71 / 138
偶然
4.
しおりを挟む
「おまたせ」
茶をもってきた千晶に続き、慎一郎が鴨居をくぐると、建具が頭にぶつからないことに気づいた。
和室――千晶は茶の間と言った――は、散らかっているというか生活感がある。中央に長方形のテーブルがあり、壁際には本や資料が平積み、と猫のものらしいオモチャ。それから視界の片隅に入り込む正体不明の置物や壁飾り。掃除はされているし猫くさくもないが、雑然とした印象だ。
「見ていてくれてありがとう、ご飯くらい食べてって」
「ありがとう、少し仕事をして構わない?」
「こたつでどうぞ、電源は柱の横ね」
茶を飲んだら帰れ、皮肉の混じった社交辞令を軽く流して上着を脱ぐ。遠慮はしない。おしぼりと漬物と甘味のお茶請けに茶托なしの煎茶は気取らずに歓迎されていると思っていいだろう。
千晶が無表情でハンガーを渡してから、一旦考えた風にして「ちょっと待っててね」と続きの和室に入っていった。
「スーツが皺と毛だらけになると困るからこれ着てて、誰も袖は通してないから」
そして渡されたのは綿入りのガウン(※丹前)と、スタンドカラーのフライス地のロングシャツ。
このままでいいと言い返せなかった慎一郎はジャケットとドレスシャツまで脱いで着替えた。千晶が肩を震わせながら帯を差し出す。
(相変わらずくだらない。なんだこの三四半世紀前の昭和感。着心地はいいけれど)
「他にどんな衣装があるの」
「言い方、ただの部屋着じゃない。あとは豹柄に、ライオンのロンパースに…」
「もういいよ」
これよりまともな衣装は出てこないようだ。やれやれと腰を下ろす。慎一郎は部屋着に着替える習慣はなかったが、郷に入っては郷に従え、だ。
長方形の座卓には布団が掛かっている。千晶の、こたつの解説が必要かという顔に不要だと軽くうなずいて見せる。
炬燵。屋内が凍結するでもない地方の、古くて気密性の低い日本家屋の冬の主力暖房である。ちょっと足もとが冷える時間帯に重宝する。
PCの電源ケーブルも繋ぎ、足を伸ばす。
「おっ?」
「掘りごたつだよ」
足がすこっと宙に落ちた、驚いてふとんを持ち上げ覗き込む。
一段下がった床に、見覚えのある細長いものが落ちていた。記憶よりやさぐれ、継ぎの当たった形に苦労が偲ばれる。
(チンアナゴはこんなところに潜っていたのか)
ぬいぐるみを足でつついて遊ぶ。足元の暖かさと上半身の温度がちょうどいい。
慎一郎は天井見上げる、家に上がって十分は経っただろうか、人の気配がまったく感じられないのだ。
「明かりがついてたけど、ご家族は留守なの?」
変な気はおこしてないから安心してくれ、と言い添える。
「うん、だいたい一人だよ。両親は今大阪なの。高校までは家族皆揃ってたし、それからも一応日曜の夜は皆でって暗黙の了解があったんだけど、最近は集まらないね。兄は神出鬼没、弟は大学が近いから軽く食べてバイトへ行ってるんだ」
「彼が…バイト?」
千晶がまた言い換え――ずに、汗水垂らして働くイメージがないんでしょと今度は当ててきた。
「彼の労働は実験の延長だから。今はボランティアするのに必要な経験を補うために入ってるの、お金が必要なときは必要な分だけ頭で稼ぐから。明かりはタイムスイッチとセンサーだよ、防犯用」
当然ホームセキュリティに入っていない。庭先の怪しいオブジェは不審者とセールス避け。猫がカーテンをぼろぼろにしたときが一番平和だった、家族の反対がなければそのままにしておいたのに、と千晶は残念がる。
「…以前は賑やかだったんだろうね」
「良く言いすぎ、騒々しいむさくるしいの間違いだよ」
色々な意味で慎一郎は苦笑がもれる。家族団らんの図を想像していたけれど、子供も大学生となればバラバラなんだろう。淋しくないのかと聞くと、千晶は猫がいるから平気だと微笑んだ。
逆に淋しいかと聞かれたことは無かった、彼女は思ったより孤独に耐えるのかもしれない。
猫二匹もこたつに移動してきた。慎一郎の手の届くぎりぎりの距離で、それぞれ毛づくろいを始める。そっと手を近づけ呼びかけてみる。
「ヒヨコちゃん」
「……」
「クロちゃん」
「……」
何言ってんだこいつと二匹に睨まれる。目は口ほどに物を言う、ここの猫は表情が豊かだ。鼻先の慎一郎の手をついでになめる黒猫。頭の固い客人を慰めているつもりなのか。
――もういい、考えてはいけない。名前など記号だ。
慎一郎は頭を切り替えると、パソコンを開き仕事に取り掛かった。
静かな夜、キーボードをタイプする音と台所の水音。
こたつ布団にまるく持たれた猫に再び手を伸ばし、顎をさするとゴロゴロと規則正しく心地よい音が聞こえてきた。
茶をもってきた千晶に続き、慎一郎が鴨居をくぐると、建具が頭にぶつからないことに気づいた。
和室――千晶は茶の間と言った――は、散らかっているというか生活感がある。中央に長方形のテーブルがあり、壁際には本や資料が平積み、と猫のものらしいオモチャ。それから視界の片隅に入り込む正体不明の置物や壁飾り。掃除はされているし猫くさくもないが、雑然とした印象だ。
「見ていてくれてありがとう、ご飯くらい食べてって」
「ありがとう、少し仕事をして構わない?」
「こたつでどうぞ、電源は柱の横ね」
茶を飲んだら帰れ、皮肉の混じった社交辞令を軽く流して上着を脱ぐ。遠慮はしない。おしぼりと漬物と甘味のお茶請けに茶托なしの煎茶は気取らずに歓迎されていると思っていいだろう。
千晶が無表情でハンガーを渡してから、一旦考えた風にして「ちょっと待っててね」と続きの和室に入っていった。
「スーツが皺と毛だらけになると困るからこれ着てて、誰も袖は通してないから」
そして渡されたのは綿入りのガウン(※丹前)と、スタンドカラーのフライス地のロングシャツ。
このままでいいと言い返せなかった慎一郎はジャケットとドレスシャツまで脱いで着替えた。千晶が肩を震わせながら帯を差し出す。
(相変わらずくだらない。なんだこの三四半世紀前の昭和感。着心地はいいけれど)
「他にどんな衣装があるの」
「言い方、ただの部屋着じゃない。あとは豹柄に、ライオンのロンパースに…」
「もういいよ」
これよりまともな衣装は出てこないようだ。やれやれと腰を下ろす。慎一郎は部屋着に着替える習慣はなかったが、郷に入っては郷に従え、だ。
長方形の座卓には布団が掛かっている。千晶の、こたつの解説が必要かという顔に不要だと軽くうなずいて見せる。
炬燵。屋内が凍結するでもない地方の、古くて気密性の低い日本家屋の冬の主力暖房である。ちょっと足もとが冷える時間帯に重宝する。
PCの電源ケーブルも繋ぎ、足を伸ばす。
「おっ?」
「掘りごたつだよ」
足がすこっと宙に落ちた、驚いてふとんを持ち上げ覗き込む。
一段下がった床に、見覚えのある細長いものが落ちていた。記憶よりやさぐれ、継ぎの当たった形に苦労が偲ばれる。
(チンアナゴはこんなところに潜っていたのか)
ぬいぐるみを足でつついて遊ぶ。足元の暖かさと上半身の温度がちょうどいい。
慎一郎は天井見上げる、家に上がって十分は経っただろうか、人の気配がまったく感じられないのだ。
「明かりがついてたけど、ご家族は留守なの?」
変な気はおこしてないから安心してくれ、と言い添える。
「うん、だいたい一人だよ。両親は今大阪なの。高校までは家族皆揃ってたし、それからも一応日曜の夜は皆でって暗黙の了解があったんだけど、最近は集まらないね。兄は神出鬼没、弟は大学が近いから軽く食べてバイトへ行ってるんだ」
「彼が…バイト?」
千晶がまた言い換え――ずに、汗水垂らして働くイメージがないんでしょと今度は当ててきた。
「彼の労働は実験の延長だから。今はボランティアするのに必要な経験を補うために入ってるの、お金が必要なときは必要な分だけ頭で稼ぐから。明かりはタイムスイッチとセンサーだよ、防犯用」
当然ホームセキュリティに入っていない。庭先の怪しいオブジェは不審者とセールス避け。猫がカーテンをぼろぼろにしたときが一番平和だった、家族の反対がなければそのままにしておいたのに、と千晶は残念がる。
「…以前は賑やかだったんだろうね」
「良く言いすぎ、騒々しいむさくるしいの間違いだよ」
色々な意味で慎一郎は苦笑がもれる。家族団らんの図を想像していたけれど、子供も大学生となればバラバラなんだろう。淋しくないのかと聞くと、千晶は猫がいるから平気だと微笑んだ。
逆に淋しいかと聞かれたことは無かった、彼女は思ったより孤独に耐えるのかもしれない。
猫二匹もこたつに移動してきた。慎一郎の手の届くぎりぎりの距離で、それぞれ毛づくろいを始める。そっと手を近づけ呼びかけてみる。
「ヒヨコちゃん」
「……」
「クロちゃん」
「……」
何言ってんだこいつと二匹に睨まれる。目は口ほどに物を言う、ここの猫は表情が豊かだ。鼻先の慎一郎の手をついでになめる黒猫。頭の固い客人を慰めているつもりなのか。
――もういい、考えてはいけない。名前など記号だ。
慎一郎は頭を切り替えると、パソコンを開き仕事に取り掛かった。
静かな夜、キーボードをタイプする音と台所の水音。
こたつ布団にまるく持たれた猫に再び手を伸ばし、顎をさするとゴロゴロと規則正しく心地よい音が聞こえてきた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる