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3月
2.
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「言葉は違うね、アクセント、言い回しも――」
時差ぼけの変なテンションで慎一郎の話は尽きない、止まらない。
「私には全部英語にしか聞こえないよ。
シン、時間は大丈夫?」
「うん? ああまだ、それにボクは壇上に上がる必要ないからね…」
千晶の遠まわしな焦りにも、気づかない。
「まーたそんなこと言って。スピーチは3回とも同じなのかな、せっかく帰って――
あー(面倒なのが来ちゃった)」
千晶の声のトーンが一段下がり、すっと視線が慎一郎の反対側へ移動した。
慎一郎が何事かと正面に向き直ると、人々の視線と波が移動していくのが感じられた。そして、その向こうからやってくる人影――遠目にも見栄えのいい集団、を認めた。
男の眼にも魅力的に映る黒髪にしっかりした身体で夜のオーラとでもいうのか色気のあるガウンを纏った青年と、明るいふんわりとした髪の美少年を大人にした感じの、先ほど千晶と一緒にいた彼、とその彼に似たやさしい雰囲気の女性、に寄りそうこれまた美丈夫な男性。男性二人は慎一郎と同じくらいかやや高い、女性は千晶より低く標準的だ。顔だけでスタイルがイマイチとか、姿勢が悪いとか、そんな欠点が見られない4人。千晶も悪くない、悪くはないけれど。
だが本質はその外見じゃない、一回りは上らしい男女の距離と空気だ、誰もその間に割り込めない、そんなふたり。
慎一郎が一度瞬きをした、その間に、4人組から一歩前に出てガウンを広げ近づいてくる青年。自信満々、威風堂々、手には長方形の学位入れとハガキサイズの紙。
その後ろで軽く肩を竦めてみせるもう一人の青年、つまり千晶の弟。慎一郎も横の千晶にあえて向き直らずに足を組み替えた。
「ちーあー、まーぃすうぃーーーりぃ」
楽しそうに近寄る青年が一瞬で、不自然に目を逸らしたままの千晶とその隣の男とその胸元を見極めた。がばっと広げたガウンで二人を包む。
「びーぷらうでゅー」
慎一郎は腕をあげ千晶をかばいつつ小声で尋ねる。「お兄さんがいるんだっけ。ねぇ? この時間に終わってるのは理系か」
この大学の敷地で姿を見られると困る人がいる、会社勤めには向かない伸ばしっぱなしの髪。千晶の熱心でもない進学理由、色々察した。引きこもりか反社会的かと思っていたのは内緒だ。
千晶は両足を持ち上げ、目の前の青年の腹を押しやった。
「今日見たことは忘れて、全部」
「それはどうかな」
千晶に蹴りを入れられたガウンの青年は立ち直ると今度は左腕を後へ、右手を式会場のある方向へ指さして北の大地に立つ某博士のポーズをとる。
「ぼーいず、びーあんびしゃす」
「…それ違うから、ヒグマに脳みそ半分齧られてきなよ」
白目をむきそうな千晶だが突っ込むのは忘れない。青年は千晶に抱き着き、メロン某キャラを真似て頭を齧る真似をする。
「俺がこれ以上バカになったらどーすんの、困るだろう」
「誰も困んねーよ」
今度は七海が突っ込むと、青年はその頭を齧りに行った。
慎一郎はやっと千晶に向き直る。
「…そっくりだね」
「やめて」
「で、お若く見えるのは」
「うん、45、二人とも。まぁ私だけ似てないのはアレが橋の下で拾ってきたからなんだけど」
お互い何を聞きたいのか主語も目的語もなく通じるのがおかしい。
千晶は視線を右上に逸らせて他人事のように答え、手を軽く払った。
もういいでしょ行って、千晶の言外の仕草も意に介さず、慎一郎はまた足を組み替え、面白いものを見た顔で目を細めた。仲は悪くない、ちょっと変わった家、千晶の言葉に嘘はなかった、が、慎一郎の予想の斜め上を超えていた。
「いるだけでいい、か」
確かめるように呟くと、千晶がやっと目を合わせて頷いた。見ればわかると言った、見なければ伝わらない。
――なんだよこれ、敵わないわけだ。
「…っあはは、なるほどね」
右手で顔を覆い笑いながら『駆け引きしてまで欲しく無い』そんなニュアンスで言った千晶の言葉を思い出した。どうりで。
微笑ましい関係なら幼児から老夫婦まであちこちで見かけられる、美男美女は絵になるが繋がりは希薄な印象になりがちなのに、滲み出るものが違う。
若く見えるが雰囲気は千晶同様落ち着いていて、とてもいい歳の取り方をしてきたと思える、ただそこにいるだけなのに空気が違う。
「そんなに笑わないでよ、似てないのは分かってるんだから。両親はべつに過保護とかお上りさんなんじゃないから。入学式がなかったから卒業式にはねって、ああ、別にSNSそれとなく上げるような――」
「そうじゃないよ」
「ええ?」
「ナツ、」ガウン姿の青年――つまり兄が弟に声を掛ける。何を問いたいのか察した弟は肯定の代わりに口元を少し上げた。
兄と、立ち上がった慎一郎は、どちらともなく手を差し出し、握手を交わす。
「おめでとう、で合ってるよね」
「ええ、お互いに。経営の藤堂です」
「医学科の高遠、よろしく」
躊躇いもなく祝辞と自己紹介とを交わすのを千晶は他人事のように眺めていた。面倒くさい者同士なのに面倒のベクトルが違うのか探りあう様子もなく意外としっくりはまっている。
ついで父親とも握手を交わしたところで、「ちゅーすんなよ」と兄がからかうと、
「今日は無礼講ー、ね」
「えっ」
「使い方が間違ってんだろ」
父親はハグに次いでビズ、慎一郎もまんざらではない顔で受け入れる。そして息子にも――
(もうヤダ、なにこれ)
(どんまーい)
千晶と弟は三人から目を離し、そっと距離を置いた。代わりに母親が止めに入る。
「このあとどちらかへ? 駅のコインロッカー一杯でしたものね」
「いえこれは私ではなく――」
父親はスーツ姿だが母親は和装。慎一郎の視線が紙袋、そしてスーツケースから千晶へ。姉は弟へ、弟は、と、視線が逡巡した先の兄は、いかにも魔王な胡散臭い笑みを浮かべた。
時差ぼけの変なテンションで慎一郎の話は尽きない、止まらない。
「私には全部英語にしか聞こえないよ。
シン、時間は大丈夫?」
「うん? ああまだ、それにボクは壇上に上がる必要ないからね…」
千晶の遠まわしな焦りにも、気づかない。
「まーたそんなこと言って。スピーチは3回とも同じなのかな、せっかく帰って――
あー(面倒なのが来ちゃった)」
千晶の声のトーンが一段下がり、すっと視線が慎一郎の反対側へ移動した。
慎一郎が何事かと正面に向き直ると、人々の視線と波が移動していくのが感じられた。そして、その向こうからやってくる人影――遠目にも見栄えのいい集団、を認めた。
男の眼にも魅力的に映る黒髪にしっかりした身体で夜のオーラとでもいうのか色気のあるガウンを纏った青年と、明るいふんわりとした髪の美少年を大人にした感じの、先ほど千晶と一緒にいた彼、とその彼に似たやさしい雰囲気の女性、に寄りそうこれまた美丈夫な男性。男性二人は慎一郎と同じくらいかやや高い、女性は千晶より低く標準的だ。顔だけでスタイルがイマイチとか、姿勢が悪いとか、そんな欠点が見られない4人。千晶も悪くない、悪くはないけれど。
だが本質はその外見じゃない、一回りは上らしい男女の距離と空気だ、誰もその間に割り込めない、そんなふたり。
慎一郎が一度瞬きをした、その間に、4人組から一歩前に出てガウンを広げ近づいてくる青年。自信満々、威風堂々、手には長方形の学位入れとハガキサイズの紙。
その後ろで軽く肩を竦めてみせるもう一人の青年、つまり千晶の弟。慎一郎も横の千晶にあえて向き直らずに足を組み替えた。
「ちーあー、まーぃすうぃーーーりぃ」
楽しそうに近寄る青年が一瞬で、不自然に目を逸らしたままの千晶とその隣の男とその胸元を見極めた。がばっと広げたガウンで二人を包む。
「びーぷらうでゅー」
慎一郎は腕をあげ千晶をかばいつつ小声で尋ねる。「お兄さんがいるんだっけ。ねぇ? この時間に終わってるのは理系か」
この大学の敷地で姿を見られると困る人がいる、会社勤めには向かない伸ばしっぱなしの髪。千晶の熱心でもない進学理由、色々察した。引きこもりか反社会的かと思っていたのは内緒だ。
千晶は両足を持ち上げ、目の前の青年の腹を押しやった。
「今日見たことは忘れて、全部」
「それはどうかな」
千晶に蹴りを入れられたガウンの青年は立ち直ると今度は左腕を後へ、右手を式会場のある方向へ指さして北の大地に立つ某博士のポーズをとる。
「ぼーいず、びーあんびしゃす」
「…それ違うから、ヒグマに脳みそ半分齧られてきなよ」
白目をむきそうな千晶だが突っ込むのは忘れない。青年は千晶に抱き着き、メロン某キャラを真似て頭を齧る真似をする。
「俺がこれ以上バカになったらどーすんの、困るだろう」
「誰も困んねーよ」
今度は七海が突っ込むと、青年はその頭を齧りに行った。
慎一郎はやっと千晶に向き直る。
「…そっくりだね」
「やめて」
「で、お若く見えるのは」
「うん、45、二人とも。まぁ私だけ似てないのはアレが橋の下で拾ってきたからなんだけど」
お互い何を聞きたいのか主語も目的語もなく通じるのがおかしい。
千晶は視線を右上に逸らせて他人事のように答え、手を軽く払った。
もういいでしょ行って、千晶の言外の仕草も意に介さず、慎一郎はまた足を組み替え、面白いものを見た顔で目を細めた。仲は悪くない、ちょっと変わった家、千晶の言葉に嘘はなかった、が、慎一郎の予想の斜め上を超えていた。
「いるだけでいい、か」
確かめるように呟くと、千晶がやっと目を合わせて頷いた。見ればわかると言った、見なければ伝わらない。
――なんだよこれ、敵わないわけだ。
「…っあはは、なるほどね」
右手で顔を覆い笑いながら『駆け引きしてまで欲しく無い』そんなニュアンスで言った千晶の言葉を思い出した。どうりで。
微笑ましい関係なら幼児から老夫婦まであちこちで見かけられる、美男美女は絵になるが繋がりは希薄な印象になりがちなのに、滲み出るものが違う。
若く見えるが雰囲気は千晶同様落ち着いていて、とてもいい歳の取り方をしてきたと思える、ただそこにいるだけなのに空気が違う。
「そんなに笑わないでよ、似てないのは分かってるんだから。両親はべつに過保護とかお上りさんなんじゃないから。入学式がなかったから卒業式にはねって、ああ、別にSNSそれとなく上げるような――」
「そうじゃないよ」
「ええ?」
「ナツ、」ガウン姿の青年――つまり兄が弟に声を掛ける。何を問いたいのか察した弟は肯定の代わりに口元を少し上げた。
兄と、立ち上がった慎一郎は、どちらともなく手を差し出し、握手を交わす。
「おめでとう、で合ってるよね」
「ええ、お互いに。経営の藤堂です」
「医学科の高遠、よろしく」
躊躇いもなく祝辞と自己紹介とを交わすのを千晶は他人事のように眺めていた。面倒くさい者同士なのに面倒のベクトルが違うのか探りあう様子もなく意外としっくりはまっている。
ついで父親とも握手を交わしたところで、「ちゅーすんなよ」と兄がからかうと、
「今日は無礼講ー、ね」
「えっ」
「使い方が間違ってんだろ」
父親はハグに次いでビズ、慎一郎もまんざらではない顔で受け入れる。そして息子にも――
(もうヤダ、なにこれ)
(どんまーい)
千晶と弟は三人から目を離し、そっと距離を置いた。代わりに母親が止めに入る。
「このあとどちらかへ? 駅のコインロッカー一杯でしたものね」
「いえこれは私ではなく――」
父親はスーツ姿だが母親は和装。慎一郎の視線が紙袋、そしてスーツケースから千晶へ。姉は弟へ、弟は、と、視線が逡巡した先の兄は、いかにも魔王な胡散臭い笑みを浮かべた。
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