Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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偶然

5.

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 バイトを終えて帰宅した弟の七海が目にしたのは、久しぶりに玄関に出迎えたブランと、一目で質の良さが分かる靴とコート。次いで茶の間のコタツに書生さんのような男がひよを脚にのせノートパソコンに向かっている姿で。
 千晶あねはそのはす向かいにカットソーにニットを羽織った姿でグロいテキストとレジュメを広げて……つまりいつも通りで。

「おかえり、お買い物ありがとね、鰤は煮たよ」
「おじゃましてます」
「いらっしゃい、何コレ」
「ああ、偶然会って猫が見たいって普段はアメリカだよ。で、ほら充電中」

 挨拶もそこそこに七海の口から出たのは訝し気な批難と困惑。

「懐いてるねって、そうじゃなくてこの奇妙な絵面のことだよ」

 七海は外の汚れを家に持ち込みたくないので帰宅後はすぐ着替える派、家族も協力してくれている。だが、客人にまで強制しない。
 千晶が無言で鴨居に掛かったスーツを指さした。ささくれた畳に猫毛のついたこたつふとん、理由は分かるがそこじゃない。そうだろうと無言で頷いたどてら男は、仕事に戻る。
  
 弟は隣りの和室からしじら織りの割烹着を持ってきて千晶に着せ、頭に手拭いを巻くと、少し離れて確認するように首をひねる。

「ん~、ちょっと物足りないね。ハチマキ巻いてろうそく挿してみようか」
「丑の刻参り?」
「八つ墓村」
「それ違くない?」千晶は首をひねりながらもわざわざ検索する。「懐中電灯…ヘッドライトはあったよね、なっちゃんの学ラン着られるかな、ゲートル…脚絆があったよね」
「模造刀はカズの部屋で見た、ベルトが」この家で一番まとなはずの弟も画面を覗き込み思案する。

(そんな仮装はしない、絶対に)おかしな流れに耐え切れず、拒否オーラをにじませてどてら男がタイピングの手も止めずに一言。

「……七海くん、キミもか」
「ナツでいいよ。兄貴は宇宙人、アキは左脳のネジがぶっ飛んでる、俺が正気を保てるとでも?」

 慎一郎がやっと手を止め、それもそうだなという顔で同意した。

「どうせ私がオカシイんですよ」

(否定しないのか、異常だと自己認識できる脳は正常と言えるのでは――)

「ああ、ナツ君、これもパラドクスなの? 俺にはその猫が黒猫に見えるんだけど白って」
「え、そんなこと気にしてたの?」

 そんなことじゃないだろうと弟は足元の黒猫から呆れ顔で千晶に目線をやり、次いで慎一郎に向かい説明を始める。

「そもそも白と黒は光の反射と吸収に過ぎない、あなたの見ている猫が黒だと証明――」
「んな難しいことじゃないから。ほら、ここに数本白い毛があるでしょ」

 千晶は七海が語るのを無視し、黒猫を抱っこして慎一郎の前に近づけ首の下をさすって見せる。

「……あるね」

 部分的に長毛になった胸当て部分に数本白い毛が見える。だからと言って黒猫は黒猫だ。

「黒猫の白い毛は幸福を呼ぶんだって」そこからだよ、と千晶がなんの曇りもない目で説明した。慎一郎は焦点の合わない目で弟に縋る。それらしい説明を台無しにされた弟も首を振って応えた。

 名づけたのは拾ってきた千晶、クロだの昆布だのと黒猫にありがちな名は過去に使用済み、同じ名は付けない流儀に則り、熟慮を重ね(斜めに閃い)た結果。

「アキの出力が壊滅的におかしいのに重ねて、家族も『へー』『おもしろいな』って誰も反対しないの、どうかと思うでしょ」
「数の暴力か、ナツ君も苦労するね」

 慎一郎もその場に居合わせたような落胆の声色だ。
 そしてひよの名前の由来を聞き、日吉駅で保護したからひよ――その安直さに慎一郎が溜息をつくと、「アキは相手が猫なだけましだよ、詳細は省くけど父はもっと酷いから」と七海も溜息をついた。 

 不条理に抗う二人、二対一と分の悪くなった千晶は状況を変えようする。

「もういいじゃない、お風呂沸いてるから入っちゃって」
「ありがと、藤堂さん…だよね、お先にどうぞ。足がしびれたでしょ」

 常識的な弟は客人に先に風呂を勧める。

「ありがとう、どうぞお構いなく」
 もう暫くかかるから、と目線を少し下に移した意味を姉弟は見逃さなかった。慎一郎から夕飯のおこぼれをもらったひよはあっさり警戒を解き、食後、なんと自ら慎一郎の膝に乗って今に至る。

 膝に乗ったひよは碧の瞳で一度瞬きしてみせた。

 その様子をみた七海は俯いて笑った。(どっちが本体だよ)



 七海が風呂から上がってきても猫と客人はそのままだった。再び風呂を勧めるも、また目線が下に泳ぐ。

「じゃ私入ってこよ。ねーこー、おねーちゃんはお風呂に入ってきますからね。猫なんて降ろしてもすぐまた乗ってくるのに。猫の尻に引かれちゃって」
「「……」」
 七海と慎一郎が無表情に顔を見合わせてから、千晶を見る。
「なにその特大ブーメラン」
「何がー」
「藤堂さんもアキには言われたくないと思うよ、ねぇ」
「ああ、猫相手に丁寧語な誰かさんには言われたくないね」
「失礼しちゃう、私は猫の言いなりじゃないし」そう言い捨てて千晶は風呂へ行った。

 操られてるけどね、と七海が笑いながら呟くと、またひよは瞬いた。
 
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