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六章 ハンティング

五十五話 ハンティング⑩

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 変な凄みを青山君から感じて、俺は一歩後ずさった。
 完全に安全という訳にはいかないだろうが、どれだけ危険かその度合いで気持ちは変わる。危険を冒してまであの部屋を調べる価値があるかは疑問だ。


「どういう策か、教えてくれないことには判断できかねる」
 
 俺は注意深く答えた。


「いいよ。ゾンビを部屋の外へ移動させる必要がある。どこに移動させるかは分かるよね?」

「廊下か、それとも窓ガラスを割ってバルコニーか……」

「廊下へおびき出すのも勿論有りだけど、その場合、屋敷内を歩き回らないようにバリケードで塞がないといけない。どっちが楽か分かるね?」


 俺は足下に散乱するゴミへ目線を移した。バリケードを作るとしたら、まず掃除から始めなくてはいけないだろう。ということは、窓ガラスを割ってバルコニーへ移動させるのか……
 
 さっき屋敷内へ入った時とやり方は全く同じである。ゾンビを室外へおびき寄せ、その隙に入り込む。出来ないことはないか……俺は数秒思案してから、口を開いた。


「どちらにせよ、ゾンビを移動させる役と室内へ侵入する役と二手に分かれなくてはいけない」

「ジャンケンで決めよう」


 俺達はジャンケンをした。生死を分けるかもしれない決断をジャンケンで決めるという適当さ……
 
 勝ったのは青山君だった。


「しょうがないなあ……危険な方をやってやるよ」
 

 青山君は言った。

 危険な方って一体どっちだろう? 室内へ侵入する方か、ゾンビを移動させる方か……両方危険だと思うのだが……


「その代わりライフルは貸してくれよ?」


 うーん、どっちだろう? 俺は返答出来ず、黙っていた。


「それと、始める前にやって置かないといけないことがある。バルコニーで足止めしているゾンビの一掃だ。さすがにあのままだと僕だって怖い」


 最初に窓ガラスを破って、放出したゾンビの群れのことを言っている。ライフルで倒した死体の山と窓ガラスに妨害され動けないでいるが、いつ突破されてもおかしくない状況だった。……ということは、青山君がゾンビをバルコニーへ誘導する役だな。


「分かった。ライフルは貸す。ただし、弾の無駄遣いはしないこと」
 
「了解」

「早速、バルコニーのゾンビを片付けに行こう」


 相変わらず、恐怖感はなかった。完全にゾンビ慣れしている。ゾンビは型通りの行動しかできない。危険な生き物に違いないが、特性をちゃんと理解して行動すれば何とかなる。ライオンや虎などの猛獣だったら、こうはいかないだろう。

 俺達は最初に入った部屋へと戻った。気配を察知したバルコニーのゾンビが、興奮して窓にへばり付いてくる。有り難いことにまだ動けない状態のままだ。
 
 九匹かける二列でトータル十八匹。ゾンビの前で倒れている死体をズカズカ踏みつける。適度な距離から鉄パイプを振り下ろした。隣では青山君が金属バットを振り下ろしている。

 グチャッ、ズチャッ、グギュンッ……

 柔らかくなった頭蓋骨がクラッシュされ、中の脳味噌が潰れる音。

 ここでライフルの弾は無駄に出来ない。ゾンビを片付けるのにそう時間は掛からなかった。
 
 全て終わると、俺達は乱れた呼吸を整えた。目前には死体の山という凄惨な場景が横たわっている。ここに住んでいた殺人鬼より沢山殺しているかもしれない。


「田守君、今日初めてゾンビを倒したけど、一生分殺ったような気がするよ」

 青山君も若干疲労を滲ませている。


「これからもっと殺ることになる」

 言いながら俺はライフルを青山君に渡した。


「健闘を祈る!」


 その一言で俺達は目も合わせず、背中を向けた。絶対に大丈夫だと思ったから、神野君を助けることにした。今もイケると思ったから、ゾンビだらけの部屋を調べるのだ。

 だが、万が一の可能性だってゼロではない。だから別れを惜しむような真似はしない。安易に死亡フラグを立ててはいけない。

 空いた窓から室内へ戻り、俺は例の部屋の前でしばし待機する。心臓が早鐘のように打ち始めた。こんなにドキドキしたのは新卒の企業面接の時以来だろうか。時間にして一分……二分は経っていないはず。とても長く感じた。

 ガシャン!

 窓ガラスの割れる音で始まる。命を賭けた作戦が。一呼吸置いてから、俺はドアノブに手をかけた。ゆっくりと音を立てないように回し、少しだけ開けて中を窺う。 

 ライフルを連射する音が聞こえる。青山君が突っ張り棒をくぐり抜け、群れを引き付けている。多分、あと数秒で棒が落とされ、青山君は逃げてくるだろう。
 
 ゾンビ達が青山君に引きつけられている間……棒が落ちて逃げてくるまでの短い時間で神野君を助ける……居ればの話だが。
 
 その部屋のドアは内開きだった。ドアを押し、そろそろと開けていく。僅かな隙間から中の様子を窺わねばならない。
 

「ウギエエエアアアアアアッ!!」


 突然、激しい叫び声と共にゾンビが飛び出してきた。これは、心臓に悪い。悪すぎる。俺は反射的に鉄パイプを振るった。
 鉄パイプはゾンビのこめかみ辺りを直撃する。倒れるゾンビの向こうからもう一匹……畜生! 沢山残ってるんなら後退するしかない。
 
 二匹目を倒し、やっと室内が見渡せるようになった。青山君が割った掃き出し窓から光が差し込んでいる。

 物が散乱しているのは他の部屋と一緒だ。一階と比べて、散乱物には衣類が多い。埃を被った運動器具とあと等身大の人体模型……デスク上には地球儀と顕微鏡が見える。

 趣味の部屋? 普段は使わない物置みたいな部屋だろうか……

 ふと、気配を感じて身構える。目に見える範囲には何もいない。俺は眼球をこれでもかってぐらいグリグリ回転させた。
 
 気のせいか。いや──

 頬を伝う脂汗が顎から離れた時、軋む音が俺の皮膚を粟立たせた。

 左のクローゼットからだ。暗がりから血まみれの手がヌッと出て、開かれた折れ戸を掴んだ。


「神野君……」


 それ以上言葉が出てこず、俺は口を開けたまま硬直した。
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