上 下
16 / 66

16話 ライ麦パン

しおりを挟む
 脱穀のやり方は古典的だ。凹凸のある脱穀板に麦穂を載せ、棍棒でひたすら叩く。少量なので牛に牽かせるタイプの脱穀機は使わなかった。

 脱穀係はもちろん……ケツ顎騎士団長ジモンである。なんで私がこんなことを──と、露骨に嫌な顔をしているが、ソフィアももちろん手伝った。

「ジモンさんはもっと農民の苦労を知るべきです。普段食べているパンはこうやって作られるのですよ?」
「ソフィア閣下が物知り過ぎるのです。私は武人ですから、単純作業には向きません」
「肉体トレーニングだって、単純な動作の繰り返しでしょう? 身体を鍛えていると思えば、苦痛も軽減するのではないですか?」
「なるほど……」

 とはいえ、おしゃべりしているうちに終わった。
 籾殻を外したライ麦は、不良農民ボドが持ってきた唐箕とうみを使って、ゴミと本体に分ける。
 唐箕というのは、落下する脱穀麦に風を吹き付け、軽いゴミや籾殻を吹き飛ばす道具だ。ソフィアは前世の郷土資料館で見たことがある。
 仕組みは非常にシンプル。装置の上部から脱穀麦を入れ、サイドのハンドルをグルグル回す。回すことで内部に風が起こり、飛ばされた籾殻を横から排出する。綺麗になった麦本体だけが落下穴から落ちてくる。

「へぇーーー……こうやって、使うのですね。おもしろいです」
「唐箕かけを喜んでやる貴族様を初めて見たよ。やっぱりアンタ、ヘンな女だな」

 「無礼者ッ」と、ジモンが青筋を立てたのでソフィアは「まあまあ」となだめる。反抗的だったボドが馴れ馴れしい口を聞くのは、心を開きかけているからである。
 不揃いな八重歯を見せて、ハハハッと笑うボドはかわいげがある。ソフィアは、非行少年を更生させようとする中学校教諭の気分だ。
 綺麗に脱穀したライ麦を石臼で製粉後、いよいよパン作りとなった。そこで問題点が一つ。

 イーストがない!!

 前世のライ麦パンはサワードゥという天然酵母を使っていた。しかし、それは乳酸菌。乳製品がメジャーではないこの世界に果たして乳酸菌はあるのか?

(そうだ! 実家の城ではワイン酵母でパンを作ってたわ!)

 職人に菓子作りの指導をしていただけあって、ソフィアは厨房の事情に詳しい。

「ボドさん、ワイン……いいえ、エール(ビール)でも構わないわ! いただけるかしら?」
「いいぜ。発酵に使うんだな? エールでいいか?」
「話が早いわ。お願いします」
「でも、パン焼き窯は村長のとこか、教会にしかねぇよ?」

 不便だ。レンガを積んで簡単に作れるパン焼き窯が各家庭にない。たしか、前世の中世ヨーロッパでも同じだったとソフィアは思い出した。

(農民を支配するために、主食のパンを焼く権利まで奪っていたのよね……そのうち、こういうのも変えていきたいけど)

 粉だらけになって、パンをこねるのも一興。ジモンも少しずつ乗り気になってきた。物作りというのは楽しいものだ。

 脱穀から始めて、製粉、発酵、パン焼き窯の所へ輸送──パン一つ焼くのに相当の手間がかかった。焼き上がったパンを試食できるころには外は真っ暗だ。
 最初はイヤイヤだったジモンと、不信感満載だったボドの変化が感慨深い。なんだか、淀んでいた目がキラキラ輝いて見えるのである。汚れた大人が童心に返った……みたいな?

「普段、何も考えずに食べていましたが、口に入るまでにこれだけ手間がかかっているのですね……」

 しみじみと言うジモンが着席するテーブルには、小麦2:ライ麦8と5:5の割合で作った家族サイズのライ麦パンが二個並んでいる。慣れない味だと嫌悪されるかもしれないと思い、小麦粉を混ぜてみた。
 すぐには座らず、ソフィアは立って給仕をする。天然酵母のハードタイプパンにはチーズが一番合うのだが、この世界にはない。パンを焼きに行っている間、ある材料だけでシチューを作らせてもらった。当然、ボドには満足できるだけの金を支払っている。

 その名も、漬けたばかりの塩漬け肉と赤ワインのシチュー。まんまだが、思った以上にうまくできた。ハーブの香りもよし。害虫よけで植えたのだろう。畑の脇にあったローズマリーを使わせてもらった。

 ボドのボロ屋は大勢の村人で賑わっていた。なぜ、こんな状況になったのかというと、いかつい見た目のジモンが脱穀している姿が人を呼び寄せ、さらには公爵夫人がパン作りをしていると噂が広まって、集まってしまったのである。

 元陰キャ嬢ソフィアは騒がれるのが苦手だ。しかしながら、仕事モードの今はこれもチャンスと捉えられる。農民たちにライ麦の有効活用を布教し、有益な農法を広められたら一石二鳥である。

 ソフィアは自信を持って、ライ麦パンを切り分けた。不良農民ボドも、

「まずかったらライ麦の種も譲ってやらねぇし、笑い種にして言いふらしてやるからな?」

 などと憎まれ口をたたきつつ、期待に満ちた茶色の目で見てくる。
 ソフィアもシチューを盛り付け終わると、ドキドキしながら口に入れた。パン作りは前世以来だ。失敗したら、本当の笑い物である。しかし、そんなことを恐れていては前進できまい。笑われようが、構うまいとソフィアは思った。

 しばし、無言。見物に来ていた農民たちは息を呑む。咀嚼音だけがボロ屋に響いた。試食後のボドとジモンの反応は、

「ん……そんなに悪くはねぇな? すんげぇ、うまいってわけでもねぇが、まぁまぁだ」
「うむ……まずくはないです……おいしいですよ? 普通にイケます」

(なに? この微妙な反応?)

 ソフィアのなかでは、かなりおいしくできたのだが。

(だって、ここ異世界よ?)

 前世と変わらぬライ麦パンを作れたのだから、もっと誉めてほしい。ソフィアは不満をパンと頬張り、ワインで流し込んだ。やっぱり、チーズと一緒に食べたい。
 切り分けたライ麦パンを集まってきた野次馬にも振る舞う。

「んん、うまい!!」
「なかなかイケるじゃないか!」
「これ、偽小麦で作ったのか?」
「んまい、んまい!」

「ライ麦は栄養分が豊富で病気の予防にもなります。骨の病や肺病を防ぐことができるのですよ。しかも、荒れ地で簡単に育つ!」

 ここぞとばかりにソフィアはライ麦の長所をアピールした。
 誉めてくれる野次馬たちがありがたい。調子にのったソフィアはシチューの椀も回して、試食させた。

「シチューに合うな!」
「食べ応えがある!」
「赤毛のネェちゃん、料理うまいな!」

 好評である。それもそのはず。冬越しに備えて塩漬けされた豚肉は程よく熟成され、質のよいベーコンとなっている。これが冬の終わりになると臭くなったり、マズくなるらしいのだが、今は最良の状態なのだ。それを炒めた根菜と赤ワインで煮込み、小麦粉でトロみをつけただけでも結構なごちそうになる。
 鼻高々のソフィアがボドを見ると「ふん」と鼻を鳴らされた。

「いい気になるなよ? 赤毛の公爵夫人、偽小麦は売ってやる。けど、土地を売るつもりはねぇからな?」
「やった!! 売ってくれるのですね!!」

 第一目標クリアー! ソフィアはジモンと手を取りあって小躍りしたい気分だった。だが、あからさまに喜ぶソフィアを牽制しようと、言葉が追いかけてくる。

「なにがそんなに嬉しいか知らねぇが、オレはぜーーーったい、土地は手放さねぇからな? なにがあっても!」
「それでいいと思います。お互い情報を共有していけばいいのですよ。ご自分で荒れ地を復活されたいのなら、それはそれで構わないです。こちらのやり方を真似されても結構ですし」
「すげぇ自信だな?」
「ええ。これから牧場を経営していくのだから、ある程度の自負がなければやっていけません」

 丸い目で凝視するボドをソフィアが見据えると、パラパラと手を叩く者が出てきた。降り始めの雨音にも似たそれはだんだんと増えていき、最後には激しい大雨となった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする

矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。 『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。 『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。 『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。 不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。 ※設定はゆるいです。 ※たくさん笑ってください♪ ※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

処理中です...