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八章 籠城生活
七十二話 見張り
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気配を感じ振り返ると、そこに居たのは神野君だった。
大袈裟に溜め息を吐き、俺は安堵した。
なんだ、神野君か……
「え、何々? 俺が来てがっかりしてるわけ?」
「違ぇよ。安心したんだよ」
俺は隣室に住む元木の話をした。
俺の可愛い彼女、AK47カラシニコフちゃんにセクハラしようとしてきたことや、俺達の関係性を訝しむような発言「所持許可取ってるの?」などなど。
神野君は地上のゾンビを楽しそうに見ながら、聞いてくれた。
「ふんふん、へぇー。ウケるね」
今の話、ウケる要素あったか……怖い以外の何物でもないんだが。
神野君は先程の元木の動きを真似し始めた。首をこちらへ向けたまま、変な顔をして階段へと移動する。
「ねぇねぇ、こんな感じ? こんな感じだった?」
俺は思わず吹き出した。元木、キメェけど面白ぇわ。神野君のこういう所なんだよな。神経が図太いというか、何というか。
彼なら、世紀末が来てもいつも通り変わらなそう。パンデミックが起きようが、大地震が起きようが、世界的大恐慌が起きようが、戦争が起きようが──
俺の恐怖が緩和した所で、神野君は本題に入った。
「ガシュピン、このままではいけないと思うんだ」
「……何か、行動を起こした方がいい?」
「そうだ」
「俺も同じこと、考えてた」
増えゆくゾンビに対してバリケードが持たないであろうこと、救助が来るまでに食糧が尽きること……俺は懸念していることを話した。
「これ以上、ゾンビの数が増える前にバリケードの位置を変えた方がいい。正面の坂道にバリケードを築いた方がいいと思うんだ」
俺は結構前から考えていた案を打ち明けた。
このマンションは大通りから六メートルほど高い斜面に建てられている。フェンス下は切り立った崖。崖下には密接した住宅が連なっている。同じく、裏手も最高三メートルの擁壁に遮られ、フェンスで囲まれている。よって、表も裏も専用の坂道を通らなければ、敷地内へは入れない。
マンションの立地をここまで説明した上で、言い切れることが一つある。正面の坂道さえ塞げば、侵入経路を完全に断つことができる。
「でも新たにバリケードを築くとなると、安全を確保しなくてはいけない。となると、今敷地内にいるゾンビは……」
「音で引き付けるしかないだろうな」
懸念する神野君に対し、俺は即座に返した。神野君は続けて、バリケードを築くにあたっての問題点を指摘した。
「バリケードに使うのは大物家具だ。素人が運ぶのには時間がかかる。その間、外からやって来るゾンビを防がないといけないし、住人の理解も得ないといけない」
「もしやるなら、敷地内のゾンビを音で引き付けるのは勿論だけど、外から侵入するゾンビも何とかしないといけない。坂道の端から端にロープを張るぐらいしか、今の所、思い付かないけど……ないよりはマシな程度? 人手も欲しい」
「なるほど……」
神野君は考え込むように腕組みした。俺は更に続けた。
「それと、近い内に調達へ行かないと。かなり切羽詰まっている家もあると思うし……」
「大通りは車だらけで動けないよ。バイクか自転車か……」
「いや、一階の駐車場だけじゃないんだ。裏手にも駐車場あったろ? そこに停めている誰かの車をお借りする」
「おお。で、調達場所は?」
「裏道から行ける一番近いスーパーがある」
「事前に道が塞がれてないか、確認する必要があるな」
そこまで話し合うと、俺達は一息ついた。新たなゾンビが坂下から上って来るのが見える。真っ青な空の下、何もかもが色鮮やかにくっきり見える。ゾンビのいる部分だけくすんで見えるのは異様だ。
最近はゾンビの腐敗臭もそこまで気にならなくなった。晴れが続いて乾燥しているから? 慣れたせいもあるかもしれない。
「ガシュピンの考えはもっともだと思う」
階下のゾンビに視線を這わせながら、神野君は再び口を開いた。
「でも、一番の問題点はさ、バリケードでも食糧でもない」
何だと思う? と問いかけるように俺へ視線を移す。
「一番問題なのは住人だよ」
俺が答える前に神野君は答えてしまった。さっきの元木や通路で喧嘩をしていた人達が思い浮かぶ。
「異常な状態が一週間も続いている。精神に変調をきたしてもおかしくない。家族がいない人は特にだ。元々高齢者の多いマンションだし、俺達の意見を受け入れる可能性は低いと見た方がいいだろう」
「一応、理事長の宮元さんに相談しようと思ってるんだけど……」
宮元さんは久実ちゃんのお父さんだ。人当たりのいい人だけど、判断力とか求心力は弱い。
「すぐ、動いてくれるかな?」
「分からない」
「……それにな、このままいくと絶対勝手な行動をする人が出てくる。管理組合で決定したことに従わないとか、マンションの外へ逃げ出すとか……勝手に逃げる分には構わないけど、そのせいでバリケードが動かされたり、更にゾンビを引き寄せてしまったら困る」
「確かに……」
俺達は神野君が持ってきたビールを飲みながら、話し合った。途中、青山君も呼ぼうかという話になったが、彼は俺のBlu-rayコレクションの鑑賞で忙しい。まあ、他にやることもないしな……
青山君はここに来るべきじゃなかった。青山君の住んでいた所は危険区域に入らなかったし、現在、派遣勤務している会社にも通勤出来なくなってしまった。事情が事情とはいえ、正社員じゃないから間違いなく解雇される。
そんな状況にも関わらず、青山君はいつも通りハイテンションだった。初めてのお泊まり会が楽しいらしい。仕事のことを尋ねれば、
「派遣だから、辞めてもヘーキヘーキ」
と、軽く答えるだけ。全く……こっちが罪悪感を感じてしまう。
ナツさんは久実ちゃんにすっかり懐いて、少しずつ明るさを取り戻しているようだった。
あの日、夜勤だった父親とも連絡が取れ、毎日電話しているという。ナツさん宅はギリギリ危険区域に入らなかった。
四時間後。交代の時間──
神野君が居てくれたおかげで、見張り時間終了の四時まではあっという間だった。全然真面目に見張ってないが、まあいいだろう。どうせ目を凝らした所で状況が変わる訳でもないし。
604号室の柄沢さんは少し遅れて来た。
柄沢さんは母子家庭の大学生だ。母親は勤務先から帰って来れなくなったそうだ。元木と同じ一人住まいである。
青い顔で恨めしそうにこちらを見てくる。幽霊か──こちらは欲望が怨念化してる元木とはまた違ったタイプだな。影が薄い。今にも消えてしまいそうに。
「良かったら飲む?」
余った缶ビールを試しに一本渡してみた。これは最後のビールだが、あんまり暗い様子だったのであげてもいいと思ったのだ。
「ありがとうございます」
柄沢さんは目を合わせずにビールを受け取った。
「いいですね。何か楽しそうで……隣だから窓開けてると笑い声とか聞こえるんすよ」
彼のまとう空気は重く、ジメッと湿っている。俺も余り外出しないから、隣なのに彼のことをほとんど知らなかった。母ちゃんから以前聞いた話だと、受験に失敗してから暗くなり、大学へもほとんど行かず引きこもっていると。うん、まあ、ニートの俺と大体同じだな。暗い所を除いては……
何やら周りまで浸食する負のオーラを放ち続けているが、以前から多分こんな感じだから気にしないことにする。よくいる毒タイプだ。俺には効かぬぜ。鈍感だからな。
この時、何も考えずに缶ビールを渡したのは迂闊だった。
「はぁー、もう四時か……」
酒、足りねぇ……日本酒がまだあるにはある。だが、一度に飲んでしまうのは勿体ない気がする。
「早速、宮元さんに今話したことを相談してみよう」
柄沢さんに見張りをバトンタッチし、神野君と喋りながら階段を降りた。今後の見通しも立ったし、意気揚々と足取りも軽い。
全く予想もしてなかったのだ──
四階の宮元さん宅に着いた時、それは起こった。「ダァン!」と何かが打ち付けられるような衝撃音が鳴り響いたのだ。俺と神野君は顔を見合わせた。
何かが破裂するような……爆発音?……銃声ではない……
「正面の方だ。部屋のベランダから見てみるか?」
神野君の提案に俺は頷いた。四階から六階へ戻る。途中、鬼気迫る表情で階段を駆け降りる人に遭遇した。どこかで見たことがある。多分管理組合の理事だ。さっきの音が関係しているのだろうか? 俺達は自然と駆け足になっていた。
慌てて603号室に駆け込むと、まず、つけっぱなしのテレビ画面のアニメが目に入る。
ベランダの掃き出し窓は開け放たれていた。手摺り越しから下を見ている青山君の後ろ姿……
「何があった!?」
俺の問いかけに振り返った青山君の顔は無表情だった。青山君のこんな顔は見たことがない。無言のまま、青山君は目線を再び落とした。
何かあったのは明白だ。慌てて駆け寄る俺と神野君……手摺りにしがみつくようにして、地上を見下ろした。そこに居たのは……
いや、落ちていたのは、地面に叩き付けられた人間の死体だった。
大袈裟に溜め息を吐き、俺は安堵した。
なんだ、神野君か……
「え、何々? 俺が来てがっかりしてるわけ?」
「違ぇよ。安心したんだよ」
俺は隣室に住む元木の話をした。
俺の可愛い彼女、AK47カラシニコフちゃんにセクハラしようとしてきたことや、俺達の関係性を訝しむような発言「所持許可取ってるの?」などなど。
神野君は地上のゾンビを楽しそうに見ながら、聞いてくれた。
「ふんふん、へぇー。ウケるね」
今の話、ウケる要素あったか……怖い以外の何物でもないんだが。
神野君は先程の元木の動きを真似し始めた。首をこちらへ向けたまま、変な顔をして階段へと移動する。
「ねぇねぇ、こんな感じ? こんな感じだった?」
俺は思わず吹き出した。元木、キメェけど面白ぇわ。神野君のこういう所なんだよな。神経が図太いというか、何というか。
彼なら、世紀末が来てもいつも通り変わらなそう。パンデミックが起きようが、大地震が起きようが、世界的大恐慌が起きようが、戦争が起きようが──
俺の恐怖が緩和した所で、神野君は本題に入った。
「ガシュピン、このままではいけないと思うんだ」
「……何か、行動を起こした方がいい?」
「そうだ」
「俺も同じこと、考えてた」
増えゆくゾンビに対してバリケードが持たないであろうこと、救助が来るまでに食糧が尽きること……俺は懸念していることを話した。
「これ以上、ゾンビの数が増える前にバリケードの位置を変えた方がいい。正面の坂道にバリケードを築いた方がいいと思うんだ」
俺は結構前から考えていた案を打ち明けた。
このマンションは大通りから六メートルほど高い斜面に建てられている。フェンス下は切り立った崖。崖下には密接した住宅が連なっている。同じく、裏手も最高三メートルの擁壁に遮られ、フェンスで囲まれている。よって、表も裏も専用の坂道を通らなければ、敷地内へは入れない。
マンションの立地をここまで説明した上で、言い切れることが一つある。正面の坂道さえ塞げば、侵入経路を完全に断つことができる。
「でも新たにバリケードを築くとなると、安全を確保しなくてはいけない。となると、今敷地内にいるゾンビは……」
「音で引き付けるしかないだろうな」
懸念する神野君に対し、俺は即座に返した。神野君は続けて、バリケードを築くにあたっての問題点を指摘した。
「バリケードに使うのは大物家具だ。素人が運ぶのには時間がかかる。その間、外からやって来るゾンビを防がないといけないし、住人の理解も得ないといけない」
「もしやるなら、敷地内のゾンビを音で引き付けるのは勿論だけど、外から侵入するゾンビも何とかしないといけない。坂道の端から端にロープを張るぐらいしか、今の所、思い付かないけど……ないよりはマシな程度? 人手も欲しい」
「なるほど……」
神野君は考え込むように腕組みした。俺は更に続けた。
「それと、近い内に調達へ行かないと。かなり切羽詰まっている家もあると思うし……」
「大通りは車だらけで動けないよ。バイクか自転車か……」
「いや、一階の駐車場だけじゃないんだ。裏手にも駐車場あったろ? そこに停めている誰かの車をお借りする」
「おお。で、調達場所は?」
「裏道から行ける一番近いスーパーがある」
「事前に道が塞がれてないか、確認する必要があるな」
そこまで話し合うと、俺達は一息ついた。新たなゾンビが坂下から上って来るのが見える。真っ青な空の下、何もかもが色鮮やかにくっきり見える。ゾンビのいる部分だけくすんで見えるのは異様だ。
最近はゾンビの腐敗臭もそこまで気にならなくなった。晴れが続いて乾燥しているから? 慣れたせいもあるかもしれない。
「ガシュピンの考えはもっともだと思う」
階下のゾンビに視線を這わせながら、神野君は再び口を開いた。
「でも、一番の問題点はさ、バリケードでも食糧でもない」
何だと思う? と問いかけるように俺へ視線を移す。
「一番問題なのは住人だよ」
俺が答える前に神野君は答えてしまった。さっきの元木や通路で喧嘩をしていた人達が思い浮かぶ。
「異常な状態が一週間も続いている。精神に変調をきたしてもおかしくない。家族がいない人は特にだ。元々高齢者の多いマンションだし、俺達の意見を受け入れる可能性は低いと見た方がいいだろう」
「一応、理事長の宮元さんに相談しようと思ってるんだけど……」
宮元さんは久実ちゃんのお父さんだ。人当たりのいい人だけど、判断力とか求心力は弱い。
「すぐ、動いてくれるかな?」
「分からない」
「……それにな、このままいくと絶対勝手な行動をする人が出てくる。管理組合で決定したことに従わないとか、マンションの外へ逃げ出すとか……勝手に逃げる分には構わないけど、そのせいでバリケードが動かされたり、更にゾンビを引き寄せてしまったら困る」
「確かに……」
俺達は神野君が持ってきたビールを飲みながら、話し合った。途中、青山君も呼ぼうかという話になったが、彼は俺のBlu-rayコレクションの鑑賞で忙しい。まあ、他にやることもないしな……
青山君はここに来るべきじゃなかった。青山君の住んでいた所は危険区域に入らなかったし、現在、派遣勤務している会社にも通勤出来なくなってしまった。事情が事情とはいえ、正社員じゃないから間違いなく解雇される。
そんな状況にも関わらず、青山君はいつも通りハイテンションだった。初めてのお泊まり会が楽しいらしい。仕事のことを尋ねれば、
「派遣だから、辞めてもヘーキヘーキ」
と、軽く答えるだけ。全く……こっちが罪悪感を感じてしまう。
ナツさんは久実ちゃんにすっかり懐いて、少しずつ明るさを取り戻しているようだった。
あの日、夜勤だった父親とも連絡が取れ、毎日電話しているという。ナツさん宅はギリギリ危険区域に入らなかった。
四時間後。交代の時間──
神野君が居てくれたおかげで、見張り時間終了の四時まではあっという間だった。全然真面目に見張ってないが、まあいいだろう。どうせ目を凝らした所で状況が変わる訳でもないし。
604号室の柄沢さんは少し遅れて来た。
柄沢さんは母子家庭の大学生だ。母親は勤務先から帰って来れなくなったそうだ。元木と同じ一人住まいである。
青い顔で恨めしそうにこちらを見てくる。幽霊か──こちらは欲望が怨念化してる元木とはまた違ったタイプだな。影が薄い。今にも消えてしまいそうに。
「良かったら飲む?」
余った缶ビールを試しに一本渡してみた。これは最後のビールだが、あんまり暗い様子だったのであげてもいいと思ったのだ。
「ありがとうございます」
柄沢さんは目を合わせずにビールを受け取った。
「いいですね。何か楽しそうで……隣だから窓開けてると笑い声とか聞こえるんすよ」
彼のまとう空気は重く、ジメッと湿っている。俺も余り外出しないから、隣なのに彼のことをほとんど知らなかった。母ちゃんから以前聞いた話だと、受験に失敗してから暗くなり、大学へもほとんど行かず引きこもっていると。うん、まあ、ニートの俺と大体同じだな。暗い所を除いては……
何やら周りまで浸食する負のオーラを放ち続けているが、以前から多分こんな感じだから気にしないことにする。よくいる毒タイプだ。俺には効かぬぜ。鈍感だからな。
この時、何も考えずに缶ビールを渡したのは迂闊だった。
「はぁー、もう四時か……」
酒、足りねぇ……日本酒がまだあるにはある。だが、一度に飲んでしまうのは勿体ない気がする。
「早速、宮元さんに今話したことを相談してみよう」
柄沢さんに見張りをバトンタッチし、神野君と喋りながら階段を降りた。今後の見通しも立ったし、意気揚々と足取りも軽い。
全く予想もしてなかったのだ──
四階の宮元さん宅に着いた時、それは起こった。「ダァン!」と何かが打ち付けられるような衝撃音が鳴り響いたのだ。俺と神野君は顔を見合わせた。
何かが破裂するような……爆発音?……銃声ではない……
「正面の方だ。部屋のベランダから見てみるか?」
神野君の提案に俺は頷いた。四階から六階へ戻る。途中、鬼気迫る表情で階段を駆け降りる人に遭遇した。どこかで見たことがある。多分管理組合の理事だ。さっきの音が関係しているのだろうか? 俺達は自然と駆け足になっていた。
慌てて603号室に駆け込むと、まず、つけっぱなしのテレビ画面のアニメが目に入る。
ベランダの掃き出し窓は開け放たれていた。手摺り越しから下を見ている青山君の後ろ姿……
「何があった!?」
俺の問いかけに振り返った青山君の顔は無表情だった。青山君のこんな顔は見たことがない。無言のまま、青山君は目線を再び落とした。
何かあったのは明白だ。慌てて駆け寄る俺と神野君……手摺りにしがみつくようにして、地上を見下ろした。そこに居たのは……
いや、落ちていたのは、地面に叩き付けられた人間の死体だった。
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