ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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17、菓子工房

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 思いつきで実行することになった社会科見学。どんな効果が期待できるのやら……

 菓子工房は厨房の一角にありました。かまどとオーブン、水道は厨房と分けており、完全に独立した調理場となっています。

 ちょうど、追加の焼き菓子を作っているところでした。
 職人は一人だけで、見習いが一人、手伝っています。
 
 粉まみれの職人たちを見て、ローランは顔をしかめました。
 入るまえに手洗い、三角巾とエプロンの装着は必須です。それもローランが不機嫌な理由の一つでした。

  洗練されているかどうかは置いといて、両親がファッションにこだわる人なので、働く人のアイテムを身に着けたくないのはわかります。なんで貴族様が職人レベルに合わせないといけないんだ……と、そういう気持ちなのでしょう? まず、そこから変えていきましょうね。

 雇い主だからと遠慮せず、必要なことをきっちり伝えられるのは、信用できる職人の証ですよ。厨房や工房は主の食事を作る神聖な場所。彼らにとっての戦場です。不衛生なまま入って、髪の毛を落としたり、汚れた手で調理器具を触ったりしては、主の健康に関わります。

 職人は台の上で、生地を伸ばしては折ってたたむ動作を繰り返していました。ノエルはローランより好奇心旺盛ですね。期待に満ちたグリーンアイを職人に向けています。
 この淡黄色の粘土が何に変わるか、想像もつかないのよね? 机上で文字を追っているだけでは、できないお勉強ですよ?

 直径二十センチの金属の型に生地をはめ込みました。薄い羊皮紙を上にかぶせ、小石サイズの金属の重りを散りばめます。それをオーブンに入れて、待つこと二十分。燃焼室の火加減を見るのは見習いの仕事です。

 その間に職人は他のクッキーにアイシングを施したり、鍋で煮ているいちごのコンポートの状態を確認したりします。工房内はつねに甘い香りが漂っていますね。

 生地が焼きあがるまで余裕があり、コンポートや焼きたてクッキーの味見をさせてもらいました。
 ふふふ……ローランの難しい顔がほぐれてきましたよ。ほんと、甘いものが好きなんだから。
 あとね、アイシングの体験もさせてもらいました!

 絞り器を使い、クッキーの表面をコーティングしたり、模様をつけます。
 ローランは星型のクッキーに、自分の名前を懸命に書いていました。

 ノエルに至っては大はしゃぎでしたね。猫のクッキーにおもしろい顔を描いて、お腹を抱えて笑うものですから、「お静かにお願いします」と、注意されてしまいました。
 また、ビーズみたいな砂糖菓子やチョコレートをてんこ盛りにまぶしてみたり、アイシングでウ◯チの絵を描いてみたり……まあ、お行儀の悪い。自分が作ったものは責任を持って、食べなさいね?

 それにしても、職人さんの素晴らしいこと! シンプルな丸いクッキーがゴージャスなブーケに早変わり! イラクサ模様や雪の結晶……家や馬もあります。どれもこれも精巧で、食べるのがもったいないぐらいです。まるで、手品でした。

 職人を見る子供たちの目が、尊敬の眼差しに変わりました。
 今まで、できあがったものを何も考えずに食べていたのでしょう? 自分でやってみて、その過程を見て学び、大変さを知ることができたのです。
 知って変わることは、山とあるのですよ。だから、わたくしたちは学ばねばなりません。

 楽しい体験コーナーが終わるころには、生地が焼き上がっていました。香ばしい匂いが工房内を満たします。

「この香りはタルトだ!」

 と、大喜びのノエルの回答は惜しいところでした。ローランは落ち着き払って、推測します。

「バターを何回も折り込んでいただろう? 何層にも生地が重なっているということは……」

 職人が持ってきた生地を見れば、もう一目瞭然ですね。そう、これはみんな大好きなパイ!!

 焼き上がったパイが冷めるまで、カスタードクリームやフルーツの準備をします。
 カスタードの材料は小麦粉、砂糖、牛乳、卵だけ。シンプル・イズ・ザ・ベスト。職人はそれを手際よく混ぜ、たちまちクリームを作り上げてしまいます。仕上げはバニラビーンズで。魔法の香りづけです。
 一方の見習いは果物を切って、ナパージュ(ゼリー状のツヤ出し)を作ります。
 
 黄金色の土台にカスタード……もうこれだけで、ごちそうですよ! 果物をみんなでせました。ナパージュを塗れば、きらめく王冠のよう。

 ノエルもローランも釘付けです。黄色い粘土が王冠になるとは、ミラクルですね!

 最後にミントを飾る大役を任されたのはローランでした。ノエルが譲ったのですよ。さすが、我が子。

 完成した王冠パイとクッキーを持って、広間に戻りました。アイシングクッキーは固まるまでに時間がかかるので、明日の楽しみにします。それまでは銀のお盆の上で乾かしますよ。

 子供たちの会話も弾みます。今度は厨房の見学もしたいと言い出しました。良きです、良きです。おいおい、食べ物関係以外のお仕事も見学しましょう。厩番や執事、家政婦長、洗濯女……仕事を知ることで、見えてくるものがあります。

「工房を見て何を思ったのか、教えてくれる?」

 大口あけて、パイを頬張ろうとするローランにわたくしは声をかけました。
 いけませんよ? 食べるまえにしっかり総括しないとね。

「素晴らしかったです! 感動しました!」
「うんうん、具体的には?」
「えっと……常人には真似できないような技術だと思いました」
「あなたはその特殊性に惹かれたのね?」
「ええ。彼は貴族になるべきだと思いました」

 この回答には、吹き出してしまいましたよ。もう……何を言ってるの。 

「貴族の仕事は菓子職人とは、まったく別物よ? ちがう能力が要求される」

 怒っているわけでも、嘲笑しているわけでもないのですよ。あなたの発想が突飛で子供らしかったので、笑ったの。
 ローランは息を呑んで、次の言葉を待ちます。

「それぞれ職業ごとに役割があって、社会は成り立っています。チェスに似ていると思わない?」
「はい……」
「あなたは当初、チェスはつまらないと言っていたわよね? 菓子職人はどう?」
「取るに足らない職業だと、誤解していました」
「他の職業だってそうよ? 貴族だけで社会は成り立たない」

 賢い子は青い目をしばたたかせて、わたくしの言葉を理解しようとします。その横でサクサク音を立てるのはノエル。

「うんまっ!! あの粘土みたいのが、こんなサクサクになるんだもんな! すごいな!!」

 気が抜けちゃったじゃないですか。まったく、この子は。

「今、お話ししているのよ? んもぅ……ほっぺにカスタードが付いているじゃない」

 母親らしく、拭ってあげました。そうこうしているうちに、昼寝から覚めた双子たちが、階段を下りてきます。
 甘い匂いを嗅ぎつけて、満面の笑顔を見せつけてきます。こちらまで、もらい笑いしてしまうではないですか。双子に追いつこうとする乳母はかわいそうに、とっても眠たそう。この子たち、夜まで寝ませんわね。今日はチェスの指導はできません。

 ローランは顔を上気させ、こちらを見ていました。

「僕はもっと知りたいです。チェスや世の中のこと……ルイーザのこと……」

 最後のほうは小さい声で、よく聞き取れませんでした。

 さあ、もうお勉強は終わりです。思いっきり、かぶりつきましょう。みんなで作った最高のパイですよ!

 サクリ、ローランは天使の笑顔を見せました。
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