Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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蓋然

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 ガタンゴトンと規則正しいレールの継ぎ目の音。千晶も変わらず規則正しい日常を送っていた。足元の振動と、つり革の揺れ、家路に向かう電車の車窓から流れる景色。

 きっちりしまい込んだはずなのに、ぽっかり穴があいたみたい。四年前と何が違うというのだろう。 
『何かあったの?』 そう聞かれて答えに詰まるような出来事はなかった。
 恥ずかしい失敗ならあった。怒られもした、感謝もされた。悪意も、好意も向けられた。期待されて、失望されて。
 何気ない言葉に傷つき、傷つけもしただろう。やさしさに触れ、自分も少しは優しくなれたかもしれない。

 少しずつ変化する街並みと、自分のなかの変化をぼうっと考えて、なんとなく終点まで来てしまった。

 駅名になっている低い山がこの先にある。普段着で登れるハイキングコースは観光客から常連まで通年多くの人で賑わっている。いつでも行けると思うと行かないもの、千晶は小学校の遠足で登ったきりだ。
 確か別の路線で麓の駅まで行って歩いて、頂上でおかずの交換をしながらお弁当を食べて、ユウコちゃんがお腹が痛くなって先生におんぶされて先に帰って(虫垂炎だった)、下り道は吊り橋を渡った――記憶が残っている。

 山登りをする気分でもなく、そのまま折り返しの上り電車に乗り、猫の待つ家に帰った。
 
 ――どこかへ行きたい、どこへ行けばいい? そんな感傷に似た気分は夏の暑さと、忙しさにすぐにかき消された。

***

 全てが元通り、大学では前期試験も終わって恒例のバーベキューも5回目。今年は河原に石窯もどきをつくってピザとパエリアを食べた。年々サバイバル風味が加わっていくのはどうしたものか。

 夏休みもバイトに、ボランティアもまだ続けていた。そしてたまに友人と遊び、それから。


「千夏(仮)ちゃんへだって、」
「誰よ。冷蔵で荷物届いてるよ」
「海老名の研修無事終わったってさ、お土産」

 千晶は『千夏ちゃん』と付箋のついた紙袋を弟に渡す。誠仁からの土産だ。件の弁当は『七海の下位互換系(但し大病院のボンボン)が食事に苦労してる』と正直に言ったらあっさりと了承された。弟は先行投資を惜しまない。千晶が弟に誠仁のことを話したのはホームパーティの件一度くらいだったが、勘も記憶もしっかりした弟はすぐに誰のことか思い当たったのだ。ついでに優男系の苦悩は他人事ではないらしい。

「魚肉ソーセージのアメリカンドックに、パプリカとイカに――ふふっ」

 紙袋に添えられたリクエストに、もっと難題をだせと言わんばかりの弟。誠仁もいたくごきげんだったし、付箋だけのアナログなやりとりを二人は楽しんでいるようだ。
 相手の希望に応えつつ、七海は美意識と配慮の塊なので弁当の栄養も色どりも完璧。千晶の上位互換は伊達ではない。一言添えた文字もとても達筆。さて、誠仁の誤解度はどれほどだろうか。

「明太子だった、食べちゃっていいよ。チェリーのお姉さんが入院してさ――」

 千晶は冷蔵庫の中を確認し、ジンジャーエールを作り、お礼の電話を掛け始めた。すると、弟が眉を顰めて菓子折りと姉を見比べる。
 
「なぁに?」
「夜のお菓子…? うなぎにニンニク入り…」
「こっちは真夜中だって、うふふ」
 
 紙袋の中身は菓子折りとリボンの掛かった小箱。海老名と浜松って?と姉は首を傾げているが、そこじゃない。
 菓子折りはまだいい、小箱はマベパールのラペルピンとカフリンクス。ハート型。どういう顔をしていいかわからないと、姉に箱を渡す。姉は姉でダイジェスト教本とういろうを貰ったので七海宛で間違いない。

「アキ食べていいよ、これも俺…?」
「私は何も言ってないよ。それ(男で)似合うのはなっちゃんくらいだよ、よかったね」
「……アキも使っていいからね、恵×会のひとって6月生まれとか?」
「ん? 10月始めだよ確か。お姉さんと誕生日が同じでさ」
「そんな情報要らない。…ふーん、へぇ」

 にやりと何か閃いた風な弟に、今度は千晶が眉を顰める。千晶の友達と七海は気が合うが、誠仁と七海とは――直接会わなければ気が合うのだろうか。嫌な組み合わせだな、とパイ菓子を齧ってしかめっつらをしてみせた。

「なっちゃん、もうご飯作りに行っちゃいなよ? フリフリのエプロンでさ」
「それはないね」

 黒猫がやってきて菓子のにおいを嗅いでぺろっと舐め、ヘソ天で寝ていた大猫もやってきて菓子を齧る。
「ひよ、ナッツはだめだよ、こっち」
「ニンニクもだめでしょ」(※諸説あり)
「うなー」
 もっとよこせと強請る大猫に、今からサマーカットにしてやろうかと脅すと逃げていった。
「ん、甘いけど普通のパイじゃん」
 猫の代わりにパイを齧った七海は、自分が担がれたことを知った。

「はー、毎年毎年例年にない猛暑ってさー」
「百年に一度。今年はねぇ。カズも久しぶりに熱出してたし、ま、いいもんが撮れたけどね」

 だるだると寝そべり始めた千晶の腹に、黒猫が乗る。窓際の、猫の手の届かない棚に数種のひまわりが活けられていた。

「なっちゃん、ひまわり綺麗だね。フィボナッチ数ってさ――」
「山中湖だよ。今日は素麺にしようか、食べたら髪切ってよ。ああ、今週末と来週さ俺出かけても」
「いいよ、行ってらっしゃい。素麺はみかん入れてね」

 千晶は何も詮索しないでおいたのに、弟は早口に言葉を続けてから、照れくさそうに台所へ消えた。こんな光景も今年限りだろうか、七海も来年は社会人だ。最後の夏休みを謳歌している弟を、来年も学生の千晶はどこか置いておかれた気分で見送るのだった。


 この夏は嫌になるほど暑かった。暑さは千晶の脳を溶かし、思考を奪い、体力を削いだ。――だから、気づくのが遅れた。

 
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