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7、レオンの苦悩
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アルマンが去ったあと、わたくしは愛息子を抱きしめました。
我が子がアルマンに放った悪い言葉は、聞かなかったことにします。わたくしの胸に顔をうずめるノエルの短い黒髪からは、お日様の匂いがしました。さっきまでの男らしさはどこへやら、八歳児らしい甘えた声が聞こえてきます。
「お母さま、震えてる? ぼくがいるから、もう大丈夫だよ」
「守ってくれて、ありがとう……」
「泣いているの??」
わたくし、緊張の糸が切れて泣いてしまいました。弱い母親でごめんなさい。
「また、あいつが来たら、追い払ってやるよ。ぼくがお母さまを守る」
「危ないことはやめてちょうだいね? お母さまは子供たちが傷つけられるのが、一番恐ろしいのです」
「平気さ。あんな意気地なしは、ぼくの敵ではないよ。お母さまを泣かせる奴は許さない」
たくましく育ってくれたノエルを、わたくしは誇らしく思いました。
いたずらっ子の乱暴者ですが、この子はレオンの正義の心を引き継いでいます。
帰宅したレオンに、わたくしはアルマンのことをなかなか切り出せませんでした。話さなくてはいけないと急いてはいても、反応が怖かったのです。アルマンが彼の息子でなかったら、忌むべき人の話として難なく報告することができたでしょう。
ですが、アルマンはまえの奥様の忘れ形見。ほとんど戦地で過ごしていたレオンは、幼いアルマンのそばにいてやれなかったといいます。また、奥様は病弱で育児をほとんど使用人任せにしていたとか。人格形成される大切な時期に両親との触れあいが少なかったため、アルマンの性格は歪んでしまったのだと思われます。
そんな憐れみもあり、レオンのやるせない思いも考えてしまい、わたくしは口をつぐんでしまいました。
話したのはベッドに入ってからでした。口火を切ったのはレオンです。
「隠しごとはいけないよ。ちゃんと話しなさい」
有無を言わさぬ口調で、命じられてしまいました。わたくしの様子がおかしいと、見抜いていたのですね。
わたくしはたどたどしく、アルマンが訪ねてきたことを話しました。誘惑されたことは汚らわしい記憶なので、触れないでおきます。
すべて聞き終わると、レオンは布の張られたベッドの天蓋に視線を這わせました。
「すまない。アルマンの問題はすべて私の責任だ」
「どうか、ご自分を責めないで。爵位を継ぐのはノエルではなく、アルマンでもわたくしは構わないと思っております。そんなことより、くだらない争いに発展するほうが嫌ですわ」
アルマンの話になると、レオンはしぼんだ風船になってしまいます。愚かで心根の腐った息子は、彼の唯一の弱点なのでした。英雄のレオンをしおれさせるなんて、とんでもない親不孝者です。こんなことにならないよう、ノエルはしっかり育てようと、わたくしは心に誓いました。
レオンは地の底から吹き上がったかのような、深いため息をつきました。
「騎士団もやめてしまったと聞いている。まったく、何をしているのやら……。一度、呼び寄せて、話し合う必要があるな。この状態で、アルマンを侯爵家の跡取りにはできないよ。家が没落してしまう」
「悩んでいらっしゃるのはわかります。配慮してくださっていたのも……でも、まったく聞かされていなかったので、ビックリしてしまいました。隠しごとがいけないのは、お互いさまですよ?」
わたくしの強めの言葉に、レオンは繰り返し謝りました。
レオンは見るからに立派な初老の男性です。夜着に身を包んでいても、オーラは常に出ているのです。その彼が肩を落とし、うつむき加減に謝る姿は、いたたまれませんでした。
「それと、気になることが一つ。アルマンは金銭的援助を受けていないと言ってましたが、本当ですか?」
いくら、わたくしのほうが大切でも、実の息子にそこまでの仕打ちは酷いと思ったのです。レオンがそんなことをするのだろうかと、疑う気持ちもありました。
レオンは顔を上げて、否定しました。
「アルマンが世話になっているプルーニャ男爵家には、毎月仕送りしている。小切手の控えもある」
プルーニャ男爵というのは、マルグリットの父親でしょうかね。聞いたことのある名です。
念のため、金額を尋ねたところ、充分過ぎる額を送っていることがわかりました。正直、そんなに送る必要ある?……という額です。ですが、アルマンが家を出たのは、わたくしが原因でもありますし、責めようとは思いませんでした。
「すまぬな。あれでも、アルマンは我が息子。安易に見捨てることができぬのだ」
「お金のことは構いません。でも、そこまでしているのに結婚を認めないというのは……」
「自活能力が皆無なのに、結婚は認めてやれないだろう? プルーニャ男爵にも良い印象を持ってないのでね」
プルーニャ男爵で思い出しました。マダムたちの噂話で聞いたことがあります。
戦功で爵位を得たのはいいとして、残忍なやり方で捕虜の口を割らせたり、卑劣な闇討ちが得意だったとか。拷問のプロだったそうです。人柄が悪く、下官の手柄を横取りしたとも囁かれていました。戦後、退役してからは無価値の美術品を売りつけたり、詐欺まがいの商法で小金を稼いでいるという話です。
わたくしのマルグリットに対する印象はただの小便もらし令嬢でしたが、実家の状況は穏やかではありませんわね。そんなお家の厄介になっているアルマンのことが、レオンも心配でしょう。
「仕送りの件はアルマンに聞いてみよう。借金など、していないといいのだが……」
あの様子だと、その可能性は大有りですわよ。わたくしも、ため息をつきたくなりました。
「私は全部話した。君の番だよ」
レオンは向き直って、そんなことを言います。天蓋のカーテンを隔てたところにあるランタンの灯が揺れました。
「え? わたくし!?」
全部、話したはずですが……いや……
「ノエルから聞いたよ。アルマンのやつ、君を強引に自分の部屋へ連れ込もうとしていたのだろう?」
ああ……ノエルが話してしまいましたか。双子に読み聞かせをしている間でしょうか。レオンは抜かりなく、聞き取りをしていたようです。
「あ、あれはですね……」
罪悪感やら、恐怖感やら、嫌悪感がドッと押し寄せてきて、気づいたらわたくし、涙をボロボロ流しておりました。寝る前で眼鏡を外しておいてよかった。
レオンはそんなわたくしを抱き寄せます。
「わ、わたくし……こわくて……ごめんなさい……」
「また、傷つけてしまったのだな。すまない」
「何度もあやまらないで。小さな騎士様が助けてくれたから、もう平気です」
「使用人たちにも、アルマンのことをよく言い聞かせておこう。君に手出しをするのだけは許せない」
ゴツゴツした腕にきつく抱きすくめられ、わたくしの息は止まりそうになりました。
「君のことは、私が絶対に守る」
わたくしはレオンの首筋に顔をくっつけ、あの香りを胸いっぱいに吸い込みました。
レオンの体臭は絶大な安心感をもたらします。守られている、それだけでわたくしは満足ですよ。今後、どんな運命が待ち構えていようとも、彼となら乗り越えられますもの。
我が子がアルマンに放った悪い言葉は、聞かなかったことにします。わたくしの胸に顔をうずめるノエルの短い黒髪からは、お日様の匂いがしました。さっきまでの男らしさはどこへやら、八歳児らしい甘えた声が聞こえてきます。
「お母さま、震えてる? ぼくがいるから、もう大丈夫だよ」
「守ってくれて、ありがとう……」
「泣いているの??」
わたくし、緊張の糸が切れて泣いてしまいました。弱い母親でごめんなさい。
「また、あいつが来たら、追い払ってやるよ。ぼくがお母さまを守る」
「危ないことはやめてちょうだいね? お母さまは子供たちが傷つけられるのが、一番恐ろしいのです」
「平気さ。あんな意気地なしは、ぼくの敵ではないよ。お母さまを泣かせる奴は許さない」
たくましく育ってくれたノエルを、わたくしは誇らしく思いました。
いたずらっ子の乱暴者ですが、この子はレオンの正義の心を引き継いでいます。
帰宅したレオンに、わたくしはアルマンのことをなかなか切り出せませんでした。話さなくてはいけないと急いてはいても、反応が怖かったのです。アルマンが彼の息子でなかったら、忌むべき人の話として難なく報告することができたでしょう。
ですが、アルマンはまえの奥様の忘れ形見。ほとんど戦地で過ごしていたレオンは、幼いアルマンのそばにいてやれなかったといいます。また、奥様は病弱で育児をほとんど使用人任せにしていたとか。人格形成される大切な時期に両親との触れあいが少なかったため、アルマンの性格は歪んでしまったのだと思われます。
そんな憐れみもあり、レオンのやるせない思いも考えてしまい、わたくしは口をつぐんでしまいました。
話したのはベッドに入ってからでした。口火を切ったのはレオンです。
「隠しごとはいけないよ。ちゃんと話しなさい」
有無を言わさぬ口調で、命じられてしまいました。わたくしの様子がおかしいと、見抜いていたのですね。
わたくしはたどたどしく、アルマンが訪ねてきたことを話しました。誘惑されたことは汚らわしい記憶なので、触れないでおきます。
すべて聞き終わると、レオンは布の張られたベッドの天蓋に視線を這わせました。
「すまない。アルマンの問題はすべて私の責任だ」
「どうか、ご自分を責めないで。爵位を継ぐのはノエルではなく、アルマンでもわたくしは構わないと思っております。そんなことより、くだらない争いに発展するほうが嫌ですわ」
アルマンの話になると、レオンはしぼんだ風船になってしまいます。愚かで心根の腐った息子は、彼の唯一の弱点なのでした。英雄のレオンをしおれさせるなんて、とんでもない親不孝者です。こんなことにならないよう、ノエルはしっかり育てようと、わたくしは心に誓いました。
レオンは地の底から吹き上がったかのような、深いため息をつきました。
「騎士団もやめてしまったと聞いている。まったく、何をしているのやら……。一度、呼び寄せて、話し合う必要があるな。この状態で、アルマンを侯爵家の跡取りにはできないよ。家が没落してしまう」
「悩んでいらっしゃるのはわかります。配慮してくださっていたのも……でも、まったく聞かされていなかったので、ビックリしてしまいました。隠しごとがいけないのは、お互いさまですよ?」
わたくしの強めの言葉に、レオンは繰り返し謝りました。
レオンは見るからに立派な初老の男性です。夜着に身を包んでいても、オーラは常に出ているのです。その彼が肩を落とし、うつむき加減に謝る姿は、いたたまれませんでした。
「それと、気になることが一つ。アルマンは金銭的援助を受けていないと言ってましたが、本当ですか?」
いくら、わたくしのほうが大切でも、実の息子にそこまでの仕打ちは酷いと思ったのです。レオンがそんなことをするのだろうかと、疑う気持ちもありました。
レオンは顔を上げて、否定しました。
「アルマンが世話になっているプルーニャ男爵家には、毎月仕送りしている。小切手の控えもある」
プルーニャ男爵というのは、マルグリットの父親でしょうかね。聞いたことのある名です。
念のため、金額を尋ねたところ、充分過ぎる額を送っていることがわかりました。正直、そんなに送る必要ある?……という額です。ですが、アルマンが家を出たのは、わたくしが原因でもありますし、責めようとは思いませんでした。
「すまぬな。あれでも、アルマンは我が息子。安易に見捨てることができぬのだ」
「お金のことは構いません。でも、そこまでしているのに結婚を認めないというのは……」
「自活能力が皆無なのに、結婚は認めてやれないだろう? プルーニャ男爵にも良い印象を持ってないのでね」
プルーニャ男爵で思い出しました。マダムたちの噂話で聞いたことがあります。
戦功で爵位を得たのはいいとして、残忍なやり方で捕虜の口を割らせたり、卑劣な闇討ちが得意だったとか。拷問のプロだったそうです。人柄が悪く、下官の手柄を横取りしたとも囁かれていました。戦後、退役してからは無価値の美術品を売りつけたり、詐欺まがいの商法で小金を稼いでいるという話です。
わたくしのマルグリットに対する印象はただの小便もらし令嬢でしたが、実家の状況は穏やかではありませんわね。そんなお家の厄介になっているアルマンのことが、レオンも心配でしょう。
「仕送りの件はアルマンに聞いてみよう。借金など、していないといいのだが……」
あの様子だと、その可能性は大有りですわよ。わたくしも、ため息をつきたくなりました。
「私は全部話した。君の番だよ」
レオンは向き直って、そんなことを言います。天蓋のカーテンを隔てたところにあるランタンの灯が揺れました。
「え? わたくし!?」
全部、話したはずですが……いや……
「ノエルから聞いたよ。アルマンのやつ、君を強引に自分の部屋へ連れ込もうとしていたのだろう?」
ああ……ノエルが話してしまいましたか。双子に読み聞かせをしている間でしょうか。レオンは抜かりなく、聞き取りをしていたようです。
「あ、あれはですね……」
罪悪感やら、恐怖感やら、嫌悪感がドッと押し寄せてきて、気づいたらわたくし、涙をボロボロ流しておりました。寝る前で眼鏡を外しておいてよかった。
レオンはそんなわたくしを抱き寄せます。
「わ、わたくし……こわくて……ごめんなさい……」
「また、傷つけてしまったのだな。すまない」
「何度もあやまらないで。小さな騎士様が助けてくれたから、もう平気です」
「使用人たちにも、アルマンのことをよく言い聞かせておこう。君に手出しをするのだけは許せない」
ゴツゴツした腕にきつく抱きすくめられ、わたくしの息は止まりそうになりました。
「君のことは、私が絶対に守る」
わたくしはレオンの首筋に顔をくっつけ、あの香りを胸いっぱいに吸い込みました。
レオンの体臭は絶大な安心感をもたらします。守られている、それだけでわたくしは満足ですよ。今後、どんな運命が待ち構えていようとも、彼となら乗り越えられますもの。
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