Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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蓋然

10.

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♪♪♪

 そこへ、割り込みが。誠仁だ。慎一郎は鬱陶しそうにグループに切り替える。
 二人と一匹がそれぞれ軽く手をあげる。

「はーい慎ちゃん、やほー、ななみん、猫になったの? お姉ちゃんいる?」
 
(ななみん⁉ 誰? …まさか七海君がなりきって? BOT?)誠仁は普段どんなやり取りをしているのだろう、二次元美少女バーチャルキャラにデレている絵図が浮か――びそうになって、消した。

 誠仁は現在シドニーに留学中。昼間は大学、夜と週末は病院と忙しいはずなのに、顔色はいい。肉付きも増したようだ。千晶は誠仁からラッキーポーチカンガルーのアレを貰ったから、というわけでもないが無事に試験合格と卒業が決まったと報告を済ませている。

「んー、酔いつぶれてる? ないでしょー、まぁいいや、言付けお願いね。卒業おめでとう! 僕行けなくてごめんね~、……代わりにいいもん送っといたから、船便で。ん? …教えてくれたじゃん、ななみんにもあるからね。…、写真みたよ、変わんないね、え、出所? 秘密。ちあきちゃんって意外と面食いだよね、…僕のほうがいい男? …うんうん、更に磨きがかかってきた? ま、泳いで潜ってるからねー」

 誠仁は口を、猫は前足を動かすだけ。猫の腕に人間の手が添えられているし、内容も突っ込みどころだらけだが、慎一郎はこの二人相手に余計な口は挟まない。スープをスプーンで掬って、食事中をアピールしておく。

「慎ちゃん、何飲んでんの? またごった煮?」
「…スコッチブロス」
「飽きないねぇ、僕もうベイクドビーンズ見たくない。…ああ、ななみんのごはんが恋しいなぁ、…、違う? …帰ったら食べに、…来るな? …あはは、…、…まーね、…そっちもまーなんとかやっといて、終わったらうちへさ、…うん、うん、…肩もみくらいさせる? えー、あのお姉さんには前にも後ろに立たれたくないんだよ。わかるでしょ、…、怖くないって? 後ろに言わされてない? んん? なぁ、慎ちゃん?」
「……」

 俺に振るな、慎一郎は首を傾げておく。慎ちゃんって呼び方もどうなんだ。二人の通った小学校は女子はさん付け、男子は君付けで苗字呼び推奨、藤堂くん時田くんと呼び合ってきた。

「あー、すっとぼけんの。猫ちゃんどーよ」

「うなぁぁお」猫が両前足を上げる。添えられた黒子の人差し指がにゅっと伸びて、そのまますっと下に降ろされると、少し遅れて声が聞こえてきた。

『我は日輪に導くものにゃう』
「⁉(大きく出たな)」
「マイロード、悩める子羊に道をお示しください」

 誠仁はおお、と手を合わせる。ジェスチャーだけで会話が成立していたのもオカシイが、切り替えも早すぎる。しゃべる猫は禁じ手だろ、そこは突っ込めよ。
 
『羊の皮を被ったオオカミよ、群れに飲み込まれるにゃ、ただ生き残れ』

 猫は片手をあげ(させられ)る。一本調子の変声は猫がテキストをタイプして黒子ソフトが読み上げている設定らしい。語尾のにゃはどうなのか。
 
「ははーぁ、主の御言葉のままに」

 誠仁は両手を上げ、深く首を垂れる。彼は実存主義者なはずだ――が、思うところがあるだろうか。千晶も彼の心のうちを知ってか知らずか適当が過ぎる。ひよも黒子にされるがままだ。

『我は神ではない、ネコである。主はすでに汝のうちにあり、汝と共にある。望むなら我も共に行こう、同行猫人にゃ』
 
 道化は頭をあげ、また両手を合わせた。猫大師が前足を胸の前でクロスさせる。後光は射していないが、頭に王冠が見えた、気がした。慎一郎は彼らに感化されてはたまらないと視線を落とす。

「われひとと、さすれば真理への道も険しからずや」
『真理とは何ぞにゃ――』

 慎一郎がビスケットをスープに浸して黙々と食べる向こうで、猫人問答は続いていく。だから語尾のにゃはどうなんだ。

『己が外に求めるにゃ勿れ』 
「ああ、そうか…私だけのマスター、どうぞその御名を――」
「ぶふっ」

 ここまで無表情を貫いていた慎一郎がついに噴き出した。

「あー。むっつりが一人でツボってるよ」
 猫もやれやれと手を広げる。猫人らは素に直るのが早すぎ。

 やってしまった、馬鹿馬鹿しさについスープの具をむせ込んだだけなのに。

「…俺もう仕度するわ、兄弟、約束の地でまた会おう」
「ああ、切らないでよ。慎ちゃんも肩書がついたんだっけ、おめでと。なんだっけ」

 誠仁と猫が両手をぱちぱちを叩く。3年目で下から二番目、祝うほどじゃない。

「……」
「あはは、照れてるよ。慎ちゃんもジップフーディ着るんだね、もしかして?」

 誠仁はセーターを着た(下半身丸出しの)ぬいぐるみを振ってみせる。猫が両手を口に当てる。
 こいつらは。
 俺は何を試されているんだ。

 慎一郎は無言でカメラに付箋を貼って立ち上がる。「やっぱり? …ネグリジェ? …録画? してないしてない」そんな誠仁の笑い声を後ろにバスルームへ。
 
 彼らの余裕とノリは嫌いじゃない、嫌いじゃない。
 まだ慎一郎はプライドの殻に穴を開け、頭だけ出した状態。いつかは自分を解き放つ、かもしれない。

「日吉でひよちゃんかー、へぇ、そっちの黒ちゃんは預言者? …ブランちゃん? 足袋猫スノーシューしっぽも白いスノーテイルって、 …面白くない? 寒い? そこはCoooolってさ、…あーね、…僕もファーと暮らそうかな~、…え、…そっち? それ強制送還くらうやつじゃん、…」

 俺は正常だ、俺が正常だ。歯磨きをしながらそっと次元のオカシイ会話に聞き耳を立てる。
 
 三人が顔を合わせたのは5年ぶり、距離も時間も感じさせないやり取りにどこかほっとしつつ、再び顔を合わせるその時は必ず緩衝役を呼ぼう、そう心に決めたのだった。
 

***

 セミオープンタイプのオフィスのデスクの上には飴と写真立て。そしてコーヒーを片手にスマホの画面ににんまり――本人は澄ました顔のつもり――する慎一郎。

『シンィチ、新しい写真かい? どれどれ』
『見たいのかい?』

 付き合いは良いが、ポッシュ訛りでバックボーンを語らない。そんな彼がオトモダチ一家の写真ににやけていれば誰だって気になるもの。

 でかい猫だなとか、俺の子のほうが可愛いなとかくだらない惚気に、このころは夜泣きが酷かったとか、やれうちの娘は痙攣しただとか、甥っ子はよく呼吸がとまって焦ったとか、さらっと恐ろしいことを混ぜ込む。

 千晶の兄弟天使と悪魔が送って寄越すのは日常の一コマだ。しかめっつらに白目をむき、よだれを垂らし、映り込む大人もまたひどい顔だ。取り澄ました写真は一枚もないが、見る者に笑いと喜びと、ため息を与えてくれる。そして不思議と愛着のようなものが湧いてくる。この気持ちは何なのか。
 
『可愛いとはいいがたいが、いい写真だな』

***


 慎一郎の帰国は実家から促されつつも、彼のなかで区切りがついたのは渡米してから6年半後。
 彼のレポートの載った経済誌は千晶の部屋の本棚に無造作に収まっている。
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