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九章 調達(最終章)

七十九話 調達①

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「いい加減、元気だせよ」


 運転しながら励ます神野君に、俺は溜め息で答える。

 ここは車の中。助手席には青山君、俺と久実ちゃんは後部座席に座っている。
 マンションの入り口に感電装置を設えた翌日、俺達は車で食料調達に向かっていた。

 その後、感電装置だけでは不安なので、坂の上に大型家具でバリケードを作ることになった。今頃、マンションの住人総出で作業にあたっているはず。

 何はともあれ、功績が認められ、保守的な管理組合も調達を許可してくれた。宮元家の車も貸して貰えたし、全て思い通りに進んでいた。ただ一点を除いては……


「でも、どこに行ったんだろうね、元木さん……」
 

 久実ちゃんが呟く。どうしてもと言うので、久実ちゃんも同行している。
 
 もう、名前を出すなよ、名前を! その名前を聞くだけで不快になる。久実ちゃんの無神経さに俺は苛立った。

 元木は俺のライフルAK47を奪った後、裏手の駐車場から車で逃走した。車の鍵は家族全員がゾンビ化したお宅からあらかじめ盗んだ物だ。

 明らかな計画的犯行だった。俺が一人、部屋に戻ろうとしているのをベランダから確認した後、襲ってきたのだ。

 ゾンビがバリケードを破ろうが、俺達が感電装置を作ろうが、関係なしに自分だけの計画を進めていたのである。


「畜生……見つけたらあいつ、絶対ぶっ殺してやる」

「大丈夫。ああいうタイプは長生きしない。きっとどこかで野垂れ死んでるだろう」


 俺の呟きに神野君が答える。どこかで死んでくれるのは結構だが、死ぬ前に俺のAK47は返してほしい。


「それにな、神は報いる、だ。」

「……は?」

「聖書にな、書いてある。悪事を行った者にはそれ相応の報復が待っている。だから、元木は必ず酷い目に合う。自然の摂理だ」

「神野君……クリスチャンでもないのに聖書の話はよせよ。元木のキチガイはどうなろうが知ったこっちゃない。俺は盗まれたライフルを返してほしいだけだ」


 確かに元木に対する怒りは筆舌に尽くし難い。だが、報復より何よりも大切な物を返してほしい気持ちの方が大きい。


「窃盗で逮捕されないかな。いや、今みたいな状態がずっと続く訳ではないと思うし、世の中が正常な状態に戻った時……」
 

 青山君が言った。
 

「それは難しいだろうな。あれは届け出に記載した以上に改造して威力アップしているから、訴え出ればガシュピンが不法所持で逮捕されるかもしれない」


 神野君の言葉を聞いて、久実ちゃんが体をビクッと震わせた。ああ、どうせ俺は犯罪者だよ。犯罪者でニートでしかも太ってるよ、文句あるか?

 ライフルを盗まれてからというものの、俺は卑屈になっていた。絶頂からどん底へ突き落とされた気分だ。

 俺はフロントガラスを睨み付けた。車は狭く曲がりくねった路地を移動している。大通りが車で埋め尽くされているため、俺達は細い路地を通ってショッピングモールへ向かっていた。

 目的地のショッピングモールは俺達のマンションから車で十五分の距離にある。幹線道路が使えないこの状況だと、十五分では着かないだろうが……
 
 ゾンビが出現したあの日、隣駅の大型スーパーまで行って俺達は遊んでいた。今向かっているショッピングモールがゾンビ関連の報道を受けて臨時休業していたからである。

 そう、あの日休業していた──ということは……閉め切っていたため、ゾンビが侵入している可能性は低い。

 遠出をするに至った理由は簡単。近所のスーパーには何も残されてなかったのだ。


 数分前、スーパーに立ち寄った時、食品、紙製品、飲料……全て何もなかった。缶詰も、米も、菓子も、調味料も、冷凍食品も何もかも……。生物なまものだけは残っていたが、明らかに賞味期限切れだった。ニュースを受けて、買い溜めに走る人が沢山いたせいもあるだろうが……。食品のほとんどは、俺達のように隠れ潜んでいる人達が持って行ってしまったのだろう。
 
 二軒目のスーパーも同じだった。三軒目は行くのを止め、ショッピングモールへと方向転換したのだった。



 急に神野君がハンドルを切った。道を曲がったタイミングで、突然ゾンビが飛び出してきたのだ。避けきれず、衝突。ボンネットへゾンビは乗り上げた。

 久実ちゃんが悲鳴を上げる。俺は慌てて久実ちゃんの口を押さえた。
 ゾンビはまだ生きていて、ボンネットの上でもがいている。神野君は軽く左右前後を確認してから車の外へ出た。流れるように手早くハンマーでゾンビを倒し、ボンネットから引きずり下ろす。サイドドアを開け、興奮した口振りで言った。


「ガシュピン、青山君、ちょっと出てみろよ!」


 俺達は久実ちゃんを残して外に出た。

 ああ、そういうこと──
 道の先で一台の車が横転している。これ以上、前へは進めない。ゾンビの体液でフロントガラスが曇り、車内からは見えなかったのである。


「通れないからバックする。どっちか誘導でどっちか援護な。くそっ、フロントガラスが汚れちまった」
 

 神野君は苛ついている。まあ、気持ちは分かる。ゾンビが他にいなかったのは、不幸中の幸いだ。


「じゃあ、俺誘導するわ。青山君、援護お願い」


 俺は言いながら、横転している車を横目で見た。……ん!?
 神野君は運転席に戻ろうとしている。


「ちょっと、待った!」

「どうした?」

「あれ、あの車、見覚えがある……」


 駐車場で俺んちの向かいに停めていた車によく似ている、白のミニバン……まさか……


「ちょっと見てくる。待ってて」


 言うなり、俺は走り出していた。

 近くまで来ると、疑念は確信へと変わった。間違いない。同じマンションの住人の車だ。確か二階の人で……そう、元木が盗んだ車だ!

 俺は大きな期待を胸に車内を覗き込んだ。俺の気配に気付き、フロントガラスにベタァと張り付くゾンビが見える。

 気色悪ぃ……
 躊躇なしにフロントガラスを鉄パイプで叩き割った。音とか何とか気にするより、俺は大切なライフルの安否が知りたい。

 ガラスの破片まみれになったゾンビの頭蓋を一撃で潰す。後からようやくそれが元木だと気付いた。

 憐れみ、感慨、カタルシス……そんな感情は余裕がなけりゃ、湧いてこない。俺の脳裏に響いたのは、漫画でよくある効果音だった。
 
 ンゴゴゴゴゴゴゴ……

 闇の気配だ。闇の気配を感じる。俺は身震いした。
 車に塞がれた向こう、数十メートル先。道は折れ曲がっている。曲がり角の所に揺れる沢山の影が見えた。
 
 群れだ。相当数いる。距離も近いから一分も経たない内に押し寄せるだろう。だが、そんな事より何よりも俺の心は奪われたライフルAK47に囚われていた。


「おぉい! ガシュピン、大丈夫かぁ?」

「群れがいる。さっさと車をバックさせろ。俺は後から行く」


 問いかける神野君に俺は答えた。俺の返答に対し、車の窓から覗く顔に緊張が走る。だが、修羅場を何度も経験しているだけある。神野君は冷静に車をバックし始めた。

 元木はゾンビ慣れしてなさそうだから、乗車する前に噛まれたのかもしれないな。
 

 ──アホな奴だ。闘える能力もない癖に一人で逃げて


 ま、元木がゾンビになった理由など、どうでもいい。早く大切なAK47を取り戻さねば……
 

「オーライ、オーライ……」
 

 青山君が車を誘導している間、俺は横転した車の後方へ回った。バックガラスから見える荷台には何も置いてない。思い切ってよじ登ってみた。横になった車の上の部分、サイドガラスから後部座席を覗き込む。


「あった!!」
 

 思わず声を上げた。俺のAK47が! カラシニコフちゃんが! 俺は即座にサイドガラスを叩き割った。

 その音にゾンビの群れは反応したのだろう。呻き声と地面をしきりに叩くような音が聞こえてきた。
 奴らは俺の存在を認識した。すぐさま、こちらへ向かって来るに違いない。俺は破片に気を付けながら、車内へ手を伸ばした。

 ──届かない

 あと、ほんのもうちょっとだが届かない……。嘘だろ? 畜生! あともうちょっとなのに……肌で感じる空気の動きから、ゾンビが近くまで迫ってきているのを感じつつ……

 今度は鉄パイプを後部座席の奥へ突っ込んでみた。ライフルのスリングに引っ掛ける。

 やった!

 ビールを注ぐように最初はそおっと、近くまで手繰り寄せると一気に引き寄せる。 

 おおー! 戻って来た!!!

 約一日ぶりに戻って来たAK47を俺は抱き締めた。
 
 瞬間、足に痛みが走る。強い力で掴まれたのだ。下を見ると、ゾンビの大群が見上げていた。


「感動の再会を邪魔すんじゃねえーーー!!」


 足を掴んでいたゾンビに俺は怒りの一撃を浴びせた。一瞬でゾンビの顔がポパイになる。
 
 俺は群れがいない方へ飛び降りた。倒れた車の両脇からゾンビはゾロゾロと溢れ出てくる。落ち着いている暇などない。アスファルトが俺のアキレス腱を攻撃しようが、走るんだ。みんなが待つ車へと。
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