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願わくは
4.
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「全部夢だったってオチはまだかな」
「光栄だな、僕ちゃんとこんな夢を見てくれるなんて」
「……」
ああ言えばこう言う、もうちゃぶ台ならぬテーブルクロスを引きはがす気力も残っていない。何とかに付ける薬は無いという言葉が頭に浮かんだのも今日で二度目。
「アキはそのままでいいんだ、似合ってるよ、何も染まらない白」
ノープロブレム、死ななきゃ治らない病に罹った男はそう言って微笑んだ。
何が大丈夫なのか、ちらっと垣間見た上流――慎一郎は自らの一族は単なる資産階級と言っているが――とそれを取り巻く魑魅魍魎は、千晶の想像を超えた次元の世界なのは間違いないだろう。
半ば放心状態の千晶に小熊猫を被ったラスカル♂がケーキを盛り合わせてやってきた。
「あこちゃんの好きなの無くなりそうだったから持ってきたよ。慎一郎さんにはこれ、今が旬ですから」
「……」
「ありがとう、ペアだね」
息子は、はい、といちじくのタルトを切り、間抜け面で半開きの千晶の口の前へ差し出す。食べられたらだいじょうぶ、なんとかなるよ、そんな母親の言葉をまねてから、慎一郎に微笑んでみせる。
「タルトが二十世紀でゼリーが西洋梨だそうです」
「うん、どっちもおいしいね」
千晶はいちじくのつぶつぶをかみ砕きながら、息子の意図に呆れた視線を送る。ラスカルは首をほんの少し傾げて無邪気に笑ってみせ、去っていった。
「はぁ~ぁ…ぁ」
エイリアンズは今日の食事の場が慎一郎の生家だと知らされていたにすぎない。ラスカル♂は慎一郎を驚かそうと怪しげな工作にいそしんでいたし、ラスカル♀は衣装をとっかえひっかえ、白のシューズを履きたいからとてるてる坊主を作り、
それが今では彼らなりに状況の変化に柔軟に対応している、自分らの意思で。
「あのこたちの企みなんてかわいいもんさ、ちょっと行ってくる」
再び頭を抱えた千晶に面白そうな声が降って、離れていった。
ラスカル♂と慎一郎が何やら遣りあっているのを遠目に、千晶はハリネズミケーキの針をすくって舐める。マロンクリーム。本体は焼いたメレンゲ。うまうま。
木陰でにこやかに談笑する千晶一家らと慎一郎の親族にも頭が痛い。大人の対応とも見えるが、慎一郎以上に腹の読めない、千晶以上に神経の図太い面々である。
距離を置きながらも普通に慎一郎の友人一家として接してくれる慎一郎サイドに感謝の気持ちは多々ある。
だが、それとこれからのことは別である。両親や兄弟たちには世話をかけっぱなしで頭が上がらない。この上千晶が付き合いに困るだけならまだいい、妬み恨み擦り寄り、そんな悪意が彼らに伸びるのは回避したい。
(キ〇ガイのフリは手遅れか、こっそり離婚届――は追認したことになるのかな。訴えてやるか、誰を代理に――うーん、まずは事実確認が先だな 誰も届を提出したことは知らないみたいだけど、登記とかどうなってるんだろ? 旅券は?)
あの手この手を考えていた千晶の元へ、本日の裏切り者の何番目かが酒を片手にやってきた。
「諦めなよ、何をやっても幻滅しないよ、慎は」
「えー……」
「期待値がゼロなんだもの。ちあきちゃんも悪人にはなれないタイプだし」
「あー……」
酷い言われようだ。千晶も薄々気づいてはいたが、口に出されるとぐっさりと刺さる。そこは嘘でも『彼はまだ気づいてないんだ、君が唯一無二の存在だって』っていうところ。
毒々しいきのこの形のケーキに手を伸ばし、誠仁に押し付ける。白と赤のグラサージュの中はフルーツどっさりのブランデーティーケーキ。
「あいつ実は二人きりだと幼児語だったり特殊な嗜好だったり――しないか」
「ご想像にお・ま・か・せ(はぁと)っていえたらよかったんですけどね、あのままですよ」
「やばいねー」
「でしょー」
慎一郎はと見渡せば、少しふくよかな男性のケーキからトッピングの緑と赤をさっと掠めて口に入れ、紫もつまもうとしたところで男性がガードし、と、じゃれ合い始める。そこにまた一人加わり――いい大人が、無邪気に笑いあっている。
「さ、飲んで。飲んで。明日は明日の風が吹く」
「風じゃなくて嵐ですよー」
グラス二客と氷が届くと、誠仁は酒を入れ、シャンパンを注ぐ。
薄い琥珀色が乳白色へと変化し気泡がはじける。
誠仁がグラスを手にすると、千晶も渋々手に取った。昔、誠仁は千晶が結婚する時には司会をすると言ってきた。今日の司会は不在、千晶も彼なりの仁義は感じとっている。そして慎一郎の説得を試みただろうとは言わずともわかった。
「おめでと、って言っていいのかな」
「よくないですよ、知ってたんなら教えてくださいよ、高飛びしたのに」
千晶がくせの強い酒を難なく飲み下すと、誠仁はつまらなそうに自らもグラスに口をつけた。
「まぁまぁ、ちあきちゃん飛行機苦手でしょ、余興は用意してあるからさ、藤堂くんのバイオグラフィ」
見たがってたろ? とかなり含みのある笑みを千晶に向ける。
期待していいんでしょうね、と、千晶もにんまり。
「本邦初公開もあるでよ、英米日、三国の英知の結集よ。ちあきちゃんも明日誕生日なんでしょ、今日のところはいいじゃん。30までだよ、白いドレスが着れるのはさ」
「20半ば、ギリ20代まででしょ、それに子持ちが着るのはおかしいって言っていいんですよ、そもそも今日は藤堂くんのお誕生会ですし」
今日は千晶も毒づく。両親は娘のドレス姿に目を潤ませたが、ラスカルズは『慎一郎さんさぁ』『白は無いねー』と冷静だった。
そして30男の誠仁はテディボーイスタイル、ブルーカラー代表だと毒づく。
「あはは、まだ20代でイケるって。ちあきちゃん変わんないねー、苦労が顔にでなくて」
「…褒め言葉だと思っておきますよ。私の人生すべて過ちの連続ですもん。センセはいい顔になってきましたよね」
「んふ~ん、ま、自分でも前よりいい顔だと思うんだよ、人格だよね、過ちを認められるところ」
誠仁はまんざらでもない様子で頬に手をあて、口角をあげる。
「黙ってればいいのに、そういうとこだけほんと残念」
「完璧男だもん、ちょっとくらい欠点がないと胡散臭いでしょ」
「あーあ、自分で言っちゃってるし」
そこへまた一人。
「ねぇ、千晶?」
「んー? 飲む打つ引っかけるとか聞いちゃってる?」
千晶に女友達が目配せする。と、それを見ていた誠仁もさすが、自分に向けられた視線が色を含んだものではなく、見世物のそれだと察するのは一瞬だった。
「お噂は兼ねがね、トラップ回避能力はエスパー級だそうで」
「まぁーむ?」
千晶の友人は、おっぱい星人にこれまでのくだらないネタをばらしたうえ、千晶兄と並びが見たいと連れて行った。千晶の兄はとてもノリ好くサービス精神も旺盛である。千晶は怖いもの見たさと、くわばらなのと天秤にかけ、誠仁が紋付の長髪男と抱き合ったところで視線を外した。
ラスカル♀はあちこちに顔を出して回り、ラスカル♂は千晶の友人と案内人と共に屋敷の探索に回っている。千晶の女友達は慎一郎の友人と話込んでいるし、千晶の男友達も慎一郎とその友人と笑い合っている。
その向こう、百日紅の後ろの茂みにちらっと初老の男性の姿が揺れた。慎一郎の祖父母に視線を移すと、ふっと笑ったように見えた。
(まぁどうにかなるか、皆が楽しそうにしているのを見るのはいい、今日、と明日のところは)リスの乗ったミルフィーユを頬張り千晶は適当に頷いた。
「光栄だな、僕ちゃんとこんな夢を見てくれるなんて」
「……」
ああ言えばこう言う、もうちゃぶ台ならぬテーブルクロスを引きはがす気力も残っていない。何とかに付ける薬は無いという言葉が頭に浮かんだのも今日で二度目。
「アキはそのままでいいんだ、似合ってるよ、何も染まらない白」
ノープロブレム、死ななきゃ治らない病に罹った男はそう言って微笑んだ。
何が大丈夫なのか、ちらっと垣間見た上流――慎一郎は自らの一族は単なる資産階級と言っているが――とそれを取り巻く魑魅魍魎は、千晶の想像を超えた次元の世界なのは間違いないだろう。
半ば放心状態の千晶に小熊猫を被ったラスカル♂がケーキを盛り合わせてやってきた。
「あこちゃんの好きなの無くなりそうだったから持ってきたよ。慎一郎さんにはこれ、今が旬ですから」
「……」
「ありがとう、ペアだね」
息子は、はい、といちじくのタルトを切り、間抜け面で半開きの千晶の口の前へ差し出す。食べられたらだいじょうぶ、なんとかなるよ、そんな母親の言葉をまねてから、慎一郎に微笑んでみせる。
「タルトが二十世紀でゼリーが西洋梨だそうです」
「うん、どっちもおいしいね」
千晶はいちじくのつぶつぶをかみ砕きながら、息子の意図に呆れた視線を送る。ラスカルは首をほんの少し傾げて無邪気に笑ってみせ、去っていった。
「はぁ~ぁ…ぁ」
エイリアンズは今日の食事の場が慎一郎の生家だと知らされていたにすぎない。ラスカル♂は慎一郎を驚かそうと怪しげな工作にいそしんでいたし、ラスカル♀は衣装をとっかえひっかえ、白のシューズを履きたいからとてるてる坊主を作り、
それが今では彼らなりに状況の変化に柔軟に対応している、自分らの意思で。
「あのこたちの企みなんてかわいいもんさ、ちょっと行ってくる」
再び頭を抱えた千晶に面白そうな声が降って、離れていった。
ラスカル♂と慎一郎が何やら遣りあっているのを遠目に、千晶はハリネズミケーキの針をすくって舐める。マロンクリーム。本体は焼いたメレンゲ。うまうま。
木陰でにこやかに談笑する千晶一家らと慎一郎の親族にも頭が痛い。大人の対応とも見えるが、慎一郎以上に腹の読めない、千晶以上に神経の図太い面々である。
距離を置きながらも普通に慎一郎の友人一家として接してくれる慎一郎サイドに感謝の気持ちは多々ある。
だが、それとこれからのことは別である。両親や兄弟たちには世話をかけっぱなしで頭が上がらない。この上千晶が付き合いに困るだけならまだいい、妬み恨み擦り寄り、そんな悪意が彼らに伸びるのは回避したい。
(キ〇ガイのフリは手遅れか、こっそり離婚届――は追認したことになるのかな。訴えてやるか、誰を代理に――うーん、まずは事実確認が先だな 誰も届を提出したことは知らないみたいだけど、登記とかどうなってるんだろ? 旅券は?)
あの手この手を考えていた千晶の元へ、本日の裏切り者の何番目かが酒を片手にやってきた。
「諦めなよ、何をやっても幻滅しないよ、慎は」
「えー……」
「期待値がゼロなんだもの。ちあきちゃんも悪人にはなれないタイプだし」
「あー……」
酷い言われようだ。千晶も薄々気づいてはいたが、口に出されるとぐっさりと刺さる。そこは嘘でも『彼はまだ気づいてないんだ、君が唯一無二の存在だって』っていうところ。
毒々しいきのこの形のケーキに手を伸ばし、誠仁に押し付ける。白と赤のグラサージュの中はフルーツどっさりのブランデーティーケーキ。
「あいつ実は二人きりだと幼児語だったり特殊な嗜好だったり――しないか」
「ご想像にお・ま・か・せ(はぁと)っていえたらよかったんですけどね、あのままですよ」
「やばいねー」
「でしょー」
慎一郎はと見渡せば、少しふくよかな男性のケーキからトッピングの緑と赤をさっと掠めて口に入れ、紫もつまもうとしたところで男性がガードし、と、じゃれ合い始める。そこにまた一人加わり――いい大人が、無邪気に笑いあっている。
「さ、飲んで。飲んで。明日は明日の風が吹く」
「風じゃなくて嵐ですよー」
グラス二客と氷が届くと、誠仁は酒を入れ、シャンパンを注ぐ。
薄い琥珀色が乳白色へと変化し気泡がはじける。
誠仁がグラスを手にすると、千晶も渋々手に取った。昔、誠仁は千晶が結婚する時には司会をすると言ってきた。今日の司会は不在、千晶も彼なりの仁義は感じとっている。そして慎一郎の説得を試みただろうとは言わずともわかった。
「おめでと、って言っていいのかな」
「よくないですよ、知ってたんなら教えてくださいよ、高飛びしたのに」
千晶がくせの強い酒を難なく飲み下すと、誠仁はつまらなそうに自らもグラスに口をつけた。
「まぁまぁ、ちあきちゃん飛行機苦手でしょ、余興は用意してあるからさ、藤堂くんのバイオグラフィ」
見たがってたろ? とかなり含みのある笑みを千晶に向ける。
期待していいんでしょうね、と、千晶もにんまり。
「本邦初公開もあるでよ、英米日、三国の英知の結集よ。ちあきちゃんも明日誕生日なんでしょ、今日のところはいいじゃん。30までだよ、白いドレスが着れるのはさ」
「20半ば、ギリ20代まででしょ、それに子持ちが着るのはおかしいって言っていいんですよ、そもそも今日は藤堂くんのお誕生会ですし」
今日は千晶も毒づく。両親は娘のドレス姿に目を潤ませたが、ラスカルズは『慎一郎さんさぁ』『白は無いねー』と冷静だった。
そして30男の誠仁はテディボーイスタイル、ブルーカラー代表だと毒づく。
「あはは、まだ20代でイケるって。ちあきちゃん変わんないねー、苦労が顔にでなくて」
「…褒め言葉だと思っておきますよ。私の人生すべて過ちの連続ですもん。センセはいい顔になってきましたよね」
「んふ~ん、ま、自分でも前よりいい顔だと思うんだよ、人格だよね、過ちを認められるところ」
誠仁はまんざらでもない様子で頬に手をあて、口角をあげる。
「黙ってればいいのに、そういうとこだけほんと残念」
「完璧男だもん、ちょっとくらい欠点がないと胡散臭いでしょ」
「あーあ、自分で言っちゃってるし」
そこへまた一人。
「ねぇ、千晶?」
「んー? 飲む打つ引っかけるとか聞いちゃってる?」
千晶に女友達が目配せする。と、それを見ていた誠仁もさすが、自分に向けられた視線が色を含んだものではなく、見世物のそれだと察するのは一瞬だった。
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「まぁーむ?」
千晶の友人は、おっぱい星人にこれまでのくだらないネタをばらしたうえ、千晶兄と並びが見たいと連れて行った。千晶の兄はとてもノリ好くサービス精神も旺盛である。千晶は怖いもの見たさと、くわばらなのと天秤にかけ、誠仁が紋付の長髪男と抱き合ったところで視線を外した。
ラスカル♀はあちこちに顔を出して回り、ラスカル♂は千晶の友人と案内人と共に屋敷の探索に回っている。千晶の女友達は慎一郎の友人と話込んでいるし、千晶の男友達も慎一郎とその友人と笑い合っている。
その向こう、百日紅の後ろの茂みにちらっと初老の男性の姿が揺れた。慎一郎の祖父母に視線を移すと、ふっと笑ったように見えた。
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