ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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8、え?

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 一難去って、また一難。
 翌日、お茶会の最中に嵐はやってきました。嵐というのは比喩です。天候は、雲一つないカラッとした晴天でした。

 気温も湿度も、外で過ごすティータイムには最適です。バラの咲き乱れる庭園にテーブルと椅子を用意してもらい、こだわりの小物で飾り立てておりました。繊細なレースのテーブルクロスや愛らしい少年の陶器の置物、お気に入りの鉱石や宝石を入れたオブジェなど。食器も当然、白磁に青い蔓草つるくさ模様の描かれたお気に入りのセットです。

 菓子工房の職人に腕を振るってもらい、ケーキやペイストリー(パイ)、ビスコッティをどっさり並べました。外でのお茶会ということで、子供たちも伸び伸びと走り回っています。それなのに……


 わたくしは心中、穏やかではありませんでした。薔薇のアーチをくぐって、玄関ホールへと向かう足取りは重いです。昨日の今日で、またしても不穏な来客。決して、良いことで訪ねたのではないでしょう。

 わたくしは、拍動する心臓をなだめようと、胸を押さえました。レオンの匂いを思い出して、心を落ち着かせます。

 玄関ホールの床に映し出されるステンドグラスの絵は、まだ優しい色合いでした。赤みの帯びた西日とは異なり、白っぽい陽光です。子供たちに囲まれる聖人が描かれたその絵を、彼女はハイヒールで踏みつけていました。そう、マルグリット……アルマンの愛人がやって来たのです。

「あら? ちょっと待たせ過ぎじゃない? 侯爵夫人て、ずいぶんお偉い身分なのね?」

 開口一番がこれです。シックな薄紫のドレスにレースのショール、紫水晶を合わせたわたくしとは対照的に、マルグリットは真っピンクのスカートをいやに膨らませた派手なドレスを着ていました。十年前に流行ったデザインですね。痛み気味の金髪には合っているかもしれません。
 彼女のなかでは十年の時が止まっているのかと思いきや、うちのノエルと同じくらいの子供を連れていました。

 思わず見入ってしまうほどの金髪碧眼の美少年には、驚きました。パーティーに行っても、違和感のない装飾の凝ったジュストコールを着せられています。普段はチュニックにブレイズ(股引ももひき)姿のノエルとは大違いですね。使用人の子と木剣を振り回して遊ぶものですから、お呼ばれの時以外、うちは着飾らせないのです。
 その男の子はまるでお人形さんのようでした。

「先日、うちのアルマンをたぶらかしたってほんと?」
「アルマンはいらっしゃいましたが、たぶらかしては、いません。なんの話です?」
「とぼけないでよー? アルマンが言ってたんだから。胸元のあいたドレスで誘惑されて、クラクラしちゃったって。そのくせ、ケチ臭くてビタ一文、出そうとしなかったって」

 胸元のあいたドレスを着ていらっしゃるのは、そちらでは? それに、子供の前でする話ではありません。

 美少年を見ると、聞いているのかいないのか、澄まし顔でステンドグラスを鑑賞しています。わたくしの視線に気づき、笑顔を見せました。
 悪く言えば、かわいげがないのでしょうか。大人がするような冷笑に近い笑い方です。 わたくしは深い闇のようなものを感じ、目をそらしました。

 その間もマルグリットは何やらずっと、話し続けていました。

「あんた程度の地味ブスじゃ、アルマンのようなイケメン令息は落とせなかったでしょうけど、まさか父親のほうに行くとはね、想定外だったわよ」

 この方、本当に令嬢なのでしょうか? こんな下品な物言いをする方に、わたくしはいまだかつて出会ったことがありません。何をどう、言い返せばいいのやら……

「オジサンをだますのは、たやすかったでしょうよ。侯爵家の領地も財産も名誉も、ぜーーーんぶ、あたくしのモノになる予定だったのに、あんたのせいで全部台なし」

 金髪には合わない黒いまつ毛を、マルグリットはバサバサ上下させます。異常性のある言動に、わたくしは引いていました。だますとか奪うとか、この方の中では日常なのでしょうか。

「アルマンをあんたから奪うために、子供まで作っちゃったんだからね? ほれ、この子……ローラン! ここにいる眼鏡女に挨拶なさい」

 ローランと呼ばれた美少年は、ステンドグラス鑑賞をやめ、おじぎをしました。そのさまは優美で洗練されており、下品なマルグリットとは雲泥の差がありました。

「今ねぇ、九歳かな? あんたんとこの子と同じくらいかしら? 貴族社会に出しても恥ずかしくないように、朝から晩まで専属の教師をつけて、教育させてんの。着てるものも、かなり上等なものよ。将来は王室に出入りするような、アッパークラスを目指してるからね」

 高い上昇志向をお持ちですのね。具体性のないのが、残念極まりないですが。見せかけだけ繕っても、財力と人脈がなければ、貴族社会でのし上がるのは難しいですわよ。要はこの方、見栄っ張りなんでしょうね。

「子供って、すっごい金がかかんのよ。他にも舞踏会に晩餐会、音楽会、貴族の付き合いって大変ね? あんたんとこの旦那からの仕送りは雀の涙よ? とてもじゃないけど、賄えないわ」

 あのぅ、 充分過ぎる額を送っているはずですが……そして、あなたの実家の収入はゼロなのでしょうか……? 自分たちで収入を得ようとはしないのですか? どうして見栄を張って、分不相応な生活をしようとするのでしょう? 身の丈に合った生活をすれば、いい話ではないですか――ツッコミどころは山とあります。言えば争うのが目に見えているので、わたくしは堪えました。
 毒しか吐かぬ赤い唇は動き続けます。

「借金も増えていくばかりよ。そもそもあんたが色仕掛けでジジイをだまくらかして、侯爵家を乗っ取ったりしなければ、今ごろ富と名声も手に入れて安泰なハズだった。うまくいかないのは、全部あんたのせいよ。責任くらい取りなさいよね?」

 責任とは?? いよいよ危険を感じ、わたくしは一歩下がりました。恐喝されたら声を上げますが、人が来るまでの間に暴力を振るわれる可能性もあります。マルグリットはフッと不敵な笑みを浮かべました。

「あんたのせいで妊娠せざるを得なかったんだからね? この子には相当金がかかってる。借金もあるし、もう育てるのはムリ。ピヴォワン侯爵も初孫なんだし、面倒を見る義務があるわ。あたくしにばっかり、責任を負わせるのは不公平よ!」

 めちゃくちゃな道理です。空いた口のふさがらないわたくしを尻目に、

「じゃあね、ローラン。ここの家だったら、贅沢させてもらえそうだし、孫の権利を存分に行使しなさい」
「はい、お母様。お元気で!」

 え!? ほ、本気なのですか!?

「あとはよろしく。では、ごきげんよう!」
「えっ!? えぇ!? えぇええええ!?」

 お恥ずかしい。わたくし、変な声を出してしまいました。
 マルグリットはくるりと背を向け、早足というか、駆け足で門のほうへ向かっていきます。追うこともできず、わたくしはローランの美しい顔とマルグリットの背中を交互に見ることしかできませんでした。

 母親に置いていかれたローランは、ませた微笑を崩しません。
 あぁ……これから、どうなってしまうのでしょう!?
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