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53話 上書き

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 ジモンが去ったあと、ソフィアはリヒャルトの腕の中で呼吸を整えた。
 ジモンの言ったことは、なんとなくわかる気がする。生まれたばかりのひなが、初めて見たものを母親と認識して追いかけるように、ソフィアはジモンを守護者として認識してしまったのだろう。誘拐犯に好意を抱いてしまうストックホルム症候群とも似ている。ケツ顎に対して恋愛感情?も、少し抱いてしまったかもしれない。それほど追い詰められていたし、心が壊れそうになっていた。

「ソフィア……許してくれと言っても、無理だろうか? 恐ろしかっただろう? 本来なら、私が直接助け出したかったのだが……」

 頭上から弱々しい声が聞こえる。リヒャルトは助けに行けなかったことを繰り返し詫びた。そのたびにソフィアの胸は苦しくなった。

「あなた、もうやめて」

 ソフィアはリヒャルトの胸を押し、腕から逃れた。

「直接助けてくれたのはジモンさんですが、リヒャルト様が命じたおかげで、わたくしは救われたのです。ジモンさんのは職務。リヒャルト様のは愛です」
「ソフィア……」

 ソフィアはまた抱きすくめられた。救世主=ジモンをリヒャルトに上書きせねば。

「リヒャルト様、今ここでわたくしを抱いてください。いつもより、もっと激しく……快楽に溺れさせて。悪夢のような出来事をすべて消し去ってしまいたいのです」

 ソフィアから誘うのは初めてのことだ。こんな大胆なことを言うなんて、自分でも信じられなかった。
 驚いた顔のリヒャルトをまっすぐ見つめ、ソフィアはマントを脱いだ。絹のシュミーズは薄く、触れられた感触がダイレクトに伝わる。ドレスを着る際はパニエを身に付けるのだが、今はなにもはいてなかった。
 普段だったら歓喜するであろうソフィアの姿を見て、リヒャルトは憤怒した。

「看守が君をそんな姿にして、辱めたのか?」
「ええ……ネグリジェは切り裂かれました」
「触られたりは?」
「していません。本当にギリギリのところで、ジモンさんが来てくれたのですよ」

 リヒャルトは怒りを落ち着けるためにか、一回深呼吸した。

「君の下着姿を見てもいいのは私だけだ。ジモンはちゃんと連中に報復したのだろうな?」
「全員の命を奪ってしまいました……あとで、ジモンさんは罪に問われないでしょうか? それだけが心配です」
「ジモンのことはなんとかしておこう。不敬罪と暴行罪で断罪したことにしておけばいい。それより、ジモンはただ殺しただけなのか? 君をこんな目に合わせて、死ぬだけなんてヌルすぎる」
「ジモンさんはわたくしの救出を優先してくださいました」
「殺すまえに拷問すべきだった。目をえぐり出して、一物をちょん切るぐらいのことはしないと、腹の虫が収まらない」
「なんてことをおっしゃるのです!?」

 この世界の住人は処罰感情が極めて強い。悪趣味な公開処刑に人がたくさん集まるのも、そうした所以ゆえんだろう。悪人にはされたこと以上の報復をせねば、気が済まないらしい。

「死んでしまったのなら、遺体を回収させよう。今からでも目をえぐり出し、一物をちょん切って本人の口の中に入れてやろう。そして、その姿を城壁の前にさらしてやるのだ」

 とんでもないことを言い出すリヒャルトに、ソフィアは戦慄した。

「あなた、やめて。わたくしは彼らの姿を二度と見たくもないし、記憶から葬り去ってしまいたいのです。傷をえぐるような真似まねはやめてください」
「でも、このままではやられ損ではないか? なにがなんでも仕返しをする!」
「いけません。彼らの家族になにかすることは許しませんよ? そんなことをしたら、彼らと同じになってしまいます。遺体を燃やし、その灰をどこか遠くへ捨ててください。それで、わたくしはもう結構ですから……」
「いや、遺体は豚のエサにしよう。骨は犬にやる。埋葬などさせてやるものか」

 価値観というか、倫理観の違いだろうか。遺体をさらすことはあきらめても、これ以上の譲歩はしてくれそうもなかった。

(豚のエサって……その豚が食卓に並べられるのでしょう? それを食べるのだと思うと、ゾッとするわ)

 しばらく豚肉を食べるのはやめようと、ソフィアは思った。

「ソフィア、君が無事で本当によかった!」

 抱きついてくるリヒャルトは無邪気だ。残酷な反面、犬みたいに従順でかわいい顔を見せる。もう、意識は性的なことへ傾き始めていた。

「あなた、ジモンさんへの感謝を忘れてはいけませんよ? 彼はあなたのために、命がけでわたくしを救ってくれたのですから」
「う……ん、でもあいつ、いつもいいとこ取りじゃないか? 君の下着姿をいやらしい目で見てなかっただろうか?」
「嫉妬はしてもいいけど、彼をぞんざいに扱うことは許しません。彼はわたくしの騎士です。あなたにとっても、わたくしにとっても、かけがえのない人なのですよ」

 リヒャルトはまだ納得していない様子だったが、男同士の信頼関係をソフィアは信じることにした。彼らにしかわからないアレコレがあるのだろう。外野が口を出すのは無粋である。それと、ソフィアは気になっていたことを確認することにした。

「ジモンさんが、リヒャルト様は二十四時間見張られていたと言っていました。ここへ来るまでにけられたりはしていないでしょうか?」
「ああ、それはもう大丈夫だよ。監視はすでに解除されている。先ほど、陛下が意識を取り戻されたんだ。君のことも心配されていてね、法務大臣を呼びつけて、すぐにでも解放するよう命じられていたよ」
「それでも、わたくしは被疑者ですから、裁判が終わるまでは拘束されるでしょう?」
「うん……腹立たしいことだが……司法に関して、王権を行使することはできない」
「それでいいのです。もし、王が司法にまで介入したら、公正な判決が下されなくなります。なにも後ろ暗いことはありませんし、わたくしは正々堂々と裁判に挑みますわ」


 そのあと甘いキスをし、リヒャルトは少々乱暴にソフィアをベッドに押し倒した。そして、ソフィアが求めたように荒々しく快楽を貪り、悪夢をすっかり上書きしてしまった。

 塔の部屋は大柄なリヒャルトには狭すぎる。ときおりソフィアは熊の穴蔵を連想したりもした。王族でなければ、このようなささやかな愛の巣で過ごしていたのかとも思った。
 粗末なベッドはギィギィ音を立てる。その代わり、隣室で待機する従僕や侍女に遠慮する必要はない。ソフィアは本能のままに叫び、リヒャルトを興奮させた。
 思うぞんぶん愛し合い、それからソフィアたちは窮屈なベッドで眠った。
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