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必然
20.
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プライドの高い男は被虐願望が…ということもなく、ただ、耐えていた。本気になれば反撃は容易い、女に手を上げるほうのクズじゃない、そもそも急所を分かっている(だろう)女が怖かったのではない、多分。
ゾクゾクするのは次に何をされるか予測不可能だから。
「あはは、なーに考えてるの? 円周率? それとも詩篇?」
「…いや」
残された理性を総動員し、身体をおもちゃにされる…もとい肉体への侵入を許してしまった敗北感と、怖さ。彼女なら酷いことはしないだろう、という信頼。女と男とは全く違うのだと改めて思いしらされる。
男でこういう嗜好のある者もいるようだが、これは自分を全て擲つ心理的開放だろうか。それとも生物的な基本系、女性への回帰願望か。
それともこの先に得も言われぬ快楽が…
「wait, so I ...just」
「んふふー」
慎一郎に余裕のなくなったころ、千晶の動きが止まった。
「なにやってんだろ、私」
「…それ言っちゃう?」
手と気配が離れてほっとする。一瞬でも、もう終わりなど拍子抜けなんてしていない。
「じゃぁ? もっと?」
「ノーモア」
そう答えるしかないと知っていたのだろう、千晶の満足そうな笑い声が高い位置から聞こえてきた。と、身体と裏腹に自身がよろこびを流す。
「飲み物頂いていい?」
千晶は返事も待たずに立ち上がり、ベッドを下りた。そして棚の上のラムに気づくと、お、藤堂くんの生まれた年のだ、とグラスに四分の一ほど注いで、一気に飲み干した。
慎一郎はもう一度枕に顔を埋める。やっぱり飲めるほうなのか、そんな事実よりも、このタイムラグを見られずに済んでよかった。湿ったタオルをあてて何もなかったようにごまかす。
「俺にも何か」
今は冷蔵庫を物色している背中に声をかける。炭酸水と、グラスも手にしたのを見て、慎一郎は胸をなでおろした。
彼女は常識的だ、犬みたいに皿で飲めなんていわない。
「はいどーぞ、」
まだ手の拘束は続いている。のろのろと起き上がった手にグラスが渡される、と、鼻先をサトウキビとバニラの香りがかすめていく。
スン、と鼻をひくつかせ、ベッドに腰掛けた彼女に上から腕を被せる。肘でグリップを利かせ軽くホールドし、
こっちがいい、と水を飲んだばかりの口にねだる。
甘い香りとわずかに残った苦みとを、味わう。全身ラムに浸してしゃぶりつきたい。
こうなると、もう。
「ちょ、もう? あなたのスイッチってどこにあるの?」
「さぁ?」
とぼけてみせたが、自分でもわからない。反応してしまったものは仕方ない、彼女は腰で押し返してくるが、逆効果だ。じれじれと同じように仕返し――はしない。
すりつけ、犬のように匂いを嗅ぎ、舐めまわし、再びじゃれあっているうちに、手の拘束は自然に解けた。
*
「男性は20歳がピークって」
「若々しいと言ってくれないか」
「そうね、」
2ラウンド、千晶がちょっと早かったよね、という言葉は飲み込んで軽く流すと、慎一郎の目に余計な火が灯る。
「千晶さんこそどうなの、女性のセックスドライヴはこれからって」
「…どうだろ。私は人肌恋しいことはあるけどね、猫がいれば」
「猫ね」
過去に犬と皮肉られた男は薄く笑った。
「そ、忙しさでかき消される程度のものよ、寝る食べる、の次。経験がなかったら自己研鑽の道に進んだかも」
「まぁ、言いたいことはわかるよ。忙しいからこそ、だね。男は。ただ、衝動を抑えることができるようになるだけさ」
「男性の性欲と女性のプレジャーは永遠の彼岸だろうねぇ」
「男も色々、薄い奴も、生身の人間相手には向かない奴もいるしね、その気があるのに身体がついてこないとも」
「女もいろいろ。性欲ってより求められることが重要な人が多いんじゃないかな。あとはどんないい男で上手くても3日目の夜には飽きるって子もいるからなぁ、それはそれで本能として正しい気がするなぁ」
「本能か」
「本能と理性と、肉欲薄いのは自己防衛も大きいのかな、あとは種としての限界よね」
表現型は色々あれど、染色体上は男女の二分類だけだ。後ろの男は理屈などどうでもいいと本能のままじゃれつく。
「限界、ねぇ」
「男らしすぎても女性らしすぎても集団生活は送りにくいし、でも、魅力がないと相手を引き寄せられないし――、若い頃はもてあまして、歳をとればどうやって補うか――、んー、人はホルモンに支配されてるってのも確かだけどすごーく個人差があるのも確かで――特にホルモンバランスが揺らぐときに高まるっていうけど、私は揺らぎ自体感じないっていうか、どっちも痛みに支配されてる感が、まぁ、今はニュートラルな時期だから単に流され――」
「そう? 反応は変わってたよ?」
「…っ」
「体温低いときのほうが熱くなりやすい、で後半は肌がしっくりくる感じさ」
ニヤりと無自覚だったらしい女に微笑む。千晶と過ごしていた最後のほうは、週毎に反応が変わるのに気づいた。
恥ずかしそうに口を曲げるその肌に、ぴったりとくっつく。
手のひらを彼女の手に重ね、十分の体温と肌を感じてから、その身体を持ち上げ、くるっと反転させる。
向き合い、見つめあう。
口の横をちろっと舐め、唇を重ねる。
「リビドーってよりタナトスね」
彼女は彼の瞳の奥を見つめ、つぶやいた。
身体は反応している、熱も汗も、生きている。その目の奥は冷静で、それを見つめる目も無欲。
「アキは最後の祈りを唱えるかい?」
彼は彼女の背に手をあて、ベッドに寝かせる。
「楽園なんてなくていい」
答えなんてどうでもいい、一気に自身を埋める。それだけに集中してグラインドする。自分の欲だけに忠実であろうとすればするほど、彼女の好むところに意識が持っていかれる。
「ふっ」
自分を突き動かすものが自身なのか、目の前の相手なのかわからなくなってくる。境界なんてないのかもしれない。
そして彼女が盛り上がったと同時にまたもあっけなく果てた自身に、もう、開き直るしかない。
「ふふっ」
慎一郎の髪を撫でる手は、優しい。
――死だけが安寧をもたらすとは誰の言葉だったか。
彼はただ彼女の輪郭をなぞった。記憶より薄くなった身体がひどく、あやうい。
ベッドに横たわる彼女の伏せた瞼、鼻先、顎、首筋に肩に、広がる髪を軽く寄せる。肩から腕に胸に背中、腰に盛り上がったふたつの膨らみ、腿との区切りが明瞭で美しい。本能の形なのだろうか、背筋が泡出つ。抗わずに漲りはじめた欲望を割り入れた。
「ちょっ 元気過ぎでしょ やっ…これ…苦しい」
「俺も…好きじゃない、…獣みたい…でさ」
犬なんてかわいいもんじゃない、
そう思っていたのに、彼女相手に初めての体位は酷く本能を掻き立てた。――征服欲? 背徳感? なんだこれ。犬なんてかわいいもんじゃない。
「なら…」
「これでイーブンだ」
ゾクゾクするのは次に何をされるか予測不可能だから。
「あはは、なーに考えてるの? 円周率? それとも詩篇?」
「…いや」
残された理性を総動員し、身体をおもちゃにされる…もとい肉体への侵入を許してしまった敗北感と、怖さ。彼女なら酷いことはしないだろう、という信頼。女と男とは全く違うのだと改めて思いしらされる。
男でこういう嗜好のある者もいるようだが、これは自分を全て擲つ心理的開放だろうか。それとも生物的な基本系、女性への回帰願望か。
それともこの先に得も言われぬ快楽が…
「wait, so I ...just」
「んふふー」
慎一郎に余裕のなくなったころ、千晶の動きが止まった。
「なにやってんだろ、私」
「…それ言っちゃう?」
手と気配が離れてほっとする。一瞬でも、もう終わりなど拍子抜けなんてしていない。
「じゃぁ? もっと?」
「ノーモア」
そう答えるしかないと知っていたのだろう、千晶の満足そうな笑い声が高い位置から聞こえてきた。と、身体と裏腹に自身がよろこびを流す。
「飲み物頂いていい?」
千晶は返事も待たずに立ち上がり、ベッドを下りた。そして棚の上のラムに気づくと、お、藤堂くんの生まれた年のだ、とグラスに四分の一ほど注いで、一気に飲み干した。
慎一郎はもう一度枕に顔を埋める。やっぱり飲めるほうなのか、そんな事実よりも、このタイムラグを見られずに済んでよかった。湿ったタオルをあてて何もなかったようにごまかす。
「俺にも何か」
今は冷蔵庫を物色している背中に声をかける。炭酸水と、グラスも手にしたのを見て、慎一郎は胸をなでおろした。
彼女は常識的だ、犬みたいに皿で飲めなんていわない。
「はいどーぞ、」
まだ手の拘束は続いている。のろのろと起き上がった手にグラスが渡される、と、鼻先をサトウキビとバニラの香りがかすめていく。
スン、と鼻をひくつかせ、ベッドに腰掛けた彼女に上から腕を被せる。肘でグリップを利かせ軽くホールドし、
こっちがいい、と水を飲んだばかりの口にねだる。
甘い香りとわずかに残った苦みとを、味わう。全身ラムに浸してしゃぶりつきたい。
こうなると、もう。
「ちょ、もう? あなたのスイッチってどこにあるの?」
「さぁ?」
とぼけてみせたが、自分でもわからない。反応してしまったものは仕方ない、彼女は腰で押し返してくるが、逆効果だ。じれじれと同じように仕返し――はしない。
すりつけ、犬のように匂いを嗅ぎ、舐めまわし、再びじゃれあっているうちに、手の拘束は自然に解けた。
*
「男性は20歳がピークって」
「若々しいと言ってくれないか」
「そうね、」
2ラウンド、千晶がちょっと早かったよね、という言葉は飲み込んで軽く流すと、慎一郎の目に余計な火が灯る。
「千晶さんこそどうなの、女性のセックスドライヴはこれからって」
「…どうだろ。私は人肌恋しいことはあるけどね、猫がいれば」
「猫ね」
過去に犬と皮肉られた男は薄く笑った。
「そ、忙しさでかき消される程度のものよ、寝る食べる、の次。経験がなかったら自己研鑽の道に進んだかも」
「まぁ、言いたいことはわかるよ。忙しいからこそ、だね。男は。ただ、衝動を抑えることができるようになるだけさ」
「男性の性欲と女性のプレジャーは永遠の彼岸だろうねぇ」
「男も色々、薄い奴も、生身の人間相手には向かない奴もいるしね、その気があるのに身体がついてこないとも」
「女もいろいろ。性欲ってより求められることが重要な人が多いんじゃないかな。あとはどんないい男で上手くても3日目の夜には飽きるって子もいるからなぁ、それはそれで本能として正しい気がするなぁ」
「本能か」
「本能と理性と、肉欲薄いのは自己防衛も大きいのかな、あとは種としての限界よね」
表現型は色々あれど、染色体上は男女の二分類だけだ。後ろの男は理屈などどうでもいいと本能のままじゃれつく。
「限界、ねぇ」
「男らしすぎても女性らしすぎても集団生活は送りにくいし、でも、魅力がないと相手を引き寄せられないし――、若い頃はもてあまして、歳をとればどうやって補うか――、んー、人はホルモンに支配されてるってのも確かだけどすごーく個人差があるのも確かで――特にホルモンバランスが揺らぐときに高まるっていうけど、私は揺らぎ自体感じないっていうか、どっちも痛みに支配されてる感が、まぁ、今はニュートラルな時期だから単に流され――」
「そう? 反応は変わってたよ?」
「…っ」
「体温低いときのほうが熱くなりやすい、で後半は肌がしっくりくる感じさ」
ニヤりと無自覚だったらしい女に微笑む。千晶と過ごしていた最後のほうは、週毎に反応が変わるのに気づいた。
恥ずかしそうに口を曲げるその肌に、ぴったりとくっつく。
手のひらを彼女の手に重ね、十分の体温と肌を感じてから、その身体を持ち上げ、くるっと反転させる。
向き合い、見つめあう。
口の横をちろっと舐め、唇を重ねる。
「リビドーってよりタナトスね」
彼女は彼の瞳の奥を見つめ、つぶやいた。
身体は反応している、熱も汗も、生きている。その目の奥は冷静で、それを見つめる目も無欲。
「アキは最後の祈りを唱えるかい?」
彼は彼女の背に手をあて、ベッドに寝かせる。
「楽園なんてなくていい」
答えなんてどうでもいい、一気に自身を埋める。それだけに集中してグラインドする。自分の欲だけに忠実であろうとすればするほど、彼女の好むところに意識が持っていかれる。
「ふっ」
自分を突き動かすものが自身なのか、目の前の相手なのかわからなくなってくる。境界なんてないのかもしれない。
そして彼女が盛り上がったと同時にまたもあっけなく果てた自身に、もう、開き直るしかない。
「ふふっ」
慎一郎の髪を撫でる手は、優しい。
――死だけが安寧をもたらすとは誰の言葉だったか。
彼はただ彼女の輪郭をなぞった。記憶より薄くなった身体がひどく、あやうい。
ベッドに横たわる彼女の伏せた瞼、鼻先、顎、首筋に肩に、広がる髪を軽く寄せる。肩から腕に胸に背中、腰に盛り上がったふたつの膨らみ、腿との区切りが明瞭で美しい。本能の形なのだろうか、背筋が泡出つ。抗わずに漲りはじめた欲望を割り入れた。
「ちょっ 元気過ぎでしょ やっ…これ…苦しい」
「俺も…好きじゃない、…獣みたい…でさ」
犬なんてかわいいもんじゃない、
そう思っていたのに、彼女相手に初めての体位は酷く本能を掻き立てた。――征服欲? 背徳感? なんだこれ。犬なんてかわいいもんじゃない。
「なら…」
「これでイーブンだ」
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