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三章 ポスティング

二十二話 ポスティング⑤

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 ……まてよ……邪魔しているのはゾンビ一匹だけだ。俺は今、百頭以上のゾンビに囲まれている。たかだか一匹のゾンビにビビっていては、この戦いには勝てぬだろう。
 
 俺は腹を決めて階下のゾンビを見据えた。薄い頭頂部が見えたのは一瞬だ。すぐに怨念のこもった目で見上げてくる。髪が薄いのはもともとなのか、それとも腐ったからなのか……んなこと、どうでもいい。


「来やがれ」


 俺はゴルフクラブを下へ突き出し、ゾンビを誘った。髪薄ゾンビは俺の誘いに乗ってハシゴへ手をかける。

 よっしゃぁあああ! 行け! そのまま上ってこい!

 ゾンビにハシゴを上らせる。こちらに近づいたところ、脳天をぶち抜くつもりだった。だが……

 来ねぇえええ!
 ゾンビはハシゴに手をかけたものの、こちらを見上げて唸るだけで上ってこようとはしない。

 よく見ると、膝を上げてはいる。ハシゴの段へうまい具合に足を引っ掛けられないでいるのだ。足の筋力が弱いという機能的な問題なのか、それとも知能が低いためにそういった複雑な動作ができないのか……ゾンビのヨタヨタ歩きを見るに、両方かもしれない。

 新発見。ゾンビは上れない。階段は上れるけどハシゴは無理──なんて感心してる場合じゃない。

 なんとか引き寄せてから退治したかったが、やっぱり音作戦しかないか……落胆した俺の視線の先に錆びた物干し竿があった。

 これだ! 思わず声を出しそうになる。これだけの長さがあれば、下のゾンビまでは余裕で届く。そして適度な重量感だ。
 
 俺は竿を槍のように構えると、階下の薄毛ゾンビへ向かって突き出した。


「死っねぇええええ! ハゲェーーー!!」

「ブチュッ」
 

 ゾンビの片目を竿が貫通する。嫌な音とともに崩れるゾンビ。

 やった!!

 視力が悪いんだな、ゾンビって。目は合うし、こちらを見ているようには見えるけど、少しも避けようとしなかった。一撃で倒せたぜ。

 ハシゴを下りる途中、数十メートル離れた所で固まっていたゾンビたちが見えた。薄毛ゾンビが倒れる音に反応してこちらへ向かってくる。音には敏感だ。

 俺は一瞬躊躇したが、思い切って下りた。端部屋へ移動して、音で引きつけることも考えるには考えた。しかし、精神的にも肉体的にも疲労していたのだ。端部屋へ移動するには、隔て板を三枚も破らないといけない。途中でまたゾンビが現れる可能性だってあるし……

 大丈夫だ。奴らの知能は低い。そう自分に言い聞かせながらも、下りてから俺は激しく後悔した。

 ベランダの手摺り下が鉄格子ではなくて、薄っぺらいパーテーションだったのだ。一見すると、磨り硝子のようにも見える。材質はおそらく樹脂だろう。しかも低かった。低すぎる。頭一つ分、出るぐらい。

 上階にいた時はそこまで注意が及ばなかったのである。これでは簡単に飛び越えられるし、隔て板と同じくらい容易たやすく破られるかもしれない。

 しかし、またハシゴを上って戻る気力もなく、俺はパーテーションに背中を合わせて座りこんだ。奴らは音に引き寄せられてはいるが、俺の存在にはまだ気づいていない。上る動作はできないから大丈夫だ。

 ゾンビたちは俺が潜んでいる部屋のすぐ近くまで来た。冷静になろうとしても、俺の顔はほてり、全身から冷たい汗が噴出する。薄いパーテーションを隔てたすぐ向こうに二十頭以上のゾンビがいるこの状況。呼吸音が気になる。すごく息苦しい。俺は神に祈った。神に祈るのは人生で二度目である。

 まえに祈ったのは某有名雑誌の漫画コンテストに応募した時……結果発表が掲載されている号を購入し、そのページを開く瞬間……神様は俺の願いを聞き入れてはくれなかった。

 神様、明日から真面目に働きます。ちゃんと就活もします。働いている親に代わって飯を作ります。美少女アニメももう見ません──

 俺は目をつぶり、念仏のように祈りの言葉を繰り返した。すぐうしろでうなり声が聞こえる。パーテーションの下の隙間から腐臭を漂わせ、ヨロヨロと地面を踏む黒ずんだ足が見える。

 早く、早く去ってくれ!!

 九死に一生を得るとは、まさにこのことだ。時間にして数分だったのかどうかは、わからない。その時だけが止まったかのように、感覚がおかしくなっていた。あとから思い出せば、ほんの短い時間だったかもしれない。だが、その時は無限地獄のごとく永遠と続く時間に思われた。

 しばらくして静かになると、俺はこわごわ手摺りから顔を出した。

 いない──

 同じ姿勢のまま硬直していたため、体中が痛い。力が入らない。しかも、全身にかいた汗が冷えて冷水を浴びたようになっている。俺は身震いしてから、勇気を振り絞った。
 
 生きるんだ! ここで死んでたまるか!

 来月、神野君たちとサバゲーをする予定があるし、女児向けアニメ、トゥインクルハニーも今シーズン始まったばかりなんだ。それに、新しく買った電動ライフルを改造してパワーアップしたいし、そのためにこのポスティングバイトをしていたんだ。俺のアニメ実況とゲーム実況を楽しみにしている人もいる。漫画も……漫画の読者はほとんどいないが……

 俺は腰に力を入れた。パーテーションを飛び越える。内側に立て掛けていたゴルフクラブがその拍子に倒れた。


「ゴン!」

 その音に弾かれ、俺は猛ダッシュしていた。
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