ごめんなさい。わたくし、お義父様のほうが……

黄札

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4、始まり④

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 貴族だけでなく、国中の人がチェスの大会に熱狂しました。準々決勝あたりからは観戦したい人が多すぎて、サロンへの参加者は抽選になるほどでした。ただし、特例として国王陛下、王妃殿下、王太子殿下は優先的に招待させていただきました。あと、ノヴォジャーナル(瓦版)の記者たちは無料招待しました。彼らにはこの大会やチェスを広めるという役割があります。

 当然、本戦からは有料です。偽の招待状や会員証が転売されたりもするほど、(それ自体は困ったことなのですが)母のサロンは大盛況となりました。

 金額のつり上げは少しだけ。そんな卑しいことをしなくても、充分な額が集まりました。なにより、わたくしたちは多くの人にチェスを楽しんでもらいたかったのです。


 見事一位を獲得したのはなんと! 王都で両替商を営む女主人でした。
 庶民、しかも女性がナンバーワンになったというニュースは王都中……いいえ、国中に激震を走らせました。世のしがらみに囚われず、誰もが夢をつかむことができる。チェスという競技を通じて、人々は皆平等になったのです。

「まさか、こんなにも大々的になるなんてね……」

 いつもの大広間で、わたくしとおとうさまはチェス盤を挟んで談笑しておりました。相変わらず、アルマンは留守です。

 おとうさまはアルマンの所在をわたくしに告げなくなりました。良きことです。わたくしもおとうさまの予定を確認してから訪問するようになり、とても効率的になりました。

「でも、悔しいなぁ……君は7位。私は13位なんだからね」
「その時の体調もあるでしょう。6位差など、すぐに縮められますよ?」
「来年の大会はどうなるのかな? 君の順位に追いつきたいものだが」
「来年はさらに激戦になるでしょう。というのも、わたくしの父の案で地方でも予選をすることが決まったのです。庶民の間でも人気が高まってますし、隠れた天才が我こそはと押しかけてきますよ」
「楽しみだな」
「楽しみです」

 わたくしたちは笑い合いました。どうしてこんなに、のんびりしているのかというと、すでに実家の借金は完済していたからです。わたくしたちの関心は、次のチェス大会にありました。大好きなおとうさまとチェスや最近はまっている小説のお話などを存分にして、わたくしは帰路につきました。

 帰ってから、アルマンの呼び出しを食らうなんて思いもしなかったのです。わたくしは自分に婚約者がいたことを忘れそうになっていました。もう長らく会っていないので、アルマンの顔さえうまく思い出せません。

 翌日、わたくしは暗澹とした気持ちで婚約者宅へうかがいました。



 †† †† ††

「しゃ、借金を返したって!? ウソだろう!?」

 ガランとした大広間に間の抜けたアルマンの声が響きます。おとうさまは、血まみれのアルマンを冷ややかに見下ろしていました。

「嘘ではない! おまえはジェラーニオ夫人が開催したチェス大会のことを知らんのか?」
「チェス??……ああ、なんとなく、そんな大会を開いていたような気もするけど、僕はチェスに興味はないし、借金もあるのに呑気なことをしているなぁぐらいにしか……」
「馬鹿め! おまえの目は節穴か!! こんなにも世間で話題になっているのに、目を向けようとしないとは……」

 おとうさまは拳を握りしめ、ギリギリと奥歯を噛みしめました。この時点ではまだ、おとうさまの怒りは婚約破棄をしようとしたことによるものだと、わたくしは誤解しておりました。婚約者をないがしろにした息子の不誠実さに怒っているのかと。

「ち、父上……ごめんなさい……。借金の件はとりあえず、僕にはマルグリットという想い人がいるのでルイーザとの婚約は解消したいのです。ルイーザは僕と婚約しているにもかかわらず、この一年まったく交流しませんでした。もう十六というのにデビュタントもせず、夜会にも顔を見せません。マルグリットの話では、女性同士の茶会にも招かれないといいます。妻にする場合、社交的じゃないのは致命的だと思うのですが……」

 アルマンの言葉は火に油を注ぐようなものでした。わたくしはおしっこ臭いマルグリットの代わりに、嫌いなアルマンを守らねばなりませんでした。でないと、おとうさまったら、本当にアルマンを殺しかねなかったんですもの。

「おっまえ……まだ、ルイーザを愚弄する気か!! 彼女は頻繁に我が屋敷を訪れていたのだ! おまえが女遊びで留守にしている間になっ!」

 アルマンに会いたかったのではなく、おとうさまに会いたかったんですけど……まあ、よしとしましょう。

 アルマンは返す言葉もないようでした。おとうさまはアルマンの前に立ちふさがるわたくしの手を取り、ほとんど力を入れずにクルッとアルマンのほうを向かせました。

「ルイーザに謝罪しろ!! よくも彼女を地味眼鏡と罵倒したな!! 賢く、美しい私のルイーザを!! 化粧をしなくても絹のごときなめらかな肌、漆黒の髪と瞳、薔薇を思わせる唇……これ以上の美がこの世に存在するだろうか? おまえなど勘当だ!! 絶対に許さぬ!! そこにおられる……えと……どこかの娘さんと共に消えてしまえ!!」

 おとうさま……今、“私のルイーザ”と?? わたくし、耳を疑いました。それに褒めすぎですってよ……自分でも赤面しているのがわかりました。

 猛烈なおとうさまに圧倒され、アルマンはわたくしに頭を下げました。でも、わたくしにとってはアルマンの謝罪はどうでもいいことです。脳内では“私のルイーザ”が何度もこだましておりました。

「そういうわけでルイーザ、不快な思いをさせてしまい申し訳なかった。君にはまったく非はない。アルマンを許す必要もない。君がアルマンとの婚約を継続したいというのなら、それでも構わないし……」
「いいえ。婚約は解消させてください」

 わたくしはハッキリと申しました。アルマンはビクッと肩を震わせます。柱の影でにんまりするマルグリットが見えました。「そうか」とおとうさまは肩を落とします。

 わたくしは息子の婚約者。婚約を解消してしまえば、もう会うこともないと、そうお思いになられたのでしょう。グリーンアイは悲しみをたたえていました。

「君を傷つけたうえに、ずうずうしいお願いだとは思うのだが、息子との婚約を解消しても、私との交流は続けていただけないだろうか。良き友として、君のような素晴らしい才女と今後ともお付き合いしていきたいのだ」
「いいえ」

 わたくしは微塵も躊躇せず、断りました。
 この時のおとうさまの憔悴ぶりったら……この世の終わりに直面したみたいに蒼白な顔で放心されたのです。わたくしの願望は確信に変わりました。

「友人ではイヤという意味ですよ? おとうさま。いいえ、レオン」

 わたくし初めておとうさま……レオンをファーストネームでお呼びしました。レオンは目を丸くされ、しばし固まっておいででした。彼が三十歳若かったら、そのまま数分間、行動できなかったでしょう。しかし、口元や目尻に刻まれた年輪が、彼の経験値を物語っていました。

 レオンが固まっていたのは、ものの数秒でした。サッとひざまずき、グリーンアイでまっすぐわたくしを射ったのです。

「ルイーザ、どうかこの私と結婚してほしい」

 わたくしは返事の代わりに微笑んで、手を差し出しました。手背にキスするレオンの色気のすさまじいこと。アルマンのようなヒヨッコには真似できない芸当ですわね。

 こうして、わたくしは国の英雄、レオン・ド・ゴンクール・ド・ピヴォワンを手に入れたのです。
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