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14、初めてのチェス

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 チェスは白が先手です。
 ローランは歩兵ポーンをニマス動かしました。僧正ビショップを動かすつもりでしょうか。懸命です。おぉっと、キャスリング※ですか!(※条件下でキングをまたいで、ルークを移動する技)。これでビショップとルークが動かせるようになりました……さっそく、ビショップでピン※しましたね。(※高価値の駒を取られてしまう状況下にし、動けなくする)。レオンも負けてはいませんよ。ローランは攻めばかりで、守りがなってないじゃないですか??……ほーら、ダブルチェック! もう、逃げられませんよ?

 わたくしは夢中で見入ってしまいました。観戦もなかなか楽しいものです。
 レオンのルークとビショップにチェックされ、逃げ場を失ったローランは固まりました。はい、試合終了!!

 レオンはなんとか体面を保ちましたね。それにしても驚きました。わたくしが教えたルールをローランは、一度でモノにしたのです。複雑な動きをする技なども適宜使ってましたし、戦術は教えてすらいないのに披露していました。初心者とは思えません。レオンの全国順位37位は、決して低くありませんよ? そのレオンに初めてのチェスで、ここまで肉薄したのです。

 ピヴォワン邸に来てから、いいとこゼロの子でしたけど、見直してしまいました。尊大な態度をとってしまうのは、賢すぎるせいなのかもしれません。

 わたくしはローランを思いっきり褒めてあげようと思いました。
 その碧眼へきがんを見つめて、「おもしろい対戦だったわ。あなたも楽しかったでしょう」と、嫌がるかもしれませんが、金髪をなでなでしたいとも思いました。

 ところが、青空みたいな目は閉ざされていました。伏せたまつ毛から、ほろほろ涙がこぼれ落ちます。

 えぇ!? 泣いてるの!?
 
 この生意気な少年が涙を流すなんて、思いもしませんでした。泣いているのをごまかそうと、目をゴシゴシこすっています。
 
 まだ、九歳ですものね。よっぽど、悔しかったのでしょう。
 レオンが手を差し出しても、反応できずにいました。幼いとはいえ、目上の人に対して礼を失してはいけません。わたくしが助け舟を出さねば……

「終わったら、握手やお辞儀をするのが通例なの。これは正式な対局ではないけれど、戦った相手に対しては礼を尽くすのがマナーよ」

 ようやく、ローランはレオンと握手しました。
 そのあとは、しょんぼり肩を落とし、盤面を眺めていました。この子のことだから、負けたことをあれやこれや言い訳するのかと思いきや、想像以上に打ちひしがれています。

 少年を無理に移動させるのも、気の毒だと思ったのでしょう。レオンは喫煙室へ行ってしまいました。
 残されたわたくしの気まずいこと……

「驚いたわ。初めてで、レオン相手によく健闘していたわね」
「お世辞は結構です」

 ほーらね。取り付くしまもないでしょう? 負けを認めたくないのですよ。

「お世辞ではないわ。負けたのはあなただけど、わたくしは純粋にすごいと思ったの。失敗を踏まえて鍛錬すれば、あなたならレオンに勝てる」

 “勝てる”の言葉にローランは反応しました。顔を上げ、キッとわたくしを見据えます。

「本当にそう思います?」
「ええ」

 わたくし、嘘は申しておりません。

「見て。攻めている時、ほら、キングの前の歩兵ポーンを取られてしまったでしょう? 騎士ナイトを置いて守らせていれば、そんなことにはならなかったわ」

 お? 案外、大人しく解説を聞いてますね? 感心感心。

「最初のキャスリングは守りとしては、良かったわ。でも、途中からそれを生かせていない」

 何も言わず、ローランは盤面をにらみつけます。負けた原因を心のなかで噛み砕き、何度も反芻しているようでした。
 ただの遊びなので、棋譜きふはメモしていません。ですが、だいたいのところは頭に入っていますので、この時こうしたら良かったとアドバイスくらいはできます。例えば、の話は勉強になるでしょう。熱心に聞いてくれるのは嬉しいです。

 比べるのはよくないと思いつつ、ノエルとの違いに驚かされました。ノエルは対戦したあと、眠そうに話を聞きます。終わったら、早く別のことをして遊びたくなっちゃうのでしょうね。子供だもの。仕方のないことです。

 でも、ローランはわたくしのアドバイスを聞いて、実際に駒を動かして陣形を変えてみたりするわけですよ。首をひねり、何度もシュミュレーションします。

 チェスを幼稚な遊びと馬鹿にしていたことなど、すっかり忘れてしまったようでした。
 あまりに真剣ですから、わたくしもつい教えたくなるでは、ありませんか?

 一緒に駒を並べて、こういう戦術もある、こんな陣形はどうだろうとやっているうち、ローランの顔に笑顔が戻ってきました。

 喫煙室から戻ってきたレオンは、まだやっていたのかと目を細めます。

「奥さま、僕と対戦してください!」

 こんなことをローランが言い出して、レオンは苦笑しました。

「おいおい、チェスがくだらないだの、幼稚だの言っていたのがどうしたのだ? しかも、我が妻と対戦したいだと?」
「まえに言ったことは撤回します。奥さまだったら、僕でも勝てるかもしれません」

 ローランはわたくしが、レオンより弱いと決めつけているのですよね。かつて英雄と呼ばれ、実戦経験豊富なオジサマのほうが絶対に強いと。

 あのね、実際の戦闘経験や年の功は、必ずしもチェスが強いことの証明にはならないのですよ。

 わたくしが対戦の申し込みを受け入れると、実戦経験豊富なオジサマはニヤニヤしてテーブルの横に立ちました。
 ローランがコテンパンにやられるのを期待しているのでしょうが、わたくし手加減しますわよ? あなたのような大人げない真似はしません。

 夫婦の時間を邪魔されたあげく、チェスを馬鹿にされました。そのうえ、幼妻を悪童に取られてしまったのだから、気持ちはわかりますよ? 気持ちはね。

 ローランは目をキラキラさせて、盤面を見つめます。格子窓から入る西日が金髪を赤っぽく染めていました。頬を紅潮させるローランは、正直めちゃくちゃかわいいです。意地悪で高慢な子がこんな顔も見せるのかと、見入ってしまいました。

 でもね、ローラン。かわいさでごまかそうったって、そうは問屋が卸しません。ケジメは必要ですよ? 君、チェスをあれだけ、けなしておいて謝罪もしてないではないですか?
 そこでニヤけている大人げないオジサマには謝らなくていいですけど、チェスの神様には頭を下げましょうね?

 さて、と。この年齢の子に、わざと負けるべきではないですが……。当然、手加減をするにしても、勝つのはわたくし。かわいい子を泣かすのは不本意です――
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