ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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5、あれから十年

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 あれから十年。
 セクシーでたくましい、おとうさま……レオンと結ばれたわたくしは子宝にも恵まれ、充実した日々を過ごしておりました。

 八歳になる長男のノエルは、わたくしの実父似。艷やかな黒髪の将来が楽しみな美少年です。グリーンアイとヤンチャな所はレオン似ですわね。まっすぐな子なんですが、乱暴者で少々手を焼いております。

 そして、双子のマイアとエレクトラ! 四歳のかわいい盛りなんです。両親が黒髪でも、先祖返りと言うのかしら? 栗色に近いクルクルした巻き毛で、まるでお人形さんみたいなの! レオンたら、このお姫様二人の前ではデレデレしちゃって、形無しになるんですからね。

 わたくしが娘二人にヤキモチを焼くと、夜のほうで挽回しようとします。子供たちと寝たいのに、寝かせてくれません。本当にわがままなお父様なんだから……


 そんな理由で、たっぷり愛を注がれ、目覚めた朝のことでした。生まれて初めての匂いが、わたくしを襲ったのです。
 濃厚なチーズのような、チーズを油で揚げたような……なんとも言えない匂い。それは、隣に寝ているレオンのうなじから漂ってきました。

 わたくし、思わずレオンの首元に顔を近づけて、フンガフンガ嗅いでしまいました。こ、これはもしや?……体臭の一種でしょうか。男臭さとはまた違う、刺激的でありながら、どこか安心感もある。積み重ねてきた人生を感じさせる香りでした。

「どうしたのだ、朝から??」

 はしたなかったでしょうか? 目覚めてしまったレオンは怪訝そうな顔をしています。
 わたくしは、いつもとは違う匂いがしたことを正直に伝えました。
 興奮するわたくしと相反して、レオンの表情は複雑でした。

「そうか……私も年だからな……そのせいだろう」
「どうして、落ち込むんですの? わたくし、この匂い好きですわ。これを嗅ぐと、体が熱くなります」
「まったく、若い娘というのは……貪欲なんだから……」

 レオンは呆れ顔です。わたくしはレオンの口元の皺をなぞりました。

「いつまでも小娘扱いはやめてくださいね、あなた。わたくし、もう二十六よ?」
「うんうん、すっかり妖艶になってしまって……あんなに小ぶりだったここも……」

 そう言って、豊満になったわたくしの胸元へ手を伸ばしてきたので、スルッとけました。イジワルなことを言う人はお預けです。

「んもぅ……朝から、いけませんよ?」
「幼妻が体を熱くしているのだ。慰めてやらねば、なるまい」

 じつはわたくしも、新しい匂い効果でキュンキュンしていたものですから、まんざらでもなかったり……でも、レオンの愛情表現はかなり濃密なのです。朝からむつみ合ったら、燃え尽きちゃいそう。

 あいにく、双子のマイアかエレクトラの泣き声が聞こえ、わたくしたちの時間は中断されました。

 わたくしは眼鏡をかけ、子供たちのもとへと走ります。
 怖い夢を見たマイアが、ベッドの上で泣きじゃくっていました。最近、こういうことが、たびたびあります。四歳ぐらいの子に見られる特性なのでしょうね。マイアは特に、夜泣きや癇癪を起こすことが多いです。

 先に駆けつけていた乳母が無言で退き、場所を譲ってくれました。
 わたくしは愛する娘を抱きしめます。これは母親の役目。他の誰にも任せたくありません。

 何があっても、子供が第一。彼との間に産まれた三人の子供たちは、わたくしの宝です。
 乳母や使用人たちを頼ることもありますけど、できるだけ子供たちと触れ合うようにしていました。こんな幸せを他人に奪われるなんて、もったいないでしょう?

 子供にも夫にも満たされ、わたくしは幸せでした。嵐がやって来るなんて、想像だにしていなかったのです。神様はいたずらがお好きですね。


 朝、夫婦の時間がとれたのは、ほんの数分。ブランチもそこそこに、レオンは王議会員の仕事で王城へ行ってしまいました。王都にいる間はせわしないです。

 結婚前、交流を深められたのは、レオンがわたくしのためにわざわざ時間を作っていたからでした。わたくしが訪問するのは、だいたい昼下がりと決まっておりましたので、予定をずらしたり、まえもって仕事を片付けておくなどして時間を空けていたようです。
 
 この事実を知ったのは、結婚してしばらく経ったあとです。わたくしが叶わぬ恋に身を焦がしていた時期、レオンも息子の婚約者であるわたくしに好意を抱いていたというわけですね。

 息子のアルマンには罪悪感もあったようです。アルマンが身勝手な理由で婚約を解消したことに関しては、大激怒されたものの、すぐにクールダウンして追い出すまでには至りませんでした。けれども、居心地の悪くなったアルマンは結局、自分から屋敷を出て行きました。

 屋敷を出たアルマンが、どこかの貴族の邸宅でお世話になっているということだけ、わたくしは聞かされていました。それが親戚なのか、婚約者宅なのか、詳しいことはわかりません。

 配慮もされていたのでしょう。心身ともに強くなってほしいという願いから、騎士団へ入団させられたアルマンの近況を、わたくしは一切聞かされていなかったのです。


 愛する夫を送り出したあと、慌ただしく時は過ぎていきました。双子と遊んだり、夜会に出す食事や飾りつけの打ち合わせをしていると、あっという間にティータイムです。

 数名、親しいご婦人方をお呼びして、子供たちを遊ばせたり、社交界のトレンドや文学、アートの話に花を咲かせます。気づいたら夕刻になっておりました。これもいつものこと。わたくしはわたくしで、毎日忙しいのです。

 ディナーのまえに、ノエルの勉強を見てやらねばと思っていたところ、“彼”がやって来ました。
 そう、“彼”――アルマンが。

 執事から知らされた時、わたくしは即座に反応できませんでした。平和ボケというのかしら? 彼の存在はことごとく、頭の隅に追いやられていたのです。

 玄関ホールで待ち構えていたアルマンは年を重ねたせいか、くたびれた風貌をしていました。美々しかった黒髪の艶は失われ、滑らかだった肌には凹凸ができています。美青年だったころの面影は影も形もありません。しょぼくれた、ただの中年男になっていました。

 あら? たしか、わたくしより三、四つ上じゃなかったかしら? 同年代で若々しい人もいれば、老け込んで、別人になってしまう人もいます。アルマンの場合は老けているというより、霞んでしまいそうなぐらい存在感が希薄になっていました。オーラがないからでしょうか。

 レオンのように年々、魅力が増す人もいれば、アルマンのようにすり減っていくだけの人もいるのですね。

 金の無心に来たのかと、わたくしはピンときました。
 レオンの留守を見計らって来るとは、卑劣極まりありません。門前払いしてやろうと、身を固くしました。

 ドーム型の玄関ホールの壁には、見事なステンドグラスがはめ込まれています。西日が色ガラスを通り、大理石の床に色とりどりの模様を作っていました。その模様の上に一瞬、黒い影が落ち、わたくしは付け柱(壁に埋め込まれた柱)へ視線を移しました。

「久しぶりだね、ルイーザ! 見違えるように美しくなって、びっくりしたよ!」

 嬉しそうに話し始めたアルマンのせいで、視線は元に戻りました。アルマンはさもしい目つきで、わたくしの胸元をめるように見てきます。慌てて出迎えたわたくしは、ショールを羽織っていませんでした。深い谷間を隠すすべはありません。

「君がそんなに美しく成長するんなら、婚約解消なんてしなければ良かった。あーー、馬鹿だなぁ、僕は……」

 なんてことでしょう。あのアルマンが、わたくしのことを褒めています。地味眼鏡めがねとわたくしを罵ったあのアルマンが……

 若い時と大きな違いはないはずです。たしかにファッションは洗練されたと思いますし、肉体的な成長もしました。変わったのなら、レオンのおかげでしょう。愛されることで、女は美しくなるのですよ。

「十代のころはマルグリットのほうが、かわいらしく見えたけど、今じゃただのオバサンだもんなぁ……ああ、聞いてるとは思うけど、僕は今、マルグリットの家のお世話になってるんだよ」

 マルグリット? 婚約破棄した時にいた女性かしら? あの時の彼女とアルマンは結婚していないはずです。結婚していたら、さすがにレオンも報告ぐらいはするでしょうから。
 それにしても、内縁であろうと自分の妻を外で悪く言うのには感心できません。

「父上はズルいよ。年の功で審美眼がある。息子の婚約者を気に入って、うまいこと自分のモノにしちゃうんだからさ」

 ん?? それは、話がちがいません? レオンもわたくしのことを好いてくれていましたが、最初から下心があったわけではありません。息子に放置されるわたくしを憐れんでいたと思われます。

「本当は君と僕が結婚するはずだったのに、色気違いの父上がだまして取り上げたんだ」

 自分のことを棚に上げ、都合よく過去を作り変えるアルマンに、わたくしは唖然とするばかりでした。
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