上 下
45 / 86
五章 ボランティア

四十五話 ボランティア⑮

しおりを挟む
 久しぶりに聞く家電いえでんの音で俺は悪い夢から覚めた。
 トゥルルルルル……トゥルルルルル……トゥルルルルル……
 どうせ何かの勧誘だろう……にしても、しつこいな……

 あの悪夢のようなボランティア活動から生還して三日が経っていた。
 現実でもゾンビに追われ、夢でも追われるとはツイてない。もうゾンビはコリゴリだから、しばらく引きこもることにした。コンビニバイトも週三にしてなるべく外へ出ないようにするつもりだ。

 母ちゃんには必ず戸締りしてくれとお願いしてあるし、自分の部屋にも鍵をかけるようにしている。
 朝起きると、俺はまず家中の窓と玄関ドアの戸締りを確認する。平穏な日常をゾンビによって壊させやしない。三日前のボランティア体験が固い決意をさせてくれた。

 

 三日前……
 
 坂から上がって来るゾンビの群れから逃れた俺達は、自転車のペダルを漕ぎ続けた。ただひたすら──

 例によって時間の感覚は失われた。それが長時間だったのか、短時間だったのか、今となってはどうでもいいことだ。

 危険区域を囲んでいるバリケードフェンスが見えた時は、本気で泣きそうになった。
 
 闇にくすんだオレンジ色に白く浮かび上がる「安全第一」の文字。今朝はこれを見て「何が安全第一だ?」と毒づいたのが、今は「帰ってきてありがとう」に見える。

 その頃にはすっかり日が暮れて、濃紺の夕闇に包まれていた。

 着いた先はボランティアの待ち合わせ場所からかなり離れていた。坂道を避けて迂回したため、だいぶ離れてしまったのだ。

 久実ちゃんがボランティアリーダーに電話したところ、フェンスに沿って移動し、待ち合わせ場所まで来るようにと言われてしまった。

 もう暗いし、死ぬ思いでここまで来たのに、これ以上危険を冒せと!? 危険区域の奥地にいる訳ではないのだ。バリケードの所にいるのだから、車で迎えに来てくれたっていいじゃないか!
 
 俺の怒りは頂点に達していた。久実ちゃんにスマホを渡すよう言うも、既に通話を切られた後だった。

 フェンスに印刷された「安全第一」を俺は睨みつける。フェンス一枚の幅が一メートルぐらいだ。それが隙間なく置かれている。足部分につけられた重しがフェンスを固定していた。


「あれを動かして外へ出よう」
 
「え? あんなのそう簡単に動かせるのかな……」


 俺の言葉に困惑する久実ちゃん。そりゃそうだ。大人二人と小学生の力で簡単に動かせるようなバリケードでは、群れに押し寄せられたら一溜まりもないだろう。
 
 でも俺は工事現場の日雇いをした時、これを設置したことがあった。重いことは重いが、何とか動かせるはずだ。近付いてよく見ると、フェンス同士はワイヤーロープで括り付けられている。

 リュックからニッパーを出し、俺はロープを切り始めた。その間、久実ちゃん達には見張りをしてもらう。このニッパーに何度助けられたことか……
 俺は心からニッパーに感謝した。
 
 ワイヤーロープを切り終わる頃にはすっかり暗くなっていた。

 空にポッカリ、満月が穴を空ける。高く昇った天然の光球を俺は見上げた。今、頼りになるのはこの月明かりだけだ。もしここを抜けられなければ、俺達の命は尽きる。

 俺は手伝うよう目で知らせ、フェンスの重しに手を当てた。久実ちゃんは重しの上の細い棒部分を握り締める。


「田守君、頑張って!」


 陽一の応援を聞きながら、俺達は手に力を入れた。

 ズズズズズ……
 やった! 動いた! 廃墟公団でフェンスを乗り越えた時を上回る感動だ。


「すげー! 動いた!」
 
 陽一が大声で歓喜する。


「おい、こら! 声出すんじゃねぇ!」


 全く、まだ危険は脱してないのだから油断すんじゃねえよ。俺と久実ちゃんは少し休んでから再び重しを押した。さっきよりも動く。多分、陽一よりは軽い。

 人、一人通れるぐらいの隙間。その僅かな隙間が空けばいい。言うなれば、これは蜘蛛の糸。地獄へ垂らされた細い蜘蛛の糸だ。俺達の命を救う──地獄と娑婆を繋ぐ小さな通り道。
 

 月明かりに照らされた希望の隙間を、陽一、久実ちゃん、俺の順番で通り抜けた。すぐさま、喜び合いたい気持ちを抑えてフェンスを元に戻す。

 その後、俺達三人は両手を重ねて喜び合った。


「生還おつ!」

「やったね! 田守君!」

「怖かったよーー!」


 急に陽一が泣き出した。緊張から解き放たれたせいかもしれない。俺は陽一の肩に手を置いた。恐怖を共有した俺達には言いようのない絆が芽生えていた。


「ねえ、陽一君、お母さんとお父さんに電話してみたら?」


 久実ちゃんの提案に陽一は頷いた。首から下げていたキッズ携帯を握りしめる。携帯のバッテリー残量は四分の一以下だ。

 陽一の両親は仮設住宅に避難しているらしい。陽一が両親に電話をしている間、俺は久実ちゃんのスマホからボランティアリーダーに電話をかけた。勿論怒りをぶつける為である。
 
 人助けとか言って、俺達の命を軽んずる態度は許せない。そもそもこんな危険な仕事を何の訓練も受けてないボランティアがすべきではない。

 俺はまずボランティアリーダーに皆山さんが亡くなったことを伝えた。


「ボランティアで死ぬとか、どう考えてもおかしいだろ!? ゾンビだらけの場所で小学校低学年の子も一緒で、日も暮れかけているのに……自力で待ち合わせ場所まで来いって、おかしいだろ? 車もないし、一人死んでんだぞ?」


 俺の非難にリーダーはたじろいたが、最初に書いた誓約書を持ち出してきた。向こうの言い分は、最初に全て自己責任でお願いすることは了承済みだと。俺は声を荒げた。


「そもそも、あんな誓約書書かせる自体、間違ってるんだよ! 人権侵害だよ! 人の善意に漬け込んでな……」


 途中で通話が切れた。俺は何も間違ったことは言っちゃいない。こんなにも危ない目に遭わされて平気でいるのは、馬鹿か仏様だけだ。

 幸い、陽一が両親と連絡が取れたのでそれ以上追求はしなかった。最寄り駅へ迎えに来てくれるそうなので俺達は移動を始めた。駅までは徒歩十分くらいだ。
 
 駅で待っている間、俺達は残った食料を分け合って食べた。腹が凄く減っていた。
 無理もない。昼過ぎから暗くなるまで、自転車のペダルを漕ぎ続けていた訳だし。しかも、ちょっと太めの小学二年生を後ろに乗せて、だ。それにプロ野球選手並みにスイングしたと思う。ゾンビに向かって。

 普段、ほとんど家でゴロゴロしているような人間がここ数日で一年分くらいの運動量をこなしている。マジでもうちょっと、体を鍛えた方がいいかもな。
 
 何かあった時、今のままの体力じゃ生死に関わるかもしれない。


「田守君、今日一日でちょっと痩せた?」


 陽一が俺の考えを見透かすように茶化してきた。うるせぇ! テメェもデブの癖に余計なお世話だっつうの!


「お前は後ろに乗ってただけだから、痩せなかったろうがな」

「ううん、痩せたよ、かなり。死ぬほど怖かったもん」


 確かに幼い子には酷な体験だった。飄々としているからあまり気にしてなかったが、PTSDとか後で発症しないか心配だ。

 三十分くらいで陽一の両親は迎えに来た。お母さんは泣きながら「ゴメンね、ゴメンね……」と繰り返し、陽一を抱き締めた。何だかドラマのワンシーンみたいだ。その間、赤ちゃんを抱っこしたお父さんが俺達に何度も頭を下げた。

 陽一は最後、満面の笑みで俺達に別れを告げた。


「今度、田守君家に遊びに行っていい? 僕んちにも来てね!」


 俺は頷きながら苦笑いした。ニートの俺が小学生と友達付き合いしてたら、事案になるだろうが。でも、無事両親に引き渡せて良かった。このボランティアで唯一の救いは、陽一を助けられたことだ。


「また、改めてお礼をしたいので、ご連絡させてください」
 

 そう言い残し、海野一家は電車に乗って仮設住宅へと帰って行った。

 後日、久実ちゃんから聞いた話によると、あの日、何組も帰って来れなかったグループがあったそうな。一応、調べた場所などを報告した後、久実ちゃんもあのボランティア団体とは連絡を絶ったという。
 
 そりゃそうだ。俺達は一歩間違えば、死ぬ所だった。それを全て自己責任と片付けられては堪らない。

 

 トゥルルルルル……トゥルルルルル……トゥルルルルル……

 ──にしても、鳴り止まないな……まさか、母ちゃんか?

 俺は重い体を起こした。リビングへ這うように向かう。三日前の筋肉痛はまだ治っていない。


「はい、どちら様……」

「ガシュピン、出るの遅過ぎだよ。二十八コール目だぞ」

 やや、この声は……てか、コール数数えるなよ。


「メール見てないだろ? サバゲーの日程決まったからな」

 電話の主は神野君だった。
しおりを挟む

処理中です...