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八章 籠城生活
七十一話 籠城生活
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マンションに籠城してから一週間が経とうとしていた。
七階建てマンションは一フロアにつき十二世帯、合計八十四世帯が住んでいる。その内十三世帯がゾンビの被害で亡くなっており、四十五世帯が不在だった。
ゾンビが大量発生したあの晩、管理組合で調べたのである。理事は三人しかおらず、一軒一軒回るのは大変だ。俺達は久実ちゃんに頼まれ、住人の安否確認を手伝わされたのだった……ああ、久実ちゃんのお父さんは管理組合の理事長さんなんでね。
健在なのは二十八世帯。マンションの全世帯の三分の一である。不在の家の殆どが事前にニュースを見て避難したか、救急車が来てパニック状態の時に逃げたかのどっちかだろう。
そして、俺達は残ってしまった。
事情を話し、ナツさんは久実ちゃん宅で保護されることになった。その点に関しては余計な嫌疑をかけられることなく、めでたしめでたしだ。
通信の不具合も解消された。旅行へ行っていた母ちゃん達は無事だ。温泉地の方が安全でゾンビなど全然出ていないという。しかし、俺達の住むマンションが危険区域に指定されてしまった為に帰れなくなってしまった。
そう、危険区域である。最大危険区域Aクラス。俺達は今、安全第一と書かれたフェンスで囲まれた区域にいるという訳だ。そして、何に引き寄せられるのか、マンションに集まるゾンビの数は減るどころか、日に日に増えていった。
今日は見張り番の日だった。残った二十八世帯が交代で屋上に上り、見張りをすることになっている。一世帯辺り四時間。0時~4時、4時~8時、8時~12時、12時~16時……という具合に四時間交代で順番に見張ることになっていた。大体、五日に一度の頻度で順番が回って来る。
俺はお握りと傘を持って屋上へと上がった。今日は日差しが強い。でも、夜でなくて良かった。
「交代でーす」
602号室の元木さんに声をかける。元木さんは三十代くらいのサラリーマンだ。肌艶は良く、猫背、頭頂部は少し薄い。身綺麗なのに、表情がどことなく卑屈で陰険な印象を受ける。この俺が言うのも何だが、モテなさそうだ。
下界を見下ろしていた元木さんは、ホッとした表情で振り向いた。この人は一人暮らしだから、みっちり四時間、たった一人で見張らなくてはいけない。夜の時間に当たると大変だろうな。
「ゾンビの数、どんどん増えてますね」
「うん、食料も減ってきてるし……憂鬱になるよ」
「早く救助が来てくれるといいんですけどね」
こんなやり取りもこの一週間、何度も繰り返している。
「いいよな……銃が使えるって……」
元木さんの視線はスリングで吊り下げられた俺のAK47へと移った。
「そんなに扱いは難しくないですよ」
「へぇー……じゃ、今ちょっと教えてよ」
元木さんの目に不穏なものを感じて、俺は一歩後退りした。何か胸騒ぎがする。
「ちょっと、すみません。実は弾を入れ忘れてしまいまして……」
「ブッ! そんなの意味ないじゃん。いいよ。今から取りに行っても。待っててやるよ」
……嫌な予感的中。何だよ、しつけぇな……? 遠回しに断ってるんだよ、気付けよ。物凄くイヤらしい目で俺の可愛いカラシニコフ(AK47)ちゃんを見てくる。
「スイマセン。この銃はとても大事にしているので人に触られたくないんです」
きっぱり断ると、元木さんは露骨に気を悪くした。
「へぇー。ふぅーん。そうなんだ……因みにその銃、ちゃんと許可は取ってるんだよね?」
今度は疑り深い目で俺とカラシニコフを交互に見る。うわぁー……嫌な奴……
「勿論ですよ。だから人に貸しちゃダメなんです」
そう答えると、元木さん、いや元木は嫌らしい目線を動かさずにゆっくり場を離れた。首をこちらに向けたまま、階段へと向かうさまはどこか病的だ。
元木の姿が完全に見えなくなると、俺は大きな溜め息を吐いた。
気持ち悪ぃいいいっっ!! 何だ、あいつ?
俺が守ってやるからな、カラシニコフよ。心の中で呟きながら、AK47の美麗なボディを撫でる。そう、お前に触っていいのはこの俺だけなのさ。
ほんと、こんな状況で病むのは分かるけどさ。俺は傘を手すりに縛り付けてパラソル代わりにした。見下ろすと、ゾンビがうようよ動いているのが見える。
──まるで、虫だな
今、正面口だけで百匹ぐらい、裏手をうろついているのも合わせたら、百五十はいるだろう。ゾンビの数を数えながら、おにぎりを頬張る。日に日に増えていくゾンビに対して、感覚は少しずつ麻痺していった。
正面口のガラスドアは割られてしまったため、今は防火シャッターで対応している。扉付きのフェンスでガードされている中階段は棚のバリケードで更に強化した。南北二カ所の階段は、箪笥を手摺りに紐で縛り付け、更にもう一台ベッドを置いて強化。
バリケードは心強い。だが、これ以上ゾンビが増えていけば、破られる可能性も出て来るだろう。何か対策しないとな。
あと、問題は食料である。我が家は備蓄食料が無かったので、この一週間ほとんど米だけで生活している。久実ちゃん家から野菜やら肉やら少し貰ったのは、男三人の食事一回分に消えた。
管理組合から食料が足りない家庭と分けることのできる家庭は申し出るよう伝えているが、足りない家庭からしか申し出はないそうだ。
そりゃ、そうだ。いつまでここに閉じ込められるのか、分かったもんじゃないのに他人を助ける余裕などない。
「でもまあ、悲しい気持ちにはなるわな」
管理組合理事長の宮元さん、久実ちゃんのお父さんはそう言った。確かにこういう状況だからこそ、人の本質が現れてくる。さっきの元木さんなんかもそうだ。昨日もマンションの通路で取っ組み合いの喧嘩をしている人がいて、ちょっとした騒ぎになった。些細なことで口論になり、つい手が出てしまったのだという。
長い籠城生活は住人の心を確実に蝕んでいた。テレビは点いても、救助のニュースは全く入ってこない。日本各地でこのように危険区域と認定され、囲いこまれてしまった地域は百を越える。政府、自衛隊は手が回らず、安全な地域の保全に力を注ぐだけだ。
取り残された俺達を助けるのはボランティアぐらいだろう。このままじゃ生殺しだ。
おにぎりを食べ終え、正面口の周りに集まっているゾンビ一匹へ狙いを定める。物凄く撃ちたい衝動に駆られた。実は改造してからまだ一度も撃っていない。弾を無駄遣いする訳にいかないし、音に反応するのはゾンビだけでなく住人もだ。
溢れ出そうになる欲求をグッと抑え込む。構えた銃を下ろした時、背後に気配を感じた。
七階建てマンションは一フロアにつき十二世帯、合計八十四世帯が住んでいる。その内十三世帯がゾンビの被害で亡くなっており、四十五世帯が不在だった。
ゾンビが大量発生したあの晩、管理組合で調べたのである。理事は三人しかおらず、一軒一軒回るのは大変だ。俺達は久実ちゃんに頼まれ、住人の安否確認を手伝わされたのだった……ああ、久実ちゃんのお父さんは管理組合の理事長さんなんでね。
健在なのは二十八世帯。マンションの全世帯の三分の一である。不在の家の殆どが事前にニュースを見て避難したか、救急車が来てパニック状態の時に逃げたかのどっちかだろう。
そして、俺達は残ってしまった。
事情を話し、ナツさんは久実ちゃん宅で保護されることになった。その点に関しては余計な嫌疑をかけられることなく、めでたしめでたしだ。
通信の不具合も解消された。旅行へ行っていた母ちゃん達は無事だ。温泉地の方が安全でゾンビなど全然出ていないという。しかし、俺達の住むマンションが危険区域に指定されてしまった為に帰れなくなってしまった。
そう、危険区域である。最大危険区域Aクラス。俺達は今、安全第一と書かれたフェンスで囲まれた区域にいるという訳だ。そして、何に引き寄せられるのか、マンションに集まるゾンビの数は減るどころか、日に日に増えていった。
今日は見張り番の日だった。残った二十八世帯が交代で屋上に上り、見張りをすることになっている。一世帯辺り四時間。0時~4時、4時~8時、8時~12時、12時~16時……という具合に四時間交代で順番に見張ることになっていた。大体、五日に一度の頻度で順番が回って来る。
俺はお握りと傘を持って屋上へと上がった。今日は日差しが強い。でも、夜でなくて良かった。
「交代でーす」
602号室の元木さんに声をかける。元木さんは三十代くらいのサラリーマンだ。肌艶は良く、猫背、頭頂部は少し薄い。身綺麗なのに、表情がどことなく卑屈で陰険な印象を受ける。この俺が言うのも何だが、モテなさそうだ。
下界を見下ろしていた元木さんは、ホッとした表情で振り向いた。この人は一人暮らしだから、みっちり四時間、たった一人で見張らなくてはいけない。夜の時間に当たると大変だろうな。
「ゾンビの数、どんどん増えてますね」
「うん、食料も減ってきてるし……憂鬱になるよ」
「早く救助が来てくれるといいんですけどね」
こんなやり取りもこの一週間、何度も繰り返している。
「いいよな……銃が使えるって……」
元木さんの視線はスリングで吊り下げられた俺のAK47へと移った。
「そんなに扱いは難しくないですよ」
「へぇー……じゃ、今ちょっと教えてよ」
元木さんの目に不穏なものを感じて、俺は一歩後退りした。何か胸騒ぎがする。
「ちょっと、すみません。実は弾を入れ忘れてしまいまして……」
「ブッ! そんなの意味ないじゃん。いいよ。今から取りに行っても。待っててやるよ」
……嫌な予感的中。何だよ、しつけぇな……? 遠回しに断ってるんだよ、気付けよ。物凄くイヤらしい目で俺の可愛いカラシニコフ(AK47)ちゃんを見てくる。
「スイマセン。この銃はとても大事にしているので人に触られたくないんです」
きっぱり断ると、元木さんは露骨に気を悪くした。
「へぇー。ふぅーん。そうなんだ……因みにその銃、ちゃんと許可は取ってるんだよね?」
今度は疑り深い目で俺とカラシニコフを交互に見る。うわぁー……嫌な奴……
「勿論ですよ。だから人に貸しちゃダメなんです」
そう答えると、元木さん、いや元木は嫌らしい目線を動かさずにゆっくり場を離れた。首をこちらに向けたまま、階段へと向かうさまはどこか病的だ。
元木の姿が完全に見えなくなると、俺は大きな溜め息を吐いた。
気持ち悪ぃいいいっっ!! 何だ、あいつ?
俺が守ってやるからな、カラシニコフよ。心の中で呟きながら、AK47の美麗なボディを撫でる。そう、お前に触っていいのはこの俺だけなのさ。
ほんと、こんな状況で病むのは分かるけどさ。俺は傘を手すりに縛り付けてパラソル代わりにした。見下ろすと、ゾンビがうようよ動いているのが見える。
──まるで、虫だな
今、正面口だけで百匹ぐらい、裏手をうろついているのも合わせたら、百五十はいるだろう。ゾンビの数を数えながら、おにぎりを頬張る。日に日に増えていくゾンビに対して、感覚は少しずつ麻痺していった。
正面口のガラスドアは割られてしまったため、今は防火シャッターで対応している。扉付きのフェンスでガードされている中階段は棚のバリケードで更に強化した。南北二カ所の階段は、箪笥を手摺りに紐で縛り付け、更にもう一台ベッドを置いて強化。
バリケードは心強い。だが、これ以上ゾンビが増えていけば、破られる可能性も出て来るだろう。何か対策しないとな。
あと、問題は食料である。我が家は備蓄食料が無かったので、この一週間ほとんど米だけで生活している。久実ちゃん家から野菜やら肉やら少し貰ったのは、男三人の食事一回分に消えた。
管理組合から食料が足りない家庭と分けることのできる家庭は申し出るよう伝えているが、足りない家庭からしか申し出はないそうだ。
そりゃ、そうだ。いつまでここに閉じ込められるのか、分かったもんじゃないのに他人を助ける余裕などない。
「でもまあ、悲しい気持ちにはなるわな」
管理組合理事長の宮元さん、久実ちゃんのお父さんはそう言った。確かにこういう状況だからこそ、人の本質が現れてくる。さっきの元木さんなんかもそうだ。昨日もマンションの通路で取っ組み合いの喧嘩をしている人がいて、ちょっとした騒ぎになった。些細なことで口論になり、つい手が出てしまったのだという。
長い籠城生活は住人の心を確実に蝕んでいた。テレビは点いても、救助のニュースは全く入ってこない。日本各地でこのように危険区域と認定され、囲いこまれてしまった地域は百を越える。政府、自衛隊は手が回らず、安全な地域の保全に力を注ぐだけだ。
取り残された俺達を助けるのはボランティアぐらいだろう。このままじゃ生殺しだ。
おにぎりを食べ終え、正面口の周りに集まっているゾンビ一匹へ狙いを定める。物凄く撃ちたい衝動に駆られた。実は改造してからまだ一度も撃っていない。弾を無駄遣いする訳にいかないし、音に反応するのはゾンビだけでなく住人もだ。
溢れ出そうになる欲求をグッと抑え込む。構えた銃を下ろした時、背後に気配を感じた。
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