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2、始まり②

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 わたくし、もともと年配の殿方が大好きなのですよ。ちまたではオジ専……というのかしら?

 なぜかというと、父が貴族社会では有名な美男子で、しかも若作りなものですから、スタンダードなタイプは見飽きているのです。今年で三十二歳だというのに、父は二十台前半に見えます。アルマンと同じく黒髪ですし、優男タイプ。父の方が美しいため、どうしてもアルマンは見劣りしてしまうのですよね。

 そんな父のせいでわたくしは、ご年配の殿方の魅力に目覚めてしまいました。髭も濃いほうが良いのです。白髪はセクシーですよ。皺は知性を表します。老いてもなお、体が頑強ならば、魅力は倍増するでしょう。

 わたくしはピヴォワン卿に会いたいがため、婚約者の屋敷へ足しげく通うようになりました。

 幸いにもアルマンはいつも留守です。大きなお屋敷に使用人の他は二人っきり。ピヴォワン卿は三年前に奥様を亡くされていました。初めて会った時のグリーンアイが物憂げだったのは、そのせいだったのです。

 新芽が芽吹くころから、夏の終わりまでが貴族の社交シーズンです。秋冬はそれぞれの領地に帰るのが通例でした。

 社交シーズンの間、夜会やサロンが頻繁に開催されます。昼間は王議会に参加したり、接待か自宅で事務仕事をする程度なので、ピヴォワン卿が在宅の確率は高いのでした。

 彼は肉体的に優れているだけでなく、知性も持ち合わせた人でした。

「今日も息子は留守でね、こんなオジサンが相手で申し訳ない」

 苦笑するピヴォワン卿は色気たっぷりのグリーンアイで、わたくしを雁字搦がんじがらめにします。その目に捉われると、わたくしは毎回、心の臓が止まってしまいそうになるのですよ。

 赤くなっているであろう顔を下に向け、わたくしは懸命に対戦の申し込みをします。幸運にも、わたくしたちには“チェス”という共通の趣味がございました。

 仕事を片付けてから、または来客が帰ってからと待たされることも、たびたびありました。そんな時は大広間の階段の裏で、わたくしは読書をして待つのが常でした。

 手が空くと、侯爵とわたくしは何時間でもチェスに没頭しました。わたくしが勝つことも負けることもありました。ゲームに熱中している間は冷静でいられます。ときおり、盤上をにらむ彼の顔をのぞき見しつつ、わたくしは体を熱くしておりました。

「まーた、君が勝ったね? いやいや、たいしたものだ」
「いいえ。勝敗はトントンですわ。父相手だと、九割方、わたくしが勝ってしまいますもの」

 歯を見せて笑うピヴォワン卿のお顔に見とれていたら、ふと真顔になられました。

「しかし、愚息は何をしているのだ?……先ほど帰ってきたようだが、挨拶もしないで引っ込んでしまって……」

 あら? アルマンたら、帰ってきていたの? わたくし、まったく気づきませんでした。

 風通しのよい大広間にて、小テーブルに向かい合うわたくしたちの横をアルマンは通り過ぎていったようです。夏場は広い所のほうが涼しいので、大広間にいることがほとんどでした。

 呼び寄せようかとおっしゃるピヴォワン卿をわたくしは止めました。

「疲れた顔をされていましたし、声をかけなかったということは、ゆっくり休まれたいのでしょう。ソッとしておきましょう」

 もちろん、嘘ですが。尊い時間をわたくしは奪われたくなかったのです。ピヴォワン卿は深いため息をつきました。

「いつも気を使わせてしまい、申しわけない。愚息には婚約者を大事にするよう、強く言い聞かせておこう」
「お気遣いは不要です。わたくしはピヴォワン卿とチェスができて、充分満足しております」

 そこで、彼は腕組みし、しばし思考されました。こういう、さり気ない所作からも大人の魅力が滲みでており、目を奪われてしまいます。
 長い指でたくましい上腕をトントン叩くさまは、ずっと見ていたくなります。一定のリズムを刻む彼の指には、白と黒の毛が半々に生えていました。

 ハタと顔を上げたピヴォワン卿は笑顔になりました。

「そうだ! まだ日が出ている。馬は好きかね?」
「え? う、馬……ですか?」
「天気も良いことだし、庭園を馬で散歩してみないか? いい気分転換になる」

 戸惑うわたくしに、彼は身支度を勧めます。わたくしは使用人に連れて行かれ、お亡くなりになった奥様の乗馬服に着替えさせられました。

 使用人に「奥様がご健在だった時のことを思い出します」と言われ、気恥ずかしいやら、嬉しいやら――
 あれよあれよ言う間に外へと連れ出されてしまったのです。
 厩舎に着くなり、ピヴォワン卿は「君の馬はこれだ!」と、ご自分と同じグレーヘア……芦毛の馬をお選びになりました。

 芦毛の馬は頑固だとよく聞きます。じつはわたくし、乗馬は苦手なのですよ。不安でたまりませんでした。

 そんなわたくしの心情を察したのでしょうか。彼は、わたくしの耳元に近寄り、囁かれました。

「大丈夫。馬の目を見てごらん」

 温かい息が耳を湿らせ、わたくしは魔法をかけられたかのように、ぼぅっとしてしまいました。芦毛の碧眼は、茶目っ気たっぷりの彼の目に少し似ていました。
 
 ――怖いのかい? 大丈夫さ。もっと、おもしろがろうよ?

 そう言っているようにも思えました。
 夢見心地のわたくしは導かれるままに、またがります。馬の鼓動や呼気が鞍を通じて伝わってきました。

 侯爵は手綱の握り方や姿勢などを簡単に指導してくださり、それからご自分も騎乗されました。

「さあ、行こう!」

 先導する彼のあとについて、わたくしも疾駆します。気持ちの良い黄昏時の風が頬をなでました。赤らんだ西日が、わたくしたちを優しく照らしています。黄金色に染められる芝や物悲しげに見える花壇の花たち、長い影を伸ばす生垣……噴水の反射の眩しいこと。それらが、目の端を高速で横切っていきます。
 スピードというものは脳に快楽をもたらすのですね。わたくしたちは、門を出て屋敷の周りを一周してしまいました。

 爽快でした。風を切って馬を走らせるなんてことは、初めてのことです。冗談ではなく、本当に魔法みたいでした。

 数十分後、馬から降りた時、わたくしとピヴォワン侯爵の距離はグッと縮まっていました。わたくしたちは好きな本や音楽、チェスの話を思う存分にしました。彼との時間は宝石なんかより、ずっと貴重で価値のあるものでした。

 ところが、彼と仲良くなればなるほど、つらい現実が待っています。わたくしが婚約しているのは侯爵ではなく、その一人息子のアルマンなのです。

 侯爵とは比べるべくもなく愚鈍で貧弱。内面の卑しさが全身からにじみ出ています。どうして、このようなことになってしまったのでしょう? 少しでも父親に似たところがあったのなら、わたくしもまだ我慢ができました。ですが、アルマンには一ミリだって、似たところがなかったのです。
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