うちでは引き取りません」という回答でした。アルマンも相変わらず行方不明ですし、唖然としてしまいました。

 なにより、本人の意志が重要です。わたくし、おそるおそるローランの気持ちを確認することにしました。

 一階の端の談話室にローランを呼び出します。デリケートな話題ですので、気を使いました。

 絵画に四方から見下ろされる煙草くさい部屋で、ローランはビロードのソファーに腰掛けました。彼がより幼く見えるのは、怯懦きょうだのせいでしょう。大きな古びた家具が子供には不釣り合いで、よけいに不安をあおるようでした。

 身体の傷のこともありますし、答えはだいたい予想できましたが、やはり「帰りたくない」でした。

「母は僕を捨てたんです。もとより、母親らしいことをしてもらった覚えもありません。ですから、お邪魔でなければ……」

 こんなことを九歳児に言われたら、胸が締めつけられるじゃないですか。
 彼が全部を言い終えるまえに、わたくしは抱きしめてしまいました。反射的反応です。わたくし、ローランを心から守りたいと思いました。我が子にする覚悟もないのに、感情的になっていたのです。

 突然、抱きつかれたローランは硬直しました。当然ですわよね。数ヶ月一緒に過ごしただけの、親戚の……友達の母親です。さぞや、驚いたことでしょう。

「ごめんなさい……あなたがノエルと同じくらいの年ごろだから……きっと、ノエルと重ねてしまったのね。せつなくて、悲しくて、胸が苦しくなってしまったの」

「憐れみは不要です」

 わたくしの熱量に比べ、冷えた答えが返ってきました。
 そうですよね。ローランは自立心を持った子です。勝手に同情されて、守る決意をされたところで迷惑なだけでしょう。

 わたくしは失礼な行為を恥じ、ローランから離れました。
 ローランは顔を真っ赤にしてうつむいています。怒っていると思っていたので、恥ずかしがっているとは思いませんでした。

 わたくし、涙を拭くために眼鏡を外しました。一瞬、ローランの身体が震えます。

「あなたを養子として、受け入れてもいいと思っているの。もちろん、レオンと相談してからになるけれど、わたくしが母親になるのは嫌かしら?」

 ボヤけた視界でも、ローランがかぶりを振っているとわかりました。
 落胆しますわよね。毎日、チェスの対戦を申し込まれ、終わったあとは必ず検討会をします。この屋敷で彼と一番会話をしているのは、ノエルの次にわたくしだと思うのですよ。それなのに、嫌……ですか。

「べっ、べつにルイーザが嫌いなわけじゃないです! けど、母親というのは、ちょっとちがうなって……」 
「いいのよ。残念だけど、仕方のないことよ。あなたには本当のお母様がいらっしゃるものね」

 そう、ローランにはマルグリットという母親がいるのです。彼を捨てた母でも母は母。その地位は不動です。
 押しつけがましく母親になろうとした、わたくしが浅はかでした。ですが、肩を落とし、眼鏡をかけようとしたとたん、思いもしなかった言葉が返ってきました。

「ルイーザは母上ではないですが、とってもきれいで、すてきな人ですし、今の僕にとっては母上より大切な人です!」

 こんなことを早口で言われたら、照れるではないですか。
 レンズ越しに見えるローランはまだうつむいていました。耳まで赤いですね。

「ありがとう。わたくしもあなたが変わってくれて、嬉しいわ。ほら、ここに来たばっかりのころは壁を作っていたでしょう? 人と積極的に関わろうとしなかった」

「変われたのはルイーザのおかげです。あの時は何もかもがつまらなくて、退屈でした。誰に何を言われても心には響かず、何を見ても、くすんでいました」

 あ、ようやく顔を上げてくれました。初めてチェスをした時と同じ目をしています。碧眼に青い炎が宿っていました。

「僕は守られるのではなくて、あなたの力になりたいです。あなたの役に立ちたい」

 真剣なまなざしにドキッとしてしまいました。男の子って、こういうところが侮れません。急に、いつもとちがう顔を見せるんですから。わたくし、タジタジになってしまいました。

「そ、そうねぇ……お手伝いしてほしいことなら、いくつかあるわ」

 じつは、ローランとのチェスタイムは他の時間を圧迫しておりまして……一番、割を食っているのは双子のマイアとエレクトラだと思うのです。乳母一人では手一杯なので、もう一人子守りを増やそうかと考えているところでした。

「なんでしょう? なんでも、おっしゃってください! 少しでも恩返しがしたいのです」

 ローランは意気込んでいます。がっかりしないと、いいのですが……

「あのね、マイアとエレクトラと遊んでくれたらな、って思うの。その間にノエルの勉強を見てあげたいのよ」
「そんなこと、お安い御用ですよ!……ああ、そうか……僕のせいで時間が奪われてますもんね……」

 敏感なローランはすぐに気づきました。これは賢い子の困ったところです。

「気にすることじゃないわ。あなたとチェスをするのは、わたくしにとっても楽しみなのよ。あなたがこの家に来てくれて、本当によかった」

 そうです。君だって、みんなにいい影響を与えているのですよ? ヤンチャで暴れん坊のノエルが、少々思慮深くなりましたし、女中たちの仕事ぶりに磨きがかかりました。彼女たちは推しができたことで、生き生きしています。

 わたくしも、あなたの成長を見るのが楽しいのです。あなたはもう立派なピヴォワン家の一員ですよ。
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