Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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必然

18.

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 慎一郎は論理的な思考の持ち主だ。聞いてどう結論づけるかは自由だと放り投げた、千晶の言葉を拾い集める。

 答えは人の数だけあり、互いに影響を受ける。男女の違いを語ることはタブーになりつつある。つらつらと並べた差を千晶はジャッジしなかった。男社会の不文律をさらりと言ってのけ、女の違和感をあっさり解説され、不思議と納得してしまう。概念の列挙に、背景と行動に対する影響を、慎一郎は自分なりに咀嚼していく。

「恵美子さんは気づいていたんだな」

 親しかった人からの心無い言葉と態度。直嗣はただ悔しいと言った。恵美子――直嗣の母は、これからは兄に学べと諭し、慎一郎に改めて頭を下げた。
 
 千晶は否定も肯定もせず、黙って聞いている。

 思春期前は母親の影響が強い、つまり男の理論にはそぐわないから腑に落ちなかった。それ以降は父性に晒され、母性との対立が起こる。意識の違いは分かっていた。男女の違いも、子供の発達も知識として学んでいた。今更なことが結びついていく。

「もっとマクロな視点に――いや、何かを分かった気になるのは間違いの一歩ともいえる、それに自分自身を動かすのに、他人を納得させる必要はない」

 千晶の直感、洞察力は彼女なりの生きる術なのだろう。その術を集団をコントロールしようとする方向に向かわないのがいもにも千晶らしい。直嗣親子のことも、詳しく知っていたのではなく「なんとなく」だと言われれば苦笑するしかない。何をどこまで推察しているのかは聞かないでおいた、母親の出身地を当ててきただけで十分だ。
 千晶は結論を求めない。常に問い続け、こちらにも考えることを促す。

「性差――は追体験できるのか」
「できるけれど不可逆性だからね、リスクが高すぎるね」
 お互いの性が変わったら。理詰めで暴力的な千晶は嫌だ、情緒不安定でメシマズな慎一郎は嫌だ。そんな顔を見合わせる。
「変えられるのは母集団か、アキは、直もか、階層を渡っているんだな」
「ちょびっとでしょ。端から見たら僅差のところでごちゃごちゃやってる」
「確かに」

 それから慎一郎は教育の課題に話を振ったが、千晶は学校教育に何も期待していないのか、批判も出てこなかった。千晶も彼女の家族も経済的にどうであれ、端からみれば順風満帆な人生だ。幸福な者ほど自分の正義を疑わず押し付けてくる。なぜか、千晶にはそれがない。慎一郎が国内外の教育事情を説明すると耳を傾け、ぽつぽつと疑問や考えを口にした。社会の変化、個人と集団、世代間の意識の違い。
 低レベルな諍いとは無縁で育った慎一郎と、比較意識の低い家庭環境で育った千晶、各々の集団ごとの多数派の意識の差を確かめていく。

「でも肯定されたい。認められたいんだろうね。何かに所属して位置を確かめたいのはどこまでも同じなのかな、アッパークラスも色々あるんだろうねぇ」
身内びいきsocial identityの最たるもの、上は上で別世界だよ。そういう意味ではウチは上流ですらない――」
 と、そこまで言って言葉を止めた。そして一拍置いて再び放つ、その表情はいつものまま。

「ああ、そうか、――やっとわかった」

 唐突に気付いた、批判され討論はしても見返そうとは思わずに来たことを。日本人として納得してしまう。最上流を目指す気概は無かった。むしろ仲間入りしたくない。
 ハングリーさに欠けているのは慎一郎も同じ。千晶を無欲とは責められない、苛立ちは自身の価値観を揺るがす存在だ。

 千晶は、きょとんとした後、薄く微笑んで「よかったね」と言った。

 人々は上を目指す、目指さないものを無気力で怠惰だととののしり落伍者の印を押す。慎一郎は緩やかに軟着陸を目指す、もう一度過去の栄華を盛り返そうという気概は無い。大人は良かった時代の昔話に酔いしれる、そんなものを消し去りたかった自分に気づく。

「父親は狂乱の時代を知ってるんだ、所謂バブル世代っての」

 教育論から一転、慎一郎にしては女子トーク並みに話の脈絡が飛んでいるが千晶は気にしない。勝手にツボに入って笑っているより、言葉にされたほうがいい。

「実体経済と金利がかけ離れて投機に集中したっていう?」
 今の株価もおかしい気がするけれど、付け足した言葉に重ねるよう、慎一郎は頷いてみせた。

「ああ、経営者は濡れ手で粟、そのガキ共がどうだったか、いうまでもないだろう。親父は自分でも稼いだからなお悪い。その下はツケを払うように学校から消えてった」

 12年間、口悪く濁した言い方に去った学友は少なくなかったのだろう、珍しく感情が滲んでみえた。再浮上した人も、あるいは儚くなった人もいたのかもしれない。
 教科書でしか知らない上昇気流、年代や地域、職種によって実感はかなり違ったらしい、誰もが浮かれていたのではない。いつの時代も富は集中する。慎一郎の両親と直嗣の母親は同年代、千晶の同級生たちの保護者も多くは同年代だが、考え方は一括りに出来ない。千晶の両親はその下の世代にあたり、価値観は大きく変わった。が、これまた就職年や職種により差は大きい。その下は満遍なく氷河期を被った世代だ。
 その氷河期ど真ん中で自ら仕事を立ち上げたのが、千晶の今のバイト先だ。社会に不要とされた世代の、その親は年金で生活設計が建てられる最後の世代になるだろう。

「以前両親に聞いたけど地方住みの中?高生にはなんの実感もなく過ぎていったって。後になって間接的に恩恵は受けてたんだと気づいたそうだけど。うちはほら、あんな感じだからその後の苦労とかは話さないけど、言葉は少ないね」

「梯子を外された世代か」

「ただ一言、それまでは夢があったって、何になりたいって夢じゃなくて、将来が今より良くなる確信があったって、そう言っていたのが心に残ってる」
 
 校舎には所々明かりが灯っている。

「希望か、今でもそう思える国はある、その先だね。卒業式で学長が話してた、いびつなボリュームゾーンの消滅と国土に合った適正な人口へ。これから本当に苦しくなる。過ぎ越せれば本来の形に戻る。そこまで持ちこたえれば、ね。
 あるいは、一日で変化する、それもまた――」

 世界は日本だけではない。このひとはどこを見ているのだろう。千晶は慎一郎の視線の先を追ったが、暗闇があるだけだった。飲み込まれるのか、新たな光を作り出すのか。

 しんみりと無言で前を見つめる二人の視界に、と、と、と、動くものがあった。猫とはちょっと違うシルエットがみっつ。
「あっ、え? タヌキ? ほんもの?」
「この辺よくいるんだよ」
「はじめて見たよ、野良タヌキ」
 野良って、と笑い声に狸は立ち止まり、また歩き出した。




「帰りに直んとこ寄ってく? 驚くよ」
「寄りません、コレみせびらかしたいんでしょ」
「直んちにもジュリエッタって――」
「あ、女の子のことなら聞いたとしても教えないよーん」
「……」
(直ちゃんが『兄さんには言わないで』って言ったら言うけど)

 図星を指された慎一郎がエンジンの始動に失敗すると、千晶はタヌキの歌を歌い始めた。
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