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五章 ボランティア

三十九話 ボランティア⑨

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「冗談やめてくださいよ! 本当に死ぬかと思ったんですから!」


 俺は振り返って皆山さんを睨み付けた。そして、再び凍り付いた。

 顔色が青いとかいうレベルじゃなくて真っ白じゃねぇか……
 皆山さんの顔は血の気を失って、紙のように白くなっていた。


「皆山さん、顔色相当ヤバいですよ。やっぱ帰りましょうよ」

「大丈夫、大丈夫」


 ……いや、大丈夫じゃないって。
 

「せっかく着いたんだから、人いないか見て来いよ。そんなに時間かからないだろう? オジサンは車の中で待ってるから」

 しかしながら、助手席の久実ちゃんが首を縦に振ったので俺は渋々頷いた。


「どうしようもない時は必ず宮元さん(久実ちゃん)の携帯に電話してください。車の音で数匹寄って来ると思うけど、なるべく身を低くして気付かれないように。あんまり寄ってくるようであれば、車を移動してもいいです……いや、静かにしてればその内いなくなるから、待ってた方がいいです。俺達はすぐ戻りますから」


 皆山さんに念を押し、俺と久実ちゃんは車の外へ出た。校舎の向こうには校庭が広がっている。今の所、見える範囲には……校庭から五、六匹の影がこちらへ向かってくる。
 
 蛇腹の門扉を開ける時、派手な音を立ててしまう。注意深く少しだけ開け、身体を滑り込ませた。 

 ──きっつっ!!

 久実ちゃんは余裕だが、俺は腹が引っ掛かる。強引に通った。

 気を取り直して……門を元通りに閉める。さあ、ダッシュ!!
 俺は走りながら確認した。門を入って右手が駐車場、左手が駐輪場になっている。そこを過ぎた先に校舎の昇降口があった。昇降口の扉は……案の定、鍵が閉まっていた。六個並んだ両開きガラス扉のどれもが固く閉ざされている。校舎の向かいにある体育館も同じく。

 そりゃそうだよな……俺は立ち止まらず横目でチラリ、中をうかがった。
 新造の校舎の昇降口は一面ガラス張りになっており、奥まで見通せる。最近の小学校って建築もおしゃれだ。

 でも、中身は昔と全然変わらない。整然と並んだ下駄箱や壁に貼られた絵、注意書きの数々、数本置き忘れた傘が寂しげなのも。気持ちタイムスリップ感がある。

 参ったな……インターホンとかないんだろうか?
 

 中に避難しているとしたら何人いるか分からないし、ガラスを割る訳にはいかない。俺は校庭の方からやって来るゾンビを数えた……六匹程度か。門は閉まっていた。駐車場側も。一体どこから入り込んだのか……それとも内部で発生したのか。


「久実ちゃん、まずゾンビをさっさと倒そう。俺の後ろで援護を頼む」


 数が少ないからか、久実ちゃんは怯えていない。久実ちゃんが頷いたのを確認し、俺は一番先頭のゾンビへと向かった。一匹倒すと、俺を認識した背後のゾンビ達の動きが素早くなる。こういった一連の流れも、もう慣れた。
 
 グシャン! 
 
 二匹目……三匹目は近づき過ぎていたため、久実ちゃんが倒す。次々と寄って来る奴らに、背中だけは見せないよう気をつけつつ、鉄パイプを振り降ろし続けた。
 
 五匹目は久実ちゃんが倒して、六匹目……さっき倒したはずの一匹が殴り足らなくて起き上がって来る。そいつの脳天をぶちまけた後、死体の山を前に俺はゼェゼェ息を切らしていた。一度にやれるのは六匹が限界だな。

 いくら何でも、肩と腕が痛くなってきた。今日だけで一体何匹のゾンビを倒したのだろう。最後の方、力が入らなくなってきて一撃で倒せなかった。


「……校舎の中へはどうやって入る?」

 肩で息をしながら、俺は久実ちゃんに尋ねる。


「入る必要はないよ」


 久実ちゃんはリュックから発炎筒を出した。車とか事故った時、目印にするアレだ。流石じゃん。準備いい。

 シュボッ……
 校庭のど真ん中で発炎筒に点火する。赤い光がパッとついて網膜を刺激した瞬間、煙がモクモクと渦を巻いた。
 くさいが嫌いなにおいではない。
 
 ぼぅっと煙を眺めているのもいい。しかし、まだどこかにゾンビが潜んでいる可能性もある。俺はひとまず久実ちゃんを置いて、外から入り込める隙間がないかフェンスを調べることにした。
 
 学校を囲うコンクリート塀は、校庭の所からフェンスに変わっている。俺はフェンスの状態を確認しながら歩いた。うん、思ったより時間かかりそうだ……皆山さん、大丈夫だろうか。戻って死んでたらどうしよう。

 一周回り、どこにもゾンビの入れるような隙間がないことを確認する。フェンスも新しいし、裏門もしっかり閉められていた。駐車場に車がないのは、避難に使ったからだと思われる。
 
 ただし、気になることが一つ。校舎の一階に窓ガラスの割られた教室があった。割るのに使われたのだろう。外の花壇に椅子が一脚落ちている。ここから中へ忍び込めそうだが……のぞき込んだところ、ガランとした不気味な教室が目に飛び込んできた。
 
 不気味なのは、床に飛び散った血や派手に倒され散乱している机と椅子である。何より廊下側の引き戸が内側から奇妙に凹んでいた。

 俺は寒気を感じて目を反らした。この場所で大惨事が起こったのは想像に難くない。ゾンビはここから外へ這い出して来たのだろう。生理的にこの教室からは忍び込みたくなかった。

 

 校庭に戻ると、久実ちゃんが嬉しそうに校舎を指さしていた。五階から身を乗り出して、手を振る人が見える。窓から手を振っているのは……一、二、三……四人か……車に乗るかな……

 ジェスチャーで下まで降りて来ると分かったので、俺達は昇降口へ移動した。ガラスで遮られた向こうから、歩いて来る避難民の姿が見える。奥の階段からも何人か。よかった。子供も一人いる……小学校低学年くらいの男の子だ。
 
 子供も合わせたら、全部で五人か。俺と久実ちゃん、皆山さんも入れて八人。助手席に二人、後部座席四人、トランク一人で無理矢理詰め込めば、何とか入るかな……

 先生っぽい雰囲気の背の高い男性が扉を開けてくれた。俺達が中へ入ると、しゃがんで即座にカンヌキをかける。扉の下部にカンヌキは付いていて、施錠と二重でロックしていた。


「単刀直入に言います。皆さんを助けに来ました。外に車を待たせております」


 言った途端、歓声が沸き起こった。ちょっと素っ気ない言い方だったかな。二日間、閉じ込められていた人達に対してもっとねぎらうべきだったか。だが、適当な言い回しは思いつかなかった。
 俺は校庭にいたゾンビを倒した旨伝え、各自トイレなど済まして出発の準備をするよう促した。


「申し訳ないのですが、車が一台だけなんです。助手席に二人、後ろに四人、入って頂く形になります」


 一応、伝えとかなきゃな。俺は運転するので久実ちゃんか皆山さんはトランクで我慢してもらおう。避難民の内訳は女性二人に男性二人、子供が一人だった。皆、三十代から四十代くらい……家族では無さそうだ。

 避難民達が玄関ホールから離れてそれぞれ荷物を取りに行ったり、トイレへ行ったりしている間、子供が喋りかけてきた。


「ねえねえ、おじさん、何か食べ物持ってる? お腹減ったよ」

「おじ……」


 おじさんとは俺のことか……未婚の二十代を捕まえておじさんはないだろ。ガキ……可愛くねぇ……

 久実ちゃんがクスクス笑った。俺がおじさんならお前もおばさんだかんな!……心の中で叫びながら、俺は子供にチョコレートを上げた。


「昨日から何も食べてないんだ」


 チョコを頬張りながら、その子はここで何があったかを教えてくれた。
 
 一昨日の晩、ここ一帯にゾンビ警報レベル4が発令された。俺がコンビニの深夜バイトへ向かった晩のことだ。避難所に指定された体育館は校舎の向かいに併設されている。
 当初、体育館は避難して来た人達で溢れかえっていたとのこと。子供の話では何人か分からないが、さっき見た体育館の外観だと千人はいたと思われる。体育館だけでは場所が足らず、教室を利用している人もいたというからそれ以上かもしれない。
 
 この少年は家族と避難してきたという。


「学校の友達がいたのは嬉しかったけど、狭くて全然寝れなかった」


 ここまでは通常の災害時と同じである。問題が起こったのは、一夜明けて翌日の昼過ぎだ。体育館内で狂ったような叫び声が聞こえ、それは徐々に伝染して行った。
 内部に感染者がいたのである。ゾンビ一匹だけならまだしも何匹も発現し、校内は騒然となった。両親とはぐれた少年はゾンビに追われ、校舎へと逃げ込んだ。
 しかし、校舎も安全とは言えなかった。少年は階段を駆け上がり、慣れ親しんでいる自分の教室へ逃げ込むしかなかった。最初は机の下へ隠れ、途中から掃除用品のロッカーへと移動する。ゾンビがこちらへ向かって来る気配を感じたからだ。

 案の定、ゾンビが一匹、教室内へ入り込んできた。ロッカーの通気口から少年はウロウロと歩き回るゾンビを見る。震えて待つこと数時間……
 
 大人が二人、教室に入って来たのは、うんざりするほど長い時間を経てからだった。少年の話だとかなり長時間、ゾンビはうろついていたという。これは感覚的に長く感じただけかもしれないと俺は思った。
 
 
 二人の大人はバットを振るってゾンビを倒してくれた。そこでようやく少年はロッカーから保護される。大人達に連れて行かれ、五階の教室へ。そこには大人があと二人、隠れていたのだった。


「それから一日たった……」
 

 そう言う少年の目にはうっすら涙が浮かんでいる。はぐれた両親と妹は車で危険区域から逃げていた。少年は両親とキッズケータイで連絡を取り合っている。
 避難民のほとんどが車を相乗りしたり、自転車などで逃げていた。逃げ遅れた者で生き残ったのは、今ここにいる五人だけだ。他は皆、ゾンビになってしまったとのこと。
 
 五階の教室に避難していた大人達は、校舎内をほぼ制圧していた。ゾンビの多くは体育館に押し込め、外へ出れないようにしている。唯一の安全地帯となった校舎から出れば、ゾンビがうろついているし、助けを待つしかなかったようだ。

 過酷な二日間を過ごして来た少年の話を聞きながら、俺は二日前のことを思い出していた。
 
 ポスティングのバイトで散々な目に遭った翌日……上階の騒音に対して苦情を言うも逆切れされる。同日夜七時、地下鉄がゾンビのせいで止まって母ちゃん達、帰って来れない。俺はニュースを見てからコンビニへ……
 コンビニで同シフトの大学生が休んだために、猛烈に忙しい深夜勤務。やっと仕事が一段落ついた所で、ゾンビ三匹に襲われた。結果、ゾンビの脳天をぶちまけ、大掃除することに……
 
 家に帰ってからもロクなことがなかった。上階の騒音プラス、ゾンビ化した勧誘おばさんのピンポン攻撃により起こされる。アニメを見ていると、ゾンビに襲われるわ、ハードディスクが壊れるわ……

 それでもこの少年ほど過酷ではなかった。
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