ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

文字の大きさ
上 下
14 / 51

14、初めてのチェス

しおりを挟む
 チェスは白が先手です。
 ローランは歩兵ポーンをニマス動かしました。僧正ビショップを動かすつもりでしょうか。懸命です。おぉっと、キャスリング※ですか!(※条件下でキングをまたいで、ルークを移動する技)。これでビショップとルークが動かせるようになりました……さっそく、ビショップでピン※しましたね。(※高価値の駒を取られてしまう状況下にし、動けなくする)。レオンも負けてはいませんよ。ローランは攻めばかりで、守りがなってないじゃないですか??……ほーら、ダブルチェック! もう、逃げられませんよ?

 わたくしは夢中で見入ってしまいました。観戦もなかなか楽しいものです。
 レオンのルークとビショップにチェックされ、逃げ場を失ったローランは固まりました。はい、試合終了!!

 レオンはなんとか体面を保ちましたね。それにしても驚きました。わたくしが教えたルールをローランは、一度でモノにしたのです。複雑な動きをする技なども適宜使ってましたし、戦術は教えてすらいないのに披露していました。初心者とは思えません。レオンの全国順位37位は、決して低くありませんよ? そのレオンに初めてのチェスで、ここまで肉薄したのです。

 ピヴォワン邸に来てから、いいとこゼロの子でしたけど、見直してしまいました。尊大な態度をとってしまうのは、賢すぎるせいなのかもしれません。

 わたくしはローランを思いっきり褒めてあげようと思いました。
 その碧眼へきがんを見つめて、「おもしろい対戦だったわ。あなたも楽しかったでしょう」と、嫌がるかもしれませんが、金髪をなでなでしたいとも思いました。

 ところが、青空みたいな目は閉ざされていました。伏せたまつ毛から、ほろほろ涙がこぼれ落ちます。

 えぇ!? 泣いてるの!?
 
 この生意気な少年が涙を流すなんて、思いもしませんでした。泣いているのをごまかそうと、目をゴシゴシこすっています。
 
 まだ、九歳ですものね。よっぽど、悔しかったのでしょう。
 レオンが手を差し出しても、反応できずにいました。幼いとはいえ、目上の人に対して礼を失してはいけません。わたくしが助け舟を出さねば……

「終わったら、握手やお辞儀をするのが通例なの。これは正式な対局ではないけれど、戦った相手に対しては礼を尽くすのがマナーよ」

 ようやく、ローランはレオンと握手しました。
 そのあとは、しょんぼり肩を落とし、盤面を眺めていました。この子のことだから、負けたことをあれやこれや言い訳するのかと思いきや、想像以上に打ちひしがれています。

 少年を無理に移動させるのも、気の毒だと思ったのでしょう。レオンは喫煙室へ行ってしまいました。
 残されたわたくしの気まずいこと……

「驚いたわ。初めてで、レオン相手によく健闘していたわね」
「お世辞は結構です」

 ほーらね。取り付くしまもないでしょう? 負けを認めたくないのですよ。

「お世辞ではないわ。負けたのはあなただけど、わたくしは純粋にすごいと思ったの。失敗を踏まえて鍛錬すれば、あなたならレオンに勝てる」

 “勝てる”の言葉にローランは反応しました。顔を上げ、キッとわたくしを見据えます。

「本当にそう思います?」
「ええ」

 わたくし、嘘は申しておりません。

「見て。攻めている時、ほら、キングの前の歩兵ポーンを取られてしまったでしょう? 騎士ナイトを置いて守らせていれば、そんなことにはならなかったわ」

 お? 案外、大人しく解説を聞いてますね? 感心感心。

「最初のキャスリングは守りとしては、良かったわ。でも、途中からそれを生かせていない」

 何も言わず、ローランは盤面をにらみつけます。負けた原因を心のなかで噛み砕き、何度も反芻しているようでした。
 ただの遊びなので、棋譜きふはメモしていません。ですが、だいたいのところは頭に入っていますので、この時こうしたら良かったとアドバイスくらいはできます。例えば、の話は勉強になるでしょう。熱心に聞いてくれるのは嬉しいです。

 比べるのはよくないと思いつつ、ノエルとの違いに驚かされました。ノエルは対戦したあと、眠そうに話を聞きます。終わったら、早く別のことをして遊びたくなっちゃうのでしょうね。子供だもの。仕方のないことです。

 でも、ローランはわたくしのアドバイスを聞いて、実際に駒を動かして陣形を変えてみたりするわけですよ。首をひねり、何度もシュミュレーションします。

 チェスを幼稚な遊びと馬鹿にしていたことなど、すっかり忘れてしまったようでした。
 あまりに真剣ですから、わたくしもつい教えたくなるでは、ありませんか?

 一緒に駒を並べて、こういう戦術もある、こんな陣形はどうだろうとやっているうち、ローランの顔に笑顔が戻ってきました。

 喫煙室から戻ってきたレオンは、まだやっていたのかと目を細めます。

「奥さま、僕と対戦してください!」

 こんなことをローランが言い出して、レオンは苦笑しました。

「おいおい、チェスがくだらないだの、幼稚だの言っていたのがどうしたのだ? しかも、我が妻と対戦したいだと?」
「まえに言ったことは撤回します。奥さまだったら、僕でも勝てるかもしれません」

 ローランはわたくしが、レオンより弱いと決めつけているのですよね。かつて英雄と呼ばれ、実戦経験豊富なオジサマのほうが絶対に強いと。

 あのね、実際の戦闘経験や年の功は、必ずしもチェスが強いことの証明にはならないのですよ。

 わたくしが対戦の申し込みを受け入れると、実戦経験豊富なオジサマはニヤニヤしてテーブルの横に立ちました。
 ローランがコテンパンにやられるのを期待しているのでしょうが、わたくし手加減しますわよ? あなたのような大人げない真似はしません。

 夫婦の時間を邪魔されたあげく、チェスを馬鹿にされました。そのうえ、幼妻を悪童に取られてしまったのだから、気持ちはわかりますよ? 気持ちはね。

 ローランは目をキラキラさせて、盤面を見つめます。格子窓から入る西日が金髪を赤っぽく染めていました。頬を紅潮させるローランは、正直めちゃくちゃかわいいです。意地悪で高慢な子がこんな顔も見せるのかと、見入ってしまいました。

 でもね、ローラン。かわいさでごまかそうったって、そうは問屋が卸しません。ケジメは必要ですよ? 君、チェスをあれだけ、けなしておいて謝罪もしてないではないですか?
 そこでニヤけている大人げないオジサマには謝らなくていいですけど、チェスの神様には頭を下げましょうね?

 さて、と。この年齢の子に、わざと負けるべきではないですが……。当然、手加減をするにしても、勝つのはわたくし。かわいい子を泣かすのは不本意です――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

雇われ妻の求めるものは

中田カナ
恋愛
若き雇われ妻は領地繁栄のため今日も奮闘する。(全7話) ※小説家になろう/カクヨムでも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悪役令嬢は天然

西楓
恋愛
死んだと思ったら乙女ゲームの悪役令嬢に転生⁉︎転生したがゲームの存在を知らず天然に振る舞う悪役令嬢に対し、ゲームだと知っているヒロインは…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話

ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。 完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】「私は善意に殺された」

まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。 誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。 私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。 だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。 どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿中。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

処理中です...