Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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いんたーみっしょん

6.

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「喜べ、お兄様がとうとう車を買ったぞ」
 父の赴任は3年の予定だったがお約束のように延びた。車は無くてもどうにかなるけれど、あったほうが便利、そんな都下西部。
 帰宅した兄の一声に、少し遅めの朝ごはんを食べていた姉と弟は手をとめ、顔を見合わせる。
 そろって半信半疑な目を兄に向けると、にっこり微笑みがかえってきた。

「買ったの? 貰ったんじゃなくて?」
「買ったの、2シーターだけどな、ちあ、車庫証明とってきて」
「兄上、僕らに宣言するということは貸していただけるのでしょうか、費用はいかほど? 時間貸しは立証困難故走行距離に応じて決めていただきたく――」スマホとレコーダーを起動させて弟が確認する。
「懐の深いお兄様に何をいう、学生から金をとるほど俺はケチじゃない。ガソリン満タンにしとけばそれでいいよ」

 再び顔を見合わせた姉と弟、日頃の恨みつらみも一時休戦と舞い上がる。車は来てからのお楽しみという兄の言葉を期待してよいものか。


「…なんか裏があるでしょ」
 乗れればいいだけの姉は、弟が嬉しそうなのが気に掛かる。二人乗りド定番の国産スポーツカーは兄が否定した。
「まぁね、燃費悪いとかじゃないの。ガソリン満タンって言ってたし」
「なんだろね? カズが欲しいってたの何だっけ、屋根が開いて二人乗りってそんな多くなくない? 車庫証明――警察署か」
「ポルシェのターボS、は無理だろうから、33Zのロードスターかな」
 
 車種を検索して千晶は納得した、どちらも兄に似合いそうだ。中古なら他にもと千晶があれこれ検索を掛けると、あの男が2リッターやそこらで満足するわけがない、かといって維持費のかかる輸入車を選ぶわけがないと弟はばっさり。

「自動車税6万ってさ、カズが自腹切ってまで乗ると思う?」
「それくらい払えるでしょ」
「それ言ったらなっちゃんだって自分で車買えるのに買わないじゃんさー」
「金の使い道はそれぞれ、カズもなんかあんでしょ。いいじゃん、貸してくれるってんだから」
 レンタカーより身内の車、身内にしても、ドアの開け閉めにもシートの位置にも五月蠅そうな弟より、おおらかな兄の車のほうが気兼ねなく乗れる。
「そーだねー、何色だろ、黒かなー。屋根開ければ荷物も積めそうだね」
「…勘弁してよ」


 
「……まぁ、確かに2シーターだよね」
「ビニール」

 翌週、姉が猫の世話を、弟が夕食の準備をしていると庭からクラクションが鳴った。やけに安っぽい音でなんとなく察しはした、が、予想以上に固まる弟。姉に声をかけられやっと口を開いた。

「……農道…の…ポルシェ…、せめてサニトラ…」
「ん?」 
「33Zは?」

 珍しく語彙不明瞭な弟に代わり、千晶が問う。

「33Zってどこから出て来たの、父親よりデカいの乗るわけにいかないだろう?」
「いくらだったのこれ」
「3まんえん、保険のほうが高かったわ。車両は入ってないからな、潰すなよ」
 
 黄色いナンバーのサ○バートラック、通称軽トラ。自動車税4千円(※当時)丸目にナンバープレートの上が2桁、といえば(古さが)お分かりいただけるだろうか。

「ミニチュアホース乗せるのに使ってたんだって」
「タイヤも付いてきたの? 雪降っても大丈夫だね」
「3シーズン使ったって、大丈夫だろ? 4WDだし」

 荷台には鉄ホイール付きのスタッドレスタイヤが4本。数年前に大雪が降った、それ以来積もりもしないが、備えあれば憂いなし。興味深くぐるりと車体の周りをまわる姉、片やガレージの入口で固まったままの弟。

「ラジオとエアコンついてたよ」
 楽しそうにあれこれ弄り回して戻ってきた姉の神経が弟にはわからない。
「いいの? アキ、ドライブって男がこれで来たらどーなの?」
「え、急用思い出しちゃう、そもそも軽はないわー」
「酷いダブスタだね」
「なっちゃんがこれで女の子迎えに行ったら百年の恋も冷めてもらえるんじゃない? 便利だよ、バイクも乗せられるよ」
 そういう使い方もあるか、とちょっと納得しかけた弟に兄が一言。
「ナツ、お前はまだ運転しないでね、21歳未満不担保にしちゃったから」
「……ケチ」

***

 桜散る4度目の春、家でごろりと猫がくっついて寝ている脇に寝そべり、通帳を眺めている千晶。ニヤニヤはしていない。大金には程遠いが着実に増えていく残高、猫用の積み立て貯金も万一高額医療が必要になっても躊躇わずに掛かれるだけは貯まった。それも予定していた出費が抑えられたから。教科書は先輩からお下がりを貰えた。授業はレジュメが配られたし、実習室に備え付けの教書もあった。ありがたい慣習は千晶も引き継いで行く。

「おねーちゃん春休みも働きましたよー」
 多少でも余裕ができると、心にも余裕ができるのか、声は軽い。
「今から貯金と猫が趣味って終わってんな」
「充電中なのー」

 あちこち出かけている弟に比べ、猫と通帳を眺める21歳、どう見ても終ってるだろうと兄は思う。

「花の命は短くて、ほらお兄様が紹介してやるぞ、D1とM2と――」
「院生やるようなぼんくらは、人としては面白くても男としては――」

 兄妹、どちらも皆まで言わなくてもわかると話を遮る。

「いい男を育てるくらいの気概がなくてどーするよ」
「男が女の子を育てるのとはわけが違うでしょ」

 育てた男はプライドのために去っていく、男性心理を理解している妹に兄は溜息をつく。

「――お前もただのアホじゃないんだな、ならうまくやれよ」
「風も吹くなり 雲も光るなり。私だって色々考えてるんだよ。ねー、ねこ」
 
 千晶は猫を持ち上げ、自身の腹に乗せる。黒猫は香箱を組み、千晶の顔を見つめる。

「どうせ一人暮らしとかだろ、研修になれば寮に入れるぞ」
「やだー、こき使われる予感しかしないもん、それにどうせペット不可でしょ。いつか猫ちゃん御殿建てるからねー」
「お兄様の部屋もよろしくな」
「は?」
「橋の下で泣いてたお前を拾って、ミルク飲ませてやってオムツも換えてやったお兄様の部屋だよ」
「きこえなーい」

 兄は溜息がちに「まぁ頑張れよ」と言った。

「…庭で猫が遊べるようにしたいなぁ、軽トラ借りるねー」

 千晶は兄の買った軽トラでホームセンターへ楽しそうに出掛けて行った。
 兄は冗談のつもりで買ったのに、今は花の盛りの妹が恥ずかし気もなく、どころか面白そうに乗り廻している。
 妹の奥深さを測りかねた己の浅さに兄は目を閉じて、これでいいのかと首をひねった。
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