ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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15、チェスを教えてください!

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 手加減するつもりでした。わたくし、大人げなかったでしょうか……

 ローランは白。キングしか残っておりません。それこそ裸の王様にしてしまいました。こちらは騎士ナイト僧正ビショップもクイーンも残っておりますから、チェックできますよね。ごめんあそばせ。

 悪気はなかったのです。早い段階でチェックできたのに、手加減して他の駒を取っていたら、こんな有り様になってしまいました。
 
 レオンは笑いをこらえています。

「君、大人げないなぁ……いくらなんでも、こんなげつない勝ち方……」
「ちがいますわ! 手加減をするには、ローランは強すぎるのです。わざと負けたら、プライドを傷つけるでしょう?」

 慌てて弁解しても、あとの祭りです。無残な盤面を前にローランは呆然としていました。
 でも、もう泣いたりしませんでした。自分から手を差し出し、

「ありがとうございました」

 と、握手したのです。悔しそうではありましたが、どこかすっきりした顔をしていました。

「強いだろう、我が妻は。全国順位7位だからな!」

 レオンが得意げに言います。あなた、やめて。恥ずかしい……
 ローランは碧眼を見開きました。

「えぇ!? そんなにすごい方だったのですか!?」
「そうよ、ごめんなさい。7位にしては、たいしたことなかったかしら?」
「いえいえ、そんなこと……」

 ローランの視線はレオンへ注がれます。わたくしの順位がそんなに高ければ、レオンが何位なのか気になりますわよね? わかりますよ? でも、聞かないでちょうだいね。あなたほど賢い子なら、戦った感触である程度、強さを測れたでしょう。気遣いもできるはずよ。

 大広間の格子窓から見える庭園は、薄闇に包まれています。いつの間にか、誰かが燭台に火を灯してくれました。西日の赤からオレンジ色に、広間の色調は変わっています。幸せの灯火ですね。ともほのおがローランの瞳に映り、青い瞳を赤くしていました。

 それが燃える闘志に見え、わたくし、ゾクッとしてしまいました。凡庸ぼんようなアルマンとマルグリットが両親だとは思えぬほど、この子からはオーラを感じます。
 これから、とんでもない成長を遂げるのではないかしら?――そんな気までしてくるのですよ。

 若き天才の未来に思いを馳せようとしていると、双子の泣き声が聞こえてきました。いけない……チェスに夢中で、任せきりでした。乳母一人で、お転婆二人の相手は大変だったでしょう。

 わたくしが大慌てで広間を出ようとした時、うしろから声が追いかけてきました。

「奥さま! 晩餐のあとにまた、チェスを教えていただけないでしょうか??」

 振り返れば、ローランが熱い眼差しを向けています。ここまで夢中になってしまうとは……悪くないかもしれません。わたくし、頬を緩ませてしまいました。

「いいでしょう。でも、条件があります」

 むろん、ただでは教えません。ちゃんといい子にしてたら、ですからね。

「まず、わたくしのことは奥様ではなく、ルイーザと呼んで。それと、チェスに謝りなさい。あなたはさんざん、この楽しいゲームをこき下ろしたの。チェスを見下している人に教えることはできません」

「かしこまりました。もう、二度とチェスを馬鹿にしたりしません。チェスは奥深く、示唆に富んだ非常に文化的な競技だと思います。申しわけありませんでした」

「最後に“嘘をつかないこと”、“人に感謝すること”……これを守りなさい」

 わたくしはローランがうなずくのを確認し、背を向けました。にんまりするのは、顔が見えなくなってからにします。
 あんなに、ひねくれていた子が素直に大人の言うことを聞いたのですよ? チェスってすごい!

 その晩、かなり遅くまでローランにチェスを教えました。ルールはすでに完璧なので、基本的な戦術から応用編まで。ローランは教えたことを、スポンジみたいに吸収していきました。教えるほうも気持ち良いですよ。

 ハッと気づいた時には、深夜になっていました。子供は寝る時間です。

「ごめんなさいね。もう、こんな時間!」

 使用人たちも寝静まっています。着替えもまだですし、暖炉の残り火がパチパチしていました。大広間から談話室に移動していましたが、冷気が体の芯に入り込んできます。

「着替えを手伝うわ。さ、あなたの寝室へ参りましょう」
「使用人は起こさないのですか?」
「ええ。起きていたら手伝ってもらうけど、こちらの都合で遅くなったのに、叩き起こしたらかわいそうじゃない」

 ローランはに落ちない顔をしています。ああ、使用人に対する態度も改めさせないといけませんね。これは我が家の方針ですけど、身分の高い低いは関係なしに人と接してほしいのです。使用人や領民を家畜のように扱う貴族もおりますが、わたくしは誤っていると思うのですよ。これは個人的な価値観なので、強く押しつけたりは、いたしません。でも、一緒に住むのなら、少しでも理解していただきたいのです。

 わたくしは暖炉に置いてあったやかんを持ち、ローランと寝室へ向かいました。
 ベッドに座らせ、靴と長靴下を脱がせます。たらいにやかんの湯を注ぎ、足を浸してもらいました。その間にジュストコールを脱がせたり、編み込んだ髪をほどいたり、寝る準備を手伝います。残ったお湯は洗面器に入れ、手拭いを温めました。

 ぽっかぽかの手ぬぐいを顔にのせて、肩の力が抜けたのでしょう。美少年は無防備になりました。ほぅっと息を吐いて脱力する彼は、虐待に苦しむ不遇な子でも、チェスに心を奪われた天才児でもありません。ただの九歳児です。

 子供のお世話をするって、面倒なことばかりでもないのですよ。とっても幸せなことなのです。お世話をしたぶん、たくさん胸をときめかさせてくれますから。一緒にいるだけで、キュンキュンしどおしなのです。

 かいがいしく、たらいと洗面器を片付けている間にローランは着替え終わりました。

 横たわるローランに夜具を掛けてやります。危うく、おやすみのキスをしそうになってしまいました。彼はノエルや双子ではありません。よその子にチューはいけませんよね。

 紅色の頬に鳥さんのお口。まだまだ低いお鼻、金色のまつ毛――かわいすぎますが、我慢、我慢ですよ。

 グッとこらえて、頭をいい子いい子するだけに留めました。おやすみをして、燭台の火を消します。

「あ、待って」

 うわずった声で止められました。あいにく間に合いません。真っ暗です。

「ありがとうございました」

 闇のなか、聞こえた声はわたくしの胸を温かくしました。
 この子、変われるんじゃないかしら? もっと、周りとうまくやっていけるんじゃない? ノエルともお友達になれるかも?――希望が現実味を帯びてきました。

 もしかしたら、本当にもしかしたら、ローランはわたくしたちの家族になれるかもしれない、そんな明るい未来が近づいていました。 
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