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一章 始まり始まり

三話 幼なじみと遭遇

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「へ!?」

 目を疑う光景が眼下に広がっていた。
 坂道の幅はだいたい四メートル。道幅にぎっちり並んだ黒い人影がこちらへ迫ってくる。そのうしろにも数えきれないくらい……俺との距離、ほんの数メートル。

 大群じゃん──

 ちょうど俺が坂の上──奴らの視界の範囲内に立ったので認識したようだ。真ん中にいる奴と目が合った。


 「グォァアアアアアアアア!」


 目が合うなり、大口開けて加速してくる。 

 俺は……腰が……腰が……抜けた……

 本当に抜けたのである。下半身にまったく力が入らない。必然的にしゃがみこんだ。角材だけは強く握りしめていたが、手におかしいくらい汗をかいている。

 本当に腰って抜けるんだ……なんて感心している場合じゃないのに、このことを無性に発信したくなった。アカウントがほとんど永眠状態のSNSでも、某掲示板でもいいから……誰かに知らせたい。誰でもいいから。この「腰が抜ける」という現象について本当にあるんだ、ということを世界中に発信したい。世界中の人々に知らしめたい──そこまで考えてからようやく俺は我に返った。

 やべえじゃん……ガチで死ぬじゃん、俺。

 しかも、ゾンビに肉体を食われながら……
 よく映画でムカつくキャラがそういう死に方するよね? 誰でも一番避けたい死に方だ。生きたまま内臓を引っ掻き回され、全身噛みつかれて死ぬなんてことは。
 
 恐怖が倍増したせいで硬直する。体が動かなければ為す術はなし。俺は絶叫コースターが落下する寸前みたいに、ギュッと目をつむった。

 絶体絶命。平穏な日常から突如、阿鼻叫喚の地獄へと。短い人生だった──


 ……と、人間の走る軽快な足音が聞こえた。

 そ、人間だ。人間に間違いない。ゾンビの足音はぎこちなく、リズム感がない。対して人間の足音は軽快でリズム感がある。一人ではない。何人もだ。

 俺が目を開けると同時に「ゴッ、グチャ……」という音が立て続けに聞こえた。ほんの二、三メートル先にいたゾンビたちが次々と倒れていく。その背後にはヘルメットを被り、十手を手にしたレスキュー隊員が見えた。ゾンビの影に隠れていたため、気づかなかったのだ。巨大な赤い車がゾンビの大群の背後に止まっていた。

 もしや……あれが噂に聞くレスキュー車か……いや、レスキュー車ではない。消防車だ。そして、助けてくれたのは……


「大丈夫ですか?」


 女性の隊員が俺に声をかけた。ヘルメットの下から、きっちり結んだまったく痛んでいない黒髪が見える。化粧気なく、肌は綺麗だ。そして眉毛は太い。
 ああ、あれだな、よく見ると美人なのに地味で性格がきついために、男子から敬遠されがちの……にしても、どこかで見たことあるような……


「あの、腰が抜けてしまって……」

「えっ! ……大丈夫ですか!?」


 女性隊員は大袈裟に驚いてみせ、やや躊躇してから手を差し伸べた。


「た、立てますか?」

 
 いや、腰抜けたって言ってるだろうに。そう思いながらも、俺は差し出された手をありがたくつかませてもらった。
 

 ──あれ?


 意外にもしっかりと立てた。さっきはまるで駄目だったのに……
 異常な状態から解放されて日常へ戻れたからなのか、理由はわからない。からきし力の入らなかった下半身は元通り治っていた。


「大丈夫そうですね? よかった」


 女性隊員は引きつった笑みを浮かべた。汗でギトギトした俺の手からすぐに手を離している。なんだよ? そんなに俺の手を握るのが嫌だったのか?
 
 被害妄想を振り払うように俺は尋ねた。


「あの、消防隊の方ですか?」

「……いえ、自警団です」
 


 女性はツナギの袖に付けられた腕章を指差した。そこには「X市西区消防自警団」と書かれてある。

 ああ、あれか、地域のボランティアが集まって災害の時に活動する……


「はあ、なるほど……」


 俺は相槌を打ちながら、やや離れた所に置いていたエコバッグを取りに行った。
 ついさっきまで死ぬかと思っていた癖に平常心を装いながら、バッグを肩にかける。俺にだって自尊心というものはあるのだ。


「ありがとうございました……それでは……」
 

 女性はなにか言いたげに首を傾げながら、まだこちらを見ている。

 こういうのはイラつく。人をジロジロ見るなっての。失礼な女だ。なんだよ? 昼間にジャージで歩いてたらいけないのか?
 俺は目をそらしてさっさと行こうとした。


「あの、もしかして……」


 女性はおもむろに口を開いた。内心ドキドキしながら、俺は足を止める。


「もしかして、同じマンションの……同級生の……田守君?」

「え!?」

「あ、私、宮元です。二階の……」


 宮元久実……小、中と同じ学校に通っていた同級生だ。小学校低学年までは同じマンションに住んでいることもあり、よく遊んだが……
 おお、なんだ、久実ちゃんか……数年ぶりに見たのですっかり顔を忘れていた。小学校の六年間、同じ通学班だったのにも関わらず、だ。

 中学に入ってからはお互い肉付きがよくなったし、思春期ボーイズ&ガールズ同士はあまり会話をしなくなる……久実ちゃんは痩せたようだが……気づかないのもしょうがない、か。んん、あれから十年以上経ってるもんなぁ。


「お、ああ、久しぶり……」
 

 ちょっと嬉しかったが、続く言葉がすぐに出てこない。彼女の武器が自然と目に入った。金属製のそれは俺の角材とはちがい、ちゃんとした“武器”の感じがする。


「あの、その十手、カッコいいね……」

「へっ? これ? 警棒のこと? じゅ……なに?」


 彼女は持っている武器を胸の所まで持ち上げて、俺に見せる。


「そう、十手……」

「へえー、これ、ジッテって言うんだ。知らなかった……」
 

 いや、普通知ってるだろ? 十手ぐらい……実際に使用してるんだし……女、恐るべし。


「じゃ、私、片付けがあるから……気をつけてね」
 

 別れを告げると、彼女は他の隊員を手伝いに行った。隊員たちは死体を消防車へ運んでいる。彼女が去ったあと、シャンプーの残り香が漂った。

 久しぶりに女子と話したからか。俺は若干高揚した気分のまま家路についた。
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