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偶然
4.
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「おまたせ」
茶をもってきた千晶に続き、慎一郎が鴨居をくぐると、建具が頭にぶつからないことに気づいた。
和室――千晶は茶の間と言った――は、散らかっているというか生活感がある。中央に長方形のテーブルがあり、壁際には本や資料が平積み、と猫のものらしいオモチャ。それから視界の片隅に入り込む正体不明の置物や壁飾り。掃除はされているし猫くさくもないが、雑然とした印象だ。
「見ていてくれてありがとう、ご飯くらい食べてって」
「ありがとう、少し仕事をして構わない?」
「こたつでどうぞ、電源は柱の横ね」
茶を飲んだら帰れ、皮肉の混じった社交辞令を軽く流して上着を脱ぐ。遠慮はしない。おしぼりと漬物と甘味のお茶請けに茶托なしの煎茶は気取らずに歓迎されていると思っていいだろう。
千晶が無表情でハンガーを渡してから、一旦考えた風にして「ちょっと待っててね」と続きの和室に入っていった。
「スーツが皺と毛だらけになると困るからこれ着てて、誰も袖は通してないから」
そして渡されたのは綿入りのガウン(※丹前)と、スタンドカラーのフライス地のロングシャツ。
このままでいいと言い返せなかった慎一郎はジャケットとドレスシャツまで脱いで着替えた。千晶が肩を震わせながら帯を差し出す。
(相変わらずくだらない。なんだこの三四半世紀前の昭和感。着心地はいいけれど)
「他にどんな衣装があるの」
「言い方、ただの部屋着じゃない。あとは豹柄に、ライオンのロンパースに…」
「もういいよ」
これよりまともな衣装は出てこないようだ。やれやれと腰を下ろす。慎一郎は部屋着に着替える習慣はなかったが、郷に入っては郷に従え、だ。
長方形の座卓には布団が掛かっている。千晶の、こたつの解説が必要かという顔に不要だと軽くうなずいて見せる。
炬燵。屋内が凍結するでもない地方の、古くて気密性の低い日本家屋の冬の主力暖房である。ちょっと足もとが冷える時間帯に重宝する。
PCの電源ケーブルも繋ぎ、足を伸ばす。
「おっ?」
「掘りごたつだよ」
足がすこっと宙に落ちた、驚いてふとんを持ち上げ覗き込む。
一段下がった床に、見覚えのある細長いものが落ちていた。記憶よりやさぐれ、継ぎの当たった形に苦労が偲ばれる。
(チンアナゴはこんなところに潜っていたのか)
ぬいぐるみを足でつついて遊ぶ。足元の暖かさと上半身の温度がちょうどいい。
慎一郎は天井見上げる、家に上がって十分は経っただろうか、人の気配がまったく感じられないのだ。
「明かりがついてたけど、ご家族は留守なの?」
変な気はおこしてないから安心してくれ、と言い添える。
「うん、だいたい一人だよ。両親は今大阪なの。高校までは家族皆揃ってたし、それからも一応日曜の夜は皆でって暗黙の了解があったんだけど、最近は集まらないね。兄は神出鬼没、弟は大学が近いから軽く食べてバイトへ行ってるんだ」
「彼が…バイト?」
千晶がまた言い換え――ずに、汗水垂らして働くイメージがないんでしょと今度は当ててきた。
「彼の労働は実験の延長だから。今はボランティアするのに必要な経験を補うために入ってるの、お金が必要なときは必要な分だけ頭で稼ぐから。明かりはタイムスイッチとセンサーだよ、防犯用」
当然ホームセキュリティに入っていない。庭先の怪しいオブジェは不審者とセールス避け。猫がカーテンをぼろぼろにしたときが一番平和だった、家族の反対がなければそのままにしておいたのに、と千晶は残念がる。
「…以前は賑やかだったんだろうね」
「良く言いすぎ、騒々しいむさくるしいの間違いだよ」
色々な意味で慎一郎は苦笑がもれる。家族団らんの図を想像していたけれど、子供も大学生となればバラバラなんだろう。淋しくないのかと聞くと、千晶は猫がいるから平気だと微笑んだ。
逆に淋しいかと聞かれたことは無かった、彼女は思ったより孤独に耐えるのかもしれない。
猫二匹もこたつに移動してきた。慎一郎の手の届くぎりぎりの距離で、それぞれ毛づくろいを始める。そっと手を近づけ呼びかけてみる。
「ヒヨコちゃん」
「……」
「クロちゃん」
「……」
何言ってんだこいつと二匹に睨まれる。目は口ほどに物を言う、ここの猫は表情が豊かだ。鼻先の慎一郎の手をついでになめる黒猫。頭の固い客人を慰めているつもりなのか。
――もういい、考えてはいけない。名前など記号だ。
慎一郎は頭を切り替えると、パソコンを開き仕事に取り掛かった。
静かな夜、キーボードをタイプする音と台所の水音。
こたつ布団にまるく持たれた猫に再び手を伸ばし、顎をさするとゴロゴロと規則正しく心地よい音が聞こえてきた。
茶をもってきた千晶に続き、慎一郎が鴨居をくぐると、建具が頭にぶつからないことに気づいた。
和室――千晶は茶の間と言った――は、散らかっているというか生活感がある。中央に長方形のテーブルがあり、壁際には本や資料が平積み、と猫のものらしいオモチャ。それから視界の片隅に入り込む正体不明の置物や壁飾り。掃除はされているし猫くさくもないが、雑然とした印象だ。
「見ていてくれてありがとう、ご飯くらい食べてって」
「ありがとう、少し仕事をして構わない?」
「こたつでどうぞ、電源は柱の横ね」
茶を飲んだら帰れ、皮肉の混じった社交辞令を軽く流して上着を脱ぐ。遠慮はしない。おしぼりと漬物と甘味のお茶請けに茶托なしの煎茶は気取らずに歓迎されていると思っていいだろう。
千晶が無表情でハンガーを渡してから、一旦考えた風にして「ちょっと待っててね」と続きの和室に入っていった。
「スーツが皺と毛だらけになると困るからこれ着てて、誰も袖は通してないから」
そして渡されたのは綿入りのガウン(※丹前)と、スタンドカラーのフライス地のロングシャツ。
このままでいいと言い返せなかった慎一郎はジャケットとドレスシャツまで脱いで着替えた。千晶が肩を震わせながら帯を差し出す。
(相変わらずくだらない。なんだこの三四半世紀前の昭和感。着心地はいいけれど)
「他にどんな衣装があるの」
「言い方、ただの部屋着じゃない。あとは豹柄に、ライオンのロンパースに…」
「もういいよ」
これよりまともな衣装は出てこないようだ。やれやれと腰を下ろす。慎一郎は部屋着に着替える習慣はなかったが、郷に入っては郷に従え、だ。
長方形の座卓には布団が掛かっている。千晶の、こたつの解説が必要かという顔に不要だと軽くうなずいて見せる。
炬燵。屋内が凍結するでもない地方の、古くて気密性の低い日本家屋の冬の主力暖房である。ちょっと足もとが冷える時間帯に重宝する。
PCの電源ケーブルも繋ぎ、足を伸ばす。
「おっ?」
「掘りごたつだよ」
足がすこっと宙に落ちた、驚いてふとんを持ち上げ覗き込む。
一段下がった床に、見覚えのある細長いものが落ちていた。記憶よりやさぐれ、継ぎの当たった形に苦労が偲ばれる。
(チンアナゴはこんなところに潜っていたのか)
ぬいぐるみを足でつついて遊ぶ。足元の暖かさと上半身の温度がちょうどいい。
慎一郎は天井見上げる、家に上がって十分は経っただろうか、人の気配がまったく感じられないのだ。
「明かりがついてたけど、ご家族は留守なの?」
変な気はおこしてないから安心してくれ、と言い添える。
「うん、だいたい一人だよ。両親は今大阪なの。高校までは家族皆揃ってたし、それからも一応日曜の夜は皆でって暗黙の了解があったんだけど、最近は集まらないね。兄は神出鬼没、弟は大学が近いから軽く食べてバイトへ行ってるんだ」
「彼が…バイト?」
千晶がまた言い換え――ずに、汗水垂らして働くイメージがないんでしょと今度は当ててきた。
「彼の労働は実験の延長だから。今はボランティアするのに必要な経験を補うために入ってるの、お金が必要なときは必要な分だけ頭で稼ぐから。明かりはタイムスイッチとセンサーだよ、防犯用」
当然ホームセキュリティに入っていない。庭先の怪しいオブジェは不審者とセールス避け。猫がカーテンをぼろぼろにしたときが一番平和だった、家族の反対がなければそのままにしておいたのに、と千晶は残念がる。
「…以前は賑やかだったんだろうね」
「良く言いすぎ、騒々しいむさくるしいの間違いだよ」
色々な意味で慎一郎は苦笑がもれる。家族団らんの図を想像していたけれど、子供も大学生となればバラバラなんだろう。淋しくないのかと聞くと、千晶は猫がいるから平気だと微笑んだ。
逆に淋しいかと聞かれたことは無かった、彼女は思ったより孤独に耐えるのかもしれない。
猫二匹もこたつに移動してきた。慎一郎の手の届くぎりぎりの距離で、それぞれ毛づくろいを始める。そっと手を近づけ呼びかけてみる。
「ヒヨコちゃん」
「……」
「クロちゃん」
「……」
何言ってんだこいつと二匹に睨まれる。目は口ほどに物を言う、ここの猫は表情が豊かだ。鼻先の慎一郎の手をついでになめる黒猫。頭の固い客人を慰めているつもりなのか。
――もういい、考えてはいけない。名前など記号だ。
慎一郎は頭を切り替えると、パソコンを開き仕事に取り掛かった。
静かな夜、キーボードをタイプする音と台所の水音。
こたつ布団にまるく持たれた猫に再び手を伸ばし、顎をさするとゴロゴロと規則正しく心地よい音が聞こえてきた。
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