22 / 86
三章 ポスティング
二十二話 ポスティング⑤
しおりを挟む
……まてよ……邪魔しているのはゾンビ一匹だけだ。俺は今、百頭以上のゾンビに囲まれている。たかだか一匹のゾンビにビビっていては、この戦いには勝てぬだろう。
俺は腹を決めて階下のゾンビを見据えた。薄い頭頂部が見えたのは一瞬だ。すぐに怨念のこもった目で見上げてくる。髪が薄いのはもともとなのか、それとも腐ったからなのか……んなこと、どうでもいい。
「来やがれ」
俺はゴルフクラブを下へ突き出し、ゾンビを誘った。髪薄ゾンビは俺の誘いに乗ってハシゴへ手をかける。
よっしゃぁあああ! 行け! そのまま上ってこい!
ゾンビにハシゴを上らせる。こちらに近づいたところ、脳天をぶち抜くつもりだった。だが……
来ねぇえええ!
ゾンビはハシゴに手をかけたものの、こちらを見上げて唸るだけで上ってこようとはしない。
よく見ると、膝を上げてはいる。ハシゴの段へうまい具合に足を引っ掛けられないでいるのだ。足の筋力が弱いという機能的な問題なのか、それとも知能が低いためにそういった複雑な動作ができないのか……ゾンビのヨタヨタ歩きを見るに、両方かもしれない。
新発見。ゾンビは上れない。階段は上れるけどハシゴは無理──なんて感心してる場合じゃない。
なんとか引き寄せてから退治したかったが、やっぱり音作戦しかないか……落胆した俺の視線の先に錆びた物干し竿があった。
これだ! 思わず声を出しそうになる。これだけの長さがあれば、下のゾンビまでは余裕で届く。そして適度な重量感だ。
俺は竿を槍のように構えると、階下の薄毛ゾンビへ向かって突き出した。
「死っねぇええええ! ハゲェーーー!!」
「ブチュッ」
ゾンビの片目を竿が貫通する。嫌な音とともに崩れるゾンビ。
やった!!
視力が悪いんだな、ゾンビって。目は合うし、こちらを見ているようには見えるけど、少しも避けようとしなかった。一撃で倒せたぜ。
ハシゴを下りる途中、数十メートル離れた所で固まっていたゾンビたちが見えた。薄毛ゾンビが倒れる音に反応してこちらへ向かってくる。音には敏感だ。
俺は一瞬躊躇したが、思い切って下りた。端部屋へ移動して、音で引きつけることも考えるには考えた。しかし、精神的にも肉体的にも疲労していたのだ。端部屋へ移動するには、隔て板を三枚も破らないといけない。途中でまたゾンビが現れる可能性だってあるし……
大丈夫だ。奴らの知能は低い。そう自分に言い聞かせながらも、下りてから俺は激しく後悔した。
ベランダの手摺り下が鉄格子ではなくて、薄っぺらいパーテーションだったのだ。一見すると、磨り硝子のようにも見える。材質はおそらく樹脂だろう。しかも低かった。低すぎる。頭一つ分、出るぐらい。
上階にいた時はそこまで注意が及ばなかったのである。これでは簡単に飛び越えられるし、隔て板と同じくらい容易く破られるかもしれない。
しかし、またハシゴを上って戻る気力もなく、俺はパーテーションに背中を合わせて座りこんだ。奴らは音に引き寄せられてはいるが、俺の存在にはまだ気づいていない。上る動作はできないから大丈夫だ。
ゾンビたちは俺が潜んでいる部屋のすぐ近くまで来た。冷静になろうとしても、俺の顔はほてり、全身から冷たい汗が噴出する。薄いパーテーションを隔てたすぐ向こうに二十頭以上のゾンビがいるこの状況。呼吸音が気になる。すごく息苦しい。俺は神に祈った。神に祈るのは人生で二度目である。
まえに祈ったのは某有名雑誌の漫画コンテストに応募した時……結果発表が掲載されている号を購入し、そのページを開く瞬間……神様は俺の願いを聞き入れてはくれなかった。
神様、明日から真面目に働きます。ちゃんと就活もします。働いている親に代わって飯を作ります。美少女アニメももう見ません──
俺は目をつぶり、念仏のように祈りの言葉を繰り返した。すぐうしろでうなり声が聞こえる。パーテーションの下の隙間から腐臭を漂わせ、ヨロヨロと地面を踏む黒ずんだ足が見える。
早く、早く去ってくれ!!
九死に一生を得るとは、まさにこのことだ。時間にして数分だったのかどうかは、わからない。その時だけが止まったかのように、感覚がおかしくなっていた。あとから思い出せば、ほんの短い時間だったかもしれない。だが、その時は無限地獄のごとく永遠と続く時間に思われた。
しばらくして静かになると、俺はこわごわ手摺りから顔を出した。
いない──
同じ姿勢のまま硬直していたため、体中が痛い。力が入らない。しかも、全身にかいた汗が冷えて冷水を浴びたようになっている。俺は身震いしてから、勇気を振り絞った。
生きるんだ! ここで死んでたまるか!
来月、神野君たちとサバゲーをする予定があるし、女児向けアニメ、トゥインクルハニーも今シーズン始まったばかりなんだ。それに、新しく買った電動ライフルを改造してパワーアップしたいし、そのためにこのポスティングバイトをしていたんだ。俺のアニメ実況とゲーム実況を楽しみにしている人もいる。漫画も……漫画の読者はほとんどいないが……
俺は腰に力を入れた。パーテーションを飛び越える。内側に立て掛けていたゴルフクラブがその拍子に倒れた。
「ゴン!」
その音に弾かれ、俺は猛ダッシュしていた。
俺は腹を決めて階下のゾンビを見据えた。薄い頭頂部が見えたのは一瞬だ。すぐに怨念のこもった目で見上げてくる。髪が薄いのはもともとなのか、それとも腐ったからなのか……んなこと、どうでもいい。
「来やがれ」
俺はゴルフクラブを下へ突き出し、ゾンビを誘った。髪薄ゾンビは俺の誘いに乗ってハシゴへ手をかける。
よっしゃぁあああ! 行け! そのまま上ってこい!
ゾンビにハシゴを上らせる。こちらに近づいたところ、脳天をぶち抜くつもりだった。だが……
来ねぇえええ!
ゾンビはハシゴに手をかけたものの、こちらを見上げて唸るだけで上ってこようとはしない。
よく見ると、膝を上げてはいる。ハシゴの段へうまい具合に足を引っ掛けられないでいるのだ。足の筋力が弱いという機能的な問題なのか、それとも知能が低いためにそういった複雑な動作ができないのか……ゾンビのヨタヨタ歩きを見るに、両方かもしれない。
新発見。ゾンビは上れない。階段は上れるけどハシゴは無理──なんて感心してる場合じゃない。
なんとか引き寄せてから退治したかったが、やっぱり音作戦しかないか……落胆した俺の視線の先に錆びた物干し竿があった。
これだ! 思わず声を出しそうになる。これだけの長さがあれば、下のゾンビまでは余裕で届く。そして適度な重量感だ。
俺は竿を槍のように構えると、階下の薄毛ゾンビへ向かって突き出した。
「死っねぇええええ! ハゲェーーー!!」
「ブチュッ」
ゾンビの片目を竿が貫通する。嫌な音とともに崩れるゾンビ。
やった!!
視力が悪いんだな、ゾンビって。目は合うし、こちらを見ているようには見えるけど、少しも避けようとしなかった。一撃で倒せたぜ。
ハシゴを下りる途中、数十メートル離れた所で固まっていたゾンビたちが見えた。薄毛ゾンビが倒れる音に反応してこちらへ向かってくる。音には敏感だ。
俺は一瞬躊躇したが、思い切って下りた。端部屋へ移動して、音で引きつけることも考えるには考えた。しかし、精神的にも肉体的にも疲労していたのだ。端部屋へ移動するには、隔て板を三枚も破らないといけない。途中でまたゾンビが現れる可能性だってあるし……
大丈夫だ。奴らの知能は低い。そう自分に言い聞かせながらも、下りてから俺は激しく後悔した。
ベランダの手摺り下が鉄格子ではなくて、薄っぺらいパーテーションだったのだ。一見すると、磨り硝子のようにも見える。材質はおそらく樹脂だろう。しかも低かった。低すぎる。頭一つ分、出るぐらい。
上階にいた時はそこまで注意が及ばなかったのである。これでは簡単に飛び越えられるし、隔て板と同じくらい容易く破られるかもしれない。
しかし、またハシゴを上って戻る気力もなく、俺はパーテーションに背中を合わせて座りこんだ。奴らは音に引き寄せられてはいるが、俺の存在にはまだ気づいていない。上る動作はできないから大丈夫だ。
ゾンビたちは俺が潜んでいる部屋のすぐ近くまで来た。冷静になろうとしても、俺の顔はほてり、全身から冷たい汗が噴出する。薄いパーテーションを隔てたすぐ向こうに二十頭以上のゾンビがいるこの状況。呼吸音が気になる。すごく息苦しい。俺は神に祈った。神に祈るのは人生で二度目である。
まえに祈ったのは某有名雑誌の漫画コンテストに応募した時……結果発表が掲載されている号を購入し、そのページを開く瞬間……神様は俺の願いを聞き入れてはくれなかった。
神様、明日から真面目に働きます。ちゃんと就活もします。働いている親に代わって飯を作ります。美少女アニメももう見ません──
俺は目をつぶり、念仏のように祈りの言葉を繰り返した。すぐうしろでうなり声が聞こえる。パーテーションの下の隙間から腐臭を漂わせ、ヨロヨロと地面を踏む黒ずんだ足が見える。
早く、早く去ってくれ!!
九死に一生を得るとは、まさにこのことだ。時間にして数分だったのかどうかは、わからない。その時だけが止まったかのように、感覚がおかしくなっていた。あとから思い出せば、ほんの短い時間だったかもしれない。だが、その時は無限地獄のごとく永遠と続く時間に思われた。
しばらくして静かになると、俺はこわごわ手摺りから顔を出した。
いない──
同じ姿勢のまま硬直していたため、体中が痛い。力が入らない。しかも、全身にかいた汗が冷えて冷水を浴びたようになっている。俺は身震いしてから、勇気を振り絞った。
生きるんだ! ここで死んでたまるか!
来月、神野君たちとサバゲーをする予定があるし、女児向けアニメ、トゥインクルハニーも今シーズン始まったばかりなんだ。それに、新しく買った電動ライフルを改造してパワーアップしたいし、そのためにこのポスティングバイトをしていたんだ。俺のアニメ実況とゲーム実況を楽しみにしている人もいる。漫画も……漫画の読者はほとんどいないが……
俺は腰に力を入れた。パーテーションを飛び越える。内側に立て掛けていたゴルフクラブがその拍子に倒れた。
「ゴン!」
その音に弾かれ、俺は猛ダッシュしていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
11
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる