11 / 51
11、まっすぐなグリーンアイ
しおりを挟む
レオンが帰ってきたのは晩餐の直前だったので、詳細を話せませんでした。アルマンとマルグリットの子供ですと正直に伝えたことで、ある程度は察したのでしょう。ローランを見て、顔をしかめていました。
いけませんよ、あなた。子供は傷つきやすいのです。悪いのはアルマンとマルグリットであって、かわいそうなローランではないのですよ。
「ところで、ノエルはどうしたのだ?」
レオンは口ひげについたスープを拭いながら、尋ねました。最近、グレーのヒゲが白っぽくなってきて、またそれもよし、ですわね。
ノエルは晩餐の席に姿を現しませんでした。急遽、食事を一人分増やしてもらうため、子供たちから目を離したのが徒労に終わりましたね。
「あとでお話しします」
ローランはピクッと、わずかに体を震わせました。
状況を精査していないので、正確にお伝えすることができません。ローランの前で、ノエルに損な情報だけを言いたくなかったのもあります。
あんなことのあとなのに、ローランの食欲は旺盛でした。
ケガのダメージが深部まで及んでいる場合、食事どころではないはずです。精神的なダメージも然り。たくさん食べられるのは健康な証です。
わたくしは胸をなでおろしました。いろんな意味で不健全な子が子供らしい一面を見せると、保護心が湧きます。
身長がノエルより数センチ高いのにもかかわらず、ローランの体重はノエルより軽いと思われました。痩せ過ぎ感は否めません。裸を見るまで、痩せていることに気づかなかったのは、わたくしの観察不足です。彼は着太りするタイプでした。
ひょっとしたら、まともに食事を与えられていなかったのでは?――と、疑心が浮かび、わたくしは慌てて打ち消そうとしました。
華美な服を着せ、朝から晩まで専属の教師をつけているという話でした。マルグリットはアッパークラスを狙う教育熱心な母親ですもの。食事をおろそかにするなんてことは……
そこまで考えて、わたくしは気づきました。それこそ、なんの根拠もないです。教育する金があるなら、食べるのには困らないはずだと、わたくしは勝手に決めつけていました。教育<食事という真っ当な考え方が、すべての親に当てはまるとは限りません。
マルグリットは小さな子に暴力を振るう、あるいはそれを黙認するような人です。借金があるからと育児放棄して、親戚の家に子供を置き去りにするような人ではありませんか。
わたくしは偏見と感情で憶測するのをやめました。目の前に虐げられている子供がいたら、助けなくてはいけません。
今日一日預かったら、レオンと相談してローランを送り返すつもりでしたが、気持ちが変わりました。
食事もまともに与えられず、暴力を振るわれている子を見捨てたくありません。
夫婦のベッドにて、わたくしはローランをしばらく預かりたい旨、レオンに伝えました。
ランタンの淡い光に映し出された旦那様は、衰えの知らぬ筋肉を薄い夜着で覆っています。この筋肉、さわり放題なんですよ。血管の浮き出た上腕筋も、カッチカッチの大胸筋も、六つに割れた腹筋も……妻にだけ許される特権ですわね。
それはさておき、レオンは険しい顔になりました。
「君がそうしたいと言うのなら構わないが、容易ではないよ」
承知していますとも。レオンには今日一日の顛末を話しておりました。
補足として、乳母の子の証言も付け加えています。夕食のあと、わたくしは聞き取りをしました。
乳母の子の話では三人で遊んでいたところ、ローランが意地悪をしてきたといいます。
ノエルに対してではなく、乳母の子に対してです。
この心理は理解できました。使用人の子と遊ばせない貴族の奥様は多いですから。言葉遣いや所作に悪影響が出るとお思いなのでしょう。ノエルも“おれ”とか言い出したので、影響は皆無ではありません。わたくしは、かなり寛容なほうなのです。
子供が差別意識から意地悪をするというのは、自然な流れでした。度を超えていなければ……。
最初は口で罵倒するだけだったのが、転ばせてきたり叩いてきたり、物理的な暴力に転じたそうです。
あげくの果てに、下げていた飾り物の剣を振り上げたので、ノエルが止めに入りました。飾り物といえども、突き刺せば命を奪えますし、金属ですから木剣より危険です。
しばし、打ち合いになり、ノエルがローランの肩を打ってしまいました。すると、ローランは「よくもやったな!」と短剣を抜きました。そして、生け垣の葉を切り落とし始めたのです。
わたくしが駆けつけた時、地面にたくさんの葉が落ちていたのは、もみ合っていたからではなかったのですね。
この行動は不可解でした。レオンに聞いたところ、挑発行為と返ってきました。ノエルがさらなる一撃を与えてくるのを、期待したのだといいます。ローランの目的は被害者になることでした。
「やめろ」という声をわたくしが聞いたのは、この時だったと思われます。乳母の子は助けを呼びに行き、その後のやり取りは見ていませんでした。
新しいケガは肩以外にありませんでしたし、ノエルは挑発に乗らなかったのでしょう。わたくしの足音を聞いて、被害者ぶるためにローランはしゃがみ込んだのかもしれません。
ノエルに非はありませんでした。
それなのにわたくしは、ノエルが悪いと決めつけて叱ってしまいました。後悔先に立たずとはこのことです。わたくしは愛息子を悪者にし、彼を害した人をかばいました。最低な母親です。
聞いたあと、すぐにノエルの寝室へ行きましたが、時すでに遅し。もう就寝していました。誤解したことを謝罪し、抱きしめてあげたかったのに……
ですが、腑に落ちない点があります。
どうして、ノエルはあの時、だまっていたのでしょう?
正当防衛ですし、乳母の子という証人もいます。わけを説明すればいいだけの話ではないですか。
旦那様は、わたくしの目の下に指を這わせます。にじみ出る涙は甘かったでしょうね。優しく説明してくださいました。
「いいかい? ルイーザ。ノエルはローランと幼なじみを守ったのだよ」
「どうして? 幼なじみはわかりますが、ローランは自分に汚名を着せようとした相手ですよ?」
「ローランというよりか、矜持を守りたかったのさ。弱きを助け強きをくじく……自分の信念を貫きたかった」
まっすぐなグリーンアイは、わたくしを温かく守ってくださいます。強い心がノエルに引き継がれたのは、とても喜ばしいことでした。
「本当のことを言えば、ローランは追い出される。共に育った乳母の子にも、迷惑をかけることになるだろう。ローランが何を言うかわからないからね。貴族の子に逆らったなどと、悪評を吹聴されては居づらくなる」
「でしたら、ローランを預かることで、ノエルを傷つけることにはならないでしょうか」
「いいかい、ローランはノエルが不利になると知って、自分が打たれたことしか言わなかった。ノエルはそんな奴をかばったのだよ」
「ええ。誇らしく思います」
そうですね、あなた。かしこまりました。わたくしは別の覚悟をすることにしましょう。あなたに似て気高いあの子なら、きっと大丈夫。
オレンジ色の光に包まれたベッドは、幸せに満ちていました。何があっても、このポカポカした場所に戻ればいい。わたくしは愛息子を信じることにしました。
こうして、ピヴォワン家でローランを預ることになったのです。
いけませんよ、あなた。子供は傷つきやすいのです。悪いのはアルマンとマルグリットであって、かわいそうなローランではないのですよ。
「ところで、ノエルはどうしたのだ?」
レオンは口ひげについたスープを拭いながら、尋ねました。最近、グレーのヒゲが白っぽくなってきて、またそれもよし、ですわね。
ノエルは晩餐の席に姿を現しませんでした。急遽、食事を一人分増やしてもらうため、子供たちから目を離したのが徒労に終わりましたね。
「あとでお話しします」
ローランはピクッと、わずかに体を震わせました。
状況を精査していないので、正確にお伝えすることができません。ローランの前で、ノエルに損な情報だけを言いたくなかったのもあります。
あんなことのあとなのに、ローランの食欲は旺盛でした。
ケガのダメージが深部まで及んでいる場合、食事どころではないはずです。精神的なダメージも然り。たくさん食べられるのは健康な証です。
わたくしは胸をなでおろしました。いろんな意味で不健全な子が子供らしい一面を見せると、保護心が湧きます。
身長がノエルより数センチ高いのにもかかわらず、ローランの体重はノエルより軽いと思われました。痩せ過ぎ感は否めません。裸を見るまで、痩せていることに気づかなかったのは、わたくしの観察不足です。彼は着太りするタイプでした。
ひょっとしたら、まともに食事を与えられていなかったのでは?――と、疑心が浮かび、わたくしは慌てて打ち消そうとしました。
華美な服を着せ、朝から晩まで専属の教師をつけているという話でした。マルグリットはアッパークラスを狙う教育熱心な母親ですもの。食事をおろそかにするなんてことは……
そこまで考えて、わたくしは気づきました。それこそ、なんの根拠もないです。教育する金があるなら、食べるのには困らないはずだと、わたくしは勝手に決めつけていました。教育<食事という真っ当な考え方が、すべての親に当てはまるとは限りません。
マルグリットは小さな子に暴力を振るう、あるいはそれを黙認するような人です。借金があるからと育児放棄して、親戚の家に子供を置き去りにするような人ではありませんか。
わたくしは偏見と感情で憶測するのをやめました。目の前に虐げられている子供がいたら、助けなくてはいけません。
今日一日預かったら、レオンと相談してローランを送り返すつもりでしたが、気持ちが変わりました。
食事もまともに与えられず、暴力を振るわれている子を見捨てたくありません。
夫婦のベッドにて、わたくしはローランをしばらく預かりたい旨、レオンに伝えました。
ランタンの淡い光に映し出された旦那様は、衰えの知らぬ筋肉を薄い夜着で覆っています。この筋肉、さわり放題なんですよ。血管の浮き出た上腕筋も、カッチカッチの大胸筋も、六つに割れた腹筋も……妻にだけ許される特権ですわね。
それはさておき、レオンは険しい顔になりました。
「君がそうしたいと言うのなら構わないが、容易ではないよ」
承知していますとも。レオンには今日一日の顛末を話しておりました。
補足として、乳母の子の証言も付け加えています。夕食のあと、わたくしは聞き取りをしました。
乳母の子の話では三人で遊んでいたところ、ローランが意地悪をしてきたといいます。
ノエルに対してではなく、乳母の子に対してです。
この心理は理解できました。使用人の子と遊ばせない貴族の奥様は多いですから。言葉遣いや所作に悪影響が出るとお思いなのでしょう。ノエルも“おれ”とか言い出したので、影響は皆無ではありません。わたくしは、かなり寛容なほうなのです。
子供が差別意識から意地悪をするというのは、自然な流れでした。度を超えていなければ……。
最初は口で罵倒するだけだったのが、転ばせてきたり叩いてきたり、物理的な暴力に転じたそうです。
あげくの果てに、下げていた飾り物の剣を振り上げたので、ノエルが止めに入りました。飾り物といえども、突き刺せば命を奪えますし、金属ですから木剣より危険です。
しばし、打ち合いになり、ノエルがローランの肩を打ってしまいました。すると、ローランは「よくもやったな!」と短剣を抜きました。そして、生け垣の葉を切り落とし始めたのです。
わたくしが駆けつけた時、地面にたくさんの葉が落ちていたのは、もみ合っていたからではなかったのですね。
この行動は不可解でした。レオンに聞いたところ、挑発行為と返ってきました。ノエルがさらなる一撃を与えてくるのを、期待したのだといいます。ローランの目的は被害者になることでした。
「やめろ」という声をわたくしが聞いたのは、この時だったと思われます。乳母の子は助けを呼びに行き、その後のやり取りは見ていませんでした。
新しいケガは肩以外にありませんでしたし、ノエルは挑発に乗らなかったのでしょう。わたくしの足音を聞いて、被害者ぶるためにローランはしゃがみ込んだのかもしれません。
ノエルに非はありませんでした。
それなのにわたくしは、ノエルが悪いと決めつけて叱ってしまいました。後悔先に立たずとはこのことです。わたくしは愛息子を悪者にし、彼を害した人をかばいました。最低な母親です。
聞いたあと、すぐにノエルの寝室へ行きましたが、時すでに遅し。もう就寝していました。誤解したことを謝罪し、抱きしめてあげたかったのに……
ですが、腑に落ちない点があります。
どうして、ノエルはあの時、だまっていたのでしょう?
正当防衛ですし、乳母の子という証人もいます。わけを説明すればいいだけの話ではないですか。
旦那様は、わたくしの目の下に指を這わせます。にじみ出る涙は甘かったでしょうね。優しく説明してくださいました。
「いいかい? ルイーザ。ノエルはローランと幼なじみを守ったのだよ」
「どうして? 幼なじみはわかりますが、ローランは自分に汚名を着せようとした相手ですよ?」
「ローランというよりか、矜持を守りたかったのさ。弱きを助け強きをくじく……自分の信念を貫きたかった」
まっすぐなグリーンアイは、わたくしを温かく守ってくださいます。強い心がノエルに引き継がれたのは、とても喜ばしいことでした。
「本当のことを言えば、ローランは追い出される。共に育った乳母の子にも、迷惑をかけることになるだろう。ローランが何を言うかわからないからね。貴族の子に逆らったなどと、悪評を吹聴されては居づらくなる」
「でしたら、ローランを預かることで、ノエルを傷つけることにはならないでしょうか」
「いいかい、ローランはノエルが不利になると知って、自分が打たれたことしか言わなかった。ノエルはそんな奴をかばったのだよ」
「ええ。誇らしく思います」
そうですね、あなた。かしこまりました。わたくしは別の覚悟をすることにしましょう。あなたに似て気高いあの子なら、きっと大丈夫。
オレンジ色の光に包まれたベッドは、幸せに満ちていました。何があっても、このポカポカした場所に戻ればいい。わたくしは愛息子を信じることにしました。
こうして、ピヴォワン家でローランを預ることになったのです。
6
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
【完結】「私は善意に殺された」
まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。
誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。
私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。
だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。
どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿中。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!


【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。

王族に婚約破棄させたらそりゃそうなるよね? ……って話
ノ木瀬 優
恋愛
ぽっと出のヒロインが王族に婚約破棄させたらこうなるんじゃないかなって話を書いてみました。
完全に勢いで書いた話ですので、お気軽に読んで頂けたらなと思います。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる